再びアルファロ王国



 跪き、俺を見上げるビアンテ。

 その顔は涙にまみれながら笑っていた。何とも器用な奴だ。

「ひ、久しぶりだな、ビアンテ」

「はい、師匠もお変わりないようで安心しました!」

 ごしごしと腕で涙を拭うビアンテ。いや、おい、ビアンテよ。おまえの腕には手甲が装着されているよな? そんな状態で顔をごしごしやって痛くないのか?

 まあ、いいや。それよりもビアンテがいるってことは、ここはやっぱりアルファロ王国だったんだな。

「して、いかがでしたでしょうか? 師匠と別れてから、自分なりに鍛錬を積み上げてきましたが……少しは上達していましたでしょうか?」

 うん、確かに上達していたと思う。素人の俺には詳しいことなんて分からないけど、それでもビアンテが以前よりも腕を上げていることぐらいは分かった。

 先程受け止めた打ち込みの速さといい重さといい、以前よりも格段に上達していると思う。

「そ、そうですか……師匠にそう言っていただけると嬉しいですっ!!」

 上達していることを告げれば、にっこりと微笑むビアンテ。そうか、俺と別れてから、きっとこいつもがんばっていたんだな。

 以前に会った時に感じた不遜な感じも全くしないし、どうやら本当に心を入れ替えて努力したみたいだ。

「ところで……」

 相変わらず跪いたまま、ビアンテは視線を俺から少し横へとずらした。

「こちらの女性は……どなたでしょう? 見たところ、師匠と故郷を同じくする方のようですが」

 これは後で知ったことだが、このアルファロ王国には黒髪黒目の人間はまずいないそうなのだ。そんなところに俺と同じ民族的特徴を持った人物が現れれば、俺と同郷だと思うのが自然だよね。

 俺がそう考えていると、ふとビアンテは思いついたように尋ねてきた。

「もしや……こちらの女性は師匠の奥方様でしょうか?」

 え……ええええええっ!?

 そ、そりゃあ、そういう願望はもちろんあるけど、いきなり奥様は行きすぎじゃなかろうか?

 ここはまず、恋人とかから始めるべきだと思う。

 と、俺がそう考えていると、香住ちゃんが突然俺の腕を抱きかかえた。

 あれ? つい最近もこんなこと、あったよね?

「はい、茂樹の妻の香住といいます。よろしくお願いしますね」

 と、香住ちゃんはにっこりと笑いながらビアンテに告げたのだった。



「だって、夫婦ってことにしておいた方が、きっといいと思うんですよ」

 ビアンテに先導されて歩きながら、香住ちゃんが俺の耳元でそう囁いた。

「どういうこと?」

「確か水野さんは、あの騎士さんとかこの国のお姫様とかと知り合いなんですよね? でも、私は初対面です。水野さんの知り合いなのでいきなり怪しまれるようなことはないと思いますが、夫婦ってことにしておけば私の立場は更に安全なものになると思うんですよ」

 ああ、なるほど。単なる俺の知り合いよりも、配偶者ってことにしておけば香住ちゃんの立場はより安定するよな。

 俺たちにとってここは見知らぬ異国なんだから、少しでも安全な立場にしておいた方がいいに決まっている。

 ……そうだよね? 決して俺、いいように言いくるめられてないよね? 冷静に考えれば、妻じゃなくて妹でもいいような気がしなくもないが……俺としても妹よりも妻の方が嬉しいから、あえてそこは指摘しない方向で。

 でも、何だろうね? 今の香住ちゃん、すっごく嬉しそうなんだけど。

 今、彼女はにこにこしながら俺の腕を抱きかかえています。

「いや、師匠と奥方様は仲睦まじくて羨ましいですな!」

 振り向いたビアンテが、すっげえ爽やかな顔でそう言った。

 うん、もっと言ってくれてよくてよ? できれば、このままなし崩しに本当に香住ちゃんとそういう関係になれないかな?

 もう、いっそのこと本当に告白しちゃおうかな? 今の香住ちゃんの態度を見る限り、告白を受け入れてくれる可能性はかなり高そうだし。

 ここはいよいよ、思い切っちゃう……か?

