幸田の爺さんとお孫さん



 目の前の若い男性からもらった名刺には、「幸田ふくろう」と書かれていた。それがこの男性──幸田の爺さんのお孫さんの名前だ。

 名刺にはコウダ・オートマチック・システムのロゴが入っている。コウダ・オートマチック・システムと言えば、俺でも知っている大企業だ。福太郎さんの所属は秘書課……しかも、その肩書きは社長第二秘書と記されている。

 どうやら福太郎さん、本物のエリート社員のようだった。

 なんだ、どこかの恐い団体の若頭とかじゃないんだ。はぁ、ほっとしたよ。

 ちなみに、先程の見た目が恐いお兄さんたちは、福太郎さんの友人が経営する土建屋の社員たちらしい。確かに迫力のある外見の方々だったが、決してそのスジの人たちではないとか。

 何でも、福太郎さんが幸田の爺さんからの電話を受けた時、丁度その友達の家にいたそうだ。そこへ爺さんから緊急出動の要請が入ったものだから、顔見知りの社員の皆さん──意図的に見た目に迫力のある人たちを選りすぐった──に助力を願ったらしい。

 頼まれた社員の皆さんも、昔からの馴染みである福太郎さんの要請を快く引き受け、そのままこのファミレスへと急行したとのことだった。

「ああいう連中は、自分たち以上の何かを見せつければ、それ以上のちょっかいはかけてこないってもんだ。だけど、今後もしまた何かあれば、遠慮なく儂か孫の福の字に相談しなよ?」

「そ、それはとてもありがたいんですけど……でも、大丈夫でしょうか?」

 心配そうにそう言ったのは、俺の隣に座っている香住ちゃんだ。うん、俺もちょっと心配だな。もっとも、俺の心配は目の前にいるイケメンの福太郎さんに、彼女の心が傾かないかってことだけど。

 そうだよ、嫉妬だよ。俺だって人間なんだから、嫉妬ぐらいするさ。

「まあ、儂もこれまでいろいろな人間を見てきたが、ああいう連中は一度ビビらせると以後は大人しくなるもんだぁな」

 新たに注文したビールを飲みながら、幸田の爺さんが言う。だけど、香住ちゃんは相変わらず心配そうな顔で、じっと福太郎さんを見ていた。

 あ、あれ? も、もしかして本当に……?

「あ、いえ、私が心配しているのは、福太郎さんが恐喝とかで訴えられないかと……」

 ああ、なるほど。さっきの豊田たちへの福太郎さんたちの態度を心配していたのか。いや、さすがは香住ちゃんだ。優しい女の子である。

 ……ただ単に、心配しているだけだよね? 本当だよね?

「ああ、それなら大丈夫でしょう。僕は一度として脅しと取られるような行動はしていませんから」

 にっこりと微笑む福太郎さん。そういえば、彼はちらりと豊田を一度見ただけで、後は独り言を呟いているような感じだったっけ。話していた内容も、決して脅迫とか恐喝とかいったものじゃなかったし。

 そうか。あれは後で罪に問われないよう意図的なものだったんだな。いや、さすがだ。

 福太郎さんの後ろにいたお兄さんたちも、ただ豊田たちを見つめる……ってか、睨みつけるだけで誰一人として一言も口を利いていないし。あれは全部、計算しての行動だったってわけか。

