エルフのいる世界



 服を着る習慣のない──俺的予想兼願望──エルフのいる世界。

 なんて素晴らしい世界なんだろう! 俺、聖剣を手に入れて本当に良かった!

 樹の影から俺の様子を窺っている全裸のエルフのお姉さんたちを前にして、俺は心の中で喝采を上げていた。

 だって、綺麗なお姉さんたちが、全裸でいるんだよ? ノーマルな男なら誰だって喜ぶだろ? それこそ、ここに住みたいって思っちゃうぐらいにさ!

 だけど、昂ぶった俺の気持ちは一気に萎えてしまった。なぜなら、俺の脳裏に涙を滲ませつつむっとした表情の香住ちゃんの姿が浮かび上がったからだ。

 いやさ? そういう願望があるのは確かだが、今の俺と香住ちゃんは残念ながら正式な恋人関係にないよ? だから、ここで彼女にあれこれ言われる筋合いはないわけで……ないわけで……ない……ないよな?……ない……な……うん、ごめん。俺が悪かったよ、香住ちゃん。

 心の中の香住ちゃんに、同じく心の中の俺が土下座した瞬間だった。

 これが惚れた弱みって奴か。もしも俺と香住ちゃんがめでたくそういう関係になったとしても、間違いなく香住ちゃんが主導権を握るな。

 心の中の香住ちゃんに必死に謝っていると、樹の影から様子を見ていたエルフのお姉さんたちが、ゆっくりとだが俺へと近づいてきた。

 うん? 何だろう、近くでお姉さんたちの姿を見て、何とも言えない違和感が……

 警戒しつつも、俺へと近づいてくるエルフのお姉さんたち。その肌の色は薄く緑が混じった白で、髪も緑。ただし、根元の方から毛先にかけて、深みのある緑から薄い黄緑へと至る綺麗なグラデーションを描いている。

 目の色もエメラルドのような澄んだグリーンで、とっても神秘的だ。彼女たちは全員──目の前には五人のエルフがいる──頭に白い花の髪飾りを着けていた。

 あの花、何らかの意味があるのかな? 例えば、未婚の女性は頭に花を飾るとか。

 それとも……ん? おや?

 彼女たちが近づいたことでようやく気づいたのだが……そ、その、何だ、アレが……アレがないぞ?

 ほ、ほら、アレって言ったらアレだよ! 女性の膨らんだ胸の先端にそっと息づく、男の夢と浪漫と欲望が限りなく詰め込まれたアレだってば。

 彼女たちの僅かに膨らみを見せる胸──俺的には巨乳エルフなんて認めない。エルフの胸は小さいからこそ美しいと思う──の先端には、何もないのだ。

 その他にも、下半身も性別を表す肉体的特徴が見受けられない。うん、グルググたちじゃないけど、観察は大事だからね。しっかりと目の前のお姉さんたちを観察したともさ! あくまでも観察だよ? 変な下心とかないからな。

 ほっそりとした身体つきはいかにもエルフらしいとは思うが、彼女たちはどうにも中性的と言うか……いや、これって中性ではなく無性と言った方がいいのか?

 男性らしきエルフの姿を見ていないので何とも言えないが、もしかすると、このエルフたちには性別というものがないのかもしれない。

 ほら、ここは異世界だし。俺たちの常識が通じなくても不思議じゃないからね。



 俺がエルフのお姉さんたち──実際に性別があるかどうかはともかく、見た目は女性っぽいからそう呼ぶ──を観察していたように、彼女たちもまた、俺のことをじっと見つめていた。時には小声で何か囁き合っていたりもする。

 やがて何らかの話がついたのか、五人いるエルフの中から一人が俺の前へと進み出た。

「初めて見かける種族の方のようですが、この森にどのような用がおありでしょうか?」

 高く澄んだ声でそのエルフが問う。え? 初めて見かける種族? もしかして、この世界には人間がいなかったりする?

