閑話 同一存在
「ねえ、瑞樹さん! 瑞樹さんの従兄妹さんって、またこっちに来ます? 来るとしたら、いつ頃ですか?」
あれ以来──《鬼》に襲われたところを茂樹に助けられてからというもの、香住はしょっちゅう茂樹のことを私に聞いてくる。
「従兄妹さんがこっちに来たら、絶対、私に教えてくださいね!」
どうやら、すっかり茂樹のことを気に入ってしまったようだ。
まあ、香住の気持ちは分からなくもない。《鬼》に取り憑かれる間一髪のところを助けられた彼女が、茂樹に対して悪い印象を受けるはずがない。ほら、あれだ。吊り橋効果とか、そんな感じで。
正直、最近の香住は少しウザい。それにしても、香住って男の子に対してここまでアグレッシブな
でも、それだけ香住にとって茂樹との出会いは衝撃的だったのだろう。
かく言う私にとってもまた、茂樹との出会いは衝撃的だった。
異世界の日本からやって来た、もう一人の自分。それだけでも衝撃的なのに、彼が持っていた不思議な聖剣には、もっと衝撃を受けた。
誰もが刃物を持ち歩くこの世界において、刃物は《鬼》を遠ざけるお守りであると同時に、重要なファンションアイテムでもある。
特に若い女の子たちは、刃物をコーディネートの一部とし認識している。
活動的なコーデの時は長めの剣を腰に佩くとか、落ち着いた雰囲気を演出する時は、小さな刃物の付いたアクセサリーを身に着けるとか。
刃物自体も柄や鍔に装飾のある物を選び、刃物を収める鞘もまた、可愛い飾りが付いたものを選ぶとか。
もちろん、中には武骨一辺倒な刃物を選ぶ女の子もいる。だけど、間違いなくそれは少数派だ。そして、私自身はその少数派に属する一人だろう。
実は私、過度に装飾された剣があまり好きじゃない。やはり刀剣類は実用性を重視しなければ、と思っているクチであり、美術性を重視すれば実用性が損なわれると信じていた。それに、武骨な刀剣には、武骨ならではの魅力があるものだし。
そんな私が普段から愛用している刃物は、装飾の一切施されていない脇差しのような刀である。
だけど、茂樹が持っていた聖剣には思わず目が奪われた。実用性と美術性を見事に両立させたあの聖剣。
一目見ただけで魂が吸い取られるかと思ったほど、美しい西洋剣。あれほどまでに綺麗な剣を、私は見たことがない。
茂樹があの聖剣をネットオークションで落札したと聞いた時、思わずこの世界でも売っているのではないかと探してしまったほどに。
そして、その聖剣は何とも不思議な力を有していた。異世界への扉を開き、誰にも倒すことができないはずの《鬼》さえも斬ってしまうほどに。
どうしてあの聖剣にそんな力があるのか、茂樹本人もよく分かっていないらしい。それでも、彼があの聖剣と共に様々な異世界を旅していると思うと、正直彼が羨ましく思える。
「瑞樹さんの従兄妹さん……茂樹さんも恰好良かったけど、彼が持っていた剣も素敵でしたよねぇ」
客足が少ない時間帯、私と香住は誰もいないコンビニの店内を見つめながら立ち話に興じる。
品出しや在庫整理は先程終えたばかりなので、今は特にすることがないのだ。それに、誰もいない時にちょっとぐらい立ち話をしても、店長は特に何も言わない。
やることさえやっていれば、それほど細かいことは言わない人物なのだ、ここの店長は。
「そういや、茂樹さんが《鬼》を斬れたのって、あの剣のせいだって言っていましたよね? あの剣、代々伝わっているような何かいわくのある名剣とかですか?」
「うーん……私もその辺は詳しくは知らないけど、やっぱり何かあるんじゃないかしら、あの剣には」
はい、嘘です。あの剣に関しては、茂樹から全部聞いている。とはいえ、茂樹自身もあの剣に関しては謎が多いとかで、聖剣の全てを知っているわけではないのだが。
