最短



 気絶した巨大ペンギン……ロクホプを手当てするつもりではあるのだが、あいにくと医薬品なんて全く持ち合わせていない。

 植物エルフからもらったエリクサーは、俺の部屋の冷蔵庫の中。つまり、ここにはないわけで。

 できることはほとんどないが、それでも放っておくわけにもいかず、香住ちゃんがポケットに入れていたハンカチを海の水で濡らし、俺がぶっ叩いたペンギンの頭部を冷やしてやることにした。

 今の俺たちにできることなんて、それぐらいだ。

「……大丈夫でしょうか、このペンギンさん……」

「まあ、大丈夫じゃね? 呼吸も安定しているっぽいし」

 今、ロクホプの胸はゆっくりと動いている。嘴の付け根……鼻らしき穴からしっかりと呼吸しているようだし、きっと命に別状はないだろう。

 俺には医学知識なんてほとんどない。しかも、相手は異世界の生物だ。地球の医学知識が通用しない可能性だってある。それでも、打撲した患部を冷やすことは間違いじゃないと思う。思いたい。

「でも、ちょっと驚いちゃいました」

「え? 何が?」

「水野さんが、突然剣を向けられても凄く落ち着いていたのが、です」

 ロクホプに剣を向けられた時、思わず後ろに下がっていた香住ちゃん。まあ、それは普通の反応だと思う。誰だって刃物を向けられれば、同じような反応をするだろう。

「刃物を向けられて……恐くなかったんですか?」

「うーん……正直言うと、あまり恐くはなかったなぁ」

 刃物を操っていたのが、見た目可愛いだけのペンギンだったからかな。刃物を向けられても、それほど恐くはなかったんだ。

 ドラゴンやらグリズリーやら巨大ムカデやらと斬った張ったを繰り返してきたからか、ペンギン相手に恐いなんて思わなくなってしまった。我ながら、ちょっとびっくりだ。

 俺はこれまで経験したことを、改めて香住ちゃんに話した。ドラゴンや異世界の騎士と闘い、狂ったグリズリーと戦った。実体を持たない怪物や二百体の巨大ムカデに白っぽい謎の生物とも戦った。そんなことを説明しているうちに、段々と香住ちゃんの顔が蒼白になっていく。

 あれ? どうしてそうなるんだ?

「……もしかしてここ最近、水野さんがしょっちゅう筋肉痛になっていたのって……?」

「あ、ああ、うん……異世界であれこれと戦ったから……です」

 なぜか、敬語になってしまう俺。香住ちゃんの全身から迸る、怒りのオーラに触れてしまったからだ。

 どうしてそんなに怒っているの、香住ちゃん?

「……まさか、私の知らないところで……そんな危険なことをしていたなんて……」

 香住ちゃんが小声でぶつぶつと何やら呟いている。声が小さすぎて、俺にはよく聞こえなかったけど。

「水野さんっ!!」

「は、はいっ!!」

 きっとした表情で、香住ちゃんが俺を見つめる。いや、見つめる何て生易しいものじゃない。これはもう睨んでいると表現すべきだ。うん。

「今後、異世界へ行くときは必ず私に連絡してくださいっ!! いいですねっ!?」

「い、イエス、マムっ!!」

 思わず、びしっと敬礼をしてしまう俺。あれ? この展開ってもしかして……?

「水野さんは目を離すと何をするか分かりませんから! いくら水野さんの聖剣に不思議な力があるとはいえ、異世界で何が起こるかなんて誰にも分かりません! これからは、私も必ず同行して水野さんの行動を見張ることにします! 異論はありませんね?」

 や、やっぱり!

 これから異世界へ行く時は、毎回香住ちゃんと一緒ってこと? い、いや、それはこちらからお願いしたいぐらいだ!

