第3章

設定



「……何だ、これ?」

 俺は自分のノートパソコンの画面に表示されたそれを見て、思わず一人で呟いた。

 今、俺が見ているものが何かと言えば、それはいわゆる設定画面というやつだ。

 画面上に表示されている設定画面。これが何の設定画面かと言うと……実は我が相棒にして愛剣である、あの聖剣の設定画面なのである。

 ほら、俺の聖剣って、USBケーブルで充電するだろ? コンセントから充電中の聖剣を見ていたら、もしかしてこのケーブルを使ってパソコンに繋がるんじゃないかとふと思い、それで実行してみたところ……このような設定画面が表示されたというわけだ。

 具体的にはUSBケーブルでパソコンと聖剣を繋ぐと、画面上に新たなアイコンが表れた。それは剣を模したアイコンで、そのアイコンをクリックしてみるとこの画面が表れたんだ。

 設定画面らしきものに表示されているのは、聖剣の名前である「カーリオン」の文字と、所有者欄にはこの俺、水野茂樹の名前があった。

 ちなみに、この二つは設定変更できないようで、聖剣の名前と所有者欄には文字入力ができない。

 所有者欄のすぐ下には、「目的地」という欄がある。だが、そこもやはりブランクになったまま、文字を入れることはできなかった。

 これ、何らかの条件をクリアすることで、文字の入力ができるようになるとか? だったら、是非その条件をクリアしないとな。もっとも、その条件ってのが何なのか、全く分からないわけだが。

 そしてその下には、「持続時間」という設定項目もあった。こちらの欄には現在「14」という数字が入力されている。

 おそらく、この持続時間というのは異世界に滞在できる時間のことだろう。ということは、ここの設定を変更することで異世界の滞在時間を自由に変更できるってことか。

 特に表記されていないが、きっと時間の単位は「時間」だろうな。これまで俺が異世界に滞在していたのが、大体十四時間ぐらいだったし。

 とりあえず、持続時間の設定をいじってみよう。適当に数字を入力してみると、最大の数字は「48」であり、最小の数字は「3」だった。つまり、異世界での滞在時間は、三時間から四十八時間の間なら自由に設定できるってわけだ。

 設定項目は他にもあり、「滞在時間」の下には「翻訳機能」のオン/オフと、「オートモード」のオン/オフを切り替える設定がある。

 この二つは自由に切り替えることができるようだが、当然この二つをオフにするわけにはいかない。この二つこそが、俺が異世界へ行く時の命綱そのものだからね。

 そしてその下には、「非殺傷モード」という選択項目があった。現状ではオフになっている。

 これ、オンにすると聖剣が相手を傷つけることができなくなるってことかな?

 今までは竜とかグリズリーとか巨大ムカデとか、命を奪ってもそれほど良心が咎めることのない奴らばかりが相手だったけど、これから先は人間を相手にすることがあるかもしれない。

 そうなった場合、この非殺傷モードは実にありがたい。いくら異世界でのできごととはいえ、やっぱり殺人は遠慮したいしね。

 そんなわけで、非殺傷モードはオンに設定する。よし、これで人間相手でも全力で聖剣を使うことができるな。

 あ、間違い。聖剣を全力で使うんじゃなくて、俺が聖剣に使われる立場だった。

 しかしこの非殺傷モード、パソコンを使わずに自由に設定できないものかな? もしそれが可能であれば、相手によって切り替えることができるのに。次に異世界へ行った時に、「非殺傷モード、オフ!」とか叫んでみるか?

 でも、それで非殺傷モードのオン/オフが可能ならいいけど、何の変化もなかったらちょっと恥ずかしいな。

 てなことを考えつつ、俺は設定画面の最後へと目を向けた。

 つらつらと並んだ各種の設定の最後の項目に、俺の目が引き寄せられる。なぜなら、そこには「同行者」という欄があったからだ。

 同行者って言うぐらいだから、ここに誰かの名前を入力すると、その人物と一緒に異世界へ行けるってことじゃないだろうか。

 そして、この同行者欄には、文字を入力することができるみたいだ。

 となると……ここに香住ちゃんの名前を入れてみたりしちゃおうかな?

 香住ちゃんと一緒に異世界で大冒険。こっちの世界では、俺なんかよりも剣道有段者である彼女の方がきっと強いだろう。でも、それが異世界であれば?

 異世界という慣れない環境の中、襲い来る魔獣なんかをばったばったと聖剣で薙ぎ払う俺に、香住ちゃんの心は大きく揺れ動くかもしれないじゃないか!

