勘違い野郎
突然、俺の腕を抱き抱え、恋人宣言をかましてくれた香住ちゃん。
うん、分かっている。俺、そこまで鈍くないから。
これ、間違いなく偽装の恋人宣言だ。ここで俺と香住ちゃんが恋人ってことにしておけば、最近しつこく香住ちゃんに言い寄っている豊田も、さすがに諦めるだろうから。
だから俺は、なぜか頬を赤らめている香住ちゃんにぱちりとウインクを飛ばした。偽装恋人、承りますとも。
でも、どうして頬を赤らめているんだ? あくまでもこれ、偽装だろ?
ま、まさか香住ちゃん、ほ、本気で……い、いや、ここはまず、余計なことは考えずに目の前の問題に対処しよう。
「……ちょっと、水野サン、これ、どういうことッスか? 俺、あんたと香住が付き合っているなんて、聞いたことないッスけど……そもそも、香住は俺の彼女ッスよ? 人の女に手を出さないでくれまス?」
ただでさえ細い目を更に細め、豊田が俺を睨む。茶髪でいくつもピアスをつけた、目つきの悪い奴に睨まれると、それなりに迫力がある。
以前の俺であれば、これだけで相当ビビってしまっただろう。だが、異世界で竜やら熊やら白いイモムシやらと対峙した今の俺は、正直この程度じゃ全く恐くなんて感じない。
俺は豊田の冷たい視線を平然と受け止め、香住ちゃんを庇うように一歩前に出た。
「豊田くんこそ、何か勘違いしているんじゃないか? 香住ちゃ……香住が今言ったように、俺たちは付き合っているんだ。つまり、香住の正当な恋人は俺だよ」
偽装とはいえ、今の俺たちは恋人同士だからな。ここは呼び捨てにすることを許して欲しい。ってか、演技とはいえ香住ちゃんのことを呼び捨てにすると、本当に恋人同士になったみたいでちょっとどきどきする。
「そんなわけあるかっ!!」
いくら睨み付けても俺が平然としているからか、ついに豊田は大声を出した。
「香住は俺の女だ! 俺が香住を好きなんだから、香住だって俺を好きなはずだ! その証拠に、バイトに来ればいつも笑顔で挨拶してくれるんだ! 好きでもなければ、笑顔で挨拶なんてしないだろ!」
いや、それ、普通だから。余程嫌いな相手でもなければ、普通は笑顔で挨拶ぐらいするって。特に俺たちは、客相手のコンビニでバイトしているわけだし。
なんというか、随分と思い込みの激しい奴だな、豊田って。自分が好きだから相手も好きに違いないなんて、普通はそんな都合のいいこと考えないだろ。
「おい、水野サン? 痛い目に遭いたくなければ、さっさと消えた方がいいッスよ? そして、二度と俺の女を変な目で見ないでくれまスかね?」
そう言いながら、豊田は肩を俺の身体にぶつけるように近づいた。奴の肩と俺の胸が僅かに接触する。
でも、やっぱり恐くないな。俺の恐怖を感じる基準も、随分と変わったものだ。
さて、いつまでもコンビニの店先で言い争っていても、他のお客さんの迷惑になるし。どうやって豊田を納得させよう? 多分、何を言っても聞き入れないぞ、こいつ。
そうやって、コンビニの店先で揉めることしばらく。
そろそろ、店長が気づいて何らかのリアクションをしてくれる頃合いかな、と内心で期待しつつ、俺は睨み続ける豊田を平然と見つめ返す。
どれだけ睨もうが、どれだけ声を荒げようが全く怯えを見せない俺に、豊田の奴もちょっと困っているっぽい。奴の視線が、きょろきょろと周囲に泳ぎ始めたのがその証拠だろう。
よしよし、そのまま諦めてくれ。万が一本当に暴力でも振るわれたら、聖剣を持っていない今の俺が腕力勝負で勝てるわけがないからね。
だが、豊田にも後に引けないものがあるのだろう。奴はとうとう俺の胸ぐらを掴みあげた。
