日課



 バイトから帰った俺は、食事や入浴を済ませると、ベッドの上で仰向けに横たわりながら、両手で持った聖剣をじっと見つめた。

 丁度、聖剣の向こうに部屋の天井が見える恰好だ。

 これまでにドラゴンとか変異体の熊とか巨大ムカデとか、散々ぶった斬ってきたけど、刃こぼれらしいものは見当たらない。もっとも、最初っから刃なんてないけどさ。

 それでも、刀身が曲がっているとか罅が入っているとか、それらしいダメージはないようだ。それに、ドラゴンやグリズリーの血糊で汚れている様子もなく、今日も聖剣の刀身は銀色に輝いている。

 今更だけど、一体この聖剣は何なのだろう。不思議な力を有する、謎の聖剣。

「そういや、この剣には名前があったよな。確か……カーリオンだったっけか」

 ネットオークションに出品されていた時、そんな名前が表示されていたはずだ。

 でも、そんな名前の聖剣のことを俺は知らない。神話などにも登場していないし、漫画やアニメなどにもそんな聖剣が登場する作品はないはずだ。

「この聖剣をネットで見つけた時、『聖剣カーリオン』で検索したけど、それらしいものは引っかからなかったからなぁ」

 もちろん、ネットの検索で引っかからなかったからといって、それだけで「聖剣カーリオン」という銘を持つ剣が存在しない、というわけではないだろう。だが、昨今の情報溢れるネットで検索しても引っかからなかった以上、まず同じ名前の剣が存在するとは思えない。

 しかも、この剣には実際に不思議な力がある。異世界へ行けたり、勝手に俺の身体を操るオートモードがあったりするからなぁ。

 ん? オートモード?

 ふと、その言葉が脳裏を横切った時、とある考えが浮かんだ。

 俺は今日のバイトでのことを思い返してみる。そう、あの外国人の小父さんとの会話のことだ。

 あの小父さんの英語が日本語として理解できたのは、間違いなく聖剣の翻訳機能のおかげだろう。だが、俺の言葉が英語に自動変換されていたのは、翻訳機能とオートモードが同時に働いたからではないだろうか。

 確かに、俺は異世界でミレーニアさんと会話できた。それどころか、ドラゴンとさえ会話できた。

 例えば、ミレーニアさんの言葉──あの世界の詳しい言語の知識がないので、便宜上「異世界語」と呼ぼう──を俺が理解できたのは、聖剣の翻訳機能があったからだろうけど、じゃあ、俺の言葉をミレーニアさんが理解していたのはどうしてだ?

 これまで、ミレーニアさんにも聖剣の翻訳機能が作用しているからだとばかり思っていたが、もしかして俺が無意識に異世界語を話していたからではないだろうか。

 改めて考えてみれば、俺以外の者に翻訳機能が作用すると考えるより、俺の言葉が勝手に他の言語になっていたと考える方が自然じゃないか?

 なんせ、聖剣にはオートモード──勝手に俺の身体を操る機能がある。だったら、同じように俺を操って、無意識の内に異世界語を話していたとしても不思議ではない。

「やっぱり、そっちの方が自然だよなぁ。それに、この聖剣を直接持っていなくても、オートモードは有効みたいだし……ますます分からなくなってきた」

 相変わらず聖剣を両手に持ったまま、俺は誰に聞かせるでもなくそんなことを呟いた。

 まあ、どんなに考え込んでも、この聖剣の正体が分かるわけでもない。だったら、それほど深く考え込む必要はないのではなかろうか。

 まさか、聖剣の力を使う度に魂を消費している……とかいう恐い話でもあるまい。あ、もしかして、本当にそうだったり……いやいや、そんなことはないよな、うん。

 これまで、どちらかというとこの聖剣は俺を助けてくれている。グッタングとの戦いでは、俺の意思に応えてくれたような感じさえあったんだ。

 俺としては、この聖剣が悪い存在だとはとても思えないんだよなぁ。

「はぁ……いっそのこと、この聖剣が女の子になったり、喋ってくれたりすればいいのに……そうすりゃ、この聖剣のことも分かったかもしれないのにな。うん、特に女の子になることを痛切に希望する」

