閑話 最強騎士
その時、私はとある不思議な感覚に捕らわれた。
何と言えばいいのか……まるで、空気が震えたような、言葉では上手く説明できない不思議な感覚だ。
「どうかしましたか、ビアンテ?」
「突然厳しい表情になったみたいだけど……もしかして、不審者でも近づいているのかしら?」
不意に動きを止めて視線を宙に向けた私に、一緒にお茶を楽しんでいたミレーニア姫とマリーディアナ様が、首を傾げて私を見ていた。
「い、いえ、何か変な感じがしまして……ちょっと、見てきます」
「あら、この場の警備の責任者であるあなたが、直接動かなくてはならないようなことなの?」
にんまりと笑いながらそう言うのは、王太子殿下の婚約者であり、ミレーニア姫の親友でもあるマリーディアナ様だ。
実を言えば私は、このマリーディアナ・クローヴィ様がやや苦手だ。
美人だし優しい性格の人物なのだが、時々人を揶揄うような言動をするのだ。もっとも、本格的に相手の気分を害するようなものではなく、ちょっとした悪戯程度のものではあるのだが。
それでも相性的なものなのか、私はどうもマリーディアナ様が苦手なのである。
マリーディアナ様自身も私が彼女を苦手としていることに気づいているようで、余計に私にちょっかいをかけてくるのだ。
そんなマリーディアナ様から逃げるように、私は彼女たちの元を離れた。もちろん、周囲には護衛の騎士たちが固めているので、私が一時抜けても警護面は問題ないだろう。
先程感じた違和感を頼りに、私は庭園の方へと向かう。すると、庭園へと繋がる「
一人は青銀に眩しく輝く服を着た若い男。もう一人は見慣れぬ素材の色褪せた青い服を着た女。
見るからに怪しい二人組だ。だが、私はその二人に誰何の声をかけるより早く走り出していた。
そして、問題の二人が剣の間合いに入り次第、腰から剣を抜いてそのまま振るう。
同僚たる王国の騎士たちでも、まともに受けることもできない私の抜き打ち。だが、目の前の男は一緒にいた女をやや乱暴に突き飛ばしながら、腰に佩いていた剣を抜いて我が剣を見事に受け止めた。
思わず、私の口元に笑みが浮かぶ。
そうだ。この男なら……いや、この方なら私の剣をあっさりと受け止めて当然だ。
この方と突然別れてから今日まで、積み上げてきた鍛錬の全てをぶつけるように、私は全力で剣を振り続けた。
その私の剣を、この方は涼しい顔で全て防いでいく。
さすがです! さすがは私が師匠と崇める方です!
そう思った瞬間だった。それまで防御ばかりだった師匠の剣が一瞬で翻り、ぴたりと私の喉元へと突きつけられた。
は、速い! まるで見えなかった! やはり、師匠の剣は私よりも遥か高みに存在する!
そう再確認した途端、私の両目から涙が溢れ出た。
お会いしたかった! 再び師匠にお会いして、心を入れ替えて鍛え直した私を見て欲しかった!
その願いが叶ったと思った瞬間、私は剣を放り捨ててその場に跪いていた。
「して、いかがでしたでしょうか? 師匠と別れてから、自分なりに鍛錬を積み上げてきましたが……少しは上達していましたでしょうか?」
私が師匠にこう尋ねれば、師匠は確かに私が上達していると認めてくれた。
「そ、そうですか……師匠にそう言っていただけると嬉しいですっ!!」
そう、本当に嬉しい。師匠と別れて今日まで積み重ねてきたものが……少しでも師匠に近づけるようにと努力してきたものが、他ならぬ師匠に認められたのだから。
正直言って、私がこの国の騎士として叙任された時よりも、遥かに嬉しい!
