第八十一幕 ~フライベルク高原の戦い その参~

 兵士たちから少なくないどよめきが起こっていた。突如丘の上から姿を現した銀髪の女。漆黒の鎧を身に纏い、悠然とこちらを見据えるように立っている。その隣では交差する二挺の大鎌に髑髏が描かれた黒旗が掲げられている。今や帝国軍が一番危険視している存在。あれがうわさに聞く死神オリビアであることは誰の眼から見ても明らかであった。


「閣下、あれは──」

「皆まで言うな。あんな薄気味悪い旗を掲げるやつなどひとりしかいないだろう」


 パトリックは不気味にはためく黒旗を忌々しく感じながら顔を歪めた。

 

「やはり死神オリビア……」


 そう呟くアレッシーの額には脂汗がじっとりとにじみ出ている。パトリックとしてもオリビアがこの戦場に現れることは予想外の出来事だった。一部の将校たちの間で《死神回想録》とも呼ばれているガイエルの報告書は、パトリックも目を通していた。帝国三将のひとりであるローゼンマリーを重症に追い込み、紅の騎士団を手玉に取ったという恐るべき相手。だが、裏を返せば死神オリビアをこの世から消し去る絶好の機会でもある。


「アレッシー、クリストフ少将に連絡。天陽の騎士七千を率いて死神の部隊に向かわせろ」

「七千?! 我が軍が率いている騎士団のほぼ全てではないですか」


 アレッシーの目が大きく開かれる。そのことが常道ではない──異常な対応だということを知らしめていた。


「そうだ。死神相手に戦力の出し惜しみはなしだ。天陽の騎士の全能力をもって事に当たれ。奴に行動の自由を一切与えるな」

「しかしながら、前面の第二軍も未だ崩壊にはいたっておりません。騎士のほぼ全てを振り向けるというのは……」


 直截的な物言いではないものの、アレッシーの発言はパトリックの作戦に否があることを暗に示していた。


「不服か?」

「……ありていに申せば」

「まぁ、そこは案ずるな。我が本隊をもって第二軍の息の根を止めればいいだけの話だ」

「それは承服できません。いくら第二軍が死に体とはいえ、閣下の身に危険が及ぶ可能性が格段に上がりますので」


 アレッシーの言いたいことはわかる。言葉通りこちらの身を案じているのも本当だろうが、万が一自分が討たれた場合、軍が崩壊するのを恐れているのだろう。古今東西、司令官の討たれた軍が勝利を得たことはない。昨年、オスヴァンヌが討たれて瓦解した南部方面軍がいい例だ。副官の任を預かる者としては至極当然の考えだと言えるが──


「面白いことを言うな。では改めて聞くが危険ではない、安全が約束された戦というものがこの世に存在するのか?」


 パトリックはニヤリと口元を歪めて見せた。


「はぁ。私も大概だと自覚していますが、閣下も相当意地が悪いですな。あえていいますが、そのようなことを申しているわけではありません」


 アレッシーがなおも懸念の言葉を口にすると、親衛隊の中からひとりの男が颯爽と前に歩み出る。親衛隊長のジークハルト大尉だ。


「アレッシー少佐、ご心配はもっともではございますが、どうぞそこはご安心ください。閣下に万が一危険が迫った場合、我々親衛隊が命を賭してお守りいたします」


 ジークハルトの言葉に、立ち並ぶ親衛隊が一斉に片膝をつく。


「だ、そうだ。それに、己の命などこれ一本でどうにでもなる」


 言ってパトリックは腰の曲刀を豪快に抜いて見せた。見せつけるように空高く掲げると、陽光に照らされて鈍い光を放つ。はるか遠い昔、別の大陸から流れてきたとされている稀代の逸品だ。


「──かしこまりました。閣下が一度決められたことを曲げるとは思いませんからな。クリストフ少将に伝令を走らせます」

「死神はどんな手を使ってくるかわからん。くれぐれも油断するなと伝えておけ」

「はっ!」






 天陽の騎士団の動きを見て、エリスは笑みがこぼれるのを押さえられなかった。


「あいつら私をオリビアお姉さまだと勘違いして、目の色変えて進軍してくるよ。もう、私ってばそんなにオリビアお姉さまに似ているのかなー。くふふっ」


 エリスが悦に浸っていると、隣で両腕を組みながら天陽の騎士団を見つめている金髪碧眼の男。兄であるルーカス少尉が呆れたように声をかけてきた。


「お前なぁ。敵を目の前にして呑気に喜んでいる場合じゃないだろう。しかも、相手は帝国三将筆頭が率いる天陽の騎士団だぞ。だいたいお前のほうが五つも年上なのに、なにが『オリビアお姉さま』だ。熱でもあるのか?」