 漫画やアニメなどでは、よくそんなパターンがあるのに、この聖剣にはそういうお約束はないらしい。ちくしょう。



 気づけば、いつの間にか朝になっていた。

 どうやら、いろいろと考えている内に寝入ってしまったらしい。しかも、聖剣をしっかりと抱き締めたような状態で。

 どうせ抱き締めるなら、女の子を抱き締めて眠りたかった。可能であれば、もちろん香住ちゃんがいいな。

 さて、馬鹿なことを考えていないで、起きて顔でも洗おう。そして、最近の日課になっている朝のランニングにでも行きますか。

 洗面所で顔を洗い、最近購入したトレーニングウェアに着替える。

 このウェア、早朝のランニングのために購入したのである。ちょっとした出費となったが、この方がランニングをさぼらなくなるだろうと考えてのことだ。

 出費となった以上は、ランニングを続けないと勿体ないからな。俺は物を無駄にしない人間なのである。

 着替えた俺は、早速ランニングに出発する。

 コースは近くの河川敷を通り、1.5キロほど離れた公園で折り返して再び同じコースを戻ってくるもの。

 早朝の河川敷はとても気持ちよく、俺と同じようにランニングしている人や、犬の散歩をしている人などがいて結構おもしろい。

 中には既に挨拶を交わし合う人もいて、それもランニングの楽しみとなっていた。

 後は聖剣を振ることを考えて、素振りとかもしたいところだけど……さすがに聖剣で素振りするのはちょっと目立つかと思って自粛している。

 今度、素振り用に木刀でも買おうかな? そういや、木刀ってどこで売っているんだ? 観光地の土産物屋でしか見たことないぞ、俺。スポーツ用品店とかに行けば売っているかな?

 そんなわけで、今は腕を鍛えるために折り返し地点の公園の高鉄棒で、懸垂をしている。

 実はこれ、以前にどこかのお爺さんがひょいひょいと軽くやっているのを見て、俺も真似してみたのである。しかし、実際にやると結構キツいよな、これ。

 これを軽くやっていたあの爺さん、一体何者だろう。もしかして、昔はアスリートとして有名な人だったりして。

 最初は数回しかできなかった懸垂も、今ではそこそこできるようになった。現時点の目標は連続百回である。まだまだ遠い目標だけどね。

 公園で自己流のトレーニングを済ませると、ちょっと休憩して自宅へと戻るコースを再びランニング。これまた途中で挨拶などを交わしながら自宅へ到着すると、時間は七時ちょっと過ぎ。

 うん、タイムも縮まっているな。以前は同じコースで戻って来るのが七時半ぐらいだったんだ。

 まあ、最初の頃は折り返し地点の公園で結構長めに休憩していたので、それも遅くなった理由の一つだろうけど。

 ランニングから帰った後は、シャワーを浴びて朝食を摂る。最近はランニングのおかげか、朝食の量が増えた。やっぱり、朝食は一日の基本だよね。その代り、晩飯の量をちょっと減らしている。

 後は寝るだけの晩飯より朝食の量を増やした方がいいと、以前にどこかで聞いたことがあったからだ。

 そのせいかどうか分からないけど、最近は身体が軽いような気がする。これなら、少しぐらい聖剣に身体を使われても、筋肉痛にならずに済むかもしれないぞ。

 そう言えば、そろそろ大学も夏季休暇だな。夏季休暇になったら、これまで以上に異世界へ行けそうだ。

 もっともバイトもあるので、そうしょっちゅう異世界へ行くことはできないだろうけど。

 できれば夏季休暇中ぐらいは、二十四時間ぐらいは異世界に滞在したいものである。

 まあ、それよりもバイトの時間を上手く調整して、異世界へ行ける時間を捻出する方が重要だよな。

 今日バイトへ行ったら、店長と夏季休暇中のスケジュールについて相談してみよう。



 瞬く間に一週間が経過して、いよいよ夏季休暇が間近に迫ってきた。

 とは言え、その夏季休暇の前には学期末の定期試験がある。この試験で下手をうつと、夏季休暇後半に追試を受けなくてはならない。そうならないように、今日まで計画的に勉強してきたんだ。

