最強生物



 ぼとり、という音と共に、何かが地面に落ちる。

「……あ、……あ? う、腕……?」

 思わず零れ出た自分の掠れ気味の声に、俺は改めてそれが腕であると理解した。

 そう。

 腕だ。

 肘よりやや下で断たれた腕が、地面に落ちたのだ。

 だが、落ちた腕や腕を失ったマークの身体から血は流れ出ることはなく、代わりに赤黒い液体や白い液体──オイルか何かだと思う──などが、腕と身体の断面から零れ出ていた。

 そして、切断面から覗くのは骨と筋肉ではなく、ばちばちと火花を放つ精密な機械たち。

「あ……あれは……義手……か?」

 どうやら、マークの腕は義手……つまり、サイバーパーツだったらしい。しかも、外面は生身の腕そっくりの「内改造型」と呼ばれるタイプだ。

 そういや、ブレビスさんやセレナさんが言っていたっけ。

 傭兵や兵士たちの多くは、自分の身体を機械に置き換えて強化するものだ、と。

 つまり、マークもまたその例に漏れることなく、自分の身体をサイバー化して強化していたってわけか。

 だが、たとえ機械の腕とはいえ、それを切断されてダメージがないわけではない。痛みは自動的にシャットダウンされるそうだが、腕を一撃で切断したその衝撃は、そのまま彼の身体を貫いていた。

 その衝撃に意識を朦朧とさせたマークは、そのまま数歩後ずさって倒れてしまう。

 そんなマークに、凶化した灰色熊の血走った目が向けられた。

「……ひっ!!」

 と、声にならない悲鳴を上げたのは、マークではなく他の団員たちだった。

 突然現れた変異体、そして、その変異体に腕を断たれて倒れたマーク。それを目の当たりにした団員たちは、半ば条件反射的に手にしていたライフルを灰色熊へと向け、そのまま引き金を引き絞った。

