最大のお宝



 エルフの集落の中、いくつもある泉の一つに足を浸しながら、おれははぁと大きな息を吐き出した。

 温泉に浸かった時のような、温かくてほっとするような感じとは違うが、これはこれで結構気持ちがいい。オークとの戦いで蓄積していた疲れが、泉の中に溶け出していく気がする。

 戦いが終った安堵感に包まれている俺の隣には、フィーンさんが同じように泉に足を浸していた。もちろん、彼女は何も着ていない。全裸こそがこの世界のエルフの正義だからね。

 フィーンさんはにこにことしながら、俺をじっと見ている。

「今回の件は、本当にシゲキには感謝しています」

「い、いやあ、俺は自分にできることをしただけですし……貴重な薬ももらえましたしね」

 エルフたちにとってはそれほど貴重でもないだろうが、俺にとってエルフの妙薬──エリクサー──は極めて価値が高い。

 しかし、こんな何でも治す薬を分泌するなんて、この世界のエルフは乱獲されたりしないのだろうか?

 もしかすると、乱獲を怖れてこの森の中に隠れ住んでいるとか?

 そもそも、この世界には植物種族以外は存在していないので、乱獲される怖れもないのかもしれない。

 もしくは植物種族以外にも存在しているが、こことは遠い場所で生活しているって可能性もあるな。俺、この森がどれぐらい広いのかさえよく知らないし、仮に森の外に他の種族が暮らしていたとしても、エルフやエリクサーの存在を知らなかったりして。