 最低限、追試を受けずに済むぐらいの点数は確保しておかないと、夏季休暇を安心して楽しむことができないからな。

 さて、学期末定期試験も大事だが、それよりも今は異世界へ行くことを考えよう。

 学期末の試験を理由に、バイトも何とか土日の休みをもぎ取った。その代わり、夏季休暇に入ったら結構ハードなバイトスケジュールになりそうだ。でも、そこに後悔はない。うん。

 学期末の試験が控えているのは本当なので、本日の異世界行きは見送ろうかとも考えたけど、結局強行することに。その代わり、異世界から帰ってきたら集中して勉強しよう。

 いつもの異世界行きの装備に身を固め、両手で聖剣を構える。

 聖剣の充電はばっちり。宝珠の青い輝きが今日も眩しい。

 果たして、今日これから行く世界はどこだろう。これまでに行ったことのある世界か、それとも全く新しい世界か。

 最近、この瞬間がとても楽しくて仕方がない。このどきどきとした高揚感、うまく言葉では言い表せないな。

 逸る気持ちを抑え込みつつ、俺は聖剣の宝珠を押し込む。いつものように宝珠から光が溢れだし、その光が消え去った時には俺は全く見知らぬ場所にいた。

「……森の中……?」

 そう。

 周囲は見渡す限りの樹、樹、樹。どこかの深い森の中って様子である。

 当然、辺りに道らしきものは何もない。あるのはひたすら樹木ばかり。時々、どこからか鳥や獣の鳴き声が聞こえてくる。

 さて、どうしようか。

 前回の地底世界の時もそうだったけど、まずは行動の指針を決めないとな。

 とはいえ、見渡す限り樹しかないここでは、どう行動したらいいのか分からない。それでも、時間が来れば元の世界に戻れることは分かっているので、気持ち的には楽なものである。

 あ、そうだ。今回も今の内に、スマホのアラームをセットしておこうか。

 今から十四時間後にアラームが鳴るようにセットしよう。スマホで時刻を確認すれば、今は午前八時十三分。よって、セットする時間は午後の十時。細かい時間は無視してもいいだろう。

 これでよし。後はアラームが鳴るまで気長に周囲を探索するだけだ。

 そう思って改めて周囲を見回した時、木々の影からじっと俺を見つめる視線があることに気づいた。

 誰かいるのか? 咄嗟に腰の聖剣に手を伸ばしながら、その視線の主へと俺も目を向ける。

 そして、びっくりした。本当にびっくりした。

 だって、俺を見ているのは、数人の女性たちだったのだ。しかも、全員が全員、すっげぇ美人ばかり。

 緑色の長い髪と、そこから伸びる長く尖った耳。うん、俺、彼女たちを知っているぞ。

「……エルフ……?」

 最近のファンタジーものの定番と言ってもいい、エルフである。きっとそうだと思う。

 そのエルフたちが、物珍しそうにじっと俺を見つめているのだ。しかも、なぜか彼女たちは……全員全裸だった。

 そう、全裸なのである! 身体のあんなところやこんなところを隠す素振りもなく、エルフたちはじっと無言で俺を見つめている。

 どうして彼女たちは全裸なんだ? も、もしかして、この世界のエルフには衣服を着る習慣がない……とか?

 現代の地球にも衣服を着ない習慣の人たちだっているわけだし、異世界の異種族が裸族であっても不思議じゃない。

 だ、だとしたら……こ、ここはなんて素晴らしい世界なんだ!

 俺、ここに永住してもいいな!



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