おっかない方々
「がははは、たまにはこういう店もいいモンだな!」
空になったビールのジョッキをテーブルにどんと置き、幸田の爺さんが楽しそうに笑う。
今、俺たちがいるのはとあるファミレス。俺の向かいに座っている幸田の爺さんに、晩飯を奢ってもらっているところだ。
「ファミレスなんて、久しぶりに入ったな。最後に入ったのはいつだったか……確か、孫がまだ小学校ぐらいの時じゃなかったか?」
懐かしそうに目を細める爺さん。
過去、家族総出でファミレスに繰り出したことがあるのだろう。ひょっとすると、そのお孫さんの誕生日か何かだったのかも。
あ、でも、爺さんってあんな高級料亭を馴染みにしているような人だから、孫の誕生日だからってファミレスには繰り出さないか。
ま、いいか、そんなことは。爺さんの様子を見る限りじゃ、きっと幸せな思い出だろうし。
俺の隣に座っている香住ちゃんを見れば、彼女もまた楽しそうに微笑んでいた。おそらく、俺と同じようなことを思っているんじゃないかな。
「こういう店も悪かぁないが、水野のあんちゃんも、将来は俺が最初に行こうとした店に出入りできるぐらいにならねぇとな? 香住嬢ちゃんのためにもよ!」
ビールをぐびぐびと飲みながら、上機嫌の爺さんがそんなことを言い出した。
そうだよな。俺だって、いつかはあんな高級料亭に出入りできるぐらいになりたい。その時は、是非香住ちゃんと一緒に行きたいものだ。
だから、俺は軽い気持ちでつい答えてしまったんだ。
「そうですね。俺も将来、香住ちゃんと一緒にあんな高級料亭の常連になれるようにがんばりますよ」
「…………え?」
弾かれたように、ばっと俺を見る香住ちゃん。あ、あ…………あれ? あれ?
こ、これって……も、もしかして、告白しちゃったようなものじゃね?
「将来高級料亭に連れて行きたい」ならともかく、「将来一緒に高級料亭の常連になりたい」なんて普通は言わないよな。もしそんなこと言うとしたら、やっぱり奥さんとか婚約者とかいった特別な存在に対して言うものだ。
つまり……告白を飛び越えてプロポーズしちゃったようなもの?
少なくとも、俺が香住ちゃんに一定以上の好意を抱いていることは白状してしまったようなものである。しかも、本人がいる前で。
驚いて俺を見つめる香住ちゃんの頬が、どんどん赤くなっていく。もちろん、俺も同じだ。自分の頬が熱くなっている自覚がある。
「……み、水……の……さん…………」
「か、香住ちゃん……そ、その……お、俺…………」
互いに何か言おうとするものの、上手く言葉になってくれない。
も、もうここまで来ちゃったら、はっきりと告白しちゃうか? 俺の単なる自惚れでなければ、香住ちゃんもまた俺に対して一定以上の好意を持ってくれていると思う。
ここではっきりと「好きです! 付き合ってください!」と言えば、頷いてくれる確率は低くないはずだ。いや、低くないと思いたい。
真っ赤になって見つめ合う俺たちを、幸田の爺さんが楽しげににやにやと見つめていたが、正直そんなことは気にならない。
今の俺の心の中は、目の前にある香住ちゃんの真っ赤でキュートな顔だけが占めていたから。
「か、香住ちゃん……お、俺……」
「…………」
──ずっと君のことが好きだったんだ。俺と……付き合ってください。
そう言おうとした時。
「おい!」
怒気を孕んだ、低い声がした。
反射的に声の方を振り向く俺と香住ちゃん。もちろん、幸田の爺さんも声のした方を見ていた。
そこには。
背後に数人のガラの良くない連中を従えた、豊田の奴がいた。
「よお、まさかこんな所で会うとはなぁ?」
にやにやと品のない笑みを浮かべる豊田と、同じような表情の背後の男たち。
彼らの年齢は、豊田と同じかちょっと上ぐらいか。おそらく、全員高校生だろう。
揃いも揃って髪を染めたり、じゃらじゃらと金属製のアクセサリーをぶら下げたりしている。
「さっきはよくも恥をかかせてくれたな、水野サンよぉ? そっちのジジイもだ」
えっと、確かに豊田とは揉めたけど、恥をかかせるようなことしたっけ?