「そうですよね! あの剣、何というかこう……神秘的というか神々しいというか……そんな感じがしましたし! やっぱり、茂樹さんの家に伝わる名剣だったんですね! ってことは、もしかして茂樹さんの家も由緒ある名家だったり?」
刀剣類が重要な意味を持つため、中にはその家に代々伝わる名剣という物がある。
古くから続く名家に伝わる家宝の刀とか、先祖代々受け継がれてきた名剣とか。だが、《鬼》を斬れるような剣の話は寡聞にして聞いたことがない。やはり、茂樹の聖剣が特別だと考えるべきだろう。
その後も、香住は茂樹の聖剣についてあれこれと語っていた。そういや、この娘も私や茂樹と同じで刀剣類が好きな娘だったっけ。
刀剣好きが高じて幼い頃に剣道を始め、今でも続けているらしい。高校でも剣道部で活躍しており、個人で全国大会まで行くような猛者だそうだ。いやはや、そこまで行けば立派なものだと思う。
その日のバイトも終わり、私は一人自宅へと帰る道を歩く。
辺りはすっかり暗くなっているが、それでも人通りの多い道を歩けばそれほど危険はない。
仕事帰りのサラリーマンや、私と同じようにバイトが終った学生、これから塾へでも行く中高学生など、まだまだ人通りの多い時間帯である。
そんな人波に紛れて、ふわふわと漂うモノが視界の中を掠めた。
《鬼》だ。
人類にとって天敵とでも言うべき存在。それは、この世界中のどこにでもいる。
雑踏ひしめく町中でも、豊かな緑が生い茂る自然の中でも。更には、海中でさえ《鬼》の目撃例はあるらしい。
海や川などで遊んでいる時、《鬼》に襲われたという例は意外と多い。水に入る際は当然ながら水着を着用するのだが、つい刃物を身に着けるのを忘れがちだからだ。
人々の頭上をゆっくりと漂う《鬼》。しかし、数人はその《鬼》に視線を向けるものの、誰も怯えたり逃げ出したりはしない。
刃物さえ身に帯びていれば、《鬼》は脅威ではないからだ。
《鬼》はまるで獲物を探すように頭上をゆっくりと飛び回る。だが、人々が持っている刃物の影響か、一定の高さより降りては来ない。
そして、獲物となるべき人間──刃物を持っていない者──を見つけられなかったのか、そのままどこかへと行ってしまった。
その後は特に問題もなく、私は借りている部屋へと到着した。
鍵を回してロックを解除し、入り口のドアを開ける。当然ながら部屋の中は暗く、人の気配はない。
もしかして茂樹が来ているかも……なんて、ちょっとだけ期待していた自分がいる。
どうやら私はあれ以来、彼が来訪することを待ち望んでいるらしい。
とはいえ、私が茂樹に対する感情は、決して恋愛的なものではない。これは断言できる。
そもそも、茂樹は私自身でもある。自分自身に恋愛感情を抱くなんて、私はそこまでナルシストではないのだから。
私が茂樹に対して抱く想いは、家族に対する愛情のようなものだろう。そう、双子の片割れに対する感情に似ているのではないだろうか。
私には双子の兄弟や姉妹はいないが、それでも弟と妹はいる。茂樹に対する気持ちは、彼らに対する気持ちと変わりないと思う。
私は小さな溜め息を吐き出しつつ、部屋の明かりをつける。そして、手にしていた荷物を台所へと置いた。
最近、料理の練習を始めたのだ。理由はもちろん、茂樹に料理ができないことを馬鹿にされたから。今度会った時には、人並みには料理できることを見せて、見返してやろうと考えている。
だが、まだまだ練習を始めたばかり。「人並み」の領域に辿り着くには、もうちょっと時間が必要みたいだ。
私はバイト帰りにスーパーで買った食材を整理すると、エプロンを装着して包丁を手にした。傍らに初心者用の料理教本を用意しつつ。
