バイト風景



「おーい、香住ちゃん! レジの応援お願い!」

「はーい、今行きまーす」

 とある日のバイト先のコンビニ。お客さんが比較的増える時間帯でレジを受け持っていた俺は、会計のために並んでいる数人のお客さんに対応するため、バックヤードでペットボトル飲料を補充していた香住ちゃんに声をかけた。

 笑顔でぱたぱたとこっちに向かって駆けてくる香住ちゃん。レジカウンターに入る時、俺に向かって小さく手を振ってくれた。

 うん、あれから……一緒に異世界へ行ってから、俺と香住ちゃんの距離はかなり近づいた……と思う。

 一緒にバイトをしている時、目が合うとにっこりと微笑んでくれるし、今みたいに手を振ってくれる時もある。

 並んで仕事をしている時だって、今までよりお互いの立ち位置が近くなった。まあ、近くなったって言っても、ほんの数歩分だけだけど。

 それでも、俺と彼女の距離は絶対に近くなったはずだ。これは俺だけの一方的な思い込みじゃないと思う。思いたい。



 その後も仕事に精を出した俺に、僅かな休憩時間が訪れた。

 残念ながら、休憩時間は香住ちゃんと一緒じゃない。彼女ともう一人いるバイトに声をかけてから、俺はバックヤードの事務室へと入った。

「あ、水野くん、お疲れー」

 事務室に入ると、パソコンに何やらデータを入力している店長がいた。店長の指がキーボードの上で華麗に踊る。いつみても、店長のタイピングは速くて正確だ。

「ねえ、ねえ、水野くん。最近君、香住くんと何かあった? いつの間にか、香住くんのことを名前で呼んでいるし」

 パソコンのモニターから目を逸らすこともなく、突然店長がそんなことを言ってきた。

「え? え、いや、そ、そんなことは……」

 思わずどもってしまう俺。こんなことじゃ、店長の言葉を肯定しているようなものだ。

「いやあ、若いっていいねぇ」

 そう言いながら、店長の視線がパソコンのモニターから横へとずれる。そこにはそれまで店長が見ていたようなモニターがもう一つあり、その画面は四分割されていた。

 そう。この画面は店内に設置してある防犯カメラの映像だ。そこには今、レジで仕事をする香住ちゃんと、その香住ちゃんに何やら話しかけているもう一人のバイトの姿が映っている。

 さては店長、このモニターで俺と香住ちゃんの様子を見ていたな。

「別に仕事の手を抜いているわけじゃないし、そもそも恋愛は自由だからねぇ」

 にやにやとした笑みを浮かべながら、店長が俺を見た。

「君たちの仲がここ最近特に良さそうだって、幸田のお爺ちゃんも言っていたよ」

 幸田の爺さん、そんなことを言っていたのか。

 幸田の爺さんとは、このコンビニの常連の一人である。いつも犬の散歩の途中で店に寄っては、飲み物やらちょっとした食べ物やらを買っていってくれるのだ。

 真っ黒なサングラスを愛用し、着ている服も結構派手目で、見た目はちょっとアレだが気のいい爺さんであり、俺も店頭でよく世間話などをする人物だ。

「幸田さんも、君たちのことを応援しているってさ」

 ははは、顔見知りにそんな風に思われていたなんて、ちょっと照れる。いや、かなり照れる。

 あれ? でも、店長的には俺と香住ちゃんが仲良くするのはいいのだろうか? 確か、香住ちゃんって店長の姪だって聞いたぞ。

 そんな考えが顔に出たのだろうか、店長がくすりと笑う。

「もしかして、ボクと香住くんが親戚だって噂のことを考えていたのかい? あれは単なる噂だよ。確かに彼女のご両親とは昔からの知り合いだが、ボクと彼女の間に血縁はないんだ」

 ああ、なるほど。親戚じゃなくて知り合いの娘さんってわけか。それなら、二人が親しくても納得できるな。きっと店長は、香住ちゃんを幼い頃から知っているんだろう。ちょっと羨ましいぞ。

「んー? これはちょっと……」

 店長や幼い頃の香住ちゃんのことを考えていたら、不意に店長が変な声を出した。

 反射的に、俺は店長が見ていたものを見る。そこには……店内の様子を映している防犯カメラの映像の中に、何やら困ったような様子の香住ちゃんが映し出されていた。

 その彼女の前には、もう一人のバイト仲間。音声がないので詳しくは分からないが、バイト仲間──名前は豊田という──に香住ちゃんが迫られているように見える。

「水野くん、ちょっと香住くんを呼んできてくれないかな? ボクが呼んでいると言えば、あそこから逃げ出すことができるだろ?」

 ぱちりと片目を閉じる店長。なるほど、店長が呼んでいるとなれば、バイトの身としては従うしかないもんな。

 俺は店長命令に従い、急いで香住ちゃんを呼びに店内に戻るのだった。



「はぁ……助かりました、店長」

「いやー、災難だね、香住くん」

 事務室に入って来るなり、大きな溜め息を吐く香住ちゃんと、その香住ちゃんを慰めるように笑いかける店長。

「実はね……」

 どことなく言い辛そうに、店長が口を開く。

「数日前に、香住くんから相談されたんだよ。彼……豊田くんに付き合ってくれって言われたってね」

 えっ!? そ、それは初耳だぞっ!? 俺は驚いた表情を浮かべたまま、香住ちゃんへと視線を向けた。

「あ、あの、もちろん、断りました! で、でも、豊田くん、全然聞き入れてくれないんです……私がただ単に照れているだけだろって……」

 豊田の奴に言わせると、香住ちゃんは本心では豊田のことが好きで、告白されてとても嬉んでいる。だけど、照れているから一旦は告白を断った……ってことになっているらしい。

 自分が告白して、香住ちゃんも本心では自分のことが好き。だから、自分たちは恋人同士だ、というのが豊田の主張だそうだ。

 なに、それ? そんな一方的な主張が通るのであれば、俺だって今までに数人の恋人がいたことになるぞ? あ、自分でそんなことを思ったら、急に心の中に悲しみが湧き上がってきた……なぜに?