「おい、何平然を装っていやがるんだっ!? 本当はビビっているんだろっ!?」
口元を嫌な形に曲げる豊田。いや、ビビってはいないよ? 困ってはいるけど。
豊田は苛立たしそうに、握った拳を俺に見せつけるように顔の高さまで持ち上げた。
「なあ、おい。これが最後の忠告だ。このまま黙って消えろ。香住は俺の女なんだよ」
「ここで、『はいそうですか』と言うと思うかい?」
どうしよう? このまま一発ぐらい殴らせれば、暴力行為ってことで豊田を解雇できるかもしれない。もしかしたら、店長はそれを狙って何も言ってこないのかも。
あの店長が、店先の騒ぎに気づかないはずがないからな。
はあ、仕方ない。殴られるのはちょっと嫌……ってか、かなり嫌だけど、ここは香住ちゃんのためだ。惚れた女の子のためなら、一、二発殴られるぐらいは我慢しようか。それに、家に帰ればエルフの秘薬──エリクサーもあるし、殴られた程度の怪我ならすぐに治るからね。
さあ、殴れ! 今すぐ殴れ! できれば、あまり痛くないように殴って欲しい!
そんなことを考えながら、俺は見た目だけは平然としていた。そんな俺に遂に豊田の苛立ちが限界に達したようだ。
見せつけていた拳を改めてぐっと握りしめ、醜いまでに顔を歪めさせた豊田は、そのまま拳を振り上げた。
豊田がいよいよ振り上げた拳を俺に向かって解き放とうとしたその直前。
「おうおう、女を巡っての喧嘩か? いやー、若いモンは元気があり余っていいねぇ。儂も若い頃はよく喧嘩したモンだが、今はさすがにそういうわけにもいかねぇやな」
飄々とした声が、俺たちの耳に届いた。
俺と香住ちゃん、そして俺の胸倉を掴み上げている豊田が揃って声の方を振り向けば、そこには一人の爺さんがいた。
真っ赤なアロハの上下に、黒いサングラス。白髪だけど量は十分にある髪を綺麗なオールバックに纏めた、実に派手な爺さんだ。
だけど、その腕に抱かれている愛犬のポメラニアン──名前はアンジュ──が、かなりミスマッチだけど。
「幸田のお爺ちゃん……」
俺の背後にいる香住ちゃんが呟いた。そう、この派手な爺さんこそが、コンビニの常連客である幸田さんだ。
ぱっと見で七十歳ぐらいだろうか。だけど見た目の年齢の割に、身長は俺と同じぐらいあるし、体重に至っては俺よりあるかもしれないぐらい、立派な体格の爺さんだ。
「だけどよ、そっちの若いの。横恋慕ってのは、ちぃーとよくねぇやなぁ」
サングラスの奥の幸田さんの視線が、まだ俺の胸倉を掴んでいる豊田へと向けられた。
「どこからどう見ても、水野のあんちゃんと香住ちゃんは両想いだろうが。こう言っちゃ悪いが、そっちの兄ちゃんに勝ち目はないぜぇ?」
かかか、と笑う幸田さん。面と向かって相思相愛宣言されたからか、香住ちゃんがまた頬を赤くしている。
「それに、こんな場所で人を殴れば、困るのは兄ちゃんの方ってモンだろ? ここは潔く身を引くのが、カックイイ男ってものじゃねえか?」
いつものように軽々しい口調の幸田さんだけど、なぜか今日の爺さんには妙な迫力を感じる。その迫力に押されたのか、豊田は俺から手を放し、ぺっと地面に唾を吐き捨てると、そのまま大股で歩き去った。
去り際、一際鋭く俺を睨み付けていったが……、あれ、絶対に香住ちゃんのこと、諦めていないよな。
何か妙なことになったなぁ、と内心で溜め息を吐きつつも、まずは幸田さんにお礼を言わないと。危ないところを助けてもらったわけだし。
「ありがとうございます、幸田さん。おかげで助かりました」
「いやぁ、いいってことよ、水野のあんちゃん。あんちゃんにはいつも世話になっているしな。だけどよ……」
