閑話 バイト仲間



「だから、何回言わせんの? 俺が欲しいのはこれじゃないって言ってんの!」

 なかば怒鳴るように、そのお客さんは私に言った。

 それは、私がこのバイト……両親の知人が店長を務めるコンビニでアルバイトをし始めてから、それほど経ってはいない頃のこと。

 私がようやく覚えたレジの前に立っていると、一人のお客さんが来店した。

 作業服姿で白髪交じりの髪。おそらく五十歳前後ぐらいのちょっと乱暴そうなイメージのお客さんだ。

 もちろん、お客さんを外見であれこれと区別しないのは、接客業でなくても常識であろう。だから私は内心ではともかく、表面的にはにこやかな笑みを浮かべて「いらっしゃいませー」と声をかけた。

 その声にちらりと私の方を見たそのお客さんは、一瞬だけにやりとした感じの悪い笑みを浮かべ、すたすたと私のいるレジの前まで来た。

「おい、姉ちゃん、煙草くれ。銘柄は──」

 正直、煙草の銘柄なんて言われても私に分かるわけがない。逆に、煙草の銘柄に詳しい女子高生がいたら、それはそれで問題ではなかろうか。

 それに、最近の煙草は実に様々な種類がある。更には同じ銘柄でも数種類に分かれており──何であんなにいくつも分けてあるのか、私には本当に分からない──、混乱を助長している。

 だからこそ、今のコンビニには煙草の前に番号があり、普通ならその番号で注文するはずなのだが……なぜか、このお客さんは番号ではなく直接銘柄を私に言うのだ。

「だから、これじゃねえよ! 俺の話を聞いていなかったのか?」

 目つきを厳しくし、私をじろじろと見るお客さん。

 そのどこか嫌らしい目つきに私が泣きそうになった時。

 その人は私の肩をぽんと叩いたのだ。



「ああ、森下さん。奥で店長が呼んでいるよ。ここは俺が代わるから」

 そう言ったのは、同じコンビニでバイトしている大学生の人だった。確か……水野さんと言ったっけ。

 バイトの先輩で、他のバイト仲間からも頼りにされているっぽい人だ。私は現状から逃げられることに、心の中で水野さんに礼を言いつつ店長がいるであろうバックヤードへと引っ込んだ。

「あ、あれ?」

 だけど、そこに店長はいなかった。これは一体どういうことだろうと思い悩むも、すぐに思い至った。

「……私を……助けてくれた……?」

 きっとそうに違いない。水野さんは困ったお客さんに絡まれていた私を、それとなく助けてくれたのだ。

 バックヤードから店内の方を見れば、まだ水野さんは先程のお客さんと話していた。もしかしたら、私の代わりになって嫌な思いをしているのではないだろうか。

 そう思って彼のことを見ていたのだが……あ、あれ?

 さっきまであんなに険悪だったあのお客さんが、実ににこやかに水野さんと話していた。

 もしかして、あのお客さんと知り合いだったのかな? そう思いつつ、私はずっと水野さんをこっそりと見ていた。

 やがて、あのお客さんが実に親しそうに片手を上げつつ店から出ていき、水野さんがバックヤードに戻ってくる。

「ごめんね、森下さん。俺がもっと早く気づけば良かったね」

「い、いえ、こちらこそ、助けてもらってありがとうございました。ところで……さっきのお客さん、水野さんのお知り合いですか?」

「いや? 別に知り合いじゃないし、この店には初めて来たって言っていたけど?」

 え? 知り合いじゃない? じゃ、じゃあ、あの意地悪そうなお客さんが、どうしてあれだけ親しげに……?

 きっとこの時からだろう。私が水野さんのことを、ちょっぴり意識し出したのは。



 特別見た目が格好いいというわけじゃない。

 飛び抜けて頭がいいというわけじゃない。

 別段会話が上手いというわけじゃない。

 格別どっしりとした頼もしさがあるわけでもない。

 それなのに、彼が近くにいると何故か安心するし、彼と会話するのがとても楽しい。

 いつも穏やかな空間に包まれている。私が感じた水野さんという人間は、そんな印象の人だった。

 実際、私以外のバイト仲間たちも水野さんについて、同じようなイメージを抱いているようだ。

 そしてある日、このコンビニの店長が水野さんをこう評してた。

「彼、何か不思議な人物だよねぇ。特に目立った容姿をしているわけでもないのに、何となく存在感があるというか……それに、実に人との付き合いが上手い子だと思うよ、ボクは。彼と話していると、まるで長年の友人と話しているみたいだって言うお客さん、意外にいるんだよねぇ。何て言ったらいいのかな? こう、するりといつの間にか懐に入り込んでいるような……もうあそこまでいくと、ちょっとした特技……いや、特技を通り越して特殊能力と呼んだ方がいいかもだよねぇ」