 ……こういうタイプって、一番敵に回したくないタイプだよね。今後、福太郎さんとはいい関係を築けるように心がけよう、うん。

 しかし、爽やかなイケメンである福太郎さん、名前だけがちょっと古めかしいというか、少し似合わないと思うな。



 驚いたことに、幸田の爺さんはコウダ・オートマチック・システムの創業者であり前社長なんだとか。

 そりゃ、コウダ・オートマチック・システム──通称「K-AS」──の創業者であれば、高級料亭の常連ってのも納得だ。

 現在、「K-AS」の社長は爺さんの息子さんで、福太郎さんの伯父さんに当たる人が務めているらしい。それで爺さんは今、その社長さんの家で生活しているとのこと。

 何でも、以前はもっと田舎で一人悠々自適に老後生活を送っていたのだが、少し前に胃を病気にやられて、手術も兼ねた治療入院のためにこの町に戻って来たのだとか。

 その後、無事に病気も癒えて退院したのだが、術後経過を見るために今でも息子さん夫婦の家で生活しているそうなのだ。

「本当は死ぬまで息子の世話になんぞならんつもりだったが……こいつが泣いて頼むんで仕方なくな」

「誰がいつ泣いて頼みましたか? 適当な嘘を水野くんたちが信じてしまったらどうするんです?」

 ふん、とばかりに爺さんから視線を逸らす福太郎さん。その態度からして、相当爺さんのことを心配したんだろうな。まあ、本当に泣いたのかはともかくとして。

 何だかんだ言いつつも、この二人は仲が良さそうだ。香住ちゃんも二人の様子を微笑みながら見守っているし。

 いいよな、こういう関係って。なんか、急に俺も自分の爺さんと婆さんに会いたくなってきた。今度メールしておこう。

 その後、食事をしながら爺さんや福太郎さん、そして俺や香住ちゃんのことをあれこれと話した。

 もちろん、聖剣のことは話していない。あれは俺と香住ちゃんだけの秘密だからね。

 ちなみに、福太郎さんには恋人がいるそうだ。そりゃそうだよな。これだけのイケメンに恋人がいない方がおかしい。はぁ、良かった。本当に良かった。何が良かったかなんて、説明しないぞ。

「さて、そろそろ僕たちはお暇しましょうか。僕たちがいつまでも一緒にいて、水野くんと森下さんに邪魔者と思われるのも何ですしね」

「おお、それもそうだ。こいつぁ気がつかなくて悪かったなぁ。それに、外でアンジュが寂しがっているだろうしな」

 爽やかな笑顔を浮かべる福太郎さんと、にやにやしている爺さん。二人の表情は真逆とも言えるのに、なぜか同じような印象を受けるのは目の前の二人が血縁だからだろうか。

「では、あとはお二人でごゆっくり」

「じゃあな、あんちゃんと嬢ちゃん。また、コンビニに顔出すからよ」

 自然な動作でするりと伝票を手にした福太郎さんが、爺さんと一緒に店を後にした。

 歩き方一つとっても実に洗練されていて、店内にいた他のお客さんたちも、思わず歩く福太郎さんに目を向けていた。

 何というか、実に憧れるな、ああいう人って。いつか俺も、福太郎さんのような恰好いい大人になれるだろうか。

 なお、二人はファミレスを出る前に、店長さんらしい人に頭を下げていた。どうやら、先程騒がせたことを謝っているみたいだ。

 これは後日幸田の爺さんから聞くことになるのだが、このファミレスの店長さんと、福太郎さんは顔馴染みらしい。

 福太郎さんの友達の土建屋が近くにあるため、土建屋の従業員の皆さんはここの常連らしいのだ。そのため、福太郎さんもちょくちょく友達とこの店に来ることがあるため、店長さんと顔馴染みになったのだとか。

 いや、本当に福太郎さんには最後までお世話になっちゃったな。



 幸田の爺さんと福太郎さんが帰ってから、俺と香住ちゃんは食事を続けながら週末のことを相談した。

 元々、そのために香住ちゃんを食事に誘おうって思っていたんだよね。豊田がおかしなちょっかいをかけてきたおかげで、すっかり忘れていたけど。

「じゃあ、朝の九時頃にまた水野さんのお部屋に行けばいいですね?」

「うん、それでいいと思う。それで向こうにいられる時間だけど……香住ちゃんはどれぐらいがいい?」

 聖剣の設定画面で、異世界での滞在時間はある程度自由に決められる。

 最短で三時間、最長で四十八時間。さすがに二日間も異世界に行っているわけにはいかないので、ここは十時間ぐらいが適当だろうか。

 そう考えて香住ちゃんに提案すれば、彼女もそれに頷いてくれた。

 午前九時から十時間なので、こっちに戻ってくるのは午後七時ぐらいか。高校生である香住ちゃんには門限があり、午後八時までには家に帰るように両親から言われているらしい。

