ダンゴムシのいる世界



 前回の異世界転移から、二週間が経過した。

 先週はどうしても週末にバイトを入れなければならず、異世界へ行くことができなかったのだ。

 その代わりと言っては何だが、香住ちゃんとはあれこれいろいろな話ができたので、これはこれで良かったと思う。

 スマホで撮影しておいた聖剣やマイナイフの写真を見せたところ、彼女は凄く興味を持ったみたいだった。いつか実物を見たいと言っていたので、もしかするといよいよ我が部屋へお招きできるかもしれないな。

 そんな期待も抱きつつ、今は土曜日の早朝、時間にして午前六時過ぎだ。

 先週から梅雨入りして、最近はすっきりしない天気が続いているので、ここはひとつ、異世界で思いっ切り太陽の光を浴びてこようと思う。

 果たして、これから赴くのはどの世界だろう。ミレーニアさんのいるファンタジー世界か、セレナさんのいる近未来世界か。それとも、瑞樹のいるもうひとつの日本か。

 いつものように、今の俺は異世界用の装備に身を固めている。ただし、拳銃と予備マガジン、それを収めるホルスターやハーネスはリュックの中だ。もしかしてもう一つの日本に転移してしまうと、聖剣やナイフはともかく拳銃を持っているのはちょっとヤバいからな。あの世界でも、さすがに拳銃の所持は許されないようだったし。

 そして、前回瑞樹に指摘された通り、転移は早朝に行うことにした。これまでの経緯から推測するに、大体午後の八時か九時頃にこちらの世界に戻れることになる。つまり、今日一日は異世界を堪能できるってわけだ。

 さあ、そろそろ行こう。折角休日に早起きしたんだし、時間は有効に使わなくっちゃな。

 最後にもう一度持ち物を点検し、忘れ物がないことを確認した俺は、聖剣の宝玉を押し込むのだった。



 激しい光が収まり、俺は周囲を見回した。

 周囲には赤茶けた荒野がどこまでも広がっていた。うわ、地平線が見えるよ。俺、地平線なんて初めて見たぞ。

 所々に岩山や枯れた樹なども見えるが、基本的に何もない赤い荒野が広がっている。どうやら、視界内に生き物らしき影もない。

「どこだよ、ここ……」

 聖剣を手にしたまま、俺は呆然と呟く。見たところ、過去に来たことのある世界ではなさそうだけど……仮にここがミレーニアさんのいる世界だとしても、当然ながらその世界は相当広いわけで、あの世界にこんな荒野が広がっている場所があったとしても不思議ではないけど……なんとなく、ここはミレーニアさんやビアンテがいる世界じゃないような気がする。何の根拠もないけどさ。

 よし、まずは誰かと接触して情報収集をしないと。とりあえず水と食料はあるし、仮に誰にも出会わなかったとしても、時間が経過すれば元の世界に戻れるわけだし。

 再度周囲を見回し、聖剣を鞘に収めて遠くに見える岩山を目印に歩き出す。岩山を目印にしたのは単なる思いつき。ってか、それぐらいしか適当な目印がなかったんだ。

 時折荒野を風が吹き抜けていくが、乾ききっていてとても埃っぽい。風に飛ばされた砂が目に入らないように注意しつつ、俺はのんびりと歩いていく。

 相変わらず、周囲に生き物の気配は皆無。ただただ、無人の荒野を風が吹き抜けるばかり。

 腕時計で時間を確認しつつ歩き続け、一時間も歩いただろうか。目印にした岩山はまるで近づいた様子を見せず、相変わらず遠くに存在していた。

 一体、あそこまでどれぐらいの距離があるんだ? もしかして、ここは誰もいない世界なのだろうか。いや、「誰」どころか「何」もいない世界かも。全く変化の見えない光景に、いい加減うんざりし始めた時。