思わず舞い上がりそうになる自分を、私は改めて諫めた。ここで思い上がったら、折角努力を認めてくれた師匠に、見限られてしまいかねない。
努めて平静を装いながら、私は師匠の隣へと視線を向ける。
今回私の前に現れた師匠は、女性と一緒だった。
師匠と同じ黒い髪と黒い瞳。おそらくは師匠と同郷の者だろう。いや、もしかして……。
「もしや……こちらの女性は師匠の奥方様でしょうか?」
「はい、茂樹の妻の香住といいます。よろしくお願いしますね」
おお、やはり師匠の奥様であったか! なぜか師匠の方は狼狽えているようだが、奥様の方は嬉しそうに微笑んで師匠の腕をその胸に抱えていた。
いやはや、何とも仲睦まじそうなことだ。いつか、私にも師匠の奥様のような妻が現れるだろうか。
正直言えば、縁談はそれなりに舞い込んできているのだが、今は剣の修行のほうが重要だと考えているので、縁談の類は全て断ってきたのだ。
だが、師匠にこれまでの努力を認めていただいた今、少しぐらいは縁談に前向きになってもいいかもしれない。
いやいや、ここでそんなことを考えてはいけないのだろう。今後もより一層鍛錬を積み上げなくては。
一人内心で新たに決意を固めながら、私は師匠と奥様を姫様が待つ中庭へとご案内した。
師匠の姿を見たミレーニア姫様が立ち上がり、嬉しそうな顔で師匠へと駆け寄り……その途中でぴたりと足を止められた。
足だけではなく全身の動きを止められた姫様は、じっと師匠……ではなくてその隣の奥様を見つめている。
どうやらこれは……うむ、この件には私は触れない方向で。
私とて朴念仁ではない。今の姫様がどのような心境であらせられるのかぐらいは理解できる。だからといって、奥様を連れた師匠を姫様に会わせないという選択はない。普段より姫様が師匠にもう一度お会いしたいと思っておられることを承知しているし、何より師匠が姫様にお会いしたいと言っておられるのだ。
で、ある以上、私としては師匠と姫様をお会いさせないわけにはいかないのだ。たとえ師匠に奥様がいて、その事実に姫様がどれだけ衝撃を受けようとも、である。
それに、身分ある者や優れた技能技術を持つ者が、複数の伴侶を得るのは普通のことである。師匠ほどの剣士であれば、第二第三の伴侶を得ても不思議ではないだろう。
それに、姫様は常々師匠がただの異国の剣士ではなく、神々が姫様を邪竜王から救い出すために遣わした御使いだとおっしゃっておられる。確かに師匠のあの剣の実力からすれば、剣神や軍神、もしくはその眷属であったとしても不思議ではないのだから。
突然現れたのは、暗殺者だった。
暗殺者の標的は、マリーディアナ様のようだ。連中は音を立てることなく滑るように地を駆け、マリーディアナ様に迫る。
私も慌ててマリーディアナ様に駆け寄ろうとするが、ここから──師匠の傍──では到底間に合わない。
その時だった。
突然、中庭に大きな音が響き渡ったのは。
まるで雷が落ちたかのような轟音に、誰もが思わず身を竦ませてしまう。そしてそれは、暗殺者たちも例外ではなかった。
とはいえ、暗殺者たちは完全に動きを止めたのではなく、僅かに動きが鈍くなった程度。だが、その僅かな差が黄金よりも貴重だった。
その僅かな差で暗殺者へと駆け寄った師匠が、その手の剣を振り抜いた。途端、師匠の剣が雷光を宿したかのように眩しく輝き、暗殺者は動きを止めて地に倒れた。
さすがは師匠。私も師匠に負けてはいられない! 師匠に遅れること数瞬、暗殺者へと肉薄して腰の剣を一閃させる。
空中に真紅の花を咲かせつつ、暗殺者が倒れる。間違いなく致命傷だ。
見れば、師匠が倒した暗殺者は生きているようだ。あの状況で相手を殺すことなく無力化させるとは、さすがは師匠だ。私にもあの状況で相手を殺さずに生かしたまま捕らえることは難しい。
警備の騎士たちに襲いかかった暗殺者を二人ほど屠った後、再び師匠へと目を向けた。その師匠の足元には、三人の暗殺者が転がっている。三人とも生きているようで、身体を動かそうとしているようだが、うまく動かないようだ。
私が二人の暗殺者を倒している間に、師匠は三人とも殺さずに捕えたというのかっ!?