急に声のトーンを落とした幸田さん。
「しばらくは気をつけた方がいいぜぇ? ああいう奴ってのは、自分勝手な理由で逆恨みするからなぁ」
ああ、うん。それは分かる。豊田があそこまで自分勝手な妄想を膨らませていたとは思わなかったけど、あの様子だと絶対に何かしてきそうだ。
店長とも相談して、対策を考えないとな。
「ま、何か困ったことがあったら遠慮なく儂に相談しな。こう見えても、この辺りじゃちっとはカオだからよ? 伊達に長年ここいらで暮らしていねぇやな。ま、ここしばらくは田舎に引っ込んでいたが、まだまだこの辺りには知り合いが多いってモンさぁ」
はい、頼りにさせていただきます。頼れる年長者が身近にいるって、本当に心強いよね。
店長といい幸田さんといい、周囲には頼りになる人がいるのだから、しっかりと相談しておこう。何より、香住ちゃんに危害が及ばないようにしないとね。
「できる限り俺や店長で豊田のことは何とかするつもりだけど、香住ちゃんも気をつけるんだよ? しばらく、絶対に一人で行動しないようにね?」
「はい、分かりました。でも、水野さんも気をつけてくださいね? あっちではともかく、こっちでは水野さんも普通の人なんですから」
そうだね。聖剣を持ち歩ければ恐いものなしだけど、さすがにそれは無理だし。
俺と香住ちゃんは、互いに相手を心配しつつも笑い合う。そして、そんな俺たちを見ていた幸田さんは、にやにやとした笑みを顔に張り付けていた。
「いやー、本当に二人は仲がいいやなぁ。何となくこっちまで気分がうきうきしてくるぜ。よし、ここは若い二人のためにこのジジイが晩飯を奢ってやろう! なぁに、遠慮するなってモンだぁ」
突然、そんなことを言い出す幸田の爺さん。
爺さん、晩飯にかこつけて俺たちをからかおうって考えているよね? 絶対そうだよね?
でも、さすがにそこまでしてもらうわけにはいかず、俺と香住ちゃんは爺さんの誘いを断ろうとした。だけど、爺さんは聞き入れてくれない。
「男が一度口に出したことを、そう易々と引っ込められっかってんだ。若いモンは遠慮なく奢られとけばいいんだよ。それに、若いモンと交流するのが儂の長生きの秘訣の一つだしな」
そこまで言われては、俺と香住ちゃんも断るに断れない。結局、俺たちは幸田の爺さんに夕飯をご馳走してもらうことにしたのだった。
俺と香住ちゃんが幸田さんに連れて行かれたのは、どこからどう見ても高級料亭だった。
幸田さんが「近くに馴染みの店があるから、そこに行こうや」って言うもんだから黙ってついて行ったんだけど……さすがにここはアレだってば!
普通の大学生や高校生の俺たちが、こんな高そうな料亭に入るわけがない。いくら何でも敷居が高すぎる。
焦って慌ててびっくりして。ここは無理だからと必死に主張する俺と香住ちゃん。ってか、こんな所を馴染みにしているなんて、今更だけど幸田さんって何者なんだ? もしかして、どこかの大企業の社長さんだったりする?
「なんでぇ、なんでぇ? 若いモンが遠慮するなって。こう見えても、儂、結構金持ちなんだぜ?」
「い、いや、そういう問題じゃなく……こういう所じゃ私たち、落ち着いて食事なんてできませんよっ!!」
半分泣きが入った香住ちゃんにそう言われては、さすがに幸田さんも諦めたようだ。
その後、俺たちが向かったのはとあるファミレスだった。やっぱり、小市民である俺にはこっちの方が落ち着けるんだよね。
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