 激しい銃声と共に、セレナさんの銃と同じ七・六二ミリの弾丸の雨が、デスグリズリーの巨体へと降り注ぐ。

 だが、人間にとっては猛威となる七・六二ミリ弾も、凶獣には豆鉄砲でしかない。

 鬱陶しそうに数度腕を振るった灰色熊は、再び立ち上がってライフルを撃ちまくる団員たちへとその目を向ける。

「ひぃぃぃっ!!」

 再び上がる悲鳴。同時に、彼らの腕の中でライフルが沈黙した。

 どうやら、全ての弾丸を吐き出してしまったらしい。

 それに気づかず、団員たちは引き金を絞り続ける。しかし、当然ながら弾丸が放たれることはない。

 咆哮するデスグリズリー。

 その咆哮は、鬱陶しい弾丸の雨がなくなったためか、それとも目の前にいる獲物を仕留める喜びか。

 巨大な灰色熊が哀れな獲物となり下がった団員たちへ、のっしのっしと後脚だけで歩み寄る。

 そこへ。

 横合いから、再び弾丸の雨がデスグリズリーを襲った。

 もちろん、雨を降らせたのはセレナさんだ。セレナさんは空になったマガジンを素早く取り替えながら、まだ呆然としている若い団員たちへと指示を飛ばす。

「早くトレーラーの中に逃げ込みなさい! すぐに父さんたちが戻ってくるわ! それまでトレーラーに立て籠もるのよ!」

 はっとした表情を浮かべた団員たちは、今度こそ彼女の指示に従いライフルを放り出して走り出した。その向かう先は、当然近くにある司令室トレーラーである。

 空いていた後部ハッチから、争うように中へと駆け込む団員たち。

 それを横目で確認したセレナさんは、小さく安堵の溜め息を零した。そして、油断なくライフルをデスグリズリーへと向けたまま、ゆっくりと後退する。

「シゲキ! マークをトレーラーに! それまで、私が時間を稼ぐわ!」

「分かりました! セレナさんも気をつけて!」

 彼女が出した指示に、俺は頷くしかない。そして何より、セレナさんの判断は的確だった。

 俺は灰色熊から視線を逸らすことなく、ゆっくりと倒れているマークへと近づく。

「おい、マーク! 大丈夫か?」

 声をかければ、マークはのろのろと顔を俺に向けた。

「あ……あ……? シ……デキ……?」

「ああ、俺だよ。それより立てるか?」

 衝撃で朦朧としているらしいマークの腕──無事な方──を取り、強引に立たせる。

「セレナさんが時間を稼いでいる内に、トレーラーに逃げ込むぞ」

 ふらつくマークの身体を支えながら、俺たちはよたよたとトレーラー目指して歩き出す。

 本当は走りたいところだが、まだ意識がはっきりしないマークを支えたままでは、この速度が精一杯だ。

 そんな俺の背中に、デスグリズリーの怒りに満ちた咆哮と、セレナさんのライフルの銃声が届く。

 セレナさんは巧みにデスグリズリーとの距離を保ちながら、的確に弾丸を叩き込んでいく。

 だが、やはりその弾丸は凶獣には脅威とはならないようだ。

「……七・六二ミリが全く効果ないなんて……正真正銘の化け物ね」

 そんなセレナさんの呟きが僅かに聞こえてきた。

「誰か! 別のトレーラーからマテリアルライフルを持ってきて!」

 どこかに身につけているのだろう無線に向けて、セレナさんが叫ぶ。マテリアルライフルとは、対物ライフルとか対戦車ライフルとか呼ばれる、文字通り人ではなく物を相手にするための高威力の大型ライフルであり、時にアンチマテリアルライフルとも呼ばれる。

 いくらデスグリズリーの防御力が高くても、さすがにマテリアルライフルは無視できまい。

 自分の顔が期待に綻ぶのが分かった。希望を込めて司令室トレーラーの方へと目を向けると、ドローンを操るための偵察要員の何人かが、作業トレーラーへと向かって駆けていくのが見えた。

 偵察のために残ったメンバーは、どちらかというとバックアップ要員だ。そのため、直接の戦闘は苦手らしい。それでも、マテリアルライフルを持って来ることぐらいでるだろう。

 だが、問題は時間だ。彼らが作業トレーラーへ辿り着き、そこからマテリアルライフルを運んで来るまで、どれだけの時間がかかることか。

 俺は頭の片隅でそんなことを考えつつ、司令室トレーラーのハッチを開け、中にいた連中にマークを託した。

「マークを頼む!」

「シゲキ、おまえもこのまま中に……」

 そう言ってくれる団員に、俺は静かに首を振って見せた。

 トレーラーの外では、未だに銃声が響いている。セレナさんがデスグリズリーと戦っているのだ。

「俺になんてできることはないかもしれないけど……それでも、俺はセレナさんの手助けをする。なぁに、俺にはこれがあるからな」

 腰にぶら下げた聖剣をぽんと叩き、引き攣りそうになる頬を強引に笑みへと変えた。

 正直言えば、あんな熊の化け物の前に出るのはむちゃ恐いよ。でも、セレナさん一人に任せておくわけにはいかない。

 彼女がどれだけ戦い慣れていても、一人きりでは限界があるだろう。

 ブレビスさんたちには既に連絡が行っていて、すぐに戻ってくるそうだ。ならば、俺のやることはセレナさんと一緒に、それまで時間を稼けばいい。

 ちらり、と俺は腰の聖剣へと目を向けた。

 期待しているぜ、聖剣……いや、相棒。この前の時みたいに、オートモードで俺とセレナさんを助けてくれ。

 心の中で聖剣にそう語りかけながら、俺はトレーラーから飛び出した。



 俺が再びセレナさんとデスグリズリーが戦っている場へと舞い戻るのと、セレナさんのライフルが弾を撃ち尽くしたのはほぼ同時だった。

 既に、彼女のハーネスには予備のマガジンはない。つまり、もうセレナさんのライフルは弾切れだ。

 セレナさんは空のライフルを放り捨て、腰から予備の武器である拳銃を引き抜く。

 七・六二ミリの強装ライフル弾でも通用しなかったのに、拳銃が通用するわけがない。そんなことはセレナさんだって承知しているはずだ。

 だが、それでも素手やナイフで立ち向かうよりはよほどマシだろう。そう考えたセレナさんは、両手で拳銃をしっかりと保持しながら、じりじりとデスグリズリーとの距離を取っていく。