「ボクとしては、シフトを調整して香住くんと豊田くんがバッティングしないようにしていたんだけど……今日のシフトは香住くんから強い要望があってねぇ」

 またもや、にやにやとした意味深な笑みを浮かべる店長。一方の香住ちゃんは、なぜか顔を真っ赤にしながら視線を泳がせている。

 え、えっと……ま、まさか……俺とシフトが重なるように……? い、いや、それは俺の自惚れだよな。で、でも、ここ数日、俺は大学の講義があることもありバイトは夕方以降ばっかりで、今日は土曜日ということで久しぶりに昼シフトだけど……まさかね。

 あ、ちなみ明日の日曜は俺も香住ちゃんもバイトは休み。もちろん、二人で異世界へ行く約束になっている。うひひ。

「あまりにも度が過ぎるようであれば、ボクの権限で豊田くんを解雇することもできるけど……彼、仕事はきちんとしているしね。それに、香住くんに関することも、まだ『自由恋愛』の範囲とも取れるし……」

 明らかなセクハラとなれば、解雇するのに十分な理由となる。だが逆に、一方的に解雇するにはそれぐらいの理由が必要となるわけだ。

 豊田の奴は、一方的に決めつけて恋人を気取っているだけで、身体に触れるなどのセクハラは一切してこないらしい。この状況では解雇の理由には弱いと店長が零した。

 とは言え、精神的には十分にセクハラの範疇である。豊田には店長から警告を与えてもらおう。

 それぐらいやってくれますよね、店長?



 俺と香住ちゃんは同時にバイトを上がる。時間にして午後七時過ぎ。晩飯には丁度いい時間帯だ。

 俺は思いきって、香住ちゃんを夕食に誘おうかと思っていた。まあ、俺が彼女を連れていける場所なんて、ファミレスが精々なんだけど。ほら、明日の打ち合わせっていう大義名分もあるしね。

 仕事を終え、帰り支度を済ませる。事務室にいる店長に挨拶し、俺たちと入れ替わりで勤務に入った別のバイトとも挨拶を交わす。

 そして、香住ちゃんと一緒にコンビニの店舗から出ようとした時。

 不意に背後から苛立たしそうな声が響いた。

「おい、香住、どこへ行くんだ? 今日は俺のダチにおまえを紹介するから、バイトが終ったら待っていろって言ったよな?」

 その声に反応して振り返れば、お世辞にも綺麗とは言えない茶髪の高校生ぐらいの少年がいた。

 細くて吊り上がった目に、不機嫌そうに歪められた口元。顔の真ん中には大きな鼻が鎮座して激しく自己主張している。耳にはいくつもピアスが装着されていた。

 よれよれのTシャツの首元には、ぶっとくて派手なゴールドの鎖が覗いている。バイト中は制服着用だから気づかなかったけど、そんなゴツい鎖をぶら下げて重くないのかな?

「あのッスね、水野サン? 水野サンは知らないかもしれないッスけど、香住は俺の彼女なんス。の彼女とあまり親しげにしないでもらえるッスか?」

 じろりと俺を睨む茶髪……もちろん豊田だ。一応、バイト先では俺の方が先輩だから言葉を選んでいるようだが、正直馬鹿にしているようにしか聞こえない。

 そもそも、俺と豊田はそれほど親しいわけじゃない。これまでバイトのシフトが重なったこともあまりなかったからな。適当に挨拶するぐらいしか話をしたことがないんだ。

 どうやら豊田の奴、香住ちゃんと一緒に帰るつもりだったのか。しかも、自分の友だちに彼女を恋人だと紹介するつもりで。

 だけど、香住ちゃんにそんなつもりはない。確かに豊田に一緒に帰るように言われたのだろうが、きっぱりと断ったはずだ。

 豊田にしてみれば、自分と帰るはずの香住ちゃんが、俺と一緒に帰ろうとしているのだ。慌てて後を追いかけてきたってところか。

 ……しかし、さりげなく香住ちゃんを呼び捨てにしているだと? その時点で俺は豊田を敵として認定した。

「あのね、豊田くん。もう一度はっきり言うけど、私は君の恋人でも彼女でもないから。私、豊田くんの告白は断ったよね?」

「なんだよ、香住。まだ照れているのか? 誰が見たって俺たちは相思相愛だろ? 照れる必要なんてないんだぜ?」

 髪を掻き上げながら爽やかに微笑む豊田。いや、自分が思っているほど決まっていないぞ、今の。俺は一般的な日本人だから、心でそう思っても口にはださないけど。

「お疲れッス、水野サン。さ、行こうぜ、香住」

 俺を睨み付けたまま、挨拶だけは口にした豊田は、無遠慮に香住ちゃんの手を掴み取った。そして、そのまま彼女の腕を引いて強引に連れて行こうとする。

 だけど、香住ちゃんは強引にその手を振り払うと、俺の方へと身を寄せて両手で俺の右腕を胸に抱え込む。

「あのね、豊田くん。こうなったらはっきり言うけど、私はもう、水野さんと付き合っているの。だから、君とは付き合えない」

 ええっ!? 俺と香住ちゃんって付き合っていたのかっ!? 初耳だぞっ!?

 しっかし、今日は初耳なことが多すぎだ。

 まあ、急に香住ちゃんがとんでもないことを言い出した理由、大体分かっているんだけどね。


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