 よし、ここはもう香住ちゃんの名前を記入するしかないよね!

 かたかたとキーボードを操作し、同行者欄に「森下香住」の名前を入力する。しかし、冷静に考えてみれば勝手に彼女の名前を入力するのはまずいよな。

 何の説明もなく、香住ちゃんを異世界へ連れていくわけにはいかない。連れていくのであれば、しっかりと聖剣の能力を説明して彼女の了承を得てからだ。

 それに、全く知らない同姓同名の「森下香住」さんが同行者になることだって考えられるし。

 うん、やっぱり香住ちゃんの名前は消しておこう。

 そう考えてマウスのカーソルを同行者欄に合わせた時。

 ぴんぽーんという軽やかな音が部屋の中に響いた。

 思わずびくりと身体を震わせた俺は、そのままノートパソコンの画面をぱたんと閉じ、

慌てて玄関へと向かう。

 逸る気持ちを理性のディスクブレーキがフル稼働で抑え込み、俺は冷静を装い、笑顔を浮かべて玄関のドアを開けた。

 すると、そこには天使がいた。

「えへへ。本当に来ちゃいました」

 そう言って微笑むのは、もちろんマイエンジェル──森下香住ちゃんその人である。



 どうして香住ちゃんが俺の部屋に来たのか? それはもちろん、俺の聖剣を見るためだ。

 バイトの休憩中などに、俺は何度も彼女にスマホで撮った聖剣の画像を見せていた。香住ちゃんも聖剣には興味津々のようで、とうとう実物を見てみたいと言い出したのだ。

 もちろん、香住ちゃんに聖剣を見せるのは問題ない。彼女であれば、数日間貸してあげてもいいぐらいだ。

 だけど、さすがにバイト先に聖剣を持っていくわけにはいかない。不特定多数の客が訪れるコンビニに、模造品──建前上は模造刀だ──とはいえ刀剣類を持ち込むのは問題があるだろう。

 一般客が入らない事務室などに置いておいたとしても、何かの弾みでお客さんの目に留まるかもしれない。

「あそこのコンビニ、店の奥に剣なんか置いてあるぜ? 何か物騒じゃねえ?」

 なんて噂でも広がったら、店の信用にも関わるし。やっぱり、客商売は信用が第一だからね。

 それにお客さんだけではなく、出入りの業者さんや、この地域のエリアマネージャーさんなどが来ることだってある。やはり、危険物と判断されるような物は持ち込むべきじゃないよな。

 とはいえ、そこらの公園などで聖剣を見せるのもどうかと思う。

 小さな子供を連れて公園に来ているお母さんたちからすれば、本物ではない──俺の聖剣はある意味で「本物」だけど──とはいえ刀剣類を持ち歩いている人間がいれば、警察に通報することだって考えるに違いない。

 そうなると、香住ちゃんに聖剣を見せびら……もとい、鑑賞してもらいつつ、彼女といろいろ会話を楽しめる場所は限られてくる。

 そこでダメモトで香住ちゃんに、「俺の部屋まで聖剣を見に来る?」と提案したところ、何と彼女は首を縦に振ってくれたのだ。

 当然、俺は天にも昇る気持ちだった。

 もちろん、その日はバイトが終るなり部屋へと真っ直ぐに帰り、部屋中を掃除したのは言うまでもない。

 つい先日、もしかすると香住ちゃんがここに来るかもしれないから大掃除しておこう、なんて考えていたが、まさかそれが現実になるとは……人生、何が起こるか本当に分からないものだね。

 てなわけで先日大掃除したばかりの部屋は、それほど汚れてはいなかった。だけど、掃除はいくらしてもいいものだ。今朝も改めて掃除したしな。

 香住ちゃんがここに来るのは午後から。最初は午前中に来てもらい、昼食を一緒に食べようか、なんて考えてもいたが、いきなり食事に誘うのもアレなので昼食を食べてから来てもらうことにしたのだ。

 大学の友人──やたらと女友達の多いやつ──いわく、女の子が部屋に来てくれたからって、絶対に焦ってはいけないとのこと。

「一人暮らしの男の部屋に来てくれるってことは、その女の子はある程度以上の信頼を茂樹に対して抱いているってことだ。最初はその信頼を裏切らないように心がけろ。一人暮らしの部屋に来る以上、女の子も何らかの刺激を期待している、なんてのは嘘っぱちだ。まあ、中にはそんな女の子もいるかもしれないが、少数例であることは間違いない。とにかく、おまえは絶対に焦るな。まずは地道に信頼と信用を築き上げるんだ。コトに及ぶのはもっと親しくなってからでも遅くはないからな」

