増えた謎



「……また、筋肉痛ですか?」

 どことなく呆れたような様子の香住ちゃん。うん、そう言われると凹むから止めて欲しい。特に香住ちゃんに言われるとダメージ増大だから。

 人気の少ない時間帯、一緒にレジに立ちながら俺たちは言葉を交わす。

 巨大で賢いダンゴムシたちが暮す地底世界から帰還して、今日で早四日目。ようやく筋肉痛も収まってきていて、こうしてバイトしているわけだ。

「今度は何をしたんです?」

「い、いやちょっと……ムカデを二百匹ばかり退治してね」

「はあ?」

 香住ちゃんの綺麗なラインを描く眉がきゅっと寄る。うん、普通なら信じないよね。しかも、そのムカデってのが五メートル以上あったんだ。嘘じゃないけど、信じてもらえるとも思えないよな。

「よく分かりませんけど、少し本格的に身体を鍛えた方がいいんじゃないですか?」

「うん、俺も切実にそう思っているところだよ」

 異世界に行く度に筋肉痛になるのは、マジで勘弁して欲しい。でも、ジムに通うような資金もないし。ほら、聖剣を落札するのに貯金注ぎ込んじゃったし。

 子供の頃からこつこつ貯めたお金とか、一人暮らしする際に、万が一のためにと父親がこっそりくれたお金はあるが、できればそれらには手を付けたくないんだ。

 多少の仕送りは親からしてもらっているが、自分の我が儘で遠方の大学に通う以上、可能な限りは自分で稼がないとな。

 異世界から持ってきた物で、手軽に稼げればいいけど……そういや、邪竜王の宝だった宝石とか腕輪とかがあったっけ。

 でも、あれってセレナさんの様子からして相当値打ち物みたいなので、学生でしかない俺がどこかの宝飾店へと持ち込んだ場合、すっげえ怪しまれそうだ。

 かと言ってネットなどで売るにしても、俺には宝石や装飾品の相場が全然分からない。あまりにも設定した値段が高すぎたり低すぎたりすると、それこそ怪しまれたりしないだろうか。

 ほら、ネットなんて誰が見ているか分からないから、その辺も恐くてネットで売ることは控えているのである。

 万が一、警察などの目に止まって捜査され、宝石や腕輪の入手ルートを尋ねられた場合、説明のしようがない。

 そのため、宝石や腕輪はいまだに俺の部屋の押し入れの奥で、拳銃とかのヤバめのブツと共に慎重に保管中である。

 まあ、また異世界へ行く時には、しっかりと持っていくつもりだけどさ。



 その後はレジでお客さんを捌いたり、商品出しをしたり。まあ、いつものバイトと仕事内容は変わらない。けど、レジでお客さんとちょっとした世間話をするのは、やっぱり楽しい。これがあるからこのバイトをしているようなものだしな。

 もちろん、お客さんの中にはお得意さんもいれば、初めての人もいる。時にはクレームをつけてくるやっかいな人だっていないわけではない。

 それでも、誰かと接することが俺は好きなんだ。自分で言うのも何だけど、見知らぬ人とだって普通に会話できるし、誰かと親しくなるのは得意な方だし。クレームをつけてくる人だって、誠心誠意話せば大抵は納得してくれるしな。まあ、中には最後まで納得せずに、怒ったまま帰っていく人もいるけど、それはどちらかと言えば少数派だ。

 時にはお客さん──特に年配の方たち──から、「いつもご苦労さんだねぇ」と言われて飴なんかをもらうこともある。この前なんて、「本とか好き? これ、もう私が読んじゃった奴だけど、良かったらもらってくれるかねぇ? いらなければ、捨てちゃっていいからね」と、お得意さんである川北のお婆ちゃんから小説をもらったっけ。

