エンジェリック・プリンセス



 俺が目覚めた時、目の前に天使がいた。

 蜂蜜色の髪の毛に、エメラルドのような双眸。

 シャープなラインの顎と、その上に続く頬は適度な柔らかさを宿しているのが、見ただけでも分かる。

 頭の上には、小さな半冠……ティアラとか言うんだっけ? 大小様々な宝石があしらわれたそのティアラは、それ一つだけで一戸建ての家が何軒も買えそうだ。

 桜色の唇は、触れたらきっと柔らかいんだろうな。

 本当、俺の陳腐な表現力では、とても目の前の天使の美しさを表現しきることなんてできない。

 そんな天使が、心配そうな表情を浮かべて俺の顔を覗き込んでいる。

 さっきはドラゴンで今度は天使かー。一体、本当にここはどこなんだろうなー。

 うん、改めて思えば、ここってどこなんだ? 当然ながら、ドラゴンなんて普通はいるわけがない。

 そのドラゴンが存在した以上、ここは俺がよく知っている「世界」ではないのだろう。

 異世界とか異次元とか、俺が暮らしていた所とは全く別の世界。そんな場所に迷い込んでしまったのだと思う。その理由は……当然、あの聖剣だ。それしか考えられないからな。

 今も俺の右手には聖剣の感触がある。どうやら、気を失っている間も聖剣は手放さなかったらしい。

 その感触に何となく安心感を抱いた時、俺を覗き込んでいた天使が綺麗な声を発した。

「気がつかれましたか、剣士様?」

 天使の肩がふっと下がり、桜色の唇から僅かに吐息が零れ出た。

 ん? この天使、よく見ると上下逆さまで俺の顔を覗き込んでね?

「見慣れない衣装を召されておいでのようですが……あなた様は異国の剣士様なのでしょう?」

 再び逆さま天使の口が動き、耳に心地良い声を発した。うん、声までマジで天使だ。

 この時、俺の後頭部に何か柔らかくて温かいものがあることに気づいた。逆さまの天使の顔といい、この状況ってもしかして……

 ちらりと横目で確認してみれば、俺の頭のすぐ近くに薄いグリーンの布地が見えた。

「ひ、膝枕……?」

「はい、失礼かと存じましたが、邪竜王を退けわたくしを救ってくださったお方を、冷たい床の上に寝かせておくわけにもいきませんので」

 と、にっこりと微笑む天使さん。

 生まれて初めて経験する女性の膝枕──子供の頃に母親や親戚などにしてもらったのはノーカン──が、こんな天使さんだなんて……そうか、これが感動って奴なんだな!

 俺が心の中で拳を握り締めている間も、天使さんの言葉は続いていた。

「申し後れました。わたくしはミレーニア・タント・アルファロ。現アルファロ王国、フリード・タント・アルファロの娘にして、アルファロ王国の第二王女です」

 さすがにいつまでも膝枕をしてもらうわけにもいかないので、身体を起こして俺たちは向かい合う。

「あ、ああ……ど、ども……え、えっと……お、俺は水野茂樹と言います」

「ミズノシゲキ様とおっしゃるのですね? 聞いたことのない響きのお名前ですが、どちらのお生まれなのでしょうか?」

「え、いや、そ、その……こ、ここからだと、遥か遠い東の島国から……」

 多分、この天使さんに「日本」という名前を出しても理解してもらえないだろう。ってか、ここが異世界なら日本なんて存在しないだろうし。

 そんなわけで、ついテンプレな設定を口にする俺であった。



 改めて、俺は目の前の天使さん……ミレーニアさんを見てみた。

 年齢はぶっちゃけよく分からない。何となく白人系に見えるが、俺の知る西洋人とはどこか違う気もする。

 おそらく十五歳ぐらいじゃないかな、とは思うが、ひょっとするともっと年下かもしれない。

 蜂蜜色の髪の毛に、エメラルドグリーンの瞳が実によく似合う、すっげえ美少女。それがミレーニアさんだ。

 身に着けているドレスは薄緑で、素人目に見てもとっても高価そうだ。ドレスの至る所に細かい刺繍が施されているし、手の込んだレースとかも使われているし、素材もきっといい物を使っているんだろうな。

