閑話 王女



「おはようございます、シゲキ様」

 朝。

 目覚めたわたくし──アルファロ王国第二王女、ミレーニア・タント・アルファロは、寝ていた寝台より身を起こし、同じ部屋で休んでいるはずのシゲキ様の姿を探しました。

 邪竜王ヒュンダルルムをシゲキ様が討伐したその日の夜、わたくしたちは邪竜王に囚われていた、わたくしに与えられていた部屋で休むことにしました。

 シゲキ様とビアンテが交代で夜間の見張りに立ち、わたくしは休ませていただいたのです。本来ならばわたくしもまた夜間の見張りに立つべきでしょうが、二人が認めてくれませんでした。

 二人の心遣いに感謝し、わたくしは休ませていただいたのですが、久々に……いえ、ここに連れて来られて初めて朝までぐっすりと眠ることができました。

 やはり、邪竜王に捕らわれていた日々は、わたくしの心に大きな負担だったのでしょう。その負担がなくなったことで、ようやくわたくしもゆっくり休むことができたようです。

 昨夜の取り決めでは、最初にシゲキ様が見張りに立ち、途中でビアンテと交代することになっていたはず。つまり朝になった時、この部屋にはシゲキ様がいらっしゃるはずなのです。

 ですが……シゲキ様からの返事がありません。もしかして、まだお休みなのでしょうか?

 眠気に霞む目を擦りこすり、部屋の中を見回してみますが、シゲキ様の姿はありません。

「もしかして、もう起きてしまわれたのでしょうか……?」

 誰に聞かせるわけでもなく、そんなことを口にしながら立ち上がります。そして、開け放たれたままだった扉を抜け、部屋の外へと出ました。

 扉の外には、壁に背中を預けた状態で座り込んでいるビアンテの姿が。彼はわたくしが部屋から出ると立ち上がって声をかけてきました。

「ミレーニア姫、おはようございます。師匠はまだお休みですか?」

「え? シゲキ様はもう起きられたのではないのですか?」

 思わず顔を見合わせる私とビアンテ。ですが、それも僅かな間だけ。ビアンテは慌てて部屋へと飛び込むと、中を何度も見回しました。

「し、師匠はっ!? 師匠はどこへ行かれたのかっ!?」

 彼のその様子から、わたくしはシゲキ様が既に起き出して部屋から出たわけではないことを悟りました。

 その後、わたくしとビアンテは邪竜王の居城をくまなく探したのですが、結局シゲキ様の姿を見つけることは叶いませんでした。

 シゲキ様を見つけることができず、途方に暮れるわたくしとビアンテ。とはいえ、いつまでもここにいるわけにはいきません。ビアンテと相談した結果、わたくしたちはアルファロ王国の王都へと帰ることを決めました。

 ビアンテのグリフォンに乗り、王都を目指します。いくらグリフォンとはいえ、成人三人を乗せることは無理ですが、二人ならば何とかなります。シゲキ様がいなくなってしまったことで、皮肉にも移動の問題も解決してしまいました。

 もしかすると、そこまで見越してシゲキ様は姿を隠されたのかもしれません。



 そして、あの日から。

 わたくしが無事にアルファロ王国の王都に帰還したあの日から、王都は連日のお祭り騒ぎです。

 わたくしとビアンテは、無事に王都に帰ることができました。

 王都へと帰還したわたくしたちは、父である国王陛下や母である王妃陛下、そして臣下の貴族や騎士、なにより王都に暮らす臣民たちから盛大に祝われました。

 自分勝手な思惑の下、一方的に王国を飛び出してきたビアンテも、邪竜王を討伐したその功績により、何のお咎めもありません。

 そうです。

 結局、邪竜王を倒したのはビアンテということになってしまったのです。

 わたくしやビアンテが、いくらシゲキ様のことを説明しても、父上を始めとして誰も信じてくれません。

 もっとも、それも無理はないことです。

 普通であれば、竜を倒して名乗り出ないなんて考えられないからです。

 竜を倒せばその竜が蓄えていた莫大な財宝と、並ぶもののない名声と栄誉が得られます。なのに、みすみすそれを放棄するような者はいないと考えるのは当然のことと言えるでしょう。

