名前呼び
砂浜に直接腰を下ろし、俺は香住ちゃんに聖剣のことを説明した。
最初は首を傾げ、露骨に眉も寄せていた香住ちゃんだったが、俺の言うことが嘘ではないと理解していくうちに、徐々にその顔を輝かせ始めた。
まあ、信じるしかないもんな。こうして目の前には見たこともない景色が広がっているのだから。
どこまでも青い海と空、果てしなく続く白い砂浜。南国のリゾート地のパンフレットにでも掲載されていそうなこの風景は、日本ではまず見られないだろう。
たとえ沖縄であっても、ここまで広くて人気のない海岸は存在しないと思う。俺、沖縄なんて行ったことないけど。
「じゃ、じゃあ……ここは本当に異世界……?」
「うん、多分間違いないと思う。ごめんね、香住ちゃん。こんなことに巻き込んじゃって……」
「あ、ああ、い、いえ、それを言ったら、私が勝手に聖剣の能力を解放しちゃったんですから……」
わたわたと顔の前で手を振り回す香住ちゃん。いやー、こんな仕草も可愛いな。それに、なぜか顔が赤いし。
ここ、日差しが結構強いからそのせいかな?
かといって、周囲は海と砂浜ばかりで適当な影なんてないし。
木の一本も生えていれば、その影に避難することだってできたのに。
いっそのこと、海の中に飛び込むか? でも、当然ながら水着なんてないし。それどころか、異世界へ行く時のいつもの装備一式さえ、今回は持って来ていないんだよな。
突然の異世界転移だったので、準備なんて全くしていない。こんな転移はミレーニアさんの世界へ行った時以来だ。
香住ちゃんは自分のせいみたいに言っているが、聖剣の設定で彼女を同行者として設定していなければ、おそらく俺だけが……いや、俺と聖剣だけがこの世界へ来ていたと思う。
確かに転移を発動させたのは香住ちゃんだが、彼女を巻き込んだのは間違いなく俺であり、もうしわけない思いで彼女を見れば、なぜか香住ちゃんはわくわくしたような様子で周囲を見回していた。
もしかして、異世界へ来たことが嬉しいのかな? まあ、その気持ちはよく分かる。俺も異世界へ行く時はいつも楽しくて仕方ないし。
そもそも香住ちゃんは、ファンタジーもののコミックや小説とかが好きだって言っていたし、最近のファンタジーの定番である異世界転移を実体験したとなると、心が浮き立つのも仕方ないだろう。
なんにせよ、いつも通りに時間限定で元の世界には帰ることができるんだ。あれこれ悩むよりも、異世界を楽しむことを考えた方が建設的だよな。
ただ、香住ちゃんに怪我だけはさせないよう、十分注意しよう。
聖剣についての説明を一通り終えたところで、俺と香住ちゃんは立ち上がった。
「とりあえず、このままここにいても仕方ないし、適当に移動してみようか。もしかすると、何か発見できるかもしれない」
「そうですね。確か、時間が来ると元の世界に戻れるんでしたっけ?」
確実に元の世界に戻れるというのは、やはり気持ち的に大きい。少しぐらいは冒険してもいいって気持ちになるもんな。
ただ、今回はどれぐらいこの世界に留まっているのか、そこが不明だった。直前まで弄っていた聖剣の設定で、滞在時間をどれぐらいにしておいたのか、今ひとつはっきり覚えていないんだ。
香住ちゃんが部屋に来たことで、設定の途中で慌ててノートパソコンを閉じちゃったからな。おぼろげながらだけど、いつもよりは短い設定にしておいたような気がする。
「とにかく今は移動しようか、香住ちゃん」
「あ……ま、また……」
ん? なぜか、再び顔を赤くする香住ちゃん。俺、何か変なことしたか?
「ど、どうかしたの?」
「い、いえ、べ、別に……た、ただ、水野さんが私を名前で呼んでくれたので……」
あ……ああああああっ!! し、しまったぁぁぁぁぁぁぁっ!!
つい、いつも妄想しているみたいに、香住ちゃんのことを名前で呼んでいたよっ!!