「前もって連絡しておけば、もう少し遅くなっても大丈夫ですけど、さすがに異世界からこっちの世界に連絡はできませんよね?」

 うん、そりゃ無理だ。携帯電話も異世界からじゃ当然届かないからね。となると、やはり滞在時間は十時間か、それよりちょっと短いぐらいが手頃だろう。

「それで、何か持っていった方がいいものってありますか? 例えば、食料とか医薬品とか?」

「ああ、それぐらいはこっちで用意しておくよ。それに、医薬品はちょっと凄いのがあるから」

「医薬品の凄いの? もしかして、異世界の品ですか?」

 香住ちゃんの瞳が好奇心できらきらと輝いている。異世界の品と聞いて、マジックアイテムとか想像したのかもしれない。まあ、エルフ特製のエリクサーは、ある意味マジックアイテムだからね。

「とある異世界のエルフたちからもらった、万病に効く妙薬があるんだ。俺はこの妙薬を勝手にエリクサーって呼んでいるけど」

「え、エリクサー……」

 なぜか、うっとりと「エリクサー」と呟く香住ちゃん。言葉が何となく間延びしているせいで、「えりくさぁ」って印象になっている。うん、可愛い。

「ほ、他にも何かマジックアイテム的なもの、持っているんですか? もし持っていたら、見せてくださいっ!!」

 胸元で両手の拳をぐっと握り締め、香住ちゃんがずいっと前のめりになる。そうか、そんなに好きなのか、マジックアイテム。

 だけど、マジックアイテムっぽいのは他には持っていないなぁ。俺が異世界で手に入れた物と言えば、邪竜王の宝から持ってきた宝飾短剣、グルググの女王様たちからもらった黒い鉱石、そして、マンドラゴラのゴンさんからもらった水晶みたいな石。他には、セレナさんのいる世界で購入した近未来装備。

 もしかして香住ちゃん、拳銃にも興味あるかも。聞いてみようか?

「け、拳じゅ……っ!?」

 大きな声を上げそうになり、反射的に自分の口を両手で押さえる香住ちゃん。

「ど、どうしてそんな物騒な物、持っているんですかっ!?」

 香住ちゃんは再びテーブルの上に身を乗り出し、小声で尋ねた。

「い、いや、近未来世界ではごく普通に売られている物らしいし……」

 これは以前にセレナさんに聞いたのだが、あの近未来世界では銃器はとても身近なものらしい。小さな口径の護身用小型拳銃なら、コンビニでさえ買えるそうなのだ。

 俺にしてみれば想像もできないが、それが普通なのだ。あの世界では。あ、そう言えば、アメリカでも買えるんだっけか? 以前、そんな話を聞いたような気もするけど、今は条例とかで買えなくなっているかも。今度、調べてみよう。

「もしもあの世界にもう一度行けたら、香住ちゃんの自衛用の武器を買うのもいいかもしれないなぁ」

「私用の武器ですか……そうか、それも必要ですね。でも、やっぱり私としては拳銃よりも剣の方が……」

 香住ちゃんは、ふむふむといった感じで何やら考えている。もしかして、何か武器になりそうな物を持っているのだろうか。

 剣道少女の香住ちゃんなら、木刀ぐらいなら持っていそうだ。

「とりあえず、今決めることはそれぐらいかな?」

「そうですね、ふふ、次の週末が楽しみですね」

「うん、俺も楽しみだよ」

 本当、すっげぇ楽しみだ! 何と言っても、香住ちゃんと二人で異世界へ行けるんだぜ? これって、もうデートって呼んでもいいよね?

 週末は異世界デート。うん、何となく、今後はやりそうなワードだ。

 分かっているよ。異世界へ行ける人間なんて、そうそういるわけがないからはやりようがないってことぐらい。

 でも、思わずそんな変なことを考えてしまうぐらい、俺は今度の週末が楽しみなんだ。



 そして翌日。

 待ちに待った日曜日がやってきた。


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