「今後ともよろしくお願いしますっ!!」

 びしりと四十五度の角度で頭を下げる俺に、香住ちゃんはようやくくすりと笑みを浮かべてくれた。

 こうして、今後の俺の異世界行に、正式な同行者が誕生したのだった。

 いやっほう!



 気絶したロクホプは、まだ目を覚まさない。

 砂浜に仰向けに寝かされ、香住ちゃんがその頭にそっと濡れたハンカチを押し当てている。

 その光景を何となく見つめながら、俺は近くに転がっていたロクホプの剣を拾い上げた。もちろん、この世界の刀剣類に興味があったからだ。

 全体的な長さは、俺の聖剣よりもやや短い。柄頭から剣の切っ先まで、1メートルちょっとといったところだ。

 刀身はかなり細い。この剣、地球の刀剣でいえばレイピアの仲間に分類されそうだ。「斬る」よりは「突く」ことを主目的とした、刺突用の剣。この世界の剣って、こういうのが主流なのだろうか。ちょっと興味を引かれるな。

 そして、重量は驚くほど軽かった。拾い上げた瞬間、思わず「軽っ!?」と声に出しちゃったほどだ。

 どうやらこの剣、金属製ではないみたいだ。刀身の材質が何かまでは不明だが、金属以外の素材を用いているのは間違いないだろう。

「あー、水野さんだけずるいっ!! 私にもその剣を見せてください!」

 俺と同じく刀剣類が好きな香住ちゃんは、にこにこしながら空いている片手を俺に向かって突き出した。

 傍らに寝ている巨大ペンギン、その頭部にハンカチを当てながら刀剣を見せろとせがむ美少女。うん、結構アレな光景だよね。

 そんな光景に苦笑しながらも、俺はロクホプの剣を香住ちゃんへと手渡した。その際、俺の指と彼女の指が微かに触れ合って、思わず心臓がどくんと激しく鼓動した。って、中学生か、俺。女性に免疫なさすぎだろ。

 あ、でも、これまで異世界でいろいろな女の人と出会ったりしたけど、ここまでどきどきしなかったぞ。ミレーニアさんとかセレナさんとか、美女美少女と結構親しくしたけど、こんなことはなかったはずだ。

 やっぱりアレかな。相手が相手だけに、思わず過剰に反応しちゃうのかもしれないな。

 対して、香住ちゃんは特に気にした様子もなく、興味深そうにロクホプの剣を眺めている。うーん、もしかして、香住ちゃんって恋愛経験がけっこうあるのか? それとも、ロクホプの剣に夢中で他のことまで気が回っていないだけ?

「……この剣、金属じゃありませんね。何を材質にしているのかな?」

「俺もそこまでは分からないな。もしかして、魚の骨とかだったりして。使い手がペンギンだけに」

「ああ、なるほど。その可能性もありますね」

 俺は冗談で言っただけだったのだが、香住ちゃんは結構真面目に骨が材質だと考えているみたいだ。

 でも、骨を武器の材質にするのって、結構ありそうなことだよな。実際、動物の骨を棍棒代わりに使っていた時代だってあるわけだし。

 俺たち人類の場合は、石器を経て青銅器や鉄器などの金属を利用する文化が発達したわけだが、異世界では金属を利用するのではなく、骨をより効果的に利用する技術が発達する可能性だってあるもんな。

 俺は改めてロクホプの剣を見てみる。

 細工類はほとんど施されていない。刀身と柄、それに鍔という実にシンプルな剣である。

 ロクホプ自身が実用性を好むのか、それとも、この世界が総じて装飾を重視しない文化なのか。

 まあ、ペンギンってあまり器用そうじゃないし、細かい作業は苦手っぽいよな。

 一応、この世界にはペンギン以外にも人間はいるみたいだ。そして、ロクホプの言動から察するに、その人間はペンギンよりも社会的な身分が低いらしい。

 もっとも、ロクホプだけが極端に人間を見下しているって可能性もあるから、ここで断言することはできないけど。

 でも、この世界ではペンギンが支配者階級、そして人間が被支配者階級ってのは間違いないんじゃないかな?