 まあ、フィーンさんを始めとしたエルフや他の植物種族たちが、平和に暮らしていけるのなら俺はそれでいいけどね。

 ポケットからスマホを取り出し、今の時間を確認してみる。周囲はやや薄暗くなっているので、この世界にも夜は訪れるようだ。

 スマホに表示された現在時刻は、午後七時二十一分だった。推測では午後十時ぐらいに元の世界に帰還すると思われるので、あと二時間半ほどこの世界に滞在できるだろう。

「あら? それは一体何ですか?」

 スマホをいじっていた俺の手元を覗き込みつつ、フィーンさんが尋ねてきた。

「これはスマートフォンと言って、俺の世界の便利な道具の一つですよ」

 俺はスマホのことを簡単に説明する。まあ、スマホで最も重要な機能である通話やネット接続は、ここでは使えないけど。

「例えば……こんなことができます」

 そう言いつつ、俺はスマホのカメラを起動してフィーンさんへと向け、ぱしゃりと写真を撮影する。

 そしてたった今撮影したばかりの画像を、スマホの画面に表示してフィーンさんに見せる。

「まあ、これって私ですか……?」

 目を見開いて驚くフィーンさん。よしよし、この表情が見たかったんだ。

「こうして、人物や景色などを記録できるんですよ」

「異世界には不思議なものがあるのですね」

 表示された自分の姿を、フィーンさんはいつまでも見続けていた。

 鏡さえあるかどうか分からないこの世界では、姿を映すことができるのは水ぐらいだ。となると、鮮明に映った自分の姿を見る機会って今までなかっただろうからね。



 今回のオークの一件は、フィーンさん以外のエルフたちからも感謝された。

 あのままオークを放っておけば、この集落にも被害が出たかもしれないからだ。

 俺とフィーンさんが並んで泉に足を浸していると、何人ものエルフたちが俺の傍まで来ては、礼を言っては立ち去っていく。

 そんなことを何度か繰り返していると、エルフの集落の中に異分子が紛れ込んでいることに気づいた。

 いや、異分子ってのは言い過ぎか。だが、明らかにエルフとは違う存在が、集落の中をとてとてと歩いていたんだ。

 周囲にいるエルフたちは、その存在を見ても別に気にしていないようだ。

 その存在──俺の腰ぐらいまでの大きさで、大雑把に人の形をした木の根っこのようなそれ。つまり、この森に住む種族の一つであるマンドラゴラだ。

 そのマンドラゴラは、周囲をきょろきょろと見回すと、俺の存在に気づいたようだった。

「おお、シゲキ殿!」

「ゴンさんでしたか」

 マンドラゴラを見分けることなんてできないけど、俺のことを名前で呼ぶマンドラゴラなんて、ゴンさんぐらいしかいないからな。

 名前を呼ばれたゴンさんは、小さな足を必死に動かして俺の方へとやってきた。

「今回は、シゲキ殿には本当に助けられた。心より感謝致す次第だ」

 と、相変わらずの侍言葉で丁寧に礼を言い、ぺこりと頭を下げるゴンさん。

 ふと疑問に思ったのだが、ゴンさんのこの侍言葉って、聖剣が翻訳しているんだよな? ってことは、この侍言葉って聖剣なりのアドリブというか演出ってことになるんじゃね?

 だとしたら、本当に俺の聖剣は不思議だな。

「そこで、某からも貴殿には何か礼がしたいのだが……生憎、某はこんな物しか持っておらんのだ」

 そう言ってゴンさんがどこからともなく取り出したのは、俺の親指の爪ほどの大きさの、土に塗れた小さな石だった。

 土に汚れていてどんな石かは不明だが、水晶のような透明感のある石みたいだ。

「某の住み処の近くで偶然見つけたのだ。某には何の使い道もないが、もしかすると貴殿には何か有効な使い道があるかもと思ってな。こんな物で良ければ是非受け取って欲しい」

 ゴンさんはそう言って、俺にその石を差し出した。

 もちろん、喜んで受け取ったよ。たとえ金銭的な価値があろうがなかろうが、ゴンさんの感謝の気持ちだからな。受け取らない理由がない。

 でもこの石、何の石だろう? 別に特別な効果なんてなくてもいいけど、やっぱり気になるな。

 ひょっとしてこれ、ダイヤモンドだったりして。まあ、そんな都合の良すぎる展開はまずないか。

 フィーンさんや集落のエルフたちにも聞いてみたが、誰もこの石のことは知らなかった。この世界のエルフは、太陽の光と綺麗な水があれば満足だから、土の中に埋まっている石には興味がないみたいだ。

「某が住んでいる場所の近くにいくつも埋まっていたが、何ならもっと持って来るかね?」

「いえ、いいですよ。ゴンさんの気持ちは確かに受け取りましたから」

「うむ、そう言ってもらえると、某も嬉しい」

 俺にはマンドラゴラの表情は読めないが、それでも本当にゴンさんが喜んでいるのはよく理解できた。

 こういう言葉をかけてもらえたり、誰かに喜んでもらえたりするのは、やっぱり自分も嬉しい。別に感謝して欲しくてしたことじゃないけど、自分は間違ったことをしていないって思えるのは重要だ。主に俺のモチベーションが。

「それで、シゲキ殿はこれからどうするのだ? もしかして、このままエルフたちの里で暮らすのか?」

「ああ、実はですね……」

 俺はゴンさんやフィーンさんに、そろそろ帰還の時間が迫っていることを告げた。

 俺としてももう少しこの世界に留まりたい。だって、目の前に美人なお姉さんたちが全裸でいるんだ。ここに留まりたいって思うのは当然だろ?

 まあ、エルフの中には当然ながら男性もいるが、エルフの男性は全裸でも股間をぶらぶらさせていないからな。別に見ていても気持ち悪くはない。どちらかというと、美術品を眺めているような気持ちになる。ほら、エルフは男性も美形で均整の取れたスタイルをしているし。