 更には、わたくしもビアンテも、シゲキ様が邪竜王を倒したところを目撃しておりません。

 シゲキ様がどのようにして邪竜王と戦い、そして勝利したのか。それを説明しろと言われたのですが、わたくしたちには説明できませんでした。

 結局、父上や貴族たちは、ビアンテが邪竜王を倒したと判断しました。彼が自分の手柄だと主張しないのは、勝手に王国を飛び出した負い目があるからだろう、と父上たちは思ったようです。

 それに、ビアンテがアルファロ王国で最も腕の立つ騎士であるのは紛れもない事実です。彼以外に、邪竜王を倒せる者なんていないと考えたのでしょう。

 わたくしたちの話を元に、てんしゅう騎士団の者たちが邪竜王の城へと飛び、そこで倒れていた邪竜王の死骸を確認。そして、その傍らにあった財宝もまた確認しました。

 天鷲騎士団は切断されていた邪竜王の首を王都へと運び、邪竜王が討たれた証として王城前の広場に大々的に公開しました。それを見た国民たちの熱狂は、本当に凄まじいの一言でした。

 民たちはわたくしの無事を喜び、そして、邪竜王を討ったビアンテを称えました。

 邪竜王の財宝もまた、天鷲騎士団によって回収され、通例どおりにビアンテのものとなり、現在は彼とわたくしで共同で管理しています。

 なんせ、この財宝の本当の持ち主はわたくしたちではありません。それはわたくしもビアンテも承知しています。そのためわたくしたちで相談した結果、表向きはビアンテが獲得したものとしつつ、その裏では二人でしっかりと管理し、いつかまたシゲキ様がわたくしたちの前に現れた時、あの方にお返しするように決めました。

 そうです。

 わたくしは信じているのです。いつか必ず、シゲキ様に再びお会いできると。

 きっと、ビアンテも同じ思いなのでしょう。王都へ帰還して以来、彼の態度は今までとは一変して、とても謙虚なものになりました。

 彼は今でもシゲキ様を一方的に師と崇めているようです。そして、あの時彼に言われた通り、今後は騎士として恥ずかしくない行いをすると誓ったのだと言っていました。いつかシゲキ様と再会した時、改めてあの方に弟子入りするために。

 実際、最近のビアンテの評判はかなりいいようです。邪竜王を倒したという──表向きは──事実と、謙虚になったその態度から、これまで彼と距離を置いていた者たちも、今では彼と親しくしているようです。



「本当に……あの方は何者だったのでしょう……?」

「私以上の剣の達人にして、それを誇ることもなければ驕ることもない、素晴らしい人格の持ち主でしたね、師匠は」

 王城の庭の一角にある東屋で、わたくしとビアンテは一緒にお茶を楽しんでいます。

 周囲に侍女たちこそ控えていますが、護衛の騎士や兵士の姿はありません。当然です。なんせここには王国一の騎士にして、邪竜王を討った──と思われている──ビアンテがいるのですから。

 あれ以来、わたくしとビアンテは時々こうして顔を合わせ、お話をするようになりました。もちろん、話の内容はほとんどがシゲキ様のことばかりです。

 アルファロ王国中でも、シゲキ様のことを話題とできる相手はビアンテだけなのですから、必然的にわたくしたちが一緒にいる時間は増えるというものです。

 そのせいか、わたくしとビアンテが恋仲である、と邪推する者も多いようです。竜に攫われた姫と、その竜を倒して囚われの姫を助け出した勇者。その二人が恋に落ちるのは、演劇や物語では定番ですから。

 ですが、わたくしたちは決してそのような間柄ではありません。わたくしもビアンテも、他者から「お二人は恋仲なのか?」と尋ねられる度──直接的にしろ遠回しにしろ──に、はっきりと否定してはいるのですが……なかなか信じてはもらえないのが現状です。

 幸い父上や母上は、わたくしたちがそのような関係ではないと信じていただけました。お二人の前でわたくしとビアンテがきっぱりと恋仲ではないことを明言したことで、何とか信じていただけたようです。

