最強騎士の師匠



 今、俺とビアンテがどこにいるかと言えば……アルファロ王国の王宮の片隅にある、練兵場と呼ばれる場所だった。

 その名の通り、ここはアルファロ王国の兵士や騎士たちが、日々己の肉体と技術を鍛錬する場所である。そんな場所にどうして兵士でもない俺がビアンテと共にいるのかと言えば……もちろん、ビアンテとの手合わせの約束を果たすためだ。

 だが。

 今、この場にいるのは俺たちだけじゃなかった。

 広い練兵場には、数多くの兵士や騎士が詰めかけていた。そして、彼らの視線は俺とビアンテに向けられているのだった。



 鋼色をした竜巻が、俺を襲う。

 俺を斬り刻まんとする竜巻。それはもちろんビアンテが振るう剣である。

 殺気こそ含まれていないものの、その剣には俺を打倒せんという意思がこれでもかと込められていた。

 しかし、俺はその剣を涼しい顔で受け止め、受け流す。その度に、周囲に詰めかけた兵士や騎士たちから感嘆の声が上がる。

「ま、またビアンテ様の剣を受け流したぞ!」

「ビアンテ様の豪剣をあっさりと受け流すなど、そう簡単ではないはずなのに……」

「お、俺なんてビアンテ様の剣を受けることさえできないぞ……」

「あの見慣れぬ衣服を着た若者……一体何者だ? 妙にきらきらとした服だが……」

「そう言えば先程、ビアンテ様があの者のことを師匠と呼んでいたぞ」

「で、では、あの者は我が国最強と謳われ、竜殺しでもあるビアンテ様の……師というわけかっ!?」

 な、何か、周囲の声がどんどん現実と違う方向へと流れていっている気が……こ、これ、一体どう収拾すればいい?

 内心でテンパりながらも、表面的には涼しい顔でビアンテと剣を交える。まあ、剣を操っているのは俺じゃないからね。

 一応聖剣も周囲の空気を読んではいるようで、ビアンテに対して反撃をすることなく、ただひたすら彼の剣を受けるだけだ。

 ぎん、という金属同士が打ち合される音と同時に、俺とビアンテの動きが一時的に止まる。

「……嬉しいです! こうして、師匠の教えをようやく受けることができて!」

「俺は別に何も教えてなんていないぞ?」

「何をおっしゃいますか! こうして剣を交えていただけるだけで、私にとってはこの上ない修行です!」

 俺に剣を教えることなんて最初から不可能だ。剣なんて丸っきり素人な俺が、王国最強とまで言われる騎士に何を教えろと言うのか。

 だけど。

「口であれこれ説明されなくとも、こうして実際に剣を交えれば、師匠が何を私にお教えくださろうとしているか、よく分かります!」

 ああ、ビアンテって肉体派なんだな。理論よりもまず行動するわけだ。

 嬉しそうに笑うビアンテが、大きく後ろに下がる。そして、先程以上の速度で剣の嵐が再び俺に襲いかかってきた。

「おお、ビアンテ様の剣速が更に上がったぞ!」

「既に目で追うこともできん!」

「だ、だが……あの者は表情一つ変えることなくビアンテ様の剣を受け続けている」

「や、やはりあの者は……ビアンテ様の師匠なのか?」

「お、俺にも剣を教えてもらえないだろうか……」

 な、何か周囲が更にヒートアップしているんですけど。

 今、俺は引き攣りそうな口元を必死になって抑えていますです。はい。



 どれぐらいビアンテの相手をしただろうか。

 最初こそ聖剣任せでぼけっとビアンテの剣を受けていただけの俺だったけど、途中から何となく楽しくなってき。

 実際、俺なんかではビアンテの剣を目で追うことさえ難しく、気づいた時には聖剣が勝手にビアンテの剣を受け止めていた、なんてことが何度もあった。

 だけど。

 それでも。

 途中から何回か、ビアンテの動きを読むことができるようになってきたんだ。とはいえ、素人の俺がビアンテの動きを読むなんて、二十回に一回できるかどうかだけど。

 もしかしたら、動きを読んでいるのではなくて、ビアンテの癖のようなものを読んでいたのかもしれない。これだけ何合も打ち合っていれば、素人の俺にも何となく分かることがある。

 うーん。これって実際は、俺がビアンテに剣の稽古をつけてもらっているようなものだね。実力者の剣をこうして間近で受けているだけで、それなりに勉強になることもあるのだろう。

 俺もいつまでも聖剣頼りじゃちょっと情けないし、これはいい機会だと思うことにしよう。なんせ、これからは香住ちゃんも一緒に異世界へ行くわけだし、少しぐらいは恰好いいところを見せないと。