 俺も読書は嫌いじゃないので、ありがたく頂戴しておいた。いやー、あれは得したよな。丁度、読みたいと思っていたシリーズ物の一番最初の巻だったのだ。

 このことは店長や他のバイト仲間たちも知っていて、感心されるやら呆れるやらだ。

「水野くんって、ほんっとうに接客業、向いているよねー」

 と、店長にしみじみと言われた。うん、自分でもそう思う。将来はやっぱり接客するような仕事に就こうかと、真面目に考える今日この頃である。

 さて、いつものようにバイトを終え、家に帰ろうかと思っていたら、不意に店長に呼び止められた。

「ねえ、水野くん。今週はバイト、入れられるのかな?」

 その声に振り返れば、事務室の椅子に座る店長の姿があった。

 年齢は三十歳過ぎぐらいだろうか。長くて綺麗な黒髪と、日本人離れした白い肌、そして虎目石のような茶色の双眸。それもそのはず、店長は父親がイギリス人、母親が日本人のハーフだそうだ。

 母親がこのコンビニの系列会社の結構なお偉いさんだそうで、本来なら店長もそちらに勤務するはずだったのに、何を思ってか現在のように一店舗の店長に収まったらしい。

 とまあ、何を考えているかイマイチ掴めない人だけど、これで仕事はしっかりとやる人だし贔屓とかもしない人なので、バイト仲間たちからは結構人望があったりする。

「それがねー、予定していた田中くんが急用らしくてさ。代打で入ってもらえると助かるんだけど」

「ああ、いいですよ。そういや、田中が何か言っていましたね。実家のお爺さんが倒れたとかどうとか」

「うん、そうらしいね。詳しいことは聞いていないけど、命に関わるような緊急性のあるものではないらしいから、その辺は安心しているんだけどね」

 椅子に座ったまま手をひらひらとさせる店長。日本人離れしたその容貌からか、店長がそういうことをすると妙に様になるんだよな、これが。

「そういう水野くんも、最近週末はよく休むよね? もしかして、彼女でもできたのかい?」

 って、店長っ!? 急に変なこと言わんでつかーさい! ほら、今は事務所内に香住ちゃんだっているんだし! 香住ちゃんに変な誤解されたらどーすんだよっ!? 実際、香住ちゃんがじーっと俺を見ているし!

 こ、ここはひとつ、俺には彼女なんていないことを、しっかりと香住ちゃんにアピールしなければ!

「い、嫌だなぁ、店長ったら! 俺に彼女なんてできるわけがないじゃないッスかー」

「あはははは、それもそうだねー」

 おいこら、店長。そこは「そんなことないでしょ? 君なら彼女の一人や二人ぐらいいても不思議じゃないよねー」って返すのが社交辞令ってものじゃね? 完全に否定すんなよ。事実だけど、事実なだけに悲しくなるじゃないか。

 複雑な気分で店長の向こう側にいる香住ちゃんをちらりと見れば、彼女はもう俺を見ていなかった。

 でも、俺の気のせいかもしれないけど、何となく口元が綻んでいるようにも見えなくもない。

 あ、あれ? これってもしかして……もしかする? ここはもう少しアグレッシブに香住ちゃんを攻めるべきかも?

 まあ、それはともかく、今週末は異世界に行けそうもないな。ここは大人しくバイトに性を出すとしましょうかね。確か、今週末は俺と香住ちゃんのシフトは少し重なっていたはずだし。

 よし、ここは彼女との距離を縮めるためにがんばろう。うん。



 そして、週末の土曜日。

 夕方になってから、バイト先であるコンビニに顔を出す。もちろん、今からバイトの時間なのである。

「ちーっす」

 いつものように軽く挨拶しながら店内へ。

「あ、み、水野さんっ!!」

 と、いきなり名前を呼ばれた。しかも、結構切羽詰まっているっぽい声で。更には、この声の主は香住ちゃんに間違いない。

 彼女の身に何かあったのか? と慌てて視線を声の方に向けると、レジの前で大柄な外国人のおっさんが何やら捲し立てていた。

「……だから、このお金で買える食べ物の中で、お勧めの物を見繕って欲しいんだ。日本の食べ物は美味しいと聞いたが、どれが一番美味しいのかオレには分からないからね」

 はぁ、なるほど。時々いるんだよな、こういう外国人。

 見れば、その外国人の手には五千円札が握られている。つまり、五千円以内で美味しい物を見繕えばいいんだな。

 でも、この外国人の小父さんは流暢な日本語を喋っているし、別に問題なさそうだけど……香住ちゃん、どうして困った顔でこっちを見ているんだ?