 もちろん、水野さんにそんな魔法みたいな力はないのだろう。実際、水野さんのことを快く思わない人も、同じコンビニのバイト仲間の中にだっていることだし。例えば、豊田くんとか。

 だけど、水野さんの周囲はいつも本当に穏やかな雰囲気に包まれていて、その雰囲気の近くに行くとなぜか安心できるのだ。かく言うこの私も、彼の傍で安心してしまう一人である。

 これはどうやら、やっぱり私は水野さんに惹かれているようだ。私がそう自覚するまで、それほど時間はかからなかった。



 そんな水野さんが、実は私と同じ刀剣好きだということが分かった。

 ある日、筋肉痛で苦しんでいた水野さんに理由を聞いたところ、最近スポーツを始めたらしい。それも、剣術というから驚きだ。

 実は私、祖父が古武術などに興味を持っていたため、その影響で幼い頃から剣道をやっている。今では段も持っているし、高校でも剣道部に所属している。

 しかし、まさか水野さんが私と同好の士だったとは思わなかった。今後は、刀剣類の話題で彼と話す機会が増えるかもしれない。

 そう思うと、私の心はうきうきと浮き立つ。うん、これからは私の方からどんどん話しかけてみよう。

 最近の私は、水野さんと話すのが楽しみのようだ。自分のことなのに、「ようだ」なんて少しおかしいかも知れないが、実際にそうみたいなのだから仕方ない。

 いつの時代でも、乙女心と秋の空というものは複雑怪奇なのである。

 その後、バイトの休憩時間やちょっと手の空いた時間などで、水野さんと剣類の話で盛り上がった。

 どうやら水野さん、刀剣好きが高じて大学では歴史を学んでいるらしい。よしよし、やっぱり私と水野さんは趣味が一緒みたい。

 嬉しい情報を得て、家に帰って自室の中でぎゅっと拳を握り締める。これで、少しは彼との距離を縮められそうだ。

 これまでの雑談などで、水野さんが今付き合っている女性がいないことは既にリサーチ済み。だが、そこに安心していてはいけないような気がする。いつどこから伏兵が現れるか分かったものじゃないし。やはり、私からぐいぐい攻めていくべきか。

 ベッドにダイブしながら、今後どうするか戦略を組み立てていく。

 とはいえ、あまり強引に迫っても逆に引かれてしまうかも。うーん、どの辺りまでなら「好意」の範囲内に捉えてもらえるだろうか。そこが難しい。特に、私はこれまで異性と付き合ったことがないので、圧倒的に経験不足なのである。

 でもまあ、漫画や小説じゃないから、いきなり異世界のお姫様とかは現れないだろうけど。

 この時の私は知らなかった。実は水野さんが異世界で本当にお姫様と出会っていたことを。しかも、後にそのお姫様に私も会うことになるのだが、実にすごい美少女だったのだ。

 それに、どうやらそのお姫様も水野さんに好意を抱いているっぽい。彼女とは仲良くする機会に恵まれたものの、内心ではすごく焦ってしまった。

 これはいよいよ、私の方から打って出るべきだろうか? でも、打って出た結果玉砕では目も当てられないし……。

 これまでの付き合いから、彼も私にそれなりの好意を抱いてくれているのは分かっている。だけど、それが異性に対する好意なのか、友人やバイト仲間に対する好意なのかが判断できない。やっぱり、経験が圧倒的に足りないようだ。

 かと言って、今から他の男性と付き合って経験を積むわけにもいかないし、そんなことをするつもりもない。

 友人の中でそっち方面の経験値が高いヤツ、誰かいなかったっけ?

 私は数人の親しい友人たちの顔を思い浮かべながら、誰に相談しようかと頭を悩ませた。



 でも……やっぱり、こういうことは男の人から決めて欲しいな。

 いつか……近い将来、水野さんの方から告白してくれたら……う、うわわわ、そ、想像しただけで顔が熱いっ!!

 や、やややややっぱり、こちらから打って出るのではなく、水野さん……茂樹さんの方から…………うん、これが乙女心か。我ながら難しいものだなぁ。


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