平凡な日々



 一体、この聖剣は何なんだろう? どうして、こんなとんでもないシロモノがネットで売られていたんだ? そもそも、誰が何の目的で売ったのだろう?

 様々な疑問を抱えながら、俺は床に座り込んだまま手の中の聖剣を見つめる。

 時間は日曜日の昼過ぎ。つまり、俺が異世界でドラゴンや騎士と戦った翌日のこと。

 あの後、ミレーニアさんとビアンテはどうしただろう。無事にアルファロ王国の王都に帰ることができただろうか。朝になって突然姿を消した俺を、どう思っているだろう。

 別れの挨拶もなく、異世界で別れた二人のことも気になる。俺がいなくなった途端、ビアンテがミレーニアさんに襲いかかる……なんてことはないとは思うが、ちょっとだけ心配だな。

 いろいろと思うところはあるが、それでも腹は減るもので。適当に朝食と昼食を摂った俺は、どこに出かけるでもなく部屋の中でぼーっと座り込み、聖剣や異世界のことばかり考えていた。

 一応、聖剣をネットオークションに出品した人物のことは調べてみた。とはいえ、オークションサイトでは出品者の身許なんて教えてくれるわけもなく。

 聖剣の出品者のハンドルネームは『もけぴろー』。その『もけぴろー』でネット検索したが、該当したのは例の聖剣のオークションに関わるものだけ。

 『もけぴろー』さん本人とは、オークションサイトの連絡フォームで落札時のやり取りをしただけなので、当然ながらどこの誰とも分からない。聖剣の発送も匿名取引だったし。

 つまり、出品者に関してはまるで分からないってことだ。

 そうなると、もう俺が探せる聖剣やその出品者に関する手がかりはない。

 俺の手元にあるのは、聖剣本体とその取扱説明書、そして梱包されていた段ボール箱のみ。

「そう言えば……」

 取扱説明書で思い出した。取扱説明書には、「能力の使用は、一日一回限定」、「能力を一回の使用するごとに、3時間の充電が必要」と書かれていたはずだ。

「……ということは、充電すればもう一度あの異世界に行けるってことか……?」

 説明書に書かれていた「能力」とやらが、異世界へ行くことなのだとしたら。今日もまた、俺はミレーニアさんたちがいる異世界へと行けるかもしれない。

「だったら、早速充電しないとな」

 俺は聖剣と一緒に送られてきたUSBケーブルを取り出し、早速聖剣を充電する。

 しかし充電が必要ってことは、異世界へ渡るための力の源は電力ってことなのか? 普通、こういうのって魔力とかそういった不思議パワーじゃね?

 そんな疑問を抱きつつ、俺は充電中を示す赤く輝く聖剣の宝玉を見つめ続けた。



 充電が完了し、聖剣の宝玉が赤から青へと変わった頃、すでに時刻は夕方になっていた。

 昼過ぎの1時ぐらいから充電を開始し、充電には3時間必要ってことだから、充電が終了したのが4時頃。つまり、もうすぐバイトに行かなければならない時間ってわけだ。

 異世界へ行きたいのは山々だが、バイトをほっぽり出すわけにもいなかい。今日のバイトは5時から9時までだから、それ以後ならば異世界へ行けなくもない。

「……だけど、明日は大学があるしなぁ……」

 それを考えると、夜から異世界へ行くのは難しい。昨日のことから考えると、向こうにいられるのは半日ちょっとぐらいだろうか。当然、夜から向こうへ行けば、こちらに戻ってくるのは月曜日の昼以降になると思われる。

 ここは大人しく、異世界へ行くのは次の週末を待った方がいいだろうか。

「だけど……ミレーニアさん、俺のこと心配しているかもしれないし……」

 俺は異世界で出会った、天使のようなお姫様のことを思い出す。俺の多少のうぬぼれを許してもらえるなら、彼女は俺に結構好意を寄せてくれていたはずだ。その好意が感謝によるものなのか、それとも恋愛的なものなのかは不明だが。

 そのミレーニアさんならば、突然消えた俺のことを心配しているかもしれない。それがすごく気がかりだ。

 いっそのこと、明日は大学をサボるか? これまで真面目に講義には出ていたので、一日ぐらいサボっても大丈夫だと思う。

 ただ、明日もバイトがあるんだよな。大学とバイト、両方サボるのは如何なものか。

 それに明日のバイトをサボるのであれば、充電が完了し次第に異世界へ行ってもことは同じだ。

 うーん、ホント、どうしようか。

 腕を組み、壁際にたてかけた聖剣の青く輝く宝玉を見つめながら、俺はあれこれと考える。

「……おそらく、この宝玉が転移のスイッチだよな」

 俺は昨日のことをふと思い出す。あの時、この宝玉から光が溢れだし、俺はミレーニアさんのいる世界へと転移した。その光が溢れ出す直前、俺は確かに宝玉に触れたのだ。正確には、宝玉を柄に押し込むようにしたことがスイッチなのだろう。

「今ここで試してもいいけど……」

 聖剣を持ちながら、俺は壁にかけてある時計へと目を走らせる。

 今の時刻は4時ちょっと過ぎ。あと1時間もしないうちにバイトへと行かなければならない。

 バイトを取るか、異世界を取るか。

「……やっぱり、バイトや大学をサボるのはよくないよな」

 小心者の俺は、そう決断する。勝手にバイトをサボって、店長に怒られるのはやっぱり嫌だった。

 仮病を使ったり何らかの急用ができたりしたことにしてもいいが、ウチの店長は妙に鋭いところがあるからな。以前に適当な嘘でバイトをサボった奴、店長からものすごく怒られていたし。ウチの店長、怒るとすっげえ恐いんだよ。