師匠の技量の桁違いの高さに畏怖さえ覚えながら、私は暗殺者を捕縛するべく部下たちに指示を出した。
これから、この暗殺者たちから様々なことを聞き出さねばならない。それは容易なことではないだろうが、何としても背後関係を吐かせねばならないだろう。
気分を害されたマリーディアナ様を別室で休ませた後、私はミレーニア姫様と一緒に改めて師匠と話す場を設けることになった。
ミレーニア様の顔色も決してよくはないが、それでも師匠と一緒にいることを選択されたようだ。確かに師匠と一緒の部屋にいることは、この国のどこよりも安全と言える。姫様のこの選択は決して間違いではないだろう。
もちろん、師匠の奥様も一緒である。その奥様を時折意味ありげにミレーニア姫様が盗み見ていることに気づいていたが、私はあえてそれには触れないでいた。
私の判断は間違っていないと思う。こういう問題は、当事者以外は口を出すべきではないはずだ。
その後は王太子であるクゥトス殿下も師匠に挨拶するためにお見えになったりもしたが、穏やかで親し気な雰囲気の中で話ができたと思う。
王太子殿下も師匠とは友好的な関係を築きたいと考えておられるようで、師匠も殿下とは親し気にしておられた。
普通であれば、突然王太子殿下という高貴な方と顔を合わせればかなり緊張するものだが、師匠はそれほどでもないようだった。
さすがは師匠だ。やはり、師匠が神々に連なる者であるという姫様の推測は間違っていないのだろう。でなければ、王太子殿下相手にあれほど親しそうに接することができるわけがない。
それからクゥトス殿下も交えてしばらく話をした後、クゥトス殿下が仕事に戻られるために退出されたり、私とミレーニア様が預かっている邪竜王の宝の一部を師匠にお返ししたり、師匠の奥様がミレーニア姫様に誘われて女性だけで話をされに行かれたりといろいろあった。
その後、私は改めて師匠と剣を交える機会をいただけたのだ。
相手は神かその眷属と思われるお方。私などでは足元にも及ばないのは分かり切っている。であれば、今の全力をお見せするまでだ。
私は最初から全てを師匠にぶつけた。だが、やはり師匠は平然と私の剣を受け流していく。
特に表情を変えることもなく、ただ淡々と私の剣を受け続ける師匠。
だが、師匠の表情に僅かながらも変化が見られることに、私は気づいたのだ。
私が振る剣を見る師匠の目が、徐々に興味深くなっているような、そんな感覚。
もしかしたら……私の剣に、師匠が興味を持たれるような何かがあるということだろうか。
師匠は特に言葉で何かを教えてくださる方ではない。指示を出すわけでも注意をするわけでもなく、ただ師匠は私が振る剣を受けるのみ。
だけど、私には分かる。無言ながらも、師匠が私に何かを伝えようとしていることに。
そして、師匠の目が明らかに私が振る剣筋を見ており、とてもおもしろそうな表情を浮かべていることにも。
これはごく一部とはいえ、師匠が興味を持たれるだけの剣を、私が振るえている証左であろうか?
だとしたら、どれほど嬉しいことか。私は師匠に僅かとはいえ認められた──ような気がして──ことが嬉しくて、その後も全力で剣を振り続けた。
どれぐらいそうして剣を振り続けただろう。気づけば私は体力を使い果たし、地面に片膝をつく有様だった。
「……あ、ありがとうございました、シゲキ師匠! 満足のいく素晴らしい稽古でした! 今回のこの稽古を胸に刻み、これからも精進致します!」
「ああ。俺にとってもいい稽古になったよ。ありがとう、ビアンテ」
おお、なんと勿体ないお言葉であろうか! 師匠が私の剣を認めてくださったのだ。
これからは更に剣の修行に励まねば!
突然、目の前から師匠と奥様の姿が掻き消えた。
先程クゥトス殿下がご一緒された時に、師匠から夜までこの国にいられないと言われていたのだが……まさか突然目の前から消えてしまうとは。
「……やはり、シゲキ様は神々かそれに連なる方なのですね……」
「そのようです。以前、姫様がおっしゃっていた通りでした」
「しかも、シゲキ様が伝説の神剣の後継者であったとは……我がアルファロ王国の始祖もまた、神々から助力を得ていたわけですね」
「はい。このことは国王陛下にお伝えするべきかと」
「もちろんです。シゲキ様のことは、わたくしからお父様やお兄様にお伝えしておきます。そして……」
頬を赤く染め、どこかうっとりとした表情を浮かべられる姫様。先程女性だけで何やら話し合っておられたようだが、姫様にとって嬉しいことがあったのだろうか。
かと思えば、突然そのお顔に影が差した。もしかして、女性だけの話は姫様にとってあまりよくはないことだったのだろうか。
ちらりと姫様の様子を盗み見れば、大きな溜め息を吐かれている。やはり、姫様にとってよくないことのようだ。
もしかして、シゲキ師匠のことで奥様と何かあったか……?
い、いや、いかん。そのことに関しては触れないと決めたではないか。昔から他人の色恋に首を突っ込む奴は、竜に炎を吐きかけられると言うぐらいだ。
何やら「まだまだ諦めません」とか「次にお会いした時には……」とか小さく呟いておられるようだが、私にはそんな呟きは聞こえない。聞こえないのだ。
それよりも、シゲキ師匠の愛剣が伝説の神剣であったことの方が私には重要だ。
神剣カーリオン。我がアルファロ王国の建国王の親友が携えていた剣であり、この国の歴史に深い関わりを持つ剣である。
「ですが師匠であれば……伝説の剣を所持していたとしても納得というものです」
「ええ、本当に」
私の呟きに、ミレーニア様が応えた。
そこには先程のような落胆の影はなく、それどころか何やら闘志を燃やしているようなご様子。
本当に、奥様との間に一体何があったのやら。
しかし、これから忙しくなる。ごく僅かとはいえ、師匠に認めていただくことができたのだ。鍛錬を怠って、師匠を落胆させるわけにはいかない。
今以上に力を伸ばし、再び師匠にお会いした時、改めて実力の上達を確かめてもらわねばならない。
より一層の努力を心に誓いながら、私は再び師匠にお会いする日を楽しみにするのだった。
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