香住ちゃんに手を出すなとか、痛い目に会いたくなければ消えろとか、そんなことを言っていて、結局颯爽と登場した幸田の爺さんに諭されたんだよな。
俺、別に恥をかかせるようなこと、していないけど。でも、豊田みたいな連中って、なぜかすぐに「恥をかかされた」とか言い出すんだよな。どうしてそこまで恥に拘るんだろうか。
胸中でそんな疑問に首を傾げているけど、今はそんな状況じゃない。正直、聖剣を持っていない今の俺では、豊田たちのようなガラの悪い連中数人に囲まれたら、病院送りは間違いないだろう。
それに、さっきから俺の影で小さく震えている香住ちゃんのこともある。もしも彼女がこいつらに酷いことをされたら……俺自身が怪我をするよりも、そっちの方が何倍も恐い。
しかも、今は幸田の爺さんもいる。やっぱり、顔見知りのお年寄りに怪我をさせるのは忍びないよな。
ちなみに、今の状況には全く関係ないが、爺さんの愛犬であるアンジュはファミレスの外で待ってもらっている。さすがにファミレスに犬を連れて入るわけにはいかないからね。
なお、アンジュという名前は、爺さんが大ファンのとある女優さんから取ったそうだ。
その幸田の爺さんはと言えば、ポケットから取り出したスマホでどこかに電話をしていた。
「……おお、なんだ、
も、もしかして、助けを呼んでいるのかな? だとしたらすっげぇありがたい。
でも、なぜか爺さんは楽しそうなんだよな。爺さん、今の状況分かっている? ガラの悪い連中に囲まれているってのに、どうしてそんなに楽しそうなんだ?
「なぁ、水野サン。悪ぃけど、ちょっと付き合ってくんねぇ? 誰かさんのお陰で、ダチたちに彼女を紹介するって言ったのに、実現できなくて恥かいたんだわ、俺。その責任、取ってくれるよなぁ?」
ああ、恥ってそのことか。でも、それも俺には関係ないよな。豊田が勝手に香住ちゃんのことを彼女って思い込んだのが原因だし。
「さ、さっさとここを出ようぜ?」
豊田がにやにやとしながら俺の腕を掴んだ。その背後では、奴の仲間たちが香住ちゃんに粘ついたいやな視線を向けている。
小さな声で「結構可愛いじゃん」とか、「これは楽しみだ」とか言っているのが聞こえる。どうやら、連中は香住ちゃんもターゲットにしているらしい。
もちろん、このまま豊田の言うことを聞くつもりはない。だけど、俺が豊田たちを相手に、腕力で勝てるはずもない。
豊田一人なら、玉砕覚悟で挑めば何とかなるだろう。たとえ俺が病院送りになっても、香住ちゃんと幸田の爺さんさえ逃げられれば何の問題もない。俺にはエリクサーもあることだし。
何とか俺が囮になって、その間に香住ちゃんと幸田の爺さんを逃がそう。
そう覚悟を決めながら、俺が立ち上がった時。
ファミレスの中に、数人の男たちが入ってきた。
それも、揃いも揃って大柄で人相の悪い……どう見てもそっちスジの方たちであり、目の前の豊田たちとは明らかに迫力が違う。
その数人の強面の男たちは、なぜか真っ直ぐに俺たちの方へと歩み寄って来た。
「おう、悪ぃなぁ、こんな時間に呼び出して」
「全くですよ。少しは他人の事情も考えてください」
暴力的な雰囲気を纏った男たちに向けて、幸田の爺さんが片手を上げながら笑顔で声をかければ、男たちの先頭にいた若い男性が、大きな溜め息を吐きながら爺さんの言葉に応えた。
この若い男性──二十代前半ぐらいだ──だけは他の見るからにそのスジの人たちとは違い、普通のサラリーマンのように見える。
いや、ただのサラリーマンじゃないな。とても質の良さそうなスーツを着て、細い銀の金属フレームの眼鏡をかけている。一見した感じ、極めて仕事のできるエリート・サラリーマンみたいだ。しかも、爽やかな印象のすっげえイケメン。芸能人だと言われてもすんなりと信じてしまいそうなぐらいだ。
とてもじゃないが、強面のお兄さんたちを引き連れているような人物には見えない。
その若い男性に向かって、爺さんはポケットから財布を取り出すと、そこからカードを一枚抜き出してぽいっと放り投げた。
その時ちらっと見えたけど、そのカード、妙に黒かった気がする。確か、黒いカードって……見た目が黒いカードにもいろいろと「格」があるらしいから、黒いから特別ってわけじゃないそうだけど、もしあれが本当の意味での「ブラックカード」だったら……このおっかないお兄さんたちといい、幸田の爺さんって一体何者なんだろう?