「……大人しくバイトへ行くか」

 別に焦って異世界へ行くこともないだろう。邪竜王の城の周囲に脅威はなさそうだったし、ミレーニアさんの傍には一応王国一の騎士もいることだし。

 もっとも、その王国一の騎士がイマイチ信用できないのが問題だけど。

 結局異世界には行かないことを決断した俺は、バイトへ出かける準備を始めるのだった。



「どうしたんですか、水野さん? 今日の水野さん、心ここにあらずって感じですよ?」

 俺にそう尋ねてきたのは、バイト仲間のもりしたすみちゃんだ。

 現在高校二年生の16歳で、バイト先の店長の姪に当たるって噂だな。

 誰にでも明るく楽しげに接するで、セミロングの明るい茶髪と大きな瞳、そして何より笑顔が印象的な、ちょっとした美少女が香住ちゃんである。同時に、俺的女性ランキングのトップに君臨する存在でもある。

 ミレーニアさんが異世界の天使なら、香住ちゃんはこの世界の天使だよな。でも、さすがに王女様であるミレーニアさんを恋愛対象にするような度胸は俺にはない。ほら、俺ってやっぱり小市民だし。

 そんな俺にとって、より身近な香住ちゃんこそがマイエンジェルなのである。

「何か悩みごとでも?」

「いや、悩みってわけじゃないけど、ちょっとね……」

 今日の俺は、バイト中もついついあの聖剣や異世界のことを考えてしまっていた。

 やっぱり、店長に頼んでバイトのシフト変えてもらおうかな。大学の方は、まあ何とかなるだろう。

 そんなことを考えている俺に、香住ちゃんはいつもの笑顔を向けてくれた。

「何か私にできることがあれば、何でも相談してくださいね。私と水野さんの仲じゃないですか」

「俺と森下さんとの仲……?」

 一瞬、俺の心臓がどきりと跳ね上がる。だが、跳ね上がった心臓の鼓動は、次の彼女の言葉であっさりと平常運転へと戻った。

「はい! バイト仲間です!」

 うん、そうだね。俺と香住ちゃんはバイト仲間だよね。俺としては、もうちょっと親密な関係になりたいところだけど。

 なお、俺が香住ちゃんを名前で呼ぶのは、今のところ心の中だけ。彼女本人に対しては「森下さん」だ。その辺りから俺と彼女の関係、そして俺の心境を理解していただきたい。

 その後も時間一杯までバイトを続けたものの、どうも集中力に欠く一日だった。途中でやんわりと店長から注意されるぐらいに。

 バイト中もついつい考えてしまうのは、やはりあの聖剣のこと。

 さすがにバイトに聖剣を持ってくるわけにはいかないので、数本のタオルでぐるぐる巻きにして、部屋の押し入れの奥に隠してきた。

 万が一、空き巣にでも入られて盗まれでもしたら困る。不思議な能力を抜きにしても10万円もしたあの聖剣は、俺の部屋にある物の中でダントツで高価な物なんだ。

 バイトの方は何とかシフトを変わってもらうとしても、大学はどうしようもない。やはり、次に異世界に行けるのは週末になりそうだ。



 翌日。朝起きてベッドで身体を起こした瞬間、とんでもない激痛が俺を襲った。

 手足……太股と二の腕が特に酷い。だけど、この痛みに俺は心当たりがあった。というか、過去に何度か経験したことのある痛みだ。

「うごぉぉ……こ、これは……き、筋肉痛……か?」

 そう。間違いなく、俺の身体を襲うこの痛みは筋肉痛だった。

 子供の頃、調子に乗って遊びすぎた時や、体育の授業で長時間走らされた時など、決まって翌日は筋肉痛になったものだ。

 この筋肉痛の原因は、もちろん一昨日の異世界での一件だろう。

 最近はスポーツさえしていなかった俺が、突然ドラゴンや騎士を相手に戦ったのだ。当然ながら筋肉を相当酷使したのだろう。

 聖剣によって操られていたとはいえ、俺の身体は俺の身体である。最近は運動不足だったこともあり、俺の筋肉は盛大な悲鳴を上げているわけだ。

「ぎ……、こ、これは……相当……きつい……」

 激痛に耐えながら、何とか着替えて朝食を摂る。そして、大学へと出かける。

 大学まで普段は自転車を使っているのだが、さすがに今の俺に自転車は無理だ。よって、大学まで歩くことになるのだが……ただ歩くだけでもかなり辛い。いつもより相当時間をかけながら、何とか俺は大学に辿り着いた。

 そして、激痛に喘ぎつつ講堂に入った俺を見て、友人たちは大笑いしやがった。

 ちくしょう、おまえら覚えていろよ。今度何か奢らせてやるからな。

 それでも、座って講義を受けている間はまだマシだった。反対に、トイレや昼食を食べに行った時は地獄だったけど。

 激痛に耐えながら何とか一日を乗り越えた俺。後、バイトは……スイマセン、店長! 今日、バイト休ませてください! さすがにこの状態で仕事するのは無理ッス!

 電話でバイトを休むことを告げた俺は、晩飯を食うこともせずに風呂に入り、湯の中で痛む身体を自分でマッサージする。

 これが実家だったら、弟か妹にマッサージさせるところなんだけどな。さすがに他県にいる家族を、筋肉痛ってだけの理由で呼ぶわけにはいかない。

 風呂から出た俺は、早々にベッドに潜り込む。はぁ、身体を横にするのが一番楽だよ。

 明日になれば多少はこの筋肉痛もマシになるかな? と考えつつ、俺はゆっくりと微睡みへと落ちていった。


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