第六十六幕 ~聖天使~

 アースベルト帝国、ラムザ皇帝により発布された大陸統一宣言から四年。

 戦争はさらに激化し、デュベディリカ大陸は混沌の様相を見せ始めていた。中でも大陸西部は、小国同士が血で血を争う戦いを繰り広げている地域である。

 しかし、開戦することなく、当初から沈黙を守っている国もあった。

 

 ──神国メキア。


 初代聖天使以降、代々女が統治する小国であり、また貴重な鉱物資源を多く産出する豊かな国として知られている。その一方、女神シトレシアを崇拝する信徒たちにとっては、聖イルミナス教会の総本山が鎮座する聖地としても有名である。


 人口はおよそ八十万人。

 聖翔軍と呼ばれる五万規模の軍隊を有している。


 

「なにやら紅の騎士団が敗北したとのお話をお聞きしましたが、真のことでしょうか?」


 ソフィティーア・ヘル・メキアはきらびやかに彩られた玉座に座ると、ひざまずいている臣下──アメリア千人翔に向かって声をかけた。


「聖天使様のおっしゃる通りです」

「やはり事実なのですね……相手は第一軍ですか?」


 第一軍を総べる常勝将軍コルネリアスの名は、ソフィティーアも知っている。歴史の教科書を開けば、過去の戦役と合わせてその名が度々出てくるからに他ならない。死に体であるファーネスト王国がなんとか存続できているのは、ひとえに第一軍が健在だからだろう。


「いいえ、違います」

「あら? 違うのですか?」

「はい。パウル・フォン・バルツァ大将率いる第七軍によって敗れたとの報告が〝ふくろう〟よりもたらされました」


 梟とは情報収集を主な任務とする隠密部隊だ。大陸全土に散らばる聖イルミナス教会の神官や、有力な信徒たちとの間に太いつながりを持っている。純粋な情報収集力だけで比べるのなら、帝国諜報部隊である陽炎を軽く凌駕していた。


「パウル・フォン・バルツァ? ──ああ、確か鬼神の異名を持つお方ですね」


 以前資料で目にしたことを思い出しながら、ソフィティーアは首肯する。


「はい」


 それに対し、アメリアも無表情な顔で頷いた。


「でも、おかしいですね。紅の騎士団を倒すほどお強いのであれば、ファーネスト王国はあそこまで追い詰められることもなかったと思うのですが?」


 ソフィティーアは疑問を呈した。王国最大の要害であったキール要塞は帝国の手に落ち、第三、第四、第五軍は壊滅。大陸南の雄、サザーランド都市国家連合による経済封鎖により、暴動も多発していると聞く。

 今や王国の国力は戦争前と比べて半分以下に落ち込んでいるとの報告を受けていた。初めから第七軍が能動的に動いていたら、少なくとも今日のような状況には陥っていなかったはずである。


「収集した情報を精査した結果、死神と呼ばれる少女の功績が大きいと判明いたしました。この者は一年ほど前に、志願兵として第七軍入りしたようです」


 アメリアは即座に答えた。


「鬼神の次は死神ですか。ふふっ。どうも第七軍には神様が沢山集まるようですね。なんともにぎやかなことです」


 思わずソフィティーアは笑みを漏らす。神国メキアは創造神、女神シトレシアを主神と仰ぐ国。ただの異名とはいえ、鬼神だの死神だのあまり愉快な気はしない。


「総司令官であるベルリエッタ卿も重傷です。これも死神の手によるものだと判明しております」

「まあ! そうなのですか? その死神さんとやらは随分とお強いのですね。あのベルリエッタ卿を……でも、どうせならそのまま死んでいただけると有り難かったのですが。アメリアさんもそう思いませんか?」


 ソフィティーアが問いかけると、アメリアはただ黙って首を縦に振った。

 

「やっぱりアメリアさんもそう思いますよね。死ななかったことは残念ですが、これはこれで十分な好機だと言えます。折角ですから存分に活用いたしましょう」


 帝国にとって死神は厄介な存在に違いない。例えるなら帝国という巨大な体に突如発生した病巣のようなものだ。たとえ初めは小さくとも、やがては体全体に波及していく。今は死神に下手な干渉はせず、静観しておくのがメキアにとって最良だとソフィティーアは判断した。