「今思い出しても、師匠は不思議な方でした。普段は素人同然の動きなのに、その実はとんでもない剣の使い手。私程度では、とてもあの方の本当の実力は見抜けませんでした」

 剣に関してはまるで素人のわたくしですが、実際にお会いし、言葉を交わしたシゲキ様からは、確かにビアンテのような武人の雰囲気はまるで感じられませんでした。

 わたくしとて一国の姫です。周囲には騎士や兵士なども多く、武人がもつ独特の雰囲気ぐらいはわたくしにも分かります。ですが、そんな雰囲気はあの方からは全く感じられませんでした。

「あれほど自然体でありながら、私の剣は師匠に触れることさえできなかったのです。まるで、風に舞う木の葉を相手に剣を振るっているようでした。武の極意は自然体にあり、などと言いますが、それをあそこまで体現するとは……今思い出しても、私などは師匠の足元にも及びません!」

 どんどん鼻息の荒くなっていくビアンテ。シゲキ様のことを話していると、いつもこうです。

 何でもビアンテほどの達人ともなると、筋肉や視線の僅かな動きで相手の次の行動を予測するのだとか。ですが、シゲキ様にはその僅かな動きさえなかったそうなのです。それぐらい自然体だった、とビアンテは言います。

「気づいた時には私の剣も楯も破壊されていましたからね。それでいて、私の身体には全く傷を負わせることもなく……あの鋭い剣筋と相手を傷つけない慈悲に満ちた優しい心……師匠は剣神の化身と言っても過言ではありますまい!」

 剣神の化身かどうかはともかく、確かにシゲキ様は不思議な方でした。

 わたくしが知るどのような殿方とも違う雰囲気を持った方。それでいて、どこか幼い面も併せ持っていて……こう言っては失礼かもしれませんが、可愛く思えたところもありました。

 ビアンテ以上の剣の達人でありながらも、決してそれを感じさせることなく、照れながらわたくしを見ていたシゲキ様。

 本当に不思議な方です。

 不思議と言えば、今でもどうしても分からないことが一つだけあります。それは……。

「……シゲキ様は、どうしてずっと裸足だったのでしょうか……?」

 初めてあの方とお会いした時から、ずっとそれが不思議でした。確かにお召し物も見たこともないものでしたが、それよりも始終裸足だったことの方が疑問です。

 そのことを何となくビアンテに聞いてみたのですが……。

「それはやはり、あれもまた修行の一環ではないでしょうか。裸足でいることで常に足を鍛えておられたのでは……おお、ならば私もこれからは裸足で暮らした方がいいのではっ!?」

「お止めなさい。騎士として恥ずかしい振る舞いはしないと誓ったのでしょう?」

「そ、そうでした……」

 始終裸足でいるなど、騎士としてどうかと思います。やはり騎士には、それ相応の身だしなみというものがありますから。

 はぁ。ビアンテに聞いたのがそもそもの間違いでしたね。

「やはりあの方は……」

 シゲキ様の真似ができなくて悔しがるビアンテを余所に、わたくしは常日頃から考えている、あの方が何者なのかということに想いを馳せさせます。

 あの方は……シゲキ様は、やはり天の御遣いではないでしょうか。

 邪竜王に囚われ悲嘆に暮れていたわたくしは、何度も神々に助けを願いました。その願いを聞き届けてくださった天の神々が、邪竜王の魔の手からわたくしを救い出すために遣わされた御遣い。それがシゲキ様だったのではないかと思っています。

 だからわたくしを救い出して使命を終えたあの方は、再び天の神々の下へと戻ってしまわれた。

 そう考えると、突然姿を消してしまわれたことも納得できるというものです。

 であれば。

 であれば、もう一度天の神々に必死に祈れば、再びあの方とお会いできるのではないでしょうか。

 今度は邪竜王から助け出してと欲しいと願うのではなく、シゲキ様と再会できるようにと神々に祈れば、きっと神々はその祈りに応えてくれると思うのです。

 ですから、最近わたくしは毎日祈っています。もう一度あの方と……シゲキ様と再会できることを。



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