 その友人曰く、部屋に来た女の子に無理矢理関係を迫るのは、寄せ餌で集めた魚を強引に網で掬おうとしているようなものらしい。魚を網で掬うのって簡単じゃないもんな。

 寄せ餌に魚が集まったのであれば、ちょっと待ってから静かに餌を付けた釣り針を垂らせばいい。そうすれば間違いなく魚は食いつく。肝心なのは一度冷静になって一歩下がることだ、とその友人は言っていた。

 なんとも、説得力のある言葉でした。よし、今日の俺は紳士に撤するぜ。もっとも、俺はいつも紳士だけどな。



「へえ、ここが水野さんのお部屋ですか……」

 部屋に上がった香住ちゃんは、きょろきょろと興味深そうに部屋の中を見回している。

「思ったより、ずっと片づいていますね」

「おいおい、森下クン。キミはボクをどう思っているのかね? 大学でもきれい好きランキング・トップ3に入るこのボクを」

「えへへ。ごめんなさい」

 ちょっとおどけた調子でそんなことを言えば、香住ちゃんもぺろっと舌を出しつつ肩を竦める。

 うん、可愛い。本当に可愛い。できればこのままこの部屋で一緒に暮らしたいぐらいだ。

 しかし、必死になって掃除した甲斐があったな。間違いなく、俺に対する香住ちゃんの好感度が数ポイントは上がっただろう。

 そんな会話を楽しみつつ、相も変わらず部屋の中を見回していた香住ちゃんの視線が、テーブルの横に立てかけてあった聖剣へ向けられた。

「あ! あれが噂の聖剣ですねっ!?」

 ぱたぱたと小走りに聖剣に近づく香住ちゃん。俺も彼女の後を追いかける。

「持ってみてもいいですか?」

「もちろん。でも、ちょっと待ってね」

 USBケーブルでパソコンに繋がったままの聖剣から、ケーブルを引き抜いて香住ちゃんに手渡す。

 ん? 俺、何か忘れているような……?

 何かが俺の頭の片隅をよぎるも、はしゃいだ香住ちゃんの声が間近から聞こえて、すぐにそれは頭の中から追い出された。

「う、うわぁ……思ったよりもずっと重いですね……抜いてもいいですか?」

 聖剣の重量感に笑顔を浮かべる香住ちゃん。どうやら、彼女は本当に刀剣が好きらしい。

 俺の許可を得た香住ちゃんが、すらりと鞘から聖剣を引き抜いた。その仕草は、どこか俺よりも洗練されているように感じられる。やっぱり、剣道少女だからかな?

「うわぁ、綺麗な刀身……」

 両手で持った聖剣を目の前に掲げ、香住ちゃんはうっとりとした表情で聖剣を眺める。

「いいなぁ、この剣。本物じゃないのに、どことなく迫力を感じますね」

 いや、実は本物なんだよ、それ。君が感じている迫力は、きっとそれが本物の聖剣だからだと思う。

 聖剣を両手で持ったり片手で持ったり、様々な角度から眺めたりしつつ、香住ちゃんは何とも嬉しそうだ。

「あれ? 柄頭のこの宝石みたいな物、ぼんやりと光っていませんか?」

「ああ、それはそういうギミックみたいだよ。ほら、このケーブルで充電できるんだ」

 俺はパソコンに繋がったままのUSBケーブルを指差しながら説明する。

「あ、なるほど。さっきは充電中だったんですね」

 説明を聞き、納得顔の香住ちゃん。いや、さっきは充電中ではなく、設定画面をいじって……あ。

 お、思い出した! 設定画面の同行者欄に、香住ちゃんの名前を入力したままだった!

 このままだと異世界転移した時、香住ちゃんと一緒に転移してしまう。でもまあ、今すぐ転移するわけじゃないし、特に問題はないよな。うん。

 香住ちゃんが帰ったら、真っ先に彼女の名前を設定欄から削除しよう。

 内心で冷や汗をかきつつも、何とか平静を装い続ける俺。だが、そんなハリボテの平静は、跡形もなく消し飛ぶことになる。

 なぜなら、俺の視界を眩しい光が覆い尽くしたからだ。

 この閃光……もしかして、異世界へ転移する時のいつものアレっ!?

 どうして突然転移が起こったのか疑問に思いつつ、俺の視界は真っ白に塗りつぶされていった。


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