第百十七幕 ~優美なる調略~
ラ・シャイム城 聖羅殿
燦然と輝くシャンデリアがいくつも連なった聖羅殿は、今宵華やかな雰囲気に包まれていた。
弦楽器の美しい調べが聖羅殿を優雅に彩り、それぞれが優美な踊りを披露している。
「ちょっ、もう少しゆっくり」
「はぁ。君はもう少しスマートに踊れないのか?」
「そ、そんなこと言われましても僕平民ですし……」
「ちょっと、なに気安く姉の清らかな手を握っているのよ?」
「手を握らなくてどうやって踊るんだよ⁉」
その中にはクラウディアのリードでぎこちなく踊るアシュトンや、お互い引きつった笑みで手を取るエリスとエヴァンシンなどの姿も見受けられた。
「──ではみなさん。これからファーネスト王国の賓客であり、わたくしの大切な友人でもある方をご紹介したいと思います」
黒のドレスで着飾ったソフィティーアの言葉が終わると同時に、入口の大扉がゆっくりと開かれていく。
「いよいよ件の人物のおでましか」
「聖天使様がこれほどまで気にかける人間など未だかつて聞いたことがない」
「なにせ友人だと公言しているくらいだからな」
「相当美しい娘だと噂で聞いたぞ」
「聖天使様の美しさに比べればどうってことはないでしょう」
ソフィティーアのオリビアに対する厚い遇しようはすでに皆が知ることろであり、渦中の人物を一目見ようと集まる高級軍人や上級貴族たちで賑わいをみせていたが、オリビアの姿があらわになると、まるで時が止まったかのように彼らの動きが止まった。
後世に残る神国メキアの古文書には《あまりの美しさに目が眩み──》などといった記述が残されているオリビアの装いは、神国メキアの旅立ちにあたってアルフォンス王から下賜された特注の儀礼服と獅子のマントを身に着けている。
「「「…………」」」
オリビアは堂々とソフィティーアの下へ歩を進めていく。今この場に置いて言葉を発するものは皆無であり、誰もがオリビアの美しさに釘付けとなっていた。
その様子をクラウディアは自分のことのように誇らしく思いながら見つめていると、隣にいるエリスが肩を大きく震わせている。
トロンとした目つきで心なしか頬も赤かった。
「どうした? 体調でも優れないのか?」
小声で声をかけるもエリスは俯いたまま一向に返事をしない。クラウディアが再度問いかけようとしたところ、スッと近寄ってきたエヴァンシンが溜息混じりに言った。
「クラウディア中佐、例の病気だと思うので気になさらずに」
「例の病気?──ああ。例のあれか。全く紛らわしい」
クラウディアが呆れてエリスを見つめている間に、オリビアはソフィティーアの隣に並んだ。おそらくデュベィディリカ大陸でも一二を争う美女であるのは間違いなかった。
(いよいよか。このような場で可笑しな真似をするとはさすがに思えないが……それでもなにか事が起こったときはすぐに動けるようにしておかなければ)
クラウディアは拳に力を込めた。
「聖天使様、オリビア様の準備が整いました」
軽く頷いたソフィティーアは、受け取ったグラスを軽く掲げて微笑む。その姿に臣下たちも慌ててグラスを手にした。
「神国メキアとファーネスト王国の繁栄に」
「「「聖天使様に光あれ」」」
全員がグラスを傾けるのと同時に、まさにオリビアのために用意した豪勢な料理が一斉に運ばれてくる。
「ではオリビアさん。お食事をしながらお話ししましょうか?」
一も二もなく頷くオリビアをテーブルに誘ったソフィティーアは、自らも引かれた椅子に腰かけた。次々とテーブルに置かれていく料理を前に、オリビアは爛々と瞳を輝かせて言った。
「もう食べていいのかな?」
「もちろんです。好きなだけ召し上がってください」
オリビアの行動は速かった。ナフキンの上に置かれているナイフとフォークを掴むと、恐ろしい速さで目の前の料理を口にしていく。
ファーネスト王国で催された晩餐会の折にオリビアの健啖ぶりは遠目に見ていたので理解しているつもりだった。それでもあまりの迫力に、ソフィティーアは話しかけるのも忘れ、しばしの間呆然とオリビアを見つめてしまった。
「ソフィティーア様、凄く美味しいね!」
「そ、そうですね」
我に返ったソフィティーアはなんとか笑みを顔に張り付けた。このままではなんとなくオリビアのペースにはまってしまうと感じ、早速話を切り出すことにした。
「オリビアさんの武勇を色々と聞いたのですが、その若さでどうしてそこまでの剣技を体得できたのですか?」
すでに答えはわかっているソフィティーアであるが、あえて知らない体で尋ねてみた。
「ふぉれはね──」
「飲みこんでからで大丈夫ですよ」
オリビアはコクコクと頷き、ゴクリと派手に音を鳴らした。
「それはね。ゼットに教わったからだよ」
「ゼットさんというのはオリビアさんの師匠ですか?」
「師匠じゃないよ」
言いながら新たに運ばれてきた鳥の丸焼きにフォークを突き立てる。ヨハンがもたらした情報と相違がないことからも、誤魔化すつもりはないようだとソフィティーアは判断し、話を続ける。
「師匠じゃないとすると、もしかしてお父上様かしら?」
「へへと。わふぁひいって」
「飲みこんでからで大丈夫です」
