〈鬼〉のいる日本
その夜は、瑞樹の部屋にそのまま泊めてもらった。
若い女性が同じ年頃の男を泊めてもいいものか、と聞いたが、
「へー、茂樹って、『自分』に欲情するようなナルシストだったんだぁ?」
と、にまにまとした笑顔で言われた。確かに、瑞樹って顔も結構可愛いし、身体の方なんてモロ好みだが、そういう欲情は不思議と湧いてこないんだよなぁ。やっぱり、相手が自分だからだろうか。
そんなわけで、俺は彼女の部屋で一夜を明かしたわけだ。とはいえ、ベッドは瑞樹が使うので、俺は毛布を借りて床で寝たけど。
そして、俺はよく似たもう一つの「日本」で朝を迎えた。
「……おまえさぁ」
「……何よ?」
今、俺と瑞樹は二人でアパート近くのコンビニに来ている。ちなみに、バイト先とは別のコンビニだ。
ほら、自分の勤め先に客として訪れるのって、何となくアレじゃない?
そして、なぜ俺たちが朝っぱらからコンビニに来ているかと言うと……瑞樹の奴、料理がほとんどできないらしい。そのため、朝食を買いに来たわけだ。
俺はと言うと、少しぐらいは料理もできる。一人暮らしをしている以上、自炊した方が経済的だからな。
料理をしない瑞樹は、食材のストックもほとんどなかった。食材があれば泊めてもらったお礼に俺が何か作っても良かったが、食材がなければそれも無理ってものだ。
「少しぐらいは料理、覚えたら? コンビニの弁当や外食ばかりじゃアレだろ? それに、自炊すると安くつくぞ?」
「そ、それは分かっているけど……昔っから料理って苦手なのよ」
ぷくっと頬を膨らませ、ぷいっと視線を明後日の方へと飛ばす瑞樹。うーん、こんなところは俺と似ていないな。
コンビニの中は、早朝だというのに結構客がいた。きっと俺たちと同じように、朝食を買いに来ているのだろう。
最近のコンビニは安くて美味いコーヒーがあるので、そのコーヒーを買うついでに何か買っていく客も多い。実際、俺がバイトしている時もそんな感じだし。
「それより……瑞樹の言っていたことは本当だったんだな」
「でしょ? 聖剣を持ったまま外を歩いても、『こっち』では誰も変に思わないのよ」
そう。今の俺は、さすがに拳銃こそ持ってはいないものの、聖剣とナイフは腰に佩いたままなのである。それどころか、俺の隣にいる瑞樹もまた、聖剣よりは短い脇差のような刀を腰にぶら下げていた。
「こっちの世界では、外出する時に刃物を所持するのは常識なんだから」
そうなのである。俺たちだけではなく、コンビニに来ている客たちや、コンビニで働いている人たちもまた、大小様々な剣類を持ち歩いているのだ。
総じて、男性は大きめの剣を、女性や子供は小さめな剣かナイフを。剣と言っても日本刀もあれば、俺の聖剣のような西洋剣もある。
しっかし、スーツを着たサラリーマンらしき男性が、腰に日本刀を下げているのはちょっと違和感だな。
とはいえ、これがこちらの常識なのだという。もちろん、それには理由があった。
こちらの「日本」……いや、こちらの「世界」には、〈鬼〉と呼ばれる存在がいるのだ。
〈鬼〉と言っても昔話などに登場するあの鬼ではない。実体を持たない幽霊のような存在で、人に取り憑く怪物である。
〈鬼〉に取り憑かれた者は、〈鬼〉に生命力を吸われて徐々に衰弱し、やがて死に至る。そんな恐ろしい怪物だが、対処する方法もまた、昔から確立されていたのだ。
その対処方法こそが、「金属製の刃物を持ち歩く」ことである。
詳しい理由は分かっていないらしい。〈鬼〉は実体を持たないため、捕まえて研究することができないからだ。
実体を持たないから、閉じ込めることもできなければ、解剖などで調べることもできない。そのため、昔から各地に存在するのに、〈鬼〉に関する詳しいことはほとんど分かっていないのだという。