 そうして改めて自分からビアンテの相手をしている内に、随分と長い時間が経過してしまったようだ。

 気づけば、ビアンテは地面に膝をついて肩を大きく上下させていた。どうやら体力の限界らしい。

「……あ、ありがとうございました、シゲキ師匠! 満足のいく素晴らしい稽古でした! 今回のこの稽古を胸に刻み、これからも精進致します!」

「ああ。俺にとってもいい稽古になったよ。ありがとう、ビアンテ」

「勿体なきお言葉!」

 改めて姿勢を正し、片膝ついたまま頭を垂れるビアンテ。同時に、周囲から大きな歓声と拍手が湧き上がった。

 思わず周囲を見回せば、見学者が先程より格段に増えていた。兵士や騎士だけではなく、身なりのいい人物たちもいる。もしかして、あの人たちってこの国の貴族だろうか?

 だけど、周囲の雰囲気は決して悪くはない。皆、笑顔で声をかけてくれるし、拍手もしてくれる。

 中には自分にも稽古をつけてくれなんていう騎士もいたけど、さすがに俺も疲れたから辞退させてもらった。

 たぶん、明日は久しぶりに筋肉痛になると思う。ここしばらく、異世界へ行っても筋肉痛にはならなかったけど、明日は覚悟をしておいた方がよさそうだな、これ。

 俺自身も肩で息をしていると、ふと隣に誰かが立ったようだ。聖剣が全く反応していないので、俺に害意を持つような人物ではないのだろう。

 疲れた身体に鞭打って何とかそちらへ視線を向ければ、そこにはタオルを持った香住ちゃんがいた。

「お疲れさまです、みず……茂樹さん。すごい汗ですよ? よかったらこれ、使ってください」

 このタオル、香住ちゃんの私物っぽい。フローラルな洗剤の香りが鼻腔を擽る。

 ありがたく使わせてもらい、汗を拭く。うん、柔らかなタオルが心地いいな。

「途中から見ていましたけど、本当に凄いですね、その聖剣は。茂樹さん、まるで本物の剣豪みたいでしたよ?」

 耳元で香住ちゃんが囁く。彼女は聖剣の秘密を知っているから、俺がハリボテ剣士だってことを知っている。それでも、香住ちゃんに誉められると嬉しいな。

「ありがとう。ところで、香住ちゃんの方は問題なかった?」

 俺がビアンテと剣を交えている間、彼女はミレーニアさんたちと何か話をしていたはず。ミレーニアさんが一緒だから問題は起きないだろうが、先程のような暗殺者が再び襲ってくる可能性もあるからね。

 ついビアンテとの稽古に熱中しちゃったけど、本来なら彼女の傍にいるべきだったよな。反省しないと。

「え、えっと……わ、私の方は特に何の問題も……い、いえ、何の問題もなかったというわけでもないですけど、み……茂樹さんには問題ないというか、大問題というか……」

 ん? 顔を真っ赤にしながら視線を泳がせる香住ちゃん。しかも、言っていることがよく理解できないぞ?

 一体、何があったん?

 香住ちゃんに何があったのか尋ねたけど、結局彼女は答えてくれなかった。くっすん。



 周囲にいる兵士や騎士たちから温かい言葉をかけられつつ、俺たちは再び城内へと戻った。兵士たちからかけられた声の中には、俺と香住ちゃんの仲をひやかすようなものもあったけど、今の俺にとってひやかしの言葉は祝福の言葉に等しいのだよ。わはははは。

 ……うん、いつか本当に香住ちゃんとの仲を冷やかされたい。切実に。

 そして、俺たちは最初に案内された客間に再び通されたのだが、そこにはミレーニアさんとマリーディアナさんが待っていた。

「マリーディアナさん、もう気分は大丈夫なのですか?」

「ありがとうございます、シゲキ様。私ならもう大丈夫です。私も将来はこの国の王妃となる身。それなのに、あれぐらいのことで気分を悪くしてしまった自分が恥ずかしいぐらいです」

 マリーディアナさんは、将来この国の国王になるクゥトスさんの婚約者だ。つまり、彼女はアルファロ王国に暮らす女性の頂点に立つことになる。

 王妃様って聞くと優雅な存在のような気がするけど、実際はただ優雅なだけじゃ務まらない厳しい仕事なのだろう。

 ただ気が弱いだけの人が、王太子の婚約者に選ばれるはずがないよね。

「実は私とミレーニア殿下も、シゲキ様とビアンテの稽古を拝見させていただきましたのよ?」

「わたくしも初めてシゲキ様が剣を振るうところを拝見しましたが、やはりシゲキ様は本当にすごい剣士だったのですね。まさか、ビアンテがまるで歯が立たないなんて」

 どうやら、この二人も俺たちの手合わせを見ていたらしい。

 そういえば、あの練兵場の外周部には観客席というか、貴賓席のような場所があったな。ビアンテとの手合わせに夢中で気づかなかったけど、あの場所から彼女たちは俺とビアンテを見ていたのだろう。

