第2章

新たな世界へ




 さあ、待ちに待った週末がやって来た!

 今回もまた、バイトは休みにしてもらった。あまり何度も週末を休みにするわけにもいかないが、少しぐらいはいいだろう。

 実際、店長も「うん、いいよ。普段、君にはがんばってもらっているしね」と納得してくれたし。

 前回と同じく、今は金曜日の夜。ここ最近、週末はいつも異世界へと出かけているな。

 でも、止められないよ。やっぱり。

 確かに、異世界には恐いことがたくさんある。不安なことも一杯ある。実際、突然ドラゴンと遭遇して戦ったり、後ろからライフルを突きつけられたりしたし。

 でも、異世界へ行きたくないとは思わない。だって、異世界だぜ? この世界とはまるで違う世界に行けるなんて、やっぱりわくわくするだろ? 見知らぬ世界で見知らぬ人々と出会えるなんて、想像するだけで楽しくなってくる。

 それに……俺には聖剣がある。この聖剣があれば、大抵の危機は乗り越えることができると信じている。

 他力本願なのはちょっと情けないが、それでも異世界へ行きたいという欲求は抑えられない。

 今回行く異世界は、どちらの世界だろう。ミレーニアさんがいるファンタジー風の世界か、それともセレナさんがいる荒廃した未来世界か。

 あ、ひょっとすると、どちらでもない全く新しい異世界かもしれないぞ。

 果たして異世界というものがいくつあるのか知らないが、これまで二つあったのだから三つ四つとあっても不思議じゃないよな。

 今の俺の姿は、セレナさんのいた世界から持ってきた装備を基本としている。

 《銀の弾丸シルバーブリッド》の制服である防弾防刃ツナギに、チタンプレートを縫い込んだジャケット。未来素材の防具だけあって、デザインこそちょっと派手だけどこのまま近所を歩いても違和感のないレベルだ。しかし、防御力はかなり高いと思う。当然ながら、俺が持っている服の中では一番防御力が高い。

 左の脇には、ホルスターに収まった九ミリオート拳銃。持っていくかどうか迷ったが、結局持っていくことにした。

 できれば射撃の練習もしたかったけど、さすがに本物の銃を撃てるような場所などないし、弾丸も予備のマガジンが四つだけで決して多いとは言えないから諦めた。

 まあ、どれだけ練習したとしても、俺の射撃の腕がいきなり上達するとは思えないけどな。

 そして、俺のメインウェポンである聖剣と、サブウェポンとでも言うべき自作ナイフ。

 前回使ったリュックはセレナさんの世界に置いてきてしまったので、代わりのリュックに例の暗視ゴーグルと防毒マスク、簡単な食料や水、そして着替えなども入れておく。そういやあのリュックの中に、ミレーニアさんの世界から持ってきた装飾短剣が入れっぱなしだったっけ。

 宝石の方は着替えた時にこのジャケットのポケットに入れ替えておいたし、装飾品の腕輪は腕に嵌めっぱだったので、幸いにも今も手元にある。だけどあの装飾短剣はちょっと勿体なかったな。

 セレナさんが、しっかりと保管しておいてくれるのを祈るばかりである。

 もちろん、今回も宝石と腕輪は持っていくつもりだ。やはり宝石や装飾品はどの世界に行っても価値がありそうだし。ひょっとすると全く価値のない世界もあるかもしれないが、その時はその時だ。

 後は適当に硬貨を数枚と、念のために諭吉さんを一人だけ連れていく。これだって、異世界では美術品や細工物として高く売れるかもしれないし。

 うーん、ビー玉とかパワーストーンとかも買っておけば良かったかも。こっちでの価値は低くても、異世界なら価値が大きくなるかもって基本だしね。

 当然、聖剣の充電は完璧である。後は玄関で靴を履けば、いつでも異世界へ行くことができる。

 靴と言えば、前回履いていたトレッキングシューズ、あれもセレナさんの世界に置いて来ちゃったな。作戦前にトレッキングシューズよりもっとがっちりしたアーミーブーツに履き替えたのだ。もちろん、このアーミーブーツも俺が買い取った装備の一つであり、防弾仕様なのは言うまでもない。