異世界へ一緒に来ちゃったという、尋常じゃないことが生じたせいか、無意識のうちに彼女のことを名前で呼んじゃったよ。
ひょっとして名前で呼ばれたことが不快だったのでは、と恐る恐る香住ちゃんの様子を見れば、いまだに赤面したままの彼女は、なぜか身体をもじもじとさせていた。
こ、これ……不快に思われているわけじゃないっぽい?
「ご、ごめんね、森下さん……突然異世界へ来たせいか、ちょっと俺も平常心じゃなくてさ……」
「い、いえ、べ、別に私は気にしていませんから……み、水野さんさえ良かったら……そ、その、こ、今後はそうやって名前で呼んでくれると嬉しいなーって……」
赤かった頬を更に赤くして、香住ちゃんは顔を伏せながらそう言ってくれた。
よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! これで、今後は堂々とより親しみを込めて名前で呼べるぜっ!! 単なるバイト仲間から一歩前進だよね、これ!
心の中でガッツポーズを決めた俺。でも、きっと今の俺、香住ちゃんに負けないぐらい真っ赤な顔をしていると思う。
俺と香住ちゃんは、移動しながら現状を確認した。
二人で真っ赤になったせいか、お互いにまともに顔を見合わせることができないので、歩きながらの情報交換だ。
ちなみに、俺が前を歩いてその数歩後を彼女がついて来ている感じだな。
「いつもなら、水や食料その他をしっかりと準備してから異世界へ来るんだけど……」
「今回は突然でしたもんね。準備なんて何もないですよね」
俺はいつもよりちょっとマシな普段着って感じの服装。臙脂色系の三段グラデーションカラーの長袖Tシャツに、下はオーソドックスな黒のジーンズ。
自分の部屋に気になっている女の子が来るんだから、変な格好はできないよね。かと言って気合い入れすぎた格好もアレだし。
そんなわけで、適度に意識した服装であるものの、あくまでも普段着の域を出たものではない。いつも異世界へ行く時の制服とも言うべき、《銀の弾丸》の防弾ツナギや防弾ジャケットは着ていないのだ。
しかも今の俺の持ち物はと言えば、相棒というべき聖剣のみ。財布もスマホも部屋に置きっぱになったままである。
一方の香住ちゃんは、お出かけ用のファッションといった感じ。
オフホワイトのポンチョシルエットのブラウスに、ボトムは九分丈のデニムワイドパンツ。さすがに、一人暮らしの男の部屋に来るのにスカートは避けたのかな? まあ、妥当な判断と言えるかもね。
トップもボトムもややだぼっとしたデザインだが、決してだらしなく見えるわけでもなく、太って見えるわけでもなく。あくまでもオシャレの範囲でちょっと大きめの服を着こなしている感じだ。
そんな香住ちゃんも、今はほとんど所持品はない。俺の部屋に来る時に持っていた、小さなバッグの中に財布やら何やらが全部入っていたからだ。
彼女の持ち物と言えば、ポケットの中に入っていたスマホだけ。
いや、お互いほとんど何も持たずに異世界へ来ちゃったな。
当然ながら、二人とも靴さえ履いていない。靴下を履いていたのがせめてもの救いと言えるかも。
ただ、足元は柔らかい砂浜なので、このまま歩いていても問題なさそうだ。ただ、貝殻だけは気をつけよう。下手に踏むと足の裏を怪我するから。
周囲の気温は三十度ぐらいだろうか。海から吹き寄せる風があるので、それほど暑く感じないのが救いだ。
「はぁ……この気温で目の前にこんな綺麗な海があるのに……海で泳げないのがちょっと残念ですね」
背後からそんな声が聞こえてきた。確かに、エメラルドグリーンに輝くこんな綺麗な海、初めて見たもんな。水着があれば……いや、俺一人なら全裸で海に飛び込んだのに。
さすがに、「ははは、水着がないなら裸で泳げばいいんじゃね? 一人だけ裸になるのが恥ずかしければ、俺も一緒に裸になるよ?」とは言い出せないし。
そんなこと口にしようものなら、ちょっといい雰囲気になってきている香住ちゃんとの関係も、一気に崩壊すること間違いなしだ。
そんな馬鹿なことを考えながら、俺と香住ちゃんは延々と砂浜を歩く。