 そう言いながら、ルーカスはわざとらしく額に手を当てようとしてくる。その手をエリスは乱暴に叩いた。


「うっさいわね。そんなことどうだっていいでしょう。それよりもぼさっとしていないでさっさと迎撃しなさいよ」


 オリビアに大事な局面を任されたということに、エリスの胸はいやがうえにも高鳴る。つまらない街の警備兵などでは決して味わえなかった感覚だ。今回はいかにして敵をこちらに引きつけるかが勝敗の分かれ道。それだけにエリスの役割は非常に重要だと考えている。オリビアに化けた自分こそがこの戦いの要なのだから。


 エリスが拳にグッと力を込めていると、ルーカスが胡乱げな視線を向けてきた。


「……なによ? 私の美々しい姿に見惚れているの?」

「お前、どうせこの戦いの勝敗は自分にかかっているとか分不相応なことを思ってるんだろう?」

「チッ!」

「図星かよ……全くわかりやすいというか、一丁前に指揮官にでもなったつもりか? あくまでもお前はオリビア少佐の替え玉だ。それ以上でもそれ以下でもない。あと妹だからって公の場所ではちゃんと上官として接しろ。ほかの者に示しがつかない」


 全てを見透かしたような言葉を吐くルーカス。どうにも癪に障るが言っていることは正しい。だが、正しいからといって受け入れるかはまた別の話だ。エリスは盛大に舌打ちを敢行すると、堂の入った敬礼を披露する。


「はっ! 数々のご無礼、お許しください。ではルーカス少尉に改めて進言します。さっさと迎撃しやがれです」


 言ってエリスは人差し指をビッと天陽の騎士団に向けた。後ろに控える兵士たちから忍び笑いが聴こえてくる。その声とほぼ同時に、敵が有効射程内に入ったことを知らせるラッパが鳴り響いた。


「おまえってやつは……もういい。全弓隊、迎撃始め。地の利を最大限に活かせよ。それと、この馬鹿女の正体を決して相手に気取られるな」

「「「応ッ!!」」」

「ちょっとクソ兄貴! 馬鹿女ってひどくない?」


 エリスの抗議を無視し、ルーカスは左手を上げ合図を送る。待機していた兵士たちが一斉に縄を断ち切ると、予め切り倒しておいた丸太が天陽の騎士団に向けて転がっていった。






 丘の上に陣取るオリビアの部隊に対し、天陽の騎士団は程なくして転進を始めた。その様子を見てブラッドは認識の相違を悟る。どうやら思っていた以上に帝国軍はオリビアという一個人を重要視していたらしい。戦場にいるため断片的な情報しか得ていないとはいえ、まだまだ自分も甘いなとブラッドは苦笑を深める。


「閣下、オリビア少佐の伝令兵が参りました」


 リーゼの言葉にブラッドは思考を中断する。目の前には片膝をつく伝令兵がいた。


「申し上げます。現在丘の上に陣を張る部隊は擬態です」

「擬態? 擬態とはどういうことだ?」

「は、これよりご説明させていただきます」


 伝令兵の語った言葉はブラッドを驚かせるのに十分な内容だった。オリビアと思われていた女は実は替え玉であり、本物は反対側の丘に潜んでいるという。これにはリーゼも驚いたようで、「えっ?!」と素っ頓狂な声を上げていた。さらに伝令兵がいうには、頃合いを見計らって背後と側面から奇襲をかける算段らしい。

 ちなみに第二軍には、オリビアの部隊が敵を引きつけている間に陣を立て直して欲しいと付け加えられた。この作戦が上手くいけば四方からの挟撃戦が可能となり、多少の兵力差など十分に埋められる。


 馬を駆ける伝令兵を眺めながらブラッドはリーゼに声をかけた。


「聞いたか? 生意気にもオリビア少佐は自分たちが敵を引きつけている間に陣を立て直せと言ってきたぞ。結構な無理難題を押し付けてくるじゃないか」

「ふふっ。閣下ならそれが可能だと思われたのでしょう。オリビア少佐の判断は実に正しいです」

「実に正しいか……その正しさを証明するための根拠が全くないがな」

「根拠? 根拠ならありますよ」


 リーゼは自信満々に言う。ブラッドはその答えに僅かばかりの興味をもった。


「ほう、本人が根拠がないと明言しているのにか?」

「はい、意外と自分のことは気づかないことも多いですから」

「なるほど。その言葉には一理ある。是非聞かせてもらっても?」

「閣下なら絶対にできる、そう私が信じているからです」


 リーゼは臆面もなく言い切った。その瞳は真っ直ぐこちらを見据えて離さない。ブラッドはなんとなく照れくさくなり、ガリガリと頭を掻く。


「──まぁ、丘の上の部隊を見る限り、寄せ集めの兵士たちも統率のとれた動きをしている。どうやってまとめたのかはわからんが、オリビア少佐はのようだ」

「すでにオリビア少佐の作戦は開始されています。我々も手をこまねいているわけにはいきません」

「そうだな。確かに第二軍の将たるものが後れをとるわけにもいかないか……リーゼ大尉──」

「負傷兵を内側に入れつつ、方円陣を展開します」


 ブラッドは苦笑した後、リーゼに告げた。


「そうだ。それでいい」


 フライベルク高原の戦いは最終局面へと差し掛かっていた。

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