 そういやさっき、ミレーニアさんは自分のことを何とか王国の第二王女とか言っていなかったか? もしかして、本物の王女様? うわ、俺、何か失礼なことしていないよな? 膝枕はミレーニアさん……じゃなくてミレーニア様が自主的にしてくれたので、不敬罪とかに問われないと思うけど……ちょ、ちょっと聞いてみようか? ゆ、勇気を出して。

「あ、あの……ミレーニア様……?」

「わたくしのことはどうかミレーニア、と。ミズノシゲキ様はわたくしを邪竜王から救い出してくださった、大恩あるお方ではありませんか」

 ぽん、と胸の前で手を打ち合わせ、嬉しそうに微笑むミレーニアさん。

 どうやら、不敬罪には問われないようだ。安心した。

「あ、あの……では、ミレーニアさんと呼ばせていただきます」

「呼び捨てにしてくださってもいいのですよ?」

「い、いえ、初対面の女性を呼び捨てにするなんて、俺の生まれ故郷の風習や考え方に反しますのでっ!!」

 咄嗟にそんな設定を作り出す。故郷の風習だと言えば、ミレーニアさんも強くは言えまい。実際、それならばと彼女も納得してくれたし。

「ところで、どうしてミレーニアさんはこんな所に? ってか、そもそもここはどこなんですか?」

「ここはアルファロ王国の北方、人の住まぬ魔境である『灰銀の森』の更に奥にある、黒竜山脈の最高峰に存在する邪竜王ヒュンダルルムの居城ですが……ご存知ではないのですか?」

 不思議そうな顔で俺を見るミレーニアさん。そりゃそうだろう。自分の下宿から突然ここに来ました、なんて言っても信じてはもらえないだろうし。

「い、いえ、実はですね……気づいたらここにいたんです。不思議ですよねー、あははー」

 よし、奥義「笑って誤魔化せ」が発動した。これでこの話題は煙に巻けただろう。

 果たして、本当に誤魔化せたかミレーニアさんの様子を窺えば、何故か彼女は両手を組み合わせて感動に打ち震えていた。

 何故に?

「ああ……神々はわたくしの願いを聞き届けてくださったのですね。天空におわす神々は、わたくしを助けるために邪竜王をも倒せる勇者をこの場に遣わしてくださったのですね」

 何か、盛大に勘違いされているっぽい。でも、その勘違いを訂正する方法がないんだよなぁ。

 仕方ない。ここは勘違いのままで押し通すことにしよう。



 ミレーニアさんの話を聞くと、こういうことらしい。

 ある日、平和なアルファロ王国に邪竜王ヒュンダルルムと名乗る黒竜が飛来した。邪竜王の存在は、王国や近隣諸国の様々な文献や御伽噺などに登場するものの、実物はここ数百年見かけられることはなかったらしい。その邪竜王が、突然現れたのだ。

「どうして数百年見かけられなかったのに、突然現れたのでしょうね?」

「どうやら、この数百年は邪竜王は休眠期で眠っていたとか。そして休眠期が終わって目覚めた邪竜王は、空腹を満たすために我が王国を襲ったらしいのです」

「その話はどこから?」

「わたくしをここに連れてくる間、邪竜王自身が自慢そうに話しておりました」

 なるほど。本人──本竜?──がそう言ったのなら、間違いないな。

 そして、いくつかの町や村を襲って腹を満たした邪竜王は、アルファロ王国の王都へとやってきて、王都中に響き渡る声でこう言ったそうだ。

──この街に住む人間を皆殺しにして欲しくなければ、王族の娘を一人、我へと差し出すがいい。

 と。

 そして、この国の王様は民を救うべく、泣く泣く自分の娘であるミレーニアさんを邪竜王に差し出した、というわけだ。

 いやまあ、ドラゴンがお姫様を攫うのはテンプレではあるが、どうしてドラゴンって人間のお姫様を攫うんだろう? 別に食べるわけでもないよね? 実際、ミレーニアさんはこうして無事だったわけだし。

「それも邪竜王自身が言っておりましたが、わたくし……王族の娘を攫うことで、王族やその国の民たちが悲しみ、途方に暮れる。そんな人間の姿を見るのが何よりの楽しみだそうで……」