分かっているのは、〈鬼〉はどこにでもいることと、人に取り憑くこと、そして取り憑かれた者は遠からず死に至ること。
瑞樹と一緒にこのコンビニに来るまでにも、ふわふわと空中を漂う影のようなものを一度だけ目撃した。あれこそが〈鬼〉らしい。
金属製の刃物は、〈鬼〉を遠ざける。実際、途中で遭遇した〈鬼〉も、俺たちに気づくと──正確には俺たちが持っている刃物に気づくと──慌てて逃げていったし。
ただ、確かに〈鬼〉は刃物を嫌うが、だからといって刃物でダメージを受けるわけではないとか。実体を持たないので、刃物で斬ることはできないからだろう。
そして最も重要なことは、一度〈鬼〉に取り憑かれたら、憑依された者の身体から〈鬼〉を追い出すことはできないことだ。
これまで様々な方法が試されたが、結局〈鬼〉を祓うことに成功した例はないという。
だからだろう。人々が外出する時、必ず刃物を持ち歩くのは。刃物さえ持っていれば、〈鬼〉に取り憑かれることはないからな。
小さな子供が、自分が持っていた刃物で怪我をすることは確かにあるそうだが、それでも〈鬼〉に憑かれるよりはマシ、と考えるのがこちらでの一般常識らしい。
そして、この世界の家々では魔除けとして、家の中の所々に刃物を置いたり飾ったりする。
中には飛行機のように刃物を持ち込めない場所もあるが、そのような場所には壁や柱などに刃物が取り外せないようにがっちりと固定されているか、その場所のスタッフが刃物を携帯することで〈鬼〉を遠ざけることができるってわけだ。
実際は、カッターナイフをポケットか鞄の中に入れておくだけで効果があるそうだが、見える所に刃物を持つというのが、こちらの世界のファッション感覚らしい。俺にはよく分からないけど、ここだって異世界だ。理解できないことがあっても不思議ではないよな。
コンビニでの買い物を終え、帰路へとついた俺たち。そこでもふわふわと宙を漂う〈鬼〉を目撃した。もしかして、あれってさっき見た〈鬼〉かもしれないな。
「……なんか、鬱陶しいなぁ」
「そう? 私は別に何とも思わないけど。刃物を持っていれば恐くないし、何よりこれが普通だし」
そういうものかもしれない。俺にとって〈鬼〉は見慣れない鬱陶しく思える存在でも、物心ついた頃から常に見ているこの世界の人にとっては、〈鬼〉はそこにいて当然のものなのだろう。
例えば、俺の視界の隅を雀が横切ったとしても、それほど気にはならない。それと同じような感覚なのではないだろうか。
「そういや、〈鬼〉って人間以外にも憑くのか?」
「ううん、〈鬼〉は人間にしか憑かないわ。他の動物に憑いたって話は聞いたことないわよ」
人間は刃物を持っていて近づけないし、他の動物には取り憑かない。では、〈鬼〉はどうやって生きていけるのだろうか。
そんなことをふと思うが、この世界でもいまだに未知の存在のことなど俺に分かるわけがないので、深く考えるのはやめることにした。その方が建設的だしね。
〈鬼〉について考えるのをやめた俺は、瑞樹とあれこれ話しながら歩く。やはり同じ「俺」だけあって、妙に瑞樹とは気が合うんだよな。同じ「俺」だからこそ反発する、って可能性もあるかもしれないけど、瑞樹も俺のことを嫌っている様子はないし、俺たちの場合は反発するタイプじゃなさそうだ。
やはり、話題になるのは家族のことや過去のことだ。さすがに全ての記憶が一致するわけではないが、それでも重なる部分も多い。弟や妹、そして自分自身の過去の失敗談で俺たちは大いに楽しんだ。
と、そんな時だった。突然、俺たちに声をかけてきた人物が現れたのは。
「あれ? 瑞樹さんじゃないですか? え? えええええっ!? み、瑞樹さんが男の人と一緒に歩いているっ!? それもすっごく楽しそうにっ!?」
ややオーバーなリアクションを見せてくれたのは、一人の少女だった。そして、その少女は俺にとってもすごく馴染みのある人物で。