 でもまあ、それは自分たちの世界に帰ってからだよな。こんなところで告白するのもアレだし。

「さて、師匠がいらっしゃったことを姫様にもお伝えせねば。きっと姫様もお喜びになられるでしょう」

「そうだといいな。あの時はミレーニアさんとも突然別れちゃったしな。改めて挨拶しないと」

「では、しばらくここでお待ちください。姫様に師匠がお見えになられたことをお知らせしてきます」

 そう言い残し、ビアンテが走り去っていった。彼が向かったのは、向こうでお茶会らしきものをしている女性たちの方。どうやら、あそこにミレーニアさんがいるらしい。



「し、シゲキ様っ!!」

 鮮やかな赤いドレスを着た女性──ミレーニアさんが、俺の方へ駆け寄ってきた。

「ああ! こうして再びシゲキ様とお会いできるなん……て……?」

 あ。

 ミレーニアさんの視線が、俺の顔から俺の腕へ、そして俺の腕からその腕を抱きかかえている香住ちゃんへと移動していった。

 同時に、俺の腕を抱きかかえる香住ちゃんの力が強くなる。

 えっと……これ、もしかして修羅場ってやつ?

 いや、俺と香住ちゃん、そしてミレーニアさんは決して恋人とかじゃないのだから、修羅場とは言えないだろうけど。

 それに、俺の一方的な勘違いってこともあるぞ。

「初めまして。茂樹の妻で香住といいます」

 先制攻撃は香住ちゃんだ! にっこりと微笑みながら、それでいて俺の腕を放そうとはしない。

 一瞬だけびっくりした表情を浮かべたミレーニアさんだが、香住ちゃんと同じようににっこりと笑った。

「まあ、シゲキ様の奥様でしたか。申し遅れました。わたくしはミレーニア・タント・アルファロと申します。ここアルファロ王国の第二王女ですわ」

 ご主人であるシゲキ様には以前命を助けられまして、と続けたミレーニアさん。

 なぜだろう、二人の間に見えない火花が飛び交っているような気がしてならない。俺の思い過ごし……いや、希望的幻覚と言うべきかな?

「ともかく、ここで立ち話も何ですから、こちらへいらしてください」

 そう言って、ミレーニアさんは俺たちを向こうに見えるテーブルに案内してくれる。

 先程もこっそりと見たように、テーブルの周囲には侍女さんらしき人たちがいて、その外側に数人の騎士らしき人たち。

 彼らは皆、驚いた顔で俺たちを見ている。

「お、おい、あれは何者だ? ビアンテ様やミレーニア殿下と随分と親しそうだが……」

「い、いや、俺も知らない人物だ。だが、あの者が着ている服……見たこともないほど輝いているぞ」

「おお、確かに……あのように眩しいほど輝く衣服は見たこともない……」

 ぼそぼそとそんな囁き声が俺の耳に届いてくる。

 どうやら彼らの興味を引いたのは、俺が着ている《銀の弾丸シルバーブリッド》のジャケットやツナギのようだ。

 確かに、特殊な防弾防刃繊維でできたこのジャケット類は、こっちの世界にはないものだろう。それに、見た目からしてメタリックブルーできらきらしているしな。

 この世界の人たちの目には、相当珍しいものに映っているに違いない。

 騎士たちの視線を俺が集めている一方、侍女さんたちの視線を集めているのは香住ちゃんだ。

「あの女性の服装……まるで殿方のようですわ」

「確か市井の者たちの中には、女性でも傭兵などの職につく者もいるとか……そのような者たちは、女性でも男性のような格好をすると聞いたことがありますわ」

「でも、あの女性……格好こそ粗野で男性のようですが、肌といい髪といい、とても市井の者とは思えません」

「それに……よく見れば、あの女性の服も見たことがない意匠ですし、縫製もかなり優れているのでは……」

「一体、あの者たちは何者なのでしょう……?」

 なるほど。女性としては、やはりファッション的なことに注目するんだね。

 今の香住ちゃんは、動きやすさを重視したボーイッシュなデニム生地のパンツ・スタイルだ。そのため、この国の女性からするとかなり的外れな印象になるのだろう。

 だが、そこは王女様に仕えるような侍女さんたちだ。すぐに香住ちゃんの服が優れ物であることに気づいたらしい。

 それに、この国ではどうか定かではないけど、こういう王宮に勤める侍女さんって、貴族の令嬢の場合が多いはず。となれば、物を見る目はある程度養われているだろう。

 そんな侍女さんたちは、香住ちゃんの艶やかな髪や荒れていない肌にも注目している。

 この世界の文化レベルがどの程度なのか全く分からないが、間違いなく現代日本ほどではないだろう。

 おそらく、美容関係の技術でも到底現代日本には敵わないんじゃないかな? 現代日本の研究に研究を重ねて売り出されたシャンプーやリンス、それにスキンケア的なアイテムなどはこっちには存在しないものだ。