 不意に、足の下に震動を感じた。震動と言ってもそれほど大きなものじゃない。だが、確かに足元に揺れを感じる。

 もしかして、地震か? そう思って思わず身構えた俺の足元が、ぼこりと隆起した。

 その場から慌てて飛び退く。そして、直前まで俺がいた場所の地面を突き破り、地上に現れたものがいた。

「…………だ、ダンゴムシ……?」

 そう。

 それはダンゴムシにそっくりだった。段々に別れた丸みのある身体は頑丈そうな甲殻に覆われ、その身体の下には無数の脚。そして、頭部らしき場所から伸びた一対の触角のようなヒゲ。

 どこからどう見てもダンゴムシだ。ただし、その大きさは軽自動車ぐらいあるけど。

 その巨大ダンゴムシは、頭から伸びた触角らしきものをひくひくと動かしながら、もぞもぞと周囲を見回すように動き回っている。

 そして、ダンゴムシの目というか複眼──意外と釣り上がっていた──が、俺の方へと向けられた。

 思わず、じっと見つめ合ってしまう俺と巨大ダンゴムシ。

「え、えっと……危険……じゃないのかな……?」

 確か、ダンゴムシって雑食じゃなかったか? 枯れ葉や野菜、そして小動物や昆虫の死骸も食べるって聞いたけど……もしかして、俺って食料に認定された?

 警戒して思わず身構える。だけど、これまでのように身体が勝手に動くことはない。ってことは、危険はないのか?

 油断なくダンゴムシを見つめる。と、巨大ダンゴムシの触角らしきヒゲがみにょんと伸び、その先端を俺へと向けた。

 そして、その先端がぴかぴかと光を点滅させる。同時に、俺の頭の中に言葉らしきものが流れ込んでくる。

【見たこともなき生き物だな……しかし、脚が四本しかないとは……何と不格好な生き物か】

 えっ!? な、何コレっ!? も、もしかしてテレパシーって奴っ!? この巨大ダンゴムシ、テレパシーが使えるのかっ!? しかも俺、ダンゴムシに憐れられたっ!?

【む……よく見れば、上の二本の脚の先が細かく別れているな……ふむ、実に興味深い。このような形状の脚は初めて見る】

 またもダンゴムシの触角がぴこぴこと輝くと、俺の頭の中に言葉が流れ込んできた。やっぱり、これってテレパシー?

 理解できないことの連続に戸惑っていると、巨大ダンゴムシがもぞもぞと俺の方へと近づいてきた。

【見たところ、発光器を備えていない生物か……これでは「会話」は不可能か?】

 え? は、発光器? 会話? もしかしてこのダンゴムシ、あのぴかぴか光る触角で「会話」しているってこと?

 そういや、ホタルは光で仲間とコミュニケーションを取るって聞いたことがある。つまり、このダンゴムシは言葉ではなく光で「会話」しているのかも?

「あ……ひょっとして、あの光の点滅が『言葉』だとすると……頭の中に流れ込んできたのはテレパシーじゃなくて……」

 俺は腰の聖剣へと目を向けた。ダンゴムシの光による「会話」が理解できるのは、テレパシーじゃなくて聖剣の翻訳機能ってことか? 相変わらず、不思議能力満載だな、この聖剣。

 でも、聖剣の翻訳機能が作用しているってことは、俺の言葉も巨大ダンゴムシに伝わるかもしれないな。よし、試してみよう。

「あ、あの俺、水野茂樹って言います。ちょっとわけあって、この辺りを旅している者ですが……」

 ダンゴムシに向かって話しかけてみる。いや、いくら巨大とはいえダンゴムシに話しかけるなんて、端から見たら危ない奴にしか見えないよな。

 と、俺の言葉に合わせるように、腰の聖剣の宝玉がぴかぴかと点滅する。お、やっぱり翻訳機能が働くようだ。

【む、そんな所に発光器を備えていたのか。これは失礼した、旅の者よ。我はグルググのジョバルガン。以後、お見知りおき願いたい】

 この世界の「人類」である巨大ダンゴムシ──グルググのジョバルガンと俺の、これがファーストコンタクトだった。



 乾いた風が吹き抜ける赤い荒野で、俺とジョバルガンは互いのことを話し合った。

【なんと、異世界からの旅人とは……俄には信じられない話だが、シゲキのその姿を見れば納得するしかないな。君のように細くて脚の少ない生き物は、この世界には存在しないからな】