「あら、香住じゃない。珍しいわね、あなたがこんなに朝早くから出歩くなんて」
そうなのだ。声をかけてきたのは、間違いなく俺もよく知っている森下香住ちゃんだったのだ。
そりゃあ、こっちの世界にも「俺」はいるんだから、香住ちゃんがいても不思議じゃないよな。
首元にパール状のアクセントが付いた、フリル袖のブルーのTシャツに、同色系統ながらもやや色の濃いインディゴブルーの膝丈タックスカート。
足回りはシンプルかつスポーティな白いスニーカー。それと同じくらい白い香住チャンの膨ら脛が眩しい。
アクセントとして、左の手首にはややゴツめの黒いリストウォッチ。背中に小さなリュックを背負い、どこかへお出かけの途中といった出で立ちだ。
ちなみに、俺の隣にいる瑞樹はというと、紺色のパーカワンピースに黄色いチェック柄の靴。
確かに瑞樹には似合っているとは思うが、下手をすると部屋着に思われないか、それ? ファッションに関しては、もう少し香住ちゃんを見習って欲しいものである。
「そんなに気合いの入った格好からして……もしかして、彼氏でもできた?」
にしししっ、と意味深な笑みを浮かべる瑞樹。だけど、香住ちゃんはそんなことを気にする素振りも見せずに、何度も俺と瑞樹を見比べていた。
仕方ない。助け船を出してやろう。こっちの世界の香住ちゃんと知り合いになれるいい機会だし。
「初めまして。瑞樹の友達ですか? 俺は瑞樹の従兄妹で水野茂樹っていいます。ちょっとこっちの方に用があったので、俺の叔母……瑞樹の母親に頼まれて、こいつの所に寄ったんですよ」
「そうそう、こいつ、同い年の従兄妹なの」
俺の意図を察して口裏を合わせてくる瑞樹。よしよし、今後はこの設定でいくとしよう。
「それより、香住はどこかに出かけるの?」
「あ、はい、友達とちょっと遠出して買い物にいく約束をしていまして、それで早起きしたんですけど……瑞樹さんの従兄妹の人だったんですか。確かに、お二人ともよく似ていますね」
そりゃ似ているだろう。俺たちは性別は違っても「同一存在」だし。実際、瑞樹は妹の環樹によく似ているし、俺も環樹とは兄妹と一目で分かるぐらい似ているしな。
「それより、時間は大丈夫かい?」
「あ! そうだった! それじゃあ、これで失礼しますね、瑞樹さんと……えっと、茂樹さんでしたっけ?」
「うん、そうだよ。これからも瑞樹と仲良くしてやってね」
にこやかに俺たちに手を振り、香住ちゃんは駅の方へと駆けていった。朝から元気だな。さすが剣道少女。って、こっちの香住ちゃんも剣道やっているのかな?
「ところで、香住ちゃんと瑞樹の関係は? やっぱりバイト仲間?」
「そうだけど……随分と香住に気安かったわね。もしかして……向こうの世界で香住と付き合っていたりするの?」
うん、残念ながらそうじゃないんだ。俺の世界にも香住ちゃんはいるし、バイト仲間なのも間違いないけど、そこまでなんだよね。できたら、そういう関係になりたいとは常々思っているけど。
「確かに香住ちゃんは『俺の方』にもいるし、バイト仲間なのも瑞樹と一緒。でも、付き合っているってわけじゃない」
「ふーん」
なんか、疑わしげなじと目でこっちを見る瑞樹さん。俺、嘘なんて言ってないぞ。
「それより、早く帰って朝飯食おうぜ。さすがに腹減ってきたよ」
「そうね。そうしましょうか」
二人揃って、アパートの方へと歩き出す。その時だ。
駅の方から聞こえてきた、小さな悲鳴が聞こえてきたのは。あれは……もしかして香住ちゃんの声か?
「お、おい、瑞樹! 今の悲鳴って……っ!?」
「ええ、間違いなく香住の声よっ!!」
確認し頷き合った俺たちは、一斉に駆け出した。もちろん、悲鳴の聞こえてきた駅の方へと。
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