 もしかすると、途中まで香住ちゃんもそこにいたのかもしれない。

 部屋に控えていた侍女さんが淹れてくれたお茶を飲みつつ、俺と香住ちゃん、そしてビアンテとミレーニアさん、マリーディアナさんはまったりと会話を楽しんだ。

 ビアンテとの手合わせで疲れきっていた俺には、このゆっくりとした空気が心地良かった。それだからだろうか。ふと気づいた時には、窓の外が赤く染まっていた。

 俺がそのことに気づいた時、突然部屋の中に電子音が響き渡った。

「な、何ごとですかっ!?」

「聞いたこともない音だが、これは一体何の音だっ!?」

 耳慣れない電子音に、ビアンテやミレーニアさんが驚いて周囲を見回している。侍女さんたちも、不安そうな表情を隠すことなくきょろきょろしていた。

 特にビアンテなんて、今にも腰の剣を抜き放ちそうだ。

「あ、あー、ごめん、この音……俺のスマホのアラームなんだ」

 そう。音の正体はスマホから流れるアラーム音。もちろん、俺たちの帰還時間を知らせるためのアラームだ。

 俺はポケットからスマホを取り出して、アラームを停止させる。

「……それもまた、シゲキ様の世界のものなのですか……?」

「何とも奇妙な……い、いえ、聞き慣れない音楽でしたが、その小さなものは楽器なのでしょうか?」

 電子音なんて聞いたこともない人たちが、スマホのアラームを突然聞けばびっくりするよね。

 あと、ビアンテ。スマホは楽器じゃないぞ。そもそもスマホを知らないから、楽器と勘違いするのも仕方ないけどさ。

 ともかく、俺はミレーニアさんたちに帰還する時間が迫っていることを説明した。

「折角こうしてお会いできましたのに……また、お会いできますか?」

 目尻に涙を溜めながら、ミレーニアさんが俺を見る。

 うん、いつか必ずまた来るよ。聖剣の設定画面で、行き先が設定できるようになったら必ず。

「次にお会いする時までに、もっと剣の腕を上げておきます! ですから、またお手合わせください、師匠!」

 律儀に頭を下げるビアンテ。俺も聖剣頼りじゃなく、俺自身が少しでも強くなるように努力するよ。お互いがんばろうな。

「次にお会いする時はまた、いろいろとお話を聞かせてくださいね、カスミ様」

 マリーディアナさんは、香住ちゃんの手を取りながらそんなことを言っていた。どうやら、俺の知らないところでかなり仲良くなったみたいだ。

「じゃあ、みんな。必ずまた来るから。だか────」

 俺が全てを言い終わる前に、目の前の光景が一瞬で変化した。

「あ……」

「戻って……来ましたね……」

 夕暮れが近づたことで、薄暗くなっている俺の部屋の中で。

 俺と香住ちゃんは、互いに顔を見合わせた。

 何ともまあ、忙しない帰還だこと。ミレーニアさんたちからすると、目の前で突然俺たちが消えたことになっているだろうな。今頃騒ぎになっていないといいが。

 ま、そこは次に向こうに行った時にフォローしよう。

 さて。それよりも、だ。

 今回は異世界のお土産がいろいろとあるから、後で香住ちゃんと相談しながら分配しよう。でも、その前にこれだけは言っておかないと。

「ただいま。そして、お帰り、香住ちゃん。異世界は楽しかった?」

「はい、さん。とっても楽しかったです!」

 にっこりと微笑んでそう言ってくれた香住ちゃん。よしよし、香住ちゃんが楽しんでくれたのなら何よりだ。



 この後、いつの間にか彼女の俺の呼称が「茂樹さん」に変化していることに、間抜けな俺は数日もの間、まったく気づかなかった。

 そして、それに気づいた時は悶絶するぐらい嬉し恥ずかしな気分だったことを、最後に付け加えておく。



 やあ、お疲れ様。うん? 何かあったのかい?

 そうか、同行者ができたのか。そして、そのことを彼がとても喜んでいると。いやー、いいね。青春だね。

 え? 君としても、同行者の存在が嬉しい? そうか、そうか。どうやら彼同様、その同行者くんも君にとって大切な存在となりそうだね。

 そうなると、その同行者くんの身の安全を図る必要が生じるね……うん、こんなアイデアはどうかな? これなら、彼と同行者くんを同時に守ることができると思うよ。

 そうか、そうか。君も賛成してくれるか。では、少し君を調整させてもらうよ。彼と彼の大切な同行者を、君が守ることができるように、ね。


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