第八十幕 ~フライベルク高原の戦い その弐~

 の丘でヴァレッドストーム家の紋章旗が風にたなびく中、クラウディアは遠眼鏡を握りしめながら小刻みに肩を震わせていた。


「うん、エリス曹長は堂々として結構様になっている。旗もいい感じに目立っているし、どうやら上手く騙せそうですね」


 満足そうな顔で丘を眺めているアシュトンに向かって、クラウディアが抑揚のない声で話しかけた。


「アシュトン・ゼーネフィルダ―。ひとつ、聞きたいことがある」

「な、なんでしょう?」

「オリビア少佐の替え玉については聞いている。鎧ばかりか髪まで染めさせるとは思わなかったが……しかし、に関してはなにも聞かされていない。いったいいつの間に用意したのだ?」


 そう言いながら、親のかたきのように紋章旗を指さすクラウディア。よく見ると、こめかみのあたりがピクピクと痙攣している。ついでにいうと、遠眼鏡からミシミシと嫌な音も聞こえてくる。オリビアはそっと二人から距離を取った。


「あれ? クラウディア中尉には言っていませんでしたっけ?」

「ああ、のことなど私は全く聞いていない。ちなみに少佐は聞いていましたか?」


 ちなみにオリビアは聞いている。というよりも、当事者といっていい。グラシア砦に滞在したとき、アシュトンから話を聞かされて、喜んで旗作りに参加したからだ。みんなとわいわい言いながらひとつのものを作るのは初めての経験で、それはそれは至福のひとときだった。

 最初はビクビクおどおどしていた警備兵たちも、旗が完成する頃にはすっかり打ち解けていた。自分の替え玉を用意する話が出たときは、エリスが「はいはい! 是非、私にやらせてください!」と、鼻息を荒くしながら志願してくれた。時折うっとりとした視線を向けてくる意味はわからなかったけど。

 その後はオリビアの権限で、ドミニクが隠し持っていた酒や食糧を放出してのどんちゃん騒ぎ。最後はなぜか囲まれて胴上げが始まったのだが、オリビアは喜んでそれを受け入れた。楽しい思い出がまたひとつ、心に刻まれた。


「う、うん。聞いてたよ」

「へぇ、そうなんですか……で、アシュトンはまだ私の質問に答えていないな」

「ええと。グラシア砦を出発する前ですかね」

「ほう、たった半日でを作り上げたのか。察するに随分と苦労したのではないか? 一見しただけでもかなりの出来栄えだからな。は」


 クラウディアは両腕を組みながらしきりにうんうんと頷いている。顔は至って無表情。まるで嵐の前の静けさにも似た緊張感が漂ってくる。


「クラウディア中尉もそう思われます? おっしゃる通り大分苦労しましたよ。でも警備兵たちが頑張ってくれたおかげで、立派なものができました」

「なるほどなるほど」

「とくに大鎌の刃の部分が渾身の出来ですね。それはもうバッサリと首を斬り落としそうなくらい見事に描かれています」


 嬉々として説明するアシュトンを見てオリビアは思った。なにかにつけて空気が読めないと言われている昨今。場を敏感に察するのが空気を読むということなら、今のアシュトンはまさしく空気が読めていないのではないかと。それがわかるくらいには自分も成長したのかもしれない。

 そんな空気の読めてないアシュトンに向かって、クラウディアはゆらりと近づいていく。そして、両肩をガシッと掴むと思い切り揺さぶり始めた。


「君って男はあああああっ! 嫌がらせか?! これは私に対する嫌がらせなのかあああああっ!」

「ちょっ! そんなつもりはありませんよ! これはオリビアの悪名、もとい勇名を利用した作戦に過ぎません! おかげで敵の足は完全に止まっています!」


 首をガクガクとさせながらアシュトンは必死に丘の下を指さす。なんだか失礼なことを言われている気もするけれど、確かに眼下に広がる敵は動きを止めていた。遠目からでも紋章旗に注目していることがわかる。

 オリビアは手を叩き、二人の注意をこちらに向けさせた。


「二人とも、そろそろいいかな? アシュトンの言う通り、敵の足は止まっている。第二軍を助ける絶好の機会だよ」

「はぁはぁ……はっ! 大変お見苦しいところをお見せして申し訳ございません! ──覚えていろアシュトン、あとで説教だからな」

「ええぇ……で、ここまでは予定通りだけど、これからどう動く?」


 ようやくクラウディアから解放されたアシュトンは、襟を正しつつ尋ねてくる。


「私が視た限りだと、確かに天陽の騎士団は集団戦闘に長けている。この点では紅の騎士団より上だね」


 逆に言うと個々の戦闘力は紅の騎士団が上回っている。天陽の騎士団の強さとは〝群〟が〝個〟のように動ける点だとオリビアは説明した。


「確かに紅の騎士団と比べても、全体的に動きが洗練されています。それは一目見て私も感じました」

「うん、でもその強みが弱点に繋がったりするから面白いよね」

「「弱点?」」


 二人が同時に同じ言葉を口にする。お互い顔を見合わせると、バツがわるそうに目を逸らした。クラウディアはコホンと咳払いをすると、再び口を開く。


「具体的にはどう弱点に繋がるのですか? 私には全く隙が感じられないのですが……」

「僕もクラウディア中尉と同じ意見だ。あの防御陣を簡単に崩せるとは到底思えない」

「ふーん。二人にはそう見えるんだ。でも私から視れば天陽の騎士団は集団戦闘に慣れ過ぎている。だから部隊を指揮をする人間が倒れた場合、臨機応変な動きがとれなくなる可能性は高いかなと私は思う」

「つまり、部隊長を標的にして指揮系統の混乱を計る。それが勝利に繋がる道だとオリビアは考えているのか?」

「うん、そういうこと」


 オリビアはその場にしゃがみ込むと、木の枝を拾って地面に大きな円を描く。それにつられるように二人もしゃがみ込んだ。


「まずは事前の打ち合わせ通り、私に化けたエリスと三千の部隊に右側面から陽動をかけてもらう。もちろん正体がばれない程度に。その隙に二人は二千の兵を率いて敵の背後を急襲。そして残りの千は私と共に左側面を突く」


 さらに小さな円を三つ描き、大きな円に向かって枝を走らせながら話を続ける。


「あとはこの作戦を第二軍にも連絡。第二軍の将軍は優秀そうだから、こちらが敵を引きつけている間に陣を立て直すことは可能だと思う。これでどうかな?」

「上手くいけば前後左右から攻撃を仕掛ける形か……悪くないな」


 アシュトンは地面に書かれた図をジッと見つめながらそう呟く。


「私も少佐の案に異存ありません」


 クラウディアも問題ないとばかりに頷いた。オリビアは立ち上がり、深呼吸をひとつする。


「じゃあそれで決まり! 早速第二軍に伝令兵を向かわせて。私たちも行動を開始するよ」

「「はっ!!」」


 オリビアの命令と共に、作戦は開始された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る