 折角死の一歩手前で息を吹き返したのだ。王国には這いずり回ってでも帝国と戦ってもらわなければならない。


 ──今はまだ。


 ソフィティーアは内心でほくそ笑む。


「アメリアさん。紅の騎士団の動向を教えてください」

「現在紅の騎士団は、国境線まで大きく後退。アストラ砦に拠点を移したとのことです。ベルリエッタ卿は治療のため本国に送還されました」

「アストラ砦の兵数は?」

「およそ一万です」

「そうですか……紅の騎士団にとって初の敗北。そして、ベルリエッタ卿の不在。アストラ砦の方々はさぞ心細いことでしょう」


 言ってソフィティーアは玉座から立ち上がると、手にしている銀の錫杖を床に叩きつけた。シャンと澄み切った鈴の音が謁見室に響く。


「アメリア・ストラスト千人翔。三千の衛士を引き連れ〝陣中見舞い〟に行くことを聖天使、ソフィティーア・ヘル・メキアの名において命じます」

「聖天使様の御心のままに」


 恭しく頭を下げるアメリアに対し、ソフィティーアは静かに歩み寄る。薄青色の長い髪を見つめながらアメリアに正対すると、左手の甲に刻まれている魔法陣ごと両手で優しく包み込んだ。


「アメリアさんのご活躍を期待しています。女神シトレシアのご加護があらんことを」


 ソフィティーアは民衆から〝女神の微笑〟と賛美される柔らかな微笑みをアメリアに向けた。

 ゆっくりと顔を上げたアメリアは──酷く歪んだ笑みを浮かべていた。



 ──本当に素敵な子。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 残敵の掃討を終えた独立騎兵連隊は、ウィンザム城に向けて歩を進めていた。紅の騎士団に勝利したということもあって、兵士たちの顔は皆明るい。仕送りがどうだの、酒をたらふく飲むなど、楽しそうに話をしている。そんな中、ひとりだけ暗い表情を浮かべている者がいた。


「はぁぁぁぁ」


(これで一体何度目の溜息だろう)


 クラウディアの右隣りには、力なく黒馬の背を撫でるオリビアが映っている。黒馬は主人を心配しているのか、時折励ますかのように嘶いていた。


「心配しなくても大丈夫だよ。コメットは本当に優しいね。ご褒美にいいものをあげる」


オリビアはそう言うと、モソモソとした手つきで鞄からクッキーを取り出した。


(いつの間にか名前を付けてる! しかも、なぜそこでクッキー!)


 クンクンとクッキーの匂いを嗅ぐオリビアの顔をしばし眺める。今後のためにもここははっきりと口にしたほうがいいだろう。


「少佐、こう言ってはなんですが、馬──改めコメットはクッキーを食べないと思います」

「そんなことないよ」


 あっさりとオリビアは否定する。


「……せめてあげるなら干し芋にしてはどうですか?」

「干し芋よりもクッキーのほうが美味しいもん」


 ほっぺも落ちないしと言いながら、コメットの口元にクッキーを差し出すオリビア。その様子に同じく馬を並べるアシュトンは、呆れたような表情をオリビアに向けていた。気持ちは一緒だ。


 ──だが、食べた。

 しかも、一切の躊躇もなく。


(なんなのだ? この黒馬は?)


 クラウディアは馬の生態にそれほど詳しいわけではない。だが、普通の馬なら匂いを嗅いで食べられるか否かをまず判断するはずだ。オリビアと黒馬が同じ漆黒の瞳で見つめ合う姿を見ていると、微笑ましいを通り過ぎて、少し不気味な光景だった。


(おっと……脇道に逸れてしまったな)


 いつまでも馬の生態を気にしていても仕方がない。クラウディアは手綱を弄っているオリビアに本題を切り出した。


「少佐、そろそろ落ち込んでいる理由を教えていただいてもよろしいですか? それとも私には話しにくい内容なのでしょうか」

「そんなことないよ」


 オリビアは大きく首を横に振った。


「では、お話をお聞かせください。少佐を支えるのが副官としての責務ですから」

「うん……ええとね。結局ローゼンマリーさんに逃げられちゃったじゃない? ぶっ殺す宣言までしたのに」


 少しの間を置いた後、オリビアがポツポツと語りだす。


「まぁ、そうですね」


 クラウディアはあの日の光景を思い出す。

 オリビアの元に駆けつけた時。無数の死体が散らばる中で、血濡れた漆黒の剣を片手に茫然と空を仰いでいたオリビアのことを。

 それから今日まで敗走する残敵を掃討してきたが、終ぞローゼンマリーにたどり着くことはできなかった。


「だからもうダメなんだよ」


 言ってオリビアは激しく首を横に振ると、頭を抱えだした。こういっては身も蓋もないが、本当に全くと言っていいほど意味がわからない


「何がダメなんですか? ローゼンマリーには逃げられました。ですが、深手は負わせたと少佐も言っていましたよね?」

「でも殺せなかった」


 オリビアは歯噛みする。こんなに悔しそうな表情を見たのは初めてだ。なぜそこまで殺せなかったことに執着するのか謎すぎる。アシュトンも話が気になるのか、チラチラとこちらに視線を向けてきた。