見えるのは、海と空と砂浜だけ。それ以外にあるものと言えば、頭上を流れていく雲ぐらいか。それ以外には本当に何もないぞ、ここ。
時折、波頭が不自然にきらっと輝くことがあるけど、もしかしたらあの下に魚でもいるのかも。
「……ねえ、香住ちゃん。俺たちどれぐらい歩いた?」
「そうですね……大体、一時間ぐらいですね」
ポケットから取り出したスマホで、時間を確認しながら香住ちゃんが答えた。
彼女の言う通り、俺たちは結構歩いた。だけど、見える風景に変化はない。海と空と砂浜。それしかない。もしかして、この世界は海と砂浜しかない世界じゃなかろうか。
そんな考えが俺の脳裏を掠めた時。
遂に、変わり映えのない風景に変化が生じた。
俺たちの前方に、砂浜に何かが突き立っていたからだ。
「あれ、何だろう?」
「さあ……近づいてみましょうか?」
俺と香住ちゃんは、砂浜に突き立った何かに向かって歩いていった。それに近づくにつれ、それが何か次第にはっきりしてくる。
「あれって……もしかして……?」
「私もそうじゃないかと……」
砂浜に突き立ったそれ。それは間違いなく、一振りの剣だった。
「どうして、こんな所に剣が?」
「不思議ですね。もしかして、この近くにこの剣の持ち主がいるのかもしれませんよ?」
砂浜に突き立った剣は、俺の聖剣よりもやや短いみたいだ。剣はしっかりと鞘に収まっており、鞘には剣帯らしきものも付いていた。
鞘や剣帯があるってことは、香住ちゃんが言うように持ち主が近くにいるってことかもしれないぞ。
二人してきょろきょろと辺りを見回していると、不意に海の中から何かが現れた。
ざぷん、という音と共に上陸してきたのは、一体の生き物だ。
全体的に黒いその体は、流線型を描いている。
だけど、よく見れば黒いのは背中側だけで、腹の方は真っ白だった。そんなモノトーンの体色の中で、つんと立った眉毛のような黄色の飾り羽が何とも特徴的。
目はルビーのような真紅で、同じように赤いクチバシと合わせてよく目立っている。
そして、その生き物は俺が……いや、俺たちがとてもよく知っている生物にそっくりだった。
「ぺ、ペンギン……?」
そう。
その生物は、香住ちゃんの言葉通りペンギン、それもイワトビペンギンによく似ていた。
だけど、その大きさは俺の知るイワトビペンギンよりもかなり大きい。
ペンギンで最も体の大きな種類はコウテイペンギンで、体長は100~130センチ、体重は最大で45キロにも及ぶと言われている。
だが、イワトビペンギンはそれよりももっと小さく、体長は50センチほどの小型のペンギンなのである。
だけど、今俺の目の前に現れたイワトビペンギンにそっくりな生物は、コウテイペンギンよりも大きく体長は香住ちゃんよりやや小さいほど……つまり、150センチ以上あった。
巨大イワトビペンギン、いや、イワトビペンギンもどきは、ぷるぷるっと体を震わせて水気を吹き飛ばすと、その首を巡らせて俺たちを見た。
「む? なぜ、人間がここにいるのだ?」
「ぺ、ペンギンが喋ったっ!?」
突然言葉を発したペンギンに香住ちゃんが驚きの声を上げるが、俺はそれほど驚かなかった。
なんせ、自在に「言葉」を操るダンゴムシを知っているからな。ペンギンが喋っても今更ってものだ。
それに、言葉が理解できるのは聖剣の翻訳機能のおかげだろうし。
「ここはペンギーナル帝国の領土の中でも、我らペンギーナ族だけが立ち入ることを許された神聖なる場所。下等種である人間族は立ち入ることが許されていないことを知らないとは言わせんぞ?」
ぎろり、と俺たちを睨み付けながら、巨大ペンギンがそんなことを言う。
そして、巨大ペンギンは突き立ててあった剣を掴み取ると、鞘から引き抜いて剣先を俺たちへと向けた。
「ペンギーナル帝国騎士、ロクホプ・ペンペーが貴様ら下等種をこの場で断罪してくれよう」
えっと……どこから突っ込んだらいいと思う?
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