 内心であれこれと考え込む俺を、首を傾げながら見つめるエルフのお姉さん。

 彼女はぽん、と手を打ち合わせると、その顔にぱっと花が咲いたような表情を浮かべた。

「これは申し遅れました。私、エルフのフィーンと申します」

「あ、俺、水野茂樹って言います。茂樹と呼んでください」

 名乗られたので名乗り返す。うん、基本だよね。

「シゲキ……聞き慣れない響きの名前ですね。それで、シゲキはどうしてこの森に?」

 再び問いかけられた。いや、そんなこと言われても……ねえ? それより、やっぱり彼女たちはエルフだったんだな。

 あと、この世界にもエルフ以外の種族はいるようだ。フィーンさんの言葉から、何となくそう感じられた。

 ともかく、異世界から来たってことは言わない方がいいかな。ひとまずここは適当に誤魔化しておくか。

「そ、それがですね、気づいたらここにいまして……どうして自分がこんな所にいるのか、全く分からないんですよ」

 頭を掻きながら、あははーと笑って誤魔化す。ここでも奥義「笑って誤魔化せ」が発動だ。

 その奥義の効果かどうかは不明だが、フィーンさんは片手を頬に当ててやや眉を寄せた。

「まあ……もしかして、『妖精の輪』に捕らわれたのかしら?」

 妖精の輪? それってあれか? 妖精たちが夜中に輪になって踊っている時、その輪に気づかずにうっかり足を踏み入れると、別の世界──妖精たちが暮す世界へと誘われたり、呪われたりするという、伝説のあれだろうか。

 実際には菌輪とか菌環と呼ばれる自然現象で、森の中などに円環状に生えるキノコのことなのだが、その円環状に生えたキノコが、夜中に妖精たちが輪になって踊った跡とか云われているんだっけ。

 フィーンさんに詳しいことを聞いたところによると、この世界には本当に妖精の輪が存在し、そこに間違って足を踏み入れると、見知らぬ場所に飛ばされるのだそうだ。

 よし、その設定いただこう。

「おそらく、俺も気づかないうちに妖精の輪に捕まっちゃったんでしょうね」

「それはお困りでしょう。よろしければ、我らの集落へおいでになりませんか? 私たちの里には、綺麗な水が豊富にありますので」

「え? え、ええ、ご迷惑でなければ、是非お願いします」

 折角だから、ここはフィーンさんたちの好意に甘えよう。

 俺は、五人のエルフのお姉さんたちの後に続いて、森の中を歩き出すのだった。



 少し先には、ふりふりと揺れる形のいいお尻が五つもある。

 それほど大きくはなく、きゅっと引き締まったいいお尻だと思う。どちらかというと、女性の胸や尻にはある程度の大きさと形の良さを追求する俺であるが、これはこれでいいものだと断言しよう。

 目の前で揺れるお尻に思わず鼻の下を伸ばし、脳内の香住ちゃんに怒られ、歩きづらい森の中をよっこらせっこら歩くこと、大体一時間ぐらい。

 突然、視界が開けた。

「お、おお……」

 思わず、俺の口から感嘆の声が零れ出る。

 開けた視界の先には、たくさんのエルフたちがいた。

 あちこちに泉が湧き出し、その泉に裸のエルフたちが気持ち良さそうに足を浸している。あれ、足湯みたいなものかな?

 樹々が綺麗に切り拓かれたこの空間は、エルフたちの集落なのだろう。でも、集落にしては家屋などは一切見当たらないのがちょっと不思議だ。普通なら家屋がありそうなものなのに。

 それに、この空間全体に広がる、ほのかなレタスのようなキャベツのような匂い。この匂い、間違いなく葉物野菜の匂いだ。どこかで野菜を育てているのだろうか。

 この集落にいるエルフの数は、大体百人ぐらいってところか。特に何らかの仕事をしている様子もなく、ほとんどのエルフが泉に足を浸している。

 よく見れば、中には男性っぽい見かけのエルフもいるな。ただし、やっぱり身体的に性別を示す特徴はない。女性っぽいエルフとの違いと言えば、胸が平坦なことと頭につけている花飾りぐらいか。

 そうなのである。このエルフたち、男性──面倒だから普通に男性とか女性と呼ぶことにする──も頭に花飾りをつけているのだ。

 女性が白く大きな花を飾っているのに対し、男性は黄色くて小振りな花を飾っている。

 ここにいる全てのエルフたちは、その見た目が十代後半から二十代前半ぐらい。老人とか子供とかの姿は、不思議なことに全く見当たらない。

 俺が目の前の光景を見ながら内心で首を傾げていると、フィーンさんが笑顔で俺を振り返った。

「ようこそ、我らが里へ。お好きな泉に足を浸し、存分にお水をお召し上がりください」

 あれ? 何か今のフィーンさんの言葉、おかしくなかったか?

 彼女の言葉をそのまま聞くと、何となく足から水を飲め、みたいな意味にも取れるけど……気のせいだよな?

