第八話 彼女の逆襲

 あんな場所にいたのかよ、と思ってしまうほど遠くの席まで行くと、女の子は荷物の中から何かを手にして戻って来る。


 それは、長さ十五センチくらいのL字型の定規と問題集だった。


「さっきの三角形、この曲尺でもいいんだよね?」

 息を切らしながら、女の子はその定規を僕の前に差し出す。

「カネジャク?」

 聞きなれない言葉に、僕は彼女が取り出したものを凝視する。

 それは、どう見てもプラスティックでできていた。

「一の長さの線が引ければいいんだよね?」

 彼女は先ほどの席に座り、僕のノートの隅に斜めの線を引く。


 ――ええっ、これってどういうこと!?


 その三角形は、僕が描いた一センチの三角形よりもはるかに大きかった。そう、三倍くらい。

「どう?」

 女の子は鼻息を荒くしながら僕の方を向く。

 どうって言われても、デカいという言葉しかない。

「これ、一センチじゃないよね?」

 どう見ても三センチくらいはある。

「そうよ。だってセンチじゃないもの」

「じゃあ、インチ?」

「バカね。日本文化学科を目指してる私が、そんなメリケングッズを使うわけないでしょ?」

 バ、バカって……。

 ちょっとムッとしてしまった僕だが、日本文化と言われて思い当たるものがあった。彼女が線を引いたL型の定規は、大工がよく使っているものとそっくりだったのだ。

「インチじゃないとしたら、これは……?」


「一寸よ」


 寸!?

 寸って尺貫法の寸だろ?

 それって、いったい何時代の話だよ。


「一寸って……何センチだったっけ?」

「三・〇三センチよ」

 即答だった。

「そんなことも知らないの?」

 ささやかな逆襲付きで。

「そしてこの定規は五寸曲尺」

 その言葉を聞いて僕は反撃に転じる。

「カネジャクって、その定規は金属製じゃないじゃん。プラスティック製だろ?」

 すると彼女は呆れた顔をする。

「何言ってんの? 『曲がる尺』って書いて、カネジャクって読むのよ。キミは数学には詳しそうだけど、何も知らないのね」

「ぐっ……」

 僕は言葉を失った。

 そんな僕をよそに、彼女は大きな三角形の縦の長さを測り始める。

「ほお、確かに〇・五寸だわ。サイン三十度は〇・五ってことね」

 しかし、まさか寸を使うとは思わなかった。確かにこれなら、センチよりも正確に長さを求めることができる。

「ああ、そうだよ……」

 小さな敗北感で心を満たしながら、僕は静かに頷いた。

「それで、コサイン三十度は、っと……」

 彼女は続いて横の長さを測り始める。そして表情を曇らせた。

「〇・八七寸じゃない。キミはさっき嘘を言ったわね」

「嘘って、〇・八センチって測ったのは君じゃないか」

「あれは小っちゃすぎてよく分からなかったのよ。ノートの角も丸まってたし」

「だったら垂線を使えばいいんだよ。ノートの真ん中に直角の線を引いて書き直す。そういう機転も重要だぜ」

「わざわざそんなことしなくったって、寸を使えばより正確な値が出たじゃない。それにスイセンを使うって? そんなこと考えもしなかったわ」

 そんな風に言われると言い返す言葉が見つからない。

 得意げな顔で、彼女は問題集を広げ始めた。

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