「そうか……それは残念だ。折角、貴殿という得難い友を得たというのに……」

「そうですね。シゲキは私たち森の種族とは違いますが、それでも友人となれると分かったのですから」

 俺との別れを前に、二人は寂しそうだ。いや、ゴンさんの表情は分からないが、それでも雰囲気で大体分かる。

「でも、またここに来ますから。いつになるかは分かりませんが、絶対に俺、またこの森に来ます」

 元気にそう宣言すると、二人の表情が和らいだ。

「うむ、そうだな。別れを悲しむよりも、次に会えることを楽しみにしようではないか」

「そうですね。絶対にまた、この森に来てくださいね?」

 その後、俺はフィーンさんとゴンさんという新たな友人たちと、泉のほとりに座り込んでいろいろと話をした。

 話の内容は特別大したものではなく、自分たちが普段どのように生活しているとか、そういうごく普通のことばかりだったが、それでも実に楽しい一時だった。

 三人での会話はいつまでも続いた。

 スマホのアラームが作動し、俺の帰還が迫ったその時まで。



 ふと気づくと、俺は見慣れた風景の中にいた。

 そう、帰って来たのだ。自分の部屋に。

 俺はゆっくりと部屋の中を一瞥し、特に変化がないことを確認する。

 時間は午後十一時ちょい前。予定通りの帰還と言っていいだろう。

 とりあえず、風呂の準備をする。風呂桶に湯を張りつつ、俺は今回の異世界行で手に入れたものを改めて確認。

 まずは、500mlのペットボトル一本分のエリクサー。

 このエリクサーは、予定通り冷蔵庫へ入れておく。薬効がいつまで続くか分からないから、今後は注意しないと。

 エルフたちには体液を保存しておくという考えがないらしく、彼らにもエリクサーの薬効がいつまで保つのかは分からないとのことだった。

 時々、指先をナイフなどで切って薬効を確認しておこう。いざエリクサーが必要だという場面で、薬効がありませんでしたなんてことになると笑うに笑えない。

 それ以外には、ゴンさんからもらった小石。

 これも正体不明だが、水道水で土の汚れを落とすと意外に綺麗な石だった。きらきらと透き通った水晶っぽい石だ。

 とりあえず、以前にグルググの女王様からもらった黒い鉱石の横に置いておこう。

 今あの黒い鉱石は、部屋の隅に置いてあるローテーブルの上に鎮座している。こうして見ると、意外にインテリアっぽくていい感じなんだ、これが。

 そして、今回入手した最大のお宝は、何といってもこれだろう。

 俺はスマホを操作し、その画像を見つめる。

 うん、自分でも頬が緩むのが分かる。俺が今見ている画像、それはもちろんフィーンさんの画像だ。

 異世界のエルフ、しかもとびきりの美女。更には全裸姿だ。これがお宝でなくて一体何だと言うのか。

 確かにあそことかあそことか、肝心な部分は存在しないが、それでもその姿はとても魅力的だ。

 よし、この画像は絶対に誰にも見られないようにしないとな。特に、香住ちゃんには絶対だ。

 何かの間違いでこの画像を香住ちゃんに見られようものなら、これまで俺が必死に築き上げてきた、紳士なイメージが一気に崩壊しかねない。

 なら、消すなりパソコンなりに画像を移せばいいのではないかと思うだろうが、そこはそれ、やっぱり持ち歩きたいじゃないか。男性であれば、この気持ちはきっと理解できると思う。

 一通りの片づけを終え、入浴も済ませた俺はベッドに入る。

 いくらエリクサーのお陰で完治したとはいえ、骨折するような大怪我をしたんだ。身体の方が休息を求めていたらしく、俺の意識はベッドに入るなり闇へと溶け込んでいった。



 やあ、お帰り。

 どうやら、相変わらずあちこちの世界へ出かけているようだね。

 うん? どうかしたのかい?

 ああ、ちょっと彼が調子に乗ってしまったのか。で、それを戒めようとしたら、思ったよりも彼に重傷を負わせてしまった、と。

 幸い出かけた先の世界で、骨折さえ一瞬で治せる薬があったから良かったものの、自分の行いを反省しているわけだね?

 うん、それでいいのではないかな? 彼もそうだが、君だってまだまだ未熟なんだ。失敗を経験し、それを糧にしてお互いに成長していけばいいんだよ。

 もちろん、取り返しのつかないような失敗はしてはいけないよ? それだけは十分注意するように。

 え? それはよく分かっているって、なら、いいさ。今後も注意だけは怠らないようにね。

 さあ、もう帰りなさい。そろそろ夜明けが近い。もう少ししたら彼も目覚める頃だろう。最近、彼も自分自身を鍛えているようだしね。うんうん、いい傾向だよ。

 では、また来るといい。その時もまた、いろいろと話をしてくれたまえ。

 では、君と彼が更なる良き経験を積めるように願っているからね。


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