 ともかく、勧められた以上、無視するのもあれだし。俺は手近な泉へと近づき、その傍らにしゃがみ込んでみる。

 泉に湛えられた水は、とっても綺麗だ。魚などがいる様子もなく、飲んでも別に問題はなさそうに見える。

 コップやカップらしい物はないので、手で掬って試しにちょっとだけ舐めてみる。

 うん、水だな。別に変な味とかはしない。

 冷たい水が舌を刺激し、そのまま手の中の水を飲んでみた。

 水は喉に染み入るようで、水道水どころか市販のミネラルウォーターなどよりもずっと美味い。

 何の味もないただの水だけど、これほど美味い水は初めてだ。

 特に喉が渇いていたわけでもないのに、思わず何回も手で掬って水を飲んでしまった。何となく、気分は砂漠を旅した旅人である。

「ありがとうございました。この水、とっても美味かったです……あれ?」

 フィーンさんへと振り返り、水のお礼を言うが、そのフィーンさんの様子がどうもおかしい。

 彼女は目を丸くして、じっと俺を見つめていたのだ。

 俺、何かしでかした?



「……ど、動物たちのように、口から水を飲むなんて……」

 俺を見て、細かく震えているフィーンさん。

 いや、口から水を飲むって……普通でしょ? あ、でもフィーンさん、先程変なこと言っていたよな。足から水を飲め、みたいな……もしかして、フィーンさんたちって口から水を飲まないのか?

「あ、あの……俺たちは口から物を食べたり、水などを飲んだりするのが普通なんですけど……」

「ま、まあ、これは失礼を。私たちはそのようなことをしないので……この森に住む知性ある者たちは、口からものを身体の中にとり入れたりしないのです。無知なことを晒してしまって恥ずかしいですわ」

 やっぱり、彼女たちエルフは口から物を食べたり飲んだりしないようだ。

 ちなみにエルフたちからすると、口で飲食することは知性のない動物のすることで、あまり誉められたことではないのだとか。

 この辺、種族による風習や考え方の違いだね。例えば、国や地域によっては、手づかみで食事すると下品だと思われる、みたいなものだろう。

 でも、足から水を飲むって、よく理解できないぞ。確か、蝶とかは脚の先に味覚器官があるって聞いたことあるけど、さすがに脚で花の蜜とか吸うわけじゃないしなぁ。

 足から水を飲むって、まるで植物が根っこから水を吸い上げるみたいだよな。

 ん?

 あ?

 もしかして?

 先程から集落全体に漂う葉物野菜の匂いといい、足から水を飲むことといい、ひょっとするとこの世界のエルフって……

「あ、あの……フォーンさん。ちょっと失礼なお願いをしてもいいですか?」

「何です? 私にできることでしたら、別に構いませんよ?」

「あ、あのですね……ちょ、ちょっとだけフィーンさんの髪に触れてもいいですか?」

 恐る恐る俺は切り出してみた。普通であれば、初対面の女性の髪に触れるなんて失礼もいいところだからな。初対面どころか、ある程度仲良くなっても失礼ってものだ。

 実際、俺もまだ香住ちゃんのあの綺麗な髪に触れたことないし。ああ、いつかあの絹糸のような艶を持つ髪の感触を、心ゆくまで堪能したいものである。

 それはさておき、今はフィーンさんだ。俺の推測が正しければ、おそらく……

「ええ、髪に触れるぐらい構いませんよ」

 にっこりと笑いながら、俺のお願いを快く受け入れてくれたフィーンさん。

「で、では、そ、その……では、失礼して……」

 フィーンさんに近づき、ゆっくりとその髪へと手を伸ばす。いや、しかし、どの程度まで近づけばいいのかよく分からんよね。だって、フィーンさん全裸だし。でも、俺の推測が正しければ、エルフたちが全裸でも不思議じゃないってものだけど。

 そして、そっと触れたフィーンさんの髪は、思ったよりも固かった。そして、ちょっと指先に力を込めただけで、彼女の髪はぱきりという小さな音と共に折れてしまったのだ。

 まるで、細い木の枝や茹でる前のパスタが折れるような感触で。

「あ、す、すみません」

「いえ、私たちの髪はすぐに折れるので。それに、すぐに伸びてきますからお気になさらず」

 手の中に残った、数本の緑の髪の毛。それを示しつつ謝れば、またもやすんなりと許してくれたフィーンさん。

 俺は手の中に残ったその髪の毛を、自分の鼻へと近づけた。そして、俺の推測が正しかったことを悟る。

 そうだ。おそらく間違いない。

 フィーンさんたちこの世界のエルフは……植物、それも野菜に近い存在なのだろう。

 だって彼女の髪の毛からは、キャベツなどの葉物野菜みたいな匂いがしたんだ。



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