第二話 集中の儀式

 勉強を始める時、僕には独特の儀式があった。

 サインカーブを頭の中に思い浮かべるのだ。


 サインカーブ。

 僕が世界で一番美しいと思う曲線。

 波の形を表わしている、と言えば分かる方もいるだろう。

 上がっては下がり、下がっては上がる。それを無限に繰り返す。


 儀式のやり方はこうだ。

 まず、数学の教科書の三角比のページを広げる。そこには理想のサインカーブが描かれていた。

 次に目を閉じて、頭の中にサインカーブを描く。

 最後に深呼吸をして、目の前に右手を差し出す。そして頭の中のカーブを目を閉じたまま掌でなぞるのだ。四分の一波長が十五センチの巨大なサインカーブを。


 勉強を始める時、そして眠くなってきた時が効果的。すうっと心が落ち着き、集中力が蘇って来る。そう、一度下がったカーブが再び持ち上がるように。

 しかし、フードコートでこの儀式を行うのは、さすがに少し恥ずかしかった。

 朝は問題ない。ほとんど人が居ないから。大きく手を使って集中力を高めることができる。

 問題は昼下がりの時間帯だ。

 遅い昼食をとる人、お茶のために訪れる人。フードコートはまだまだ賑わっている。

「でも、待てよ……」

 そこで僕は発想の転換をした。

「儀式を行えば、眠気は覚めるんじゃないのか……?」

 ――恥ずかしければ眠気は覚める。

 ――恥ずかしくなければ集中力は高まる。

 どちらにせよ、勉強にとってプラスになることは明らかだ。

 フードコートの受験勉強も一ヶ月が過ぎると、僕はどんな時間でも堂々とサインカーブを描けるようになっていた。


 そんなある日。

 事件は起きた。

 コーヒーを買うために僕は席を外していた僕は、広げたままにしていたノートを見てあ然とした。


『三角比なんてクソくらえ!』


 白いはずのページの真ん中には、マジックで描かれた攻撃的な丸っこい文字が躍っていた。

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