 ミレーニアさんを攫った後、邪竜王は時々アルファロ王国の空を飛んでは、悲しむ人々を見下ろして楽しんでいたらしい。

「腐っていやがるな、このドラゴン」

 俺は床に転がっている黒いドラゴンの頭を見た。

 まさか、ドラゴンがお姫様を攫う理由がそんな腐った理由だったなんて……ある意味、夢が壊れた気分だ。

 いや、そんな腐ったドラゴンはきっとこの邪竜王とやらだけだと思いたい。そもそも、自分から「邪竜王」とか名乗っている時点でかなり痛々しいし。

 黒ドラゴンの頭は相変わらず、でろーんと舌を吐き出したままで、ちょっと……いや、かなり気持ち悪い。よし、もう見ないでおこう。

 で、ミレーニアさんを攫った邪竜王は、「姫を取り返したくば、いつでも我が居城へと来るがいい。最大のもてなしで歓迎しよう」と言って王都を飛び去ったとか。

 もしかすると今頃、ミレーニアさんの国では彼女を奪還するために軍とか編成しているのかも。

 聞けば彼女の父親であり、今の国王様はミレーニアさんのことをすごく可愛がっているそうだ。そんな国王様が彼女を邪竜王に差し出したのは、彼女以外に「王族の娘」がいなかったから。

 ミレーニアさんにはお姉さんがいるそうだが、その人は既に他国に嫁いでいるとか。それで彼女しか該当する者がいなかったってわけだ。

 そんな愛娘を国王様が泣く泣く差し出したのは、全ては民を思うがゆえ。どうやら、アルファロ王国の国王様は、民思いのとってもいい人みたいだな。

「そして……この城へと連れてこられたわたくしは、塔の一つへと幽閉されました。邪竜王が言うには、その塔への出入り口は邪竜王が生きている間は、その眷属にしか開くことはできないとのこと。実際、何度も試しましたが出入り口の扉は固く閉ざされたままでした」

 食事などの彼女の世話は、その邪竜王の眷属とかいう魔物がしてくれたそうだ。見た目は直立歩行する蜥蜴のような魔物というから、いわゆるリザードマンって奴だろう。

 その魔物は喋ることはなかったが、それでもしっかりとミレーニアさんの世話をしてくれたようだ。

「あれ? ってことは、その眷属って連中がまだこの城の中にいるんじゃ……?」

「いえ、邪竜王の眷属たちは、主人である邪竜王が倒されると同時にここから逃げ出したようです」

 この城に連れてこられて十数日……つまり、今日。

 突然、邪竜王の居室──今、俺たちがいる場所のこと──から激しい戦いの音がしだしたと言う。

 その音はここから少し離れたミレーニアさんが幽閉されていた塔にまで響き、彼女は誰かが自分を助けに来たのでは、と考えたらしい。

「その考えは正しかったのです! こうして、ミズノシゲキ様が見事邪竜王を討ち倒してくださったのですから」

 きらきらとした目で俺を見つめるミレーニアさん。

 いや、そんな憧れるような目で俺を見ないで。気づいたらここにいて、済し崩し的にあのドラゴンと戦っただけだから。しかも、戦ったのは俺の意思じゃない。おそらくあれは……。

 俺は、すぐ傍に置かれた聖剣をちらりと見た。一応、鞘に収めてはあるけど。

「そして、戦いの音がしなくなったので、わたくしは試しに塔の出入り口の扉を開けてみました。すると、これまでどうしても開くことのなかった扉が、すんなりと開いたではありませんか」

 それで塔の外に出てみれば、邪竜王の眷属であるリザードマンたちが、すたこらと城から逃げ出していくところだったらしい。

 辺りに他の魔物がいないことを確認しつつ、ミレーニアさんは恐る恐るこの場所までやって来た。そして、首を斬り落とされた邪竜王と、その傍で倒れていた俺を発見したというわけだ。

 しかし、このお姫様、結構行動力あるね。お姫様ってもっとこう、部屋の中で大人しくしているとばかり思っていたけど、俺の勝手なイメージだったのかもしれない。

 いや、びっくり。


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