 もっとも、俺はその辺りの美容関係には疎いので、香住ちゃんが普段からどのような手入れや努力を行なっているか、全く分からない。

 そもそも現役高校生であり剣道少女でもある香住ちゃんは、普段からあまり化粧とかしていないっぽい。ナチュラルメイクぐらいはしているかも知れないが、俺には全然分からないレベルだ。

 つまり、香住ちゃんの髪や肌をよく観察すれば、こちらの世界の女性よりもかなり「レベルが高い」ってわけだ。そのことに、侍女さんたちはすぐに気づいたみたいだね。

 最初こそ香住ちゃんのことを見下していたっぽい侍女さんたちは、今では羨ましそうに彼女の髪や肌に注目している。

 うはははは。どうだ、凄かろう? 香住ちゃんの魅力は世界の壁さえ超えるのだ! いや、ノリと勢いで言ってみただけです。はい。

 ともかく、そんな好奇心で一杯の視線の中を、俺と香住ちゃんはミレーニアさんに先導される形で歩いていった。



 案内された先は、中庭に設置されたテーブルと椅子だった。

 おそらく、ここでミレーニアさんみたいなお姫様や貴族のご令嬢たちが、お茶会なんかを開くのだと思われる。

 実際、テーブルの上にはお茶とお菓子らしきものが並べられていて、一人の身分の高そうな女性がいた。きっとミレーニアさんは、この女性とお茶を楽しんでいたのだろう。

 その女性は俺たちが近づくと、立ち上がって優雅な礼──ほら、あれだよ。貴族の令嬢がよくやる、スカートをちょんと持ち上げながら片足を引きつつ頭を下げるやつ。確か、カーテシーって言うんだっけか?──をさらりと決めた。

「お初にお目にかかります。わたくし、ミレーニア殿下とは親しくさせていただいております、マリーディアナ・クロービィと申します」

 と挨拶してくれたのは、緩やかに波打った明るい茶髪で、同色の瞳の美人さん。ミレーニアさんより、ちょっと年上と思われる。

 王女様であるミレーニアさんと親しくしているってことは、この女性も貴族のご令嬢なのだろう。それも、貴族の中でもかなり身分が高そうだ。

「マリーディアナはわたくしの古くからの友人であり、同時に兄の婚約者でもあるのです」

 にこやかに微笑みながら、ミレーニアさんが付け加えた。

 え? ミレーニアさんのお兄さんってことは、当然王子様だよな? もしかして、お世継ぎとか王太子とかって奴だったり? もしそうなら、このマリーディアナさんは未来の王妃様ってことかもしれないぞ?

 詳しいことを尋ねてみれば、やっぱりそうだった。マリーディアナさんはミレーニアさんの一番上のお兄さん、つまり次代の王様の婚約者さんだった。

「ミレーニア殿下から、シゲキ様のことはよく聞かされておりますのよ?」

 何でも、俺の存在はこの国の王様を始めとして、誰も信じていなかったらしい。

 この国の常識に照らし合わせれば、竜を退治して名乗り出ないなんてあり得ないことらしいからだ。

 そのため、邪竜王を倒したのはビアンテであり、ミレーニアさんを救い出したのもまた、ビアンテってことになっているそうだ。

 当のビアンテ本人もミレーニアさん同様否定したのだが、こちらも信じて貰えなかったらしい。

 そんな中、唯一ミレーニアさんの言葉を信じたのが、彼女の古くからの友人……いや、親友であるマリーディアナさんだけだったというわけだ。

「あら、マリーディアナだって、最初はシゲキ様のことを全く信じてくれなかったわ」

「それは仕方ないでしょう? 普通であれば到底信じられる話じゃないもの。でも、あれだけ何度もシゲキ様のことを聞かされるとね……しかもすごく熱心に」

 開いた扇で口元を隠しながら、意味深な視線をミレーニアさんに送るマリーディアナさん。同時に、ミレーニアさんの頬がさっと赤くなった。

 うん、何となく分かったような分からないような気分だけど、これだけは確かに分かったぞ。この二人、相当仲がいいんだ。

 この場のホスト役であるミレーニアさん──相変わらず顔が真っ赤だ──に勧められて、俺と香住ちゃんは侍女さんが用意してくれた椅子に座る。

 ちなみに、この場の警備の責任者であるらしいビアンテは、なぜか俺の背後に立った。あれ? 普通こういう場合、お姫様であるミレーニアさんの傍にいるものじゃないのか?

 と、俺がそんな疑問を感じたその時だ。

 この中庭を囲む繁みの影から、複数の人影が突然飛び出して来たのは。


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