「──わたしって赤ん坊のとき森に捨てられたから親の顔は知らないんだよね」
夢中で鳥肉を切り分けるオリビアは、なんでもないように言う。予期していなかったとはいえ、デリケートな部分に触れてしまい、ソフィティーアはすぐに話題を切り替えた。
「オリビアさんは──」
「ねぇ食べないの? せっかくの料理が冷めちゃうよ」
「……そうですね」
我ながら少し急いているなと反省しながら目の前の魚料理に切り込みを入れる。オリビアがテーブルの料理を一通り平らげたのをきっかけに再び話しかけた。
「そもそもオリビアさんはどういうきっかけで王国軍に入ったのですか?」
「きっかけ? ゼットを探すためだよ」
「いなくなったのですか?」
「うん。突然ね」
なにかを思い出したのか、オリビアは寂しそうな表情を浮かべた。その反応を初めて見せる〝隙〟だと判断したソフィティーアは話を膨らませることにした。
「それは寂しいですね。愛しい者を失うことはなりよりも辛いことですから」
「私は辛いのかな?」
オリビアは不思議そうに小首を傾げる。どうやら自分の感情がよくわかっていないらしい。
「辛いのだと思います……。でもどうしてゼットさんを探すために王国軍に入ったのですか?」
「王国軍に入る前に一緒に旅をした人間が教えてくれたんだ。ファーネスト王国は最も歴史が古い国だから情報も沢山あるって。手っ取り早いのは軍隊に入ることだって言ってたから入っただけだよ」
「なるほど……」
軍隊に所属していれば情報を得やすいのは間違いない。オリビアが王国軍に在籍する理由はわかり、ソフィティーアは内心でほくそ笑んだ。全てはゼットを探すための手段ということであれば、取り込むこともそう難しいことではない。
ゼットが行方知れずだと判明した今、オリビアは是が非にでも欲しいところだ。
「それでゼットさんの手がかりは掴めたのですか?」
「うん。そこそこは掴めたけど、まだまだ時間はかかりそう」
オリビアはたははと笑う。
絶好の機会ととらえたソフィティーアは、本題に入ることにした。
「オリビアさんは知らないかも知れませんが、我が国は優秀な諜報部隊を抱えています」
「そうなの?」
「はい。帝国軍の諜報部隊〝陽炎〟より優秀だと自負しております」
「陽炎? ──ああ、あのどぶねずみか]
言葉からしてどうやら陽炎と相対したことがあるらしいが、そんなことよりも陽炎をどぶねずみと評するオリビアが可笑しく、ソフィティーアは声を上げて笑いたいのを必死でこらえた。
「そのどぶねずみよりも神国メキアの諜報部隊は優秀です。──どうでしょう。もしオリビアさんが望むのであれば諜報部隊を総動員してゼットさんの行方を全力で探させますが?」
「ほんと!?」
勢いよく椅子から立ち上がるオリビア。椅子が派手に倒れ、皆の視線が一斉に集まる。その視線の中にクラウディアの姿もあった。
目の錯覚か、ソフィティーアにはクラウディアの瞳が黄金色に輝いているように見えた。
「ね、ほんとにほんと?」
一瞬クラウディアに気を取られているうちに、オリビアの顔が眼前に迫っていた。本当に怖いほど綺麗な顔立ちをしていると思いながらソフィティーアは答えた。
「ええ。ただ、わたくしの願いを聞いてくれたらですが」
「願い?──もしかしてお金かな?」
「フフッ。いいえ。お金ではありません」
オリビアを席に座るよう促したソフィティーアは、確かな手応えを感じながら話しを続ける。
「わたくしはオリビアさんを聖翔軍に迎え入れたいと思っています」
「──ええと。それは王国軍を辞めて聖翔軍に入れってこと?」
「その通りです。もちろん今の地位以上の待遇をもって迎え入れるつもりです」
「別に地位なんてどうでもいいんだけど……」
その発言からオリビアが地位や権力に全く固執しない人間であることがわかった。そして、オリビアの目的はゼットの行方を掴みたい一心だということも
「オリビアさんが首を縦に振っていただければ今すぐにでも諜報部隊を動かします」
「うーん……」
おもむろに腕を組んで天井を見上げるオリビア。悩んでいると判断したソフィティーアは、ここぞとばかりに畳みかける。
「先ほどもお話しした通り、帝国の陽炎よりも情報収集能力は長けています。それはファーネスト王国であっても変わりありません。成果は期待できると思いますよ?」
「……少し考えてみてもいいかな?」
「もちろんです」
ソフィティーアは即答した。ここで焦っても仕方がない。承諾こそ得られなかったものの、脈は十分にあると感じた。とりあえずは満足すべき結果だ。
「ところで……」
「どうしました? お友達に遠慮は無用ですよ?」
「料理はこれでお終いかな?」
お腹をさするオリビアに、ソフィティーアは今度こそ声を上げて笑ってしまった。今はなによりも食べることが優先らしい。
「まだまだ料理は運ばれてきますよ。今日はオリビアさんのお腹が満たされるまで料理は続くと覚悟してくださいね」
「わかった!」
追加で運ばれてくる料理を先程以上の速さで胃袋に収めていくオリビア。そんな彼女をソフィティーアは微笑ましく見つめるのであった。
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