 さあ、準備は整った。最後にもう一回装備のチェックを済ませた俺は、聖剣を抜いて切っ先を床に向け、柄頭の宝玉をぐっと押し込んだ。

 途端、これまで通りに宝玉から眩しい光が迸り、俺の視界を白一色に染め上げた。



 光が消え去り、俺の視界も平常へと戻ると周囲の景色が俺の目に飛び込んできた。

「あ、あれ……」

 だけど、その景色は随分と見慣れたもので。ぶっちゃけ、見えたものは転移前に見ていたものと同じ、玄関の扉だったのだ。

 もしかして、転移に失敗したのかな?

 そう思って背後──部屋の中へと振り返ると、明らかにここは俺の部屋じゃなかった。

「部屋の間取りは同じだけど……置いてある家具が違うし、配置も違うな……もしかして、同じアパートの別の部屋に転移しちゃったとか……?」

 そうなのだ。明らかに俺の部屋の家具じゃない。しかも家具の配色やセンス、部屋の中に架けてある上着、玄関に置いてある靴から察するに、どうやらここは女性の部屋っぽい。

「……や、やべぇじゃん、これ……」

 冷静に考えてみれば、今の俺は不法侵入者以外の何者でもない。しかも、家具などから判断するに、ここに住んでいるのは若い女性みたいだ。

 このままだと俺、「若い女性の部屋に勝手に忍び込んだ変質者」という不名誉な称号を得てしまう。

「……誰もいないようだし、今の内に逃げ出そう」

 部屋の中には誰もいなかったことが、不幸中の幸いだ。

 今の内にこっそりと逃げ出せば、変質者の称号を得ることもあるまい。そう思って再び玄関へと向き直った時。

 背後から、扉の開く音がした。

 一際激しく心臓が鼓動し、全身から汗が流れ落ちるのがはっきりと分かった。

 どきどきと激しく暴れる心臓。その鼓動を聞きながら、俺はオイルの切れた機械のようなぎこちない動きで、首だけをゆっくりと回転させた。

 そして、見た。

 浴室へと続く扉──この部屋が俺の部屋と同じ造りなら、浴室の場所も同じだろう──が開き、そこから一人の女性が姿を現すのを。

 風呂上がりのため、しっとりと濡れた背中の中ほどぐらいまである黒髪を、バスタオルで拭きながら部屋へと入ってきたその女性。

 そう、風呂上がりである。自分の部屋の中ということもあり、その女性はライトブルーのショーツ以外に何もその身に纏っていなかったのだ。

 うん、俺も風呂上りには、よくパンイチで部屋の中をうろうろするもんな。

 全体的に細身ながら、程よく膨らんだ二つの胸とその先に息づいている小さく可憐な果実。きゅっと括れた細い腰と、そこから豊かに張り出した腰廻り。更にそこからなだらかで優雅な曲線を描きながら形のいい足へとカーブは続いていて……うん、はっきり言ってかなり好みのタイプだ。

 暢気に鼻歌を歌いながら髪を拭いていた女性と、思わずまじまじと裸体を見てしまった俺の視線が空中で抱擁を交わす。

 思わずぽかんとしながら、髪を拭く腕を止める女性。あれ? この人、誰かに似ているような……?

「────きゃ……」

「…………環樹……?」

「…………え?」

 そうだ! 妹のたまに似ているんだ。現在小学六年生の妹が、今の俺と同じ年頃になるとこんな感じになるんじゃないかな、ってぐらい、この女性は妹にそっくりなのだ。

 そう思って再び女性を見てみると、何故か彼女もまた俺をまじまじと見つめていた。さすがに、髪を拭いていたバスタオルで身体は隠していたけど。

 それよりこの、悲鳴を上げようとしたよな? だけど急にその悲鳴を止めたような……自分の部屋に見知らぬ男がいるんだから、そりゃあ悲鳴ぐらい上げるだろうけど、どうしてそれを途中でやめたんだろう?