 何か、変なところで納得されちゃったよ。ジョバルガンの話を聞くに、この巨大ダンゴムシがこの世界の「人類」に相当するらしい。

 人間だって猿から進化して今の姿になったんだ。異世界ならダンゴムシが進化した「人類」がいても不思議じゃないよな。

 この巨大ダンゴムシ……いや、グルググは、とにかく温厚で思慮深い。

 何よりもまず考える。よく観察する。そして、じっくりと考えた末に行動に移すらしい。

 現に今も、ジョバルガンは俺の周囲を動き回り、俺のことを無遠慮に観察しているようだ。ちょっと居心地悪いけど、これもまた異文化交流って奴だろう。うん。

【柔らかそうな身体に少ない脚。それに身体のバランスも良くはなさそうだな。こんなにバランスの悪い身体では、すぐに転んでしまうのではないか?】

 そりゃあ、転ぶ心配はほぼないダンゴムシに比べたら、人間なんてひょろひょろで転びやすい生き物だろうなぁ。

【ふむ、実に興味深い。異世界にはこんな不思議な生き物が棲息しているのか】

 いや、不思議なのはそっちも同じだよ。まあ、この世界ではダンゴムシが基準だろうから、人間が不思議な生き物に思えるのも当然か。

【して、君たちはどのような物を食べるのかね? やはり、土や岩か? それとも、他の生物の死骸か?】

「いや、さすがに土や岩は食べないから。それに他の生物の死骸も……あれ?」

 考え方によっては、普通に店で売られている肉や魚だって「他の生物の死骸」だよな。ってことは、俺たちだって他の生物の死骸を食べていることになるんじゃね?

【どうかしたかね、シゲキ? 急に黙り込んで……いやいや、考えるのを中断させて悪かった。つい、君という未知の生物に対する好奇心が勝ってしまったようだ】

 ふむ、どうやらグルググにとって、他者の考えを遮るのは誉められた行為ではないようだ。

 好奇心が強いって特徴は彼ら全般に言えることなのか、それともジョバルガンの個人的な特徴なのか。こっちも、目の前の巨大ダンゴムシに対してとても興味深いよ。

【さて、いつまでも地上で話し込んでいてもな。どうだろう、君を我が家へ招待したいのだが?】

 へえ、ジョバルガンにも家があるのか。どんな家だろう。折角だし、招待を受けてみよう。

 俺が彼の招待に応じることを告げると、触角がぴょこぴょこと激しく上下した。もしかして、あれが彼らの「喜び」の表現なのかも。

【おお、それは喜ばしい。我が家に異世界からの客人を招くことができるとは。これは我らグルググにとって、興味深い一歩となるだろう】

 頭に響くジョバルガンの声には、嬉しそうな響きはない。これはあくまでも聖剣が彼の「言葉」を翻訳しているからか。言ってみれば、機械音声のようなものだしな。

 触角をぴょこぴょこさせていたジョバルガンが、おもむろに地面に頭を突っ込み、そのまま潜っていく。あっと言う間に姿を消してしまった彼を、俺は呆然と見送ることしかできない。

「え、えっと……もしかして、ジョバルガンの家って……つ、土の中なの?」

 呆然と呟く俺。どうしたものかと迷っていると、再び土がぼこりと盛り上がり、中からジョバルガンが顔を出した。

【どうした? なぜ、私の後について来ないのかね? もしかして、君は土の中に潜れないのか?】

「潜れるわけねえよっ!!」

 やっぱり相手はダンゴムシだ。いろいろと常識が違いすぎる。

 思わず叫んでしまったけど、俺、悪くないよね?


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