四苦八苦しながらの自作料理は、あまり美味しくはなかった。いや、正直に言うと……不味かった。
一口食べた時点で、全て廃棄して出来合いの食事を買いに行くか、どこかに食べに行くかとも考えたが、それでは永久に料理の腕は上達しないと考え直し、涙目になりながらも何とか完食した。
うん、明日はもうちょっとマシなものを作ろう。
あまりにも料理スキル上達の見込みがなさそうであれば、香住あたりに教わるのもいいかも。あれで彼女、家事は一通りできるそうだし。
後輩に女子力でボロ負けしている事実を改めて突きつけられ、ちょっぴり落ち込みながらもお風呂の用意をする。こんな時はお風呂にゆっくりと浸かって気分転換するに限る。
既に掃除はしてあるので、湯を張るだけ。ぴっぴっぴっと操作パネルを弄れば、はい、おしまい。後は浴槽に湯が溜まるのを待つだけだ。
その間に、着替えを用意する。以前は一人暮らしということもあり、ショーツぐらいしか準備せずにお風呂に入っていたのだが、突然現れた茂樹にほぼ裸の姿を見られてから、脱衣所に着替えを持ち込むようになった。
これで、あいつがまた突然現れても、恥ずかしい思いをすることはないだろう。うん。
でも、私がお風呂に入っている時に、直接浴室に茂樹が転移してくる……なんてのは、漫画やアニメなどではよくあるパターンだし。決して油断だけはしないでおこう。
でも、折角のお風呂なのに、緊張してばかりでは勿体ない。お風呂に入っている時ぐらいは、身も心もリラックスしたいと思うのは、絶対に私だけではないはずだ。
まあ、いくらあいつでも、直接浴室に転移なんてお約束はしないと思う。思いたい。
狭いながらもすっかり使い慣れた浴室の中で、私は大きく息を吐き出した。
明日は週末でバイトもない。朝はゆっくり寝ていられる。昼からはちょっと遠出して買い物するのもいいな。どこかに出かけるのであれば、一人よりも誰かと一緒に行ったほうがいいかも。でも、この週末でやっつけないといけない課題もあったっけ。
と、お湯に浸かりながら明日のことをあれこれ考えるのは、やっぱり楽しい。
髪と身体をゆっくりと洗い、もう一度湯に浸かってから、私はお風呂から上がる。
バスタオルで身体と髪の水気を拭き取り、ショーツと寝間着代わりのゆったりとしたスゥエットを身に着ける。
寝る時にはブラは着けないので上着はスゥエットだけだが、後は寝るだけなので別にいいだろう。
ドライヤーで髪を乾かし、脱衣所──兼、洗面所──を出る。
その時、脱衣所から顔だけを出して、部屋の中を確認する。よし、誰もいない。
いや、ここで部屋の中に誰かいたら大問題だが、なんせ最近その大問題が発生したばかりだから、つい警戒してしまう。
部屋を横切り、ベッドに腰を下ろしてもう一度部屋の中を見回す。
一人暮らしを始めて、二ヶ月とちょっと。大学の友人が訪ねてくることもあるし、時には香住が遊びに来ることもある。
だから今まで一人で暮らしていても淋しいと思ったことはないが、なぜか最近は一人でいると変に物足りなく感じる。
どうしてだろう、と思っていると、突然スマートフォンが着信音を奏でた。
「ん? 香住からだ」
発信者は香住だった。メールには、こんなことが書いてある。
『茂樹さんって、お付き合いしている女性っています?』
…………私が知るか!
茂樹に彼女や恋人がいるかどうかなんて、知らない旨を返信した後、私は大きな溜め息を吐いた。
香住の奴、すっかり茂樹にのぼせてしまったみたいだ。
本当、最近の彼女はちょっと……いや、かなりウザい。
はぁ。
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