ドラゴンスレイヤー



 ここで改めて、俺という人間を振り返ってみたいと思う。

 俺の名前はみずしげ、十九歳の大学生である。

 通っている大学は、地元から遠く離れた都市部の某大学の歴史学部。成績はごく普通……だと思う。留年するほど悪くはないけど、飛び抜けていいわけでもない。可もなく不可もなくってのが、俺を表すのにぴったりだと自分では思う。

 身長は一七七センチ。髪の色は生来の黒。特に染めたりしたことは一度もない。興味もなかったし。

 趣味はいろいろあるが、最も興味のあることは刀剣の鑑賞だろうか。博物館などに展示してある日本刀とか見ているだけで、二、三時間は余裕で潰せる自信がある。俺が大学で歴史を学んでいるのも、こんな刀剣好きが高じた結果であるのは間違いないだろう。

 バイトは下宿近くのコンビニ。バイト仲間との仲は悪くない。同じ大学の友人や、他の大学のバイト仲間たちと結構上手くやっていると思う。近々バイトリーダーに任命しようか、なんて店長が言っていたけど、本当かどうかは分からない。

 そんなバイト仲間の中でも、高校生のもりしたすみちゃんが最近ちょっと気になっているのは俺だけの秘密だ。

 セミロングの明るい茶髪と、いつも元気なところが気に入っている点である。誰に対しても笑顔で快活に接する点も、俺にとっては高ポイントだな。

 とまあ、俺なんてごく普通の大学生にすぎない。そんな俺が……どうしてドラゴンと対峙しているのだろうか。

 誰か教えてください。マジで。



 目の前にいる真っ黒なドラゴン。翼の生えた蜥蜴という、実にテンプレな姿をしている。

 胴体の大きさは大型のバスより大きい。頭の先から尻尾の先まで合わせると、三〇メートル近くあるだろうか。そしてその翼も、巨大な胴体をすっぽりと覆えるぐらいの大きさがある。

 そんなデカくて真っ黒なドラゴンが、驚いた顔──多分、驚いていると思う──でじっと俺の持つ聖剣を見つめていた。

 先程は雷纏うとか何とか言っていたな。

「ど、どうしてその聖剣がここにあるのだっ!! その剣は、伝説の彼方に消え去ったのではなかったのかっ!?」

 唸り混じりの掠れた声で、ドラゴンがそんなことを言っている。そういや、どうしてこのドラゴン、日本語を話しているんだろう?

 ところで、さっきから俺の両肩が悲鳴を上げているんですけど……そりゃあ、ドラゴンが振り下ろした爪を頭上で受け止めたままなんだから、肩が悲鳴を上げるぐらいなら御の字なのかもしれない。本来なら、この爪で俺の身体なんて真っ二つだっただろうし。

 それでも、辛いものはやっぱり辛い。

「く……そ……いい加減……か、肩が……」

 肩を襲う苦痛に歯を食いしばっていると、不意に肩にかかっていた重圧が消えた。

 どうやら、聖剣が斜めになって爪を横へと受け流したらしい。

 ってか俺、よくドラゴンの爪を受けて立っていられたよな。

 何とも場違いな感想を抱いていた俺を、突然突風が襲った。ドラゴンが翼をはためかせ、俺を吹き飛ばそうとしたようだ。

「うわ……っ!!」

 またもや反射的に目を瞑る。いや、俺だけに限らず、誰だってこんな状況では目を瞑ってしまうだろう。

 顔面に吹きつける猛風。床に散らばっていた小石なんかが巻き上げられ、俺の剥き出しの顔や腕にびしびしと当たって痛い。

 そういや俺、部屋着のままだ。上下揃いのグレーのスウェットで七分袖の奴だから、肘のちょっと先から剥き出しなんだよな。足元なんて裸足だし。

 口の中にも砂が入り、じゃりじゃりする。砂と一緒にここで唾を吐いてもいいかな? そもそも、ここってどこだよ? ドラゴンはここを自分の居城って言っていたけど……

 またもや思わず現実逃避していたら、不意に全身を襲う猛風が消えた。変わって、今度は下から強烈な風が吹きつけてくる。同時に、俺の身体を包み込む落下感。

「…………え?」

 目を開ければ、足元にあの黒いドラゴンがいた。いや、正確には足元のもっと下……どうやら、いつの間にか俺は天井近くまで跳躍していたらしい。

 でも、変だよ? 今の俺、すっげえ高い所にいるんですけど? 足元のドラゴンや床を見れば、一〇メートルぐらいは飛び上がっていると思われるんですけど?