「ああ、すみません、俺、ここの店員なんですけど、俺が見繕いましょうか?」

「おお、君は言葉が分かるんだね? では、君に頼むよ。とびっきりのお勧めをお願いしようかな」

 オーバーアクション気味に身体を動かしつつ、小父さんが嬉しそうに笑う。いや、そりゃあ言葉分かるよ? だって小父さんの日本語、めっちゃ上手いし。

 俺はスイーツやお菓子などの中から、予算内で売れ筋の商品を幾つか見繕い、それをレジにいる香住ちゃんに渡す。香住ちゃんは感心したように俺を見ると、てきぱきと手際よく商品をレジに通し、小父さんから代金を受け取った。

「いやー、助かったよ、君。君が居合わせてくれたから、こうしていい買い物ができた。商品の味の方も期待できそうだよ」

 機嫌良さそうに俺と握手をする小父さん。うん、こういう楽しいイベントが時々あるから、このバイトは止められないんだよな。

 何度も手を振りながら帰っていく小父さんを見送り、俺はコンビニの制服に着替えるためにレジ奥にある事務室へと向かう。

 と、その途中でレジにいる香住ちゃんから声をかけられた。

「あ、ありがとうございます、水野さん。おかげで助かりました。でも、水野さんがあんなに英語が上手だったなんて、私知りませんでしたよ?」

「へ? 何のこと?」

「だってさっき、あの外国人の人と英語で話していたじゃないですか。私、あの小父さんの言葉が英語ってぐらいしか分からなくて……でも、水野さんはしっかりと小父さんの言葉を理解し、ぺらぺらーって英語で返事するし……私、びっくりしました!」

 へ? 英語? 俺、英語なんて得意じゃないよ?

 俺は内心で首を傾げるが、香住ちゃんは憧れるような視線をじっと俺へと向けてくる。

「今度、私にも英語、教えてくださいね?」

「あ、ああ、うん、いいとも。これでも俺、一応大学生だから……ね」

 適当な相槌を打ちながら、俺は香住ちゃんの言葉をじっと考え込む。

 彼女の口振りからして、さっきの小父さんが話していたのは日本語ではなく、英語だったらしい。でも、俺には確かに日本語に聞こえていた。

 しかも、俺の返事もまた、英語になっていたようだ。当然、俺は自分が喋ったのは日本語だ。俺の英語力なんて、日常会話だって怪しいレベルだし。

 それなのに、俺以外には俺の言葉が英語に聞こえていたようだ。いや、無意識に俺は英語を話していたのだろう。あの小父さん自身が「君は言葉が分かるんだね」と言っていたことだし、それは間違いない。

 一体、どういうことだ?

 あ、ひょっとして……俺の脳裏に浮かんだのは、もちろんあの聖剣である。あの聖剣の能力の一つ、「自動翻訳機能」。

 その機能が働いたとすれば、俺が無意識に英語を理解し、外国人の小父さんとコミュニケーションが取れたのも納得できる。

 なんせあの翻訳機能は、英語どころか異世界の言葉やグルググたちの光言語まで翻訳可能だったことだしな。

 だけど、当然ながら今の俺はあの聖剣を持っていない。瑞樹のいる世界じゃないんだから、あんな剣を持ち歩いていたらお巡りさんにご厄介になってしまう。

 今頃、あの聖剣はタオルでぐるぐる巻きにされたまま、俺の部屋の押し入れの奥にあるはずなのだ。

 もしかして……聖剣本体を持ち歩いていなくても、聖剣の能力は俺に影響したままってこと?

 何か、またあの聖剣の謎が増えちまったな。

 ホント、あの聖剣って一体何なんだろう? 改めてそう思い、心の中で溜め息を吐き出す俺であった。



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