「それでも我が軍の勝利に変わりはありません。残敵も掃討し、領土の奪還にも成功しました。落ち込む必要など全くないと思うのですが?」

「……でもお魚の人がローゼンマリーさんをぶっ殺せなかったから図書館にはいっちゃダメって言ったらどうする?」


 クラウディアは一瞬、言葉を失った。

 同時にそれでか、と腑に落ちる。


 どうやらオリビアはローゼンマリーを殺せなかったことで、図書館に入る許可が下りないと勝手に勘違いしているらしい。ようやく原因が判明し、またそんなことで落ち込んでいたのかと、緩みそうになる口元を必死に抑える。


「少佐、安心してください。すでに少佐の戦果は計り知れません。まさに物語に出てくる英──」

「えい?」

「んんッ──と、とにかくお魚の人も少佐の戦果を聴けば、喜んで口添えをしてくれると思います」

「……ほんと?」


 オリビアのすがるような漆黒の瞳が、クラウディアを正面から射抜く。それは初めて見せる弱々しい、どこにでもいるような少女の姿だ。


「本当です。万が一首を横に降ったら──」


 ナインハルトのスカした笑みが、クラウディアの脳裏にありありと浮かんだ。


「首を横に降ったら?」


 ゴクリと唾を飲み込むオリビア。


「そのときは私が刃を突きつけてでも首を縦に振らせてみせます」


 クラウディアは任せろとばかりに胸を大きく叩いた。本当に万が一許可しないなどと言ったら、刃を突きつけないまでも、首を絞めつけてやろうと決意を固める。


「ほんと!? ほんとにほんとにほんと!?」


 コメットから身を乗り出したオリビアは、額がぶつからんばかりの勢いで顔を近づけてくる。体中から嬉しさが溢れ出ていて、抑えられないといった感じだ。


「か、顔が近いです! 騎士に二言はありません。今後の状況次第ですが、多少の休暇はとれるはずです。一緒に王都へ行きましょう」

「うんわかった! クラウディアを信じるよ!」


 やったよコメット! と首筋に抱きついたオリビアは、幸せそうに頬ずりしている。コメットは嘶くと尻尾を高々と振り上げていた。そんな姿を微笑ましく見ていたクラウディアは、何か言いたそうにしているアシュトンに気づいた。


「何か言いたいことでもあるのか?」

「ええと。僕も一緒に行ってもいいですかね? もちろん平民ですから王立図書館に入れないことはわかっています」

「私は別に構わないが……」


 そう言いつつ、クラウディアはオリビアに視線を送る。


「──ん? もちろんいいに決まってるよ。知る人ぞ知る王都の美味しいケーキをご馳走してくれるんでしょう? カナリアの街でアシュトンが約束してくれたもんね」


 ちゃんと覚えているんだからと言いながら、オリビアはアシュトンに向けて屈託ない笑みを浮かべていた。


「──そう、そうだったね。はは、オリビアに知る人ぞ知る王都の美味しいケーキをご馳走しなくっちゃね」


 クラウディアもその話は覚えている。平民にとってケーキはかなり高価なものだが、准尉であるアシュトンならば懐もそう痛まないはず。それだけに顔を引きつらせている理由がわからない。何かやましいことでもあるかのように、派手に目を泳がせていた。


(妙だな……何か隠し事でもあるのか?)


 アシュトンの態度を訝しんでいると、突然細かい砂を舞い上げながら冷たい風が吹いてきた。無駄に騒ぎ立てる兵士たちを尻目に、クラウディアはたなびく髪を押さえながら、薄らと白く染まった山々に視線を移す。


「もう、そんな季節か……」

「これから寒くなりますね」


 話を逸らすかの如く合いの手を入れるアシュトンがおかしくて、ついついクラウディアは笑みを浮かべてしまう。


「寒くなる前に図書館に行きたいなー」


 そう言うオリビアの目はここではない。どこか遠くを見ているかのようだった。


 

 第ニ章 戦場を駆ける少女 完

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