 俺からしてみればありがたいことだが、不思議だね?

 思わず首を傾げる俺に、女性は部屋の隅へと後ずさりながら質問してきた。

「ど、どうして……どうして妹の名前を知っているの……?」

「へ?」

「だ、だってあなた……さっき、環樹って私の妹の名前を言ったでしょ?」

「い、いや、そ、その……環樹は俺の小学生の妹だけど……?」

「え?」

 再び、俺と彼女の視線がぶつかり合う。よくよく考えてみると、妹にそっくりってことは、俺とも似ているってわけで……ま、まさかこの女性は……

「あ、あの……失礼ですがお名前は……? あ、俺は水野茂樹っていいます」

「わ、私は水野みずだけど……あなた……一体何者……?」

 うん、俺の予想に間違いなさそう。そして、転移はしっかりと成功していたみたいだ。

 そして、目の前のこの女性は……この世界の「俺」だろう、きっと。



「つまり、何? あなたは異世界からきたもう一人の『私』ってこと?」

「うん、それで間違いないと思う」

「ふーん、いきなりそんなこと信じられないけど……私の家族構成や子供の頃の思い出なんかを知っているみたいだし……満更嘘でもなさそうよね……もっとも、あなたがタチの悪いストーカーでなければ、の話だけど」

 じと目で俺を見つめるこの世界の「俺」──瑞樹。

 間違いなく、彼女はこの世界の「俺」だった。落ち着いた瑞樹──もちろん、服は着ている──と話をしてみたところ、家族構成や家族の名前、そして子供の頃に家族と一緒に出かけた旅行先など、完璧に一致したのだ。

 さすがに「同一存在」ではあっても「同一人物」ではないので、全ての記憶が一致するわけではない。性別も違うしね。

 でも、彼女が「俺」なのは確かだろう。

「そっちこそ、突然現れた俺を見て、よく慌てなかったよな? 普通、自分の部屋の中に不審者がいたら、もっと慌てるものだろ?」

「そ、それは……頭の中が真っ白になり過ぎちゃって、慌てることもできなかったのよっ!! そ、それでもようやく悲鳴が出かかった途端、茂樹が妹の名前を言うものだから……驚いてその悲鳴も引っ込んじゃったのっ!!」

「まあ……その気持ちは分かるよ。俺も目の前に突然ドラゴンがいた時は、慌てるどころじゃなかったもんな」

 やっぱり、彼女は「俺」なんだな。慌て過ぎると逆に何もできなくなるところとか、よく似ているよ。

「ふーん……それで、その聖剣の力でいろいろな世界を行き来しているってわけね。ちょっとそれ、見せてよ」

 瑞樹が俺にむかって無遠慮に手を出す。まあ、相手も自分だし、遠慮することもないよな。

 俺は彼女に、どうして突然この部屋に現れたのか、その全てを話した。最初は聖剣のことだけは黙っていようかと思ったが、相手は「俺」である。全てを話したとしても、それほど問題にはならないだろうと判断したのだ。

 瑞樹に言われた俺は、聖剣を鞘から引き抜くと、気をつけるように言いながら彼女に手渡した。

「へぇ、すっごい綺麗な剣ね」

「瑞樹も刀剣に興味があるのか?」

「うん。やっぱり、私たちは同じ存在だわ。趣味とかも殆ど一緒みたいだし」

 うっとりとした様子で聖剣を見つめる瑞樹。もしかして、俺も一人で聖剣を眺めている時って、あんな顔しているのかな?

 その瑞樹だが、はっとした表情を浮かべると俺に聖剣を返し、慌ててノートPCに飛びついた。あ、やっぱりノート使っているのか。機種も俺と同じなんだ。

「うーん……ネットで探してみたけど、その聖剣はなかったわ……」

 しばらくパソコンで何やらしていると思ったら、聖剣が売っていないかネットで探していたのか。で、もしもネットオークションに出品されていたら、自分も買うつもりだったんだな。

 がっくりと肩を落とす瑞樹を見て、改めてこいつは自分なんだなと思う俺であった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る