「後ろの連中に、後で何か飲ませてやれや。ここじゃ酒の種類は少なかろうから、別の店に行けよ? それに、こんな時間帯におまえらみたいな連中がいたら、他のお客さん方に迷惑だしな」
がははと笑う爺さんと、顔を顰める
「はぁ、まあ、いいでしょう。それで……」
若い男性の目が、ちらりと豊田たちに向けられた。一緒に背後にいるお兄さん方も同じように豊田たちを見る。もちろん、先程のような嬉しそうな顔ではなく、全身から迫力というか鬼気というか、何とも言えないプレッシャーを放ちながら。
豊田たちはそのプレッシャーに当てられたのか、真っ青な顔でおろおろしていた。うん、その気持ち、とてもよく分かるぞ。俺だって内心では冷や汗びっしょりだから。
「……はぁ、中山土建の社員の皆さんに、余計な仕事をさせてしまいましたよ。この責任誰に取ってもらいましょうかね?」
イケメンが眼鏡のブリッジを右手の中指で押し上げながら、豊田たちにそう言った。いや、イケメンが豊田たちを見たのはさっきの一瞬だけだ。それ以降は特に奴らの方を見るでもなく、ただ単に独り言を呟いているだけだった。
だけど、実際にはその呟きが豊田たちに向けられているのは間違いない。同時に、イケメンの背後にいるお兄さんたちのプレッシャーが一層圧力を増した。
「え、い、いや、お、俺たちはそ、その……」
がたがたと震え出した豊田たち。中には涙さえ浮かべている奴もいる。
考えてみれば、こいつらはどんなにガラが悪くても高校生っぽいもんな。見るからに本スジの方々に睨まれたら、思わずチビりそうになっても不思議じゃない。
「まあ、今回はよしとしましょうか。彼らには好きなだけ飲み食いさせればいいでしょうし。飲食代はすでにもらいましたから」
爺さんから受け取ったカードをひらひらとさせながら、相変わらず独り言を続けるイケメン。何やら言い訳している豊田たちの言葉を聞いている様子でもない。
背後に控えた恐いお兄さんたちも無言でプレッシャーを与えてはいるが、特に口を開く者はいなかった。
その若い男性が、ちらりと俺を見てふっと笑う。何となく気持ちが落ち着くような、感じのいい笑い方だ。
「この不良老人のせいで、随分とお二人には迷惑をかけたようですね。お詫びに、ここの勘定は僕の方で持ちますので。ところで……」
ここで再び、イケメンが豊田たちを見た。
「もしかして、君たちもこのお二人のお友達ですか? でしたら、君たちも一緒に食事でもどうです? もちろん、僕の奢りですよ?」
にっこりと微笑むイケメン。その笑みはとても爽やかだ。確かに爽やかなんだけど……その奥に鋭い刃物でも隠しているような、何とも言えない迫力のようなものが滲み出していた。
「い、いいいいいいえっ!! お、おおおお俺たちはけ、結構ですっ!! し、失礼しますっ!!」
ばたばたと店から逃げ出す豊田たち。無理もないよなぁ。あんなにプレッシャーをかけられたら。ちょっとだけ、可哀想に思えてきた。
「よお、福の字。わざわざ済まねぇな。後ろの中山土建の兄ちゃんたちもご苦労さん」
再び、爺さんが手を上げておっかないお兄さんたち──どうやら中山土建って会社の社員のようだ──に声をかけた。
すると、お兄さんたちが揃って破顔した。途端、先程までの暴力的な雰囲気がきれいさっぱり消え失せて、ちょっとガタイがよくて人相が少し悪いだけの、ごく普通のお兄さんたちに見えてきた。
あれ? もしかして、この人たち……そっちのスジの人たちじゃないの?
どうやら俺と同じことを香住ちゃんも感じたようで、目を白黒させながらお兄さんたちを見つめていた。
「いやー、幸田のおやっさん。今回はゴチになりますぜ」
「ちょっとファミレスに来ただけでおやっさんに奢ってもらえるなら、いくらでも呼び出してくださいよ」
「まったくだぜ。今後も何かあったら、遠慮なく俺たちに声をかけてくれな、幸田の若旦那」
お兄さんの一人が、イケメンの肩をとても親しそうに叩いた。叩かれたイケメンもまた、親しげな笑みを浮かべて爺さんのカードをその人に渡す。
「今回はお世話になりました。玄吾にもよろしく言っておいてください。支払いはそのカードを使って構いませんので。もちろん、遠慮なんていりません。僕のカードじゃありませんし」
「おう、ウチの若社長にもそう言っておくぜ。じゃあ、俺たちはこれから飲みに行きますんで。あ、もちろん、カードは必ず後日にお返しします」
そう言い残して、おっかないお兄さん方……いや、ちょっと大柄で人相が悪いだけのお兄さんたちは、楽しそうにファミレスを後にした。
「さて、改めまして……」
一人残ったイケメンが、幸田の爺さんの隣に腰を下ろしながら俺たちに声をかけた。
「祖父がご迷惑をおかけしました」
そう言って頭を下げるイケメン。え? 祖父? ってことは、このイケメンは……
「そういうこった。こいつ、儂の孫なんだよ。ま、これも何かの縁だ。二人ともよろしくしてやってくれや」
そう言って、幸田の爺さんがまたもや豪快に笑った。
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