第百十一幕 ~黎明の光~
──ガリア要塞
来たるべき戦いに備え、かつてないほどの兵士たちを収容するガリア要塞の城壁には、セラトニス山脈から差し込む黎明の光を感慨深げに見つめる二人の男たちがいた。
ひとりはカルナック会戦の功により名実ともに王国軍No2となった上級大将、パウル・フォン・バルツァ。
もうひとりは王国軍を統べる元帥、コルネリアス・ウィム・グリューニングである。
「──しかし元帥閣下も露骨ですな。年寄りと若者をここまで見事に分けるとは」
「そうかね」
コルネリアスが楽しそうに口元を綻ばせる様を見て、パウルは思わず苦笑した。
帝都オルステッドに向けて侵攻するオリビアとブラッドの年齢を足しても五十そこそこ。対してキール要塞に侵攻するパウルとコルネリアスは平均六十五歳である。
パウルひとりでも足した二人の年齢を上回っていることに、改めて歳を取ったなと思ってしまう。
「ですが元帥閣下の判断は実に正しいかと。今回キール要塞への侵攻が偽装だと見抜かれるわけにはまいりません。オリビア少将はまだしも、詰めが甘いブラッド中将──大将などにはちと任が重いですから」
「権謀術数に長けたブラッド大将をそんな風に評するのは、王国軍広しと言えどもパウルひとりだけじゃろう」
「詰めが甘いのは事実ですから」
「ふふっ。元教え子はどこまでいっても教え子ということか……。それにしても相変わらずお主はオリビア少将を買っているようだな」
「それはそうでしょう。なにせ私の期待に背いたことなどただの一度もありませんからな」
パウルが誇らしげに胸を張ると、コルネリアスはうんうんと二度頷く。
「確かにあの娘がおらなんだら、わしらはここではなく冥府で語り合っていたかもしれん」
「なにもそこまでは……」
コルネリアスの視線は尖塔に掲げられた旗へと向けられる。獅子と杯が刺繍された真紅の旗。パウルもまた、つられるように顔を向けた。
「ここにはわしらのほかに誰もおらん。言葉を飾る必要はあるまいて」
「…………」
「神はまだ我々を──ファーネスト王国を見捨ててはいない。戦神とも呼べる娘を我々の前に遣わせて下されたのだからな」
「……此度の
言ってから、らしくない問いだとパウルは反省した。それでも口に出してしまったのは、心の奥底で少なからず不安を抱えているからだろう。戦力を大幅に削ったとはいえ、紅・天陽の両騎士団は未だ健在。帝都オルステッドには帝国最精鋭と謳われる蒼の騎士団が無傷で残されている。
そんなパウルの不安をくみ取ったのか、コルネリアスは安心させるかのように断言した。
「勝つのじゃよ。此度は神国メキアも合力してくれる」
「その神国メキアですが元帥閣下はどこまで彼女を──ソフィティーア・ヘル・メキアを信じているのですか? 正直なところ私は彼女の意図を掴みかねているのですが……」
今回ソフィティーア・ヘル・メキアが協力の見返りに要求してきたのは二つ。
金貨十万枚の無償提供。
王国領土の一部を神国メキアに割譲。
どれもそれなりの要求ではあるが、ファーネスト王国の進退がかかっているだけに法外といえるほどでもない。金貨などはこちらの台所事情を見透かしたかのようなギリギリの要求だ。
最終的にアルフォンスが承諾したことからもそれは明らかなのだが。
「なにひとつ信じてはおらぬよ」
コルネリアスはすまし顔で明言した。
「なにひとつも、ですか?」
「うむ。金貨の供与や領土の割譲などただの目くらましに過ぎんよ。一見穏やかであったが瞳の奥底に隠された炯々たるあの光。ソフィティーア・ヘル・メキアは間違いなく何事かを画策している。あれは大望を成そうとする武人そのものだ」
「そこまでわかっていながら陛下にご忠告申し上げなかったのですか?」
「陛下はすでにあの女の虜となっている。今さらわしがなにを申し上げたところで聞く耳など持つまい」
苦笑交じりに言うコルネリアスに、パウルは何くれとなくソフィティーアの世話を嬉々としていたアルフォンスの姿を思い出す。