 そんな彼女の意図を察したのかどうかは分からない。だが巨熊が、攻撃手段を失ったセレナさんを黙って見ているだけのわけがなかった。

 その巨体を後脚で支えて、巨熊が再び立ち上がる。そして、そのままのしかかるようにセレナさんへと襲いかかり、彼女が少しずつ稼いだ距離を一気にゼロへとしてしまった。

 飛びかかって来たデスグリズリーに、セレナさんが手にした拳銃が咆哮する。

 だが、九ミリの拳銃弾などものともしない灰色熊は、彼女の頭上にその鋭い爪を振り下ろす。

 次の瞬間、ぎぃぃぃん、という耳障りな金属音が周囲に響く。

 何とか身体を捻って爪を躱したセレナさんだったが、完全に回避することはできなかった。

 振り下ろされた灰色熊の爪が、セレナさんの防弾ジャケットを切り裂く。

 裏地に縫い込まれたチタンプレートのおかげで、セレナさん自身は無傷のようだ。だが、3メートルを超す凶獣の一撃を受けて、彼女の身体は吹き飛ばされてしまった。

「セレナさんっ!!」

 ごろごろと地面を転がっていくセレナさんの身体。その光景を見た途端、俺の身体は動き出していた。

 一方、デスグリズリーは倒れたセレナさんに止めを刺すつもりなのか、転がった彼女へと近づいていく。

 そして、立ち上がった巨熊が腕を振り上げ──倒れたセレナさんに向けて勢いよく振り下ろされた。



 再び、耳障りな金属音が周囲に響いた。

 同時に、俺の腕と肩にのしかかる大きな衝撃と重圧。

 そう。

 何とか、俺はデスグリズリーと倒れたセレナさんの間に割り込むことができた。そして、いつの間にか抜いていた聖剣で、振り下ろされた巨熊の爪を受け止めたのだ。

 ぎりっと奥歯を強く噛みしめながら、俺はその衝撃と重圧に耐える。

 そういや、前回もこんなことがあったな。あの時は、熊じゃなくてドラゴンだったけど。

 そうだ。あのドラゴン──邪竜王の爪はこんなものじゃなかった。爪自体ももっと大きく鋭く、腕と肩にかかる重圧ももっと強烈だった。

 それに比べたら、こんなデカいだけの熊の攻撃なんて……

「……ヌルいっ!」

 俺は腕に力を込め、デスグリズリーの腕を弾き上げた。

 そして、片腕を上げた状態でがら空きとなった灰色熊の懐へと飛び込み、そのまま聖剣を一閃する。

 銀光の後を追うように、赤い線が空中にはしる。少し遅れて、まるで思い出したかのようにデスグリズリーの腹から大量の血が噴き出した。

 銃弾でさえものともしなかった凶熊の毛皮と皮下脂肪を、俺の聖剣は難なく斬り裂いたのだ。

 巨熊の口から、苦しげな咆哮が迸る。同時に、それまで以上の激しい怒りの炎が巨熊の目を彩った。

 狂ったように──いや、すでに怒り狂っているデスグリズリーが、両腕を力任せに振り回す。

 まるで丸太でも振り回しているようなその攻撃を、俺は尽く躱していく。もちろん、俺自身は何もしていない。身体が勝手に動いて……いや、聖剣が俺の身体を操っているんだ。

 眼前すれすれを通過する灰色熊の爪。それがはっきりと目視できて、俺の背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 だが、腕が通過した瞬間に俺の腕もまた動いていた。銀光が宙を奔り、再び血煙が空中に噴き出す。そして、ぼとりと音を立てて落下したのは、デスグリズリーの腕だった。

 腕を切断された苦痛の叫びと、切断面から大量の血が零れ出る。

 思わず止まってしまったデスグリズリーの体。俺がそれに気づいた時、既に俺の身体は宙へと舞い上がっていた。

 空中で俺の身体がぐるりぐるりと回転する。回転によって得られる遠心力の勢いを乗せて、聖剣が空中に大きな弧を描く。

 ぱしぃぃん、という渇いた音。そして、続けてどさりという重々しい落下音。

 落下音の正体は、デスグリズリーの首が落ちた音だ。首を失ってなお立ったままだった巨熊の体が、落ちた首を追うように崩れ落ちて地面へと倒れる。

 着地した俺はそれを確認すると、流れるような動作で血糊を払い聖剣を鞘へと収めた。うん、もちろん身体が勝手にやったことである。

「それよりも、セレナさんは……」

 首を失った熊の死骸など見たくないので、俺はセレナさんへと目を向ける。彼女はまだ地面に倒れたままだった。どうやら意識を失っているらしい。

「大丈夫ですか、セレナさんっ!?」

 慌てて彼女に駆け寄ろうとする俺。だが、踏み出した足が地面を捉えることはなく、まるで落とし穴でも踏み抜いたような感覚が俺の身体を襲う。

「え?」

 同時に、エレベーターに乗った時のようなわずかな浮遊感。そしてふと気づいた時、俺の目の前の光景は一変していた。

「ここは……俺の部屋……」

 周囲を見回しながら、思わず呟く。

 そう。

 ここは間違いなく俺の部屋だ。つまりどういうことかと言うと。

「……帰って……来ちゃったのか……」

 大きく息を吐き出しながら、俺はその場にどさりと腰を落とすのだった。


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