 もちろん、ごく普通な俺にそんな某ヒーローのような跳躍力があるわけがない。

 そしてドラゴンはと言えば、俺に向かって頭を振り上げ、再びその口から火炎を吐き出した。

「い、一体何がどうしてどういうことなんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 思わず口から飛び出た疑問の言葉と同時に、俺の身体はに手にした聖剣を全力で振り下ろした。



 俺は見た。はっきりと見た。

 勝手に振り下ろされた聖剣が、俺に向かって迫る赤い炎を確かに斬り裂くのを。

 へー、炎って剣で斬れるんだー。今まで知らなかったなー。

 はい、また現実逃避ですね。もしかして、俺って混乱すると現実逃避する癖があったのかも。

 俺の身体は落下しながら炎を斬り裂き、そして更に落下を続けた。ぐんぐんと迫ってくる、黒いドラゴンの顔。

 ドラゴンは俺の身体を丸呑みにでもするつもりなのか、またもや口をぐわっと大きく開けた。

 その奥に、先程のような炎の煌めきは見えない。おそらく、俺に炎を吐いても無駄だと考えたのだろう。

 ドラゴンの大きな口は、俺の身体を完全に呑み込んでしまえるぐらいには大きい。このままだと、俺はドラゴンに生きたまま飲み込まれ、胃の中で消化されるのを待つだけだ。いや、その前に口の中にずらりと並んだ鋭い歯で、咬み殺されてジ・エンドだろうか。

 落下する身体は、当然ながら自由が利かない。俺はこのまま、ドラゴンの口に向かってコードレスバンジーを敢行するしかないわけだ。

 どんどん迫るドラゴンの口、ドラゴンの赤い目が、にやーっと嫌らしく歪んだように俺には見えた。

 その時。

 身体の落下する軌道が、突然変化した。まるで空中に見えない足場でもあるかのように、俺の足が空中で何かを蹴ったのだ。

 ま、また俺の身体が勝手に動いた……? って、今蹴ったの何っ!? 当然ながら、空中には何もないんですけどっ!?

 驚きで目を白黒させている俺を無視して、俺の身体は勝手に真下から斜め下へと落下の軌道を変え、丁度ドラゴンの首の後ろ辺りに飛び込んだ。

 がちり、という音が背後から聞こえる。きっとドラゴンが口を閉じた音だろう。その音を聞きながら、俺の身体はまたまた勝手に動く。

 空中で身体を限界まで捩じり、次いで螺旋状に回転したのだ。

 その回転を活かし、腕が俺の意思を完全に無視して下から上へ──螺旋状に回転しているので、本当に「下から上」なのかいま一つ不明だが──と剣を振り上げる。途中、がつんと何か硬い物に当たる感触。だが、すぐに剣はその抵抗を打ち破り、そのまま多少の手応えを感じながらも完全に振り切ることができた。

 そして、俺の身体は肩から床へと落下する。石の床に思いっ切り肩を打ち付け、再び目の前に火花と星が飛び散った。

「ぐああああああっ!! いってえぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 思わず飛び出る悲鳴。それに合わせるかのように、どすん、という重々しい音が。そして、続いてびしゃびしゃと何かが盛大に零れる音も聞こえてくる。

 痛みで霞む目を何度も瞬き、俺はその光景を見た。見てしまった。

 巨大なドラゴンの首がすっぱりと切断され、口からでろりと舌を吐き出しながら床に転がっていた。

 光を失った赤い目がじーっと俺を見つめていて、俺は肩の痛みも忘れて飛び上がり、そのまま後ろも見ずに盛大に後ずさった。

 びしゃびしゃという音は、切断された首から撒き散らされるドラゴンの血。その勢いは見る間に弱くなり、やがてちろちろと流れ出る程度になる。

 そして思い出したかのように、首を失ったドラゴンの巨体が横倒しになった。どぉぉぉぉぉん、という重々しい音と共に、黒山のような胴体が倒れて周囲を衝撃が襲う。

 その衝撃に足を取られ、思わず尻餅をつく。

 何となく、俺が剣でドラゴンの首を斬り落としたらしいことは分かっているが……そんな実感は全くない。

 だって俺、普通の大学生だぜ? 剣道なんて、高校の体育の授業でやったぐらいだ。そんな俺がドラゴンの首を斬り落とせるわけがないだろ? そもそも、この剣は模造剣で刃なんてついてないし。ってか、どうして俺はここでドラゴンなんかと戦っていたんだ?

 今更ながら、俺の身体ががたがたと震え出す。

 歯ががちがちと音を立て、手足の震えが止まらない。息も浅く激しくなり、このままでは過呼吸にでもなりそうだ。

 俺の目が、改めて床に転がったドラゴンの首と、倒れているその胴体を捉える。

 口元に並んだ牙や、手足に生えた爪は、下手な剣や槍よりも鋭いだろう。頭に生えている角、それに尻尾や翼だって、使い方次第では十分な凶器だ。そしてなにより頑丈そうな鱗に包まれたその巨体は、「空飛ぶ戦車」と言っても過言ではないだろう。

 そんなドラゴンと戦っていたなんて……今になってようやく、身体の奥底から恐怖がすごい勢いで湧き上がってきた。

 恐怖に支配された俺の身体は、今もまだ震えが止まらない。だが、それでもあの聖剣だけは、手放さなかったみたいだ。

 いや、必要以上に手に力が入りすぎて、手放すことさえできない、と言った方が正しいのかも。

 聖剣は今も俺の手の中にあって、血糊なんてまるで見当たらない綺麗な刀身をしていた。

 多分……いや、確かにこの剣で、俺はドラゴンの首を落としたのに。

 その変わることのない銀色の輝きを見ていると、俺の心は段々と落ち着いてきた。そして安堵の息を吐き出すと同時に、恐怖から逃れることができた安心感からか、それとも知らず強いられていた極度の緊張から解放されたからか、俺の意識はそのまますーっと暗闇の中へと落ちていったのだった。



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