アルフォンスばかりでなく晩餐会に集まった者たちの大半が、ソフィティーアに対して憧憬の眼差しを送っていた。時代時代の節目には、生まれながらに人を魅了する──すなわち王の資質をもったものが不思議と現れる。ソフィティーアはそのもっとも典型的な例なのだろう。
「それにこちらも兵力に余裕があるわけではない。ましてやストニア軍を半数の兵で退けた実力が神国メキアにはある。たとえソフィティーア・ヘル・メキアが何事かを画策していようとも、差し伸べられた精強なる手をこちらから振り払うことは難しい」
神国メキアが用意する兵数は二万。噂通りの実力であればかなりの助けになるのは間違いない。
「……確かに振り払うには惜しい兵数ですな」
「その通りだ。しかしながら所詮は互いの利が合致しただけの同盟。利を失えば簡単に崩れ去る。精々警戒は怠らぬことだ」
「十分に注意を払います。それと話は変わりますが、神国メキアにオリビア少将が正式に招待されたと耳にしました。まさかとは思いますが、のこのこと行かせはしませんよね?」
コルネリアスはくすんだ青色の瞳を揺らした。
「……残念だがそのまさかだ。こちらが止める間もなく陛下は承諾してしまったよ。確か今日神国メキアに向けて出発する予定のはずだ」
コルネリアスの落ち度ではないと知りながらも、パウルはあからさまな溜息を落としてしまった。コルネリアスは申し訳なさそうに眉を顰める。
「すまんな……。だが、陛下の中でどんな心境の変化があったのかわからぬが、これでも最近は随分と物分りがよくなったのだ」
「確かに統帥権の譲渡は青天の霹靂でした。もしも第一軍が動かねば中央戦線はどうなっていたかわかりませんからな」
パウルがそう言うと、コルネリアスはなにかを思い出したような表情で咳払いをひとつした。
「今回のことも同盟をより強固なものにするため招待を受けたのだと陛下は公言している。その考え自体は間違っておらぬ」
「それでも最大限の警戒を促す必要はあります。ほかの誰でもなくソフィティーア・ヘル・メキアはオリビア少将を招待したのですから」
神国メキアは大陸の遙か西方の地にあると聞く。さすがにオリビアの武威が轟いているとは思えないが、王国内なら噂のひとつやふたつは耳にしていてもおかしくはない。
ソフィティーアがオリビアに興味を抱いたとしてもそれほど不思議ではないのだが。
(どうにもきな臭い)
さすがに同盟を結んだ以上オリビアを害するとは思えないが、それでも歴戦の武人であるパウルの嗅覚が何事かを嗅ぎつけているのだ。
「無論すでに警戒は促している。物見遊山で行かれても困るからな」
「ほう……さすがですな」
「正確に言うのなら促す必要もなかったが」
「と、いいますと?」
「こちらが促すまでもなくオリビア少将は十二分に理解していたよ。さすがというべきだろう。クラウディア中佐などはなにがあろうとオリビア少将はお守りすると息巻いておった。少し肩の力が入り過ぎるきらいもあるが、神国メキアにはいい牽制になるだろう──ほれ。どうやらそのオリビア少将が出発するようだぞ」
見ると眩い朝日の光を背に、黒馬に乗ったオリビアがこちらに向かって手を振っていた。
「ふふっ。よくもまぁこんな距離で気づくものだ」
そう言いながらもパウルはにこやかに手を振って応えた。コルネリアスも豊かな髭をしごきながらにこにこと手を振りだす。オリビアはさらに大きく手を振って応えていた。
「……あの娘を死なせるわけにはいかないな」
「是が非にでも。それに死ぬのは年寄りからだと
「ふふっ。古ときたか……では一番最初に死ぬのはわしということだな」
「ま、忌憚なく申し上げればその通りです。……それにしても久しぶりに見ますな。元帥閣下のそのような顔は」
静かなる闘志を内に秘めたコルネリアスの表情は、若き頃共に戦場を駆けた日々を思い出させた。
「それはパウルとて同じこと。此度はまごうことなき総力戦。久しく眠らせていた〝鬼〟の力、どうやら拝めそうだな」
コルネリアスの問いに応えることなく、パウルは獰猛に笑った。
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