 この辺りは人間は立ち入りできない地域だってロクホプが言っていたし、人間が剣を持つことは許されないとも言っていた。そこから判断するに、ペンギン上位世界である可能性は高そうだ。

 下手をすると、人間は総じて奴隷階級ってことも考えられるぞ。

 てなことを、俺は香住ちゃんに話してみたた。すると、どうやら彼女も同じことを感じていたようで、俺の仮説をすんなりと受け入れてくれた。

「水野さんや私の推測が正しいとすると、いつまでもこの辺りにいるのはやっぱり危険ですよね?」

「そうだよね。このペンギンにはちょっと悪いけど、早くここから立ち去った方がいいかも」

 俺たちは互いに頷き合うと、素早く立ち上がった。そして、いそいそとその場から逃げ出すことにする。

 その時だ。

 不意に、それまで確かに感じていた足元の砂の感覚が消失した。

 あれ? と思う間もなく、次に感じたのは砂よりもしっかりとして、そして冷たいフローリングの感触。

 もしかして……慌てて左右を見回せば、そこには見慣れた風景が。

 そう。

 帰って来たのだ。俺たちは、俺たちの本来の世界へと。



 思わず、壁にかかっている時計を見る。すると、香住ちゃんがこの部屋に来てから、大体三時間ぐらい経過していた。

「あ……聖剣の設定画面を弄っている時、滞在時間を最短にしたままだったんだな」

 聖剣をパソコンに繋ぐと現れる設定画面。そこを見つけてあれこれと弄った時、滞在時間の項目を最短の三時間にしたままだったんだ。

 だから、こんなにも早く俺たちはこの世界に戻って来たってわけか。

 香住ちゃんも突然戻って来たことに驚いたようで、目をぱちくりさせながら周囲を見回していた。

「こ、ここは……水野さんの部屋? 私たち……」

「ああ。戻って来たようだよ」

 俺と香住ちゃんは、同時に大きく息を吐き出した。見知った場所に帰ってきたという安堵感が、じわじわと胸の中に広がっていく。

「……本当に……限られた時間で元の世界に戻って来られるんですね……あ!」

 突然、香住ちゃんが大きな声を上げた。一体何ごとかと彼女を見れば、香住ちゃんはじっと床を見つめている。

 フローリングが敷かれた床の上には、大量の砂が落ちていた。

「あ……砂浜から直接この部屋に戻ったから……か」

 砂浜を歩いたり、砂浜に座り込んだりしていた俺たち。当然、足の裏やら服やらに大量の砂が付着していて、それが床に落ちたみたいだ。

「とりあえず、まだ服に残っている砂を部屋の外で落とそう。それから……部屋の掃除かな?」

 ふうと溜め息を吐く俺。そして、そんな俺を見て香住ちゃんはくすりと笑う。

「私もお手伝いしますね。その後……その聖剣のことをもっと詳しく教えてください。水野さんがこれまでどんな異世界へ行って、どんな経験をしたのか」

 うん、そうだね。掃除をした後、お茶でも飲みながらゆっくりと話すよ。

 俺がこれまでに行った、五つの異世界のことを。

 そうか。今日行ったあの巨大ペンギンのいる世界は、六つ目の異世界ってことになるのか。

 しかし、異世界って奴はいくつあるのかね? 俺たちのこの世界を含めると、既に七つもの違う世界を体験したことになる。

 次に異世界へ行く時は、また新しい世界へ行けるのか。それとも、これまでに行った世界を再訪することになるのか。

 それに、次から異世界へ行く時は、俺一人じゃないしね。

「え? どうかしましたか?」

 じっと香住ちゃんを見つめていると、彼女はちょっぴり頬を赤らめつつ、笑顔で応えてくれた。

 これまで以上に、異世界へ行くのが楽しみになった俺であった。



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