第二話-3
二十数年前のその日──。
佐山はメシ時を狙って押しかけた熊田の部屋で、二人でチャーハンを食べはじめたところだった。
「こンのネズミ野郎っ!」
安アパートの扉はいきなり蹴破られた。
飛び込んできたのは、石倉という名の二人の兄貴分だった。
「こっ……のっ!」
石倉は佐山の姿などまったく目に入っていない様子で真っ直ぐ熊田のところに飛んでくると、いきなり胸ぐらを掴んだ。両目が三角につり上がっている。
「ふざけたこと、しやがって!」
体格のいい佐山よりさらに上背のある石倉に引っ張り上げられては、熊田などひとたまりもなかった。
「ぐぅぅ」
たちまち首が絞まって顔が赤くなる。
石倉はうなじからスポーツ刈りの頭の方まで、沸騰した血の色に染まっている。熊田のシャツを掴んだ指も、服の上からでも筋肉の隆起が見て取れる二の腕までもが震えていた。
「俺の女に手ぇ出すとは、いい度胸だ!」
「ぐ……ふっ」
熊田の手からスプーンが落ちた。
「俺……な……にも……」
やっと吐き出した言葉も、拳に打ち砕かれる。一番の下っ端に女を奪われた兄貴分の怒りが、ネズミの痩せて尖った貧弱な顎に炸裂した。
「こンの、クズ野郎が!」
馬乗りになられた熊田にもとより逆らう気などなく、殴られるがままになっている。
「このっ! このっ!」
肉の塊をコンクリートに叩きつけるような、普通に生活していれば聞くことはないだろう厭な音だけが、延々狭い部屋に鳴り響いた。一発くらうたび、熊田は放り出した両手を強く握りしめては開いてを繰り返していたが、やがて動かなくなった。畳に爪をたてた指に、時折、短い痙攣が走るだけだ。
佐山にも覚えがあった。互角に殴りあえる人間なら、相手を倒すかこちらが倒れるか、さもなければお互い疲れて手を引くか。やめるきっかけはつかめる。だが、無抵抗な人間は、なぜか拳が止まるどころか反対に勢いづくのだ。次第に規則的なリズムに乗って手を動かしている気分になってくる。身体中を猛スピードで駆け巡る血液がエンジンとなって、止まらなくなる。
熊田が殴られている間、佐山はチャーハンを食べ続けていた。スプーンを動かす手を一瞬も止めることなく黙々と口を動かしながら、涙と鼻水と血で赤く染まっていく熊田の顔を見ていた。
ざまあみろ!
佐山の胸では、そんなどす黒い気持ちが渦巻いていたのだ。
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