第五十六幕 ~約束~

 城郭都市エムリードは要衝としての性質上、区画が三つに分かれている。主に人々が暮らす居住区画と、北部で収穫された穀物などを一時保管する倉庫区画。

 そして、駐屯設備などが置かれている軍事区画だ。


 その軍事設備のひとつ。兵舎から出てきた二人は軍事区画を抜け、居住区画でも露店が多く立ち並ぶ界隈──中央通りに足を踏み入れていた。


「アシュトン、お店はいっぱいあるけど、あんまり人間がいないね」


 オリビアは興味深そうに露店を見渡しながら言う。戦争前はかなりの人で賑わう通りだったらしいが、今はその半分にも満たないとのこと。

 道行く人々もどことなく表情が暗いとアシュトンには思えた。


「仕方がないよ。このご時世──ってあれ?」


 今の今まで隣にいたオリビアが、いつの間にか姿を消していた。慌てて探すアシュトンの目に、露店の前で微動だにしないオリビアが映った。

 ホッと息をつくと同時に、香ばしい匂いがアシュトンの鼻に漂ってくる。


「勝手にいなくなるなよ。心配するだろ」

「アシュトン、これ食べたい」


 肩越しに文句を言うアシュトンだが、オリビアは全く意に返すことなく串焼きを指差す。どうやら鳥肉に甘そうなタレを漬け込んだ食べ物らしい。


「エムリードの名物だよ。美味しいから食べていきな」


 そう言いながら、恰幅のいいおばさんが愛想のいい笑顔を振りまいてきた。


「食べたいって、朝食を食べてから一時間も経っていないのに?」

「うん! だって成長期だから!」

「えぇ……はぁ……おいくらですか?」


 渋々懐から金袋を取り出すアシュトンに向かって、おばさんは事もなげに答えた。


「一本銀貨一枚だよ」

「高っ!? ……いくらなんでも高くないですか? 一応僕は商人の息子なので、相場くらいはわかりますよ?」


 露店は客によって値段を変えてくることがままある。おばさんがちらりとこちらの胸元を見ていたことは、とっくに気づいていた。

 軍事区画があるくらいだから、軍人は見慣れているはず。襟章を見て階級を識別できてもおかしくはない。

 

「准尉さん。別に私は階級を見てふっかけているわけじゃないよ。そもそも、軍人さん相手にそんな真似ができると本気で思っているのかい?」

「え!?」


 軽く見透かされていたことにアシュトンが驚いていると、おばさんが呆れたように溜息を吐く。


「はぁ。准尉さんも商人の息子ならわかるだろう。今、食料がどれだけ価値があるのかを」


 おばさんに言われるまでもなく、食料の価値が高いことくらいアシュトンも理解している。ただ、王都の相場と比べてみても、異常に高すぎるのだ。

 ふっかけていないのであれば、理由はひとつしかない。北方軍に制圧された影響が、すでに北部全域にまで及んできている。そう考えるべきだろう。

 アシュトンは金袋から二枚の銀貨を取り出して、おばさんに差し出した。


「疑うようなことを言ってすみません。その串焼き、ください」

「あはは、何だか逆に気を遣わせちまったようで悪いね」


 おばさんはカラカラと笑いながら串を差し出してきた。オリビアは満面の笑顔で受け取ると、早速かぶりついている。

 その様子をおばさんは優しい目で見つめている。例えるなら娘を見ているような感じの目だ。


「少佐さん、美味しいかい」

「うん! 凄く美味しい!」


 オリビアが元気よく答えると、おばさんは相好を崩す。


「そうかい……帝国軍が攻めてきたって訊いたときはもうダメかと思っていたけれど、あんたらが追っ払ってくれたんだろ? この辺では見ない顔だからね」

「まぁ、一応そうですね」

「やっぱりそうかい。准尉さんは別にしても、少佐さんはまだ子供だろうに……いよいよ、この国も滅んでしまうのかねぇ」


 どこか遠い目をしながら、おばさんがボソリと呟く。本人が気付いているかわからないが、今の言葉は《秩序統制法》に抵触する案件だ。憲兵が聞いていたら強制連行されていただろう。

 アシュトンはあえて気づかなかった振りをした。少女が戦場に立つことなど普通ありえない。だから、危機感を募らせるのもよくわかる。

 一本目の串焼きを食べ終えたオリビアは、おばさんの顔をまじまじと見つめながら話しかけた。


「おばさんは王国が滅んだら悲しい? 涙がいっぱい出る?」

「そうだねぇ。色々と問題は多いけど、やっぱり生まれ育った国だからね。無くなっちまったら涙のひとつくらい出るだろうさ」  

「ふーん……でも、大丈夫だよ。北部にいる帝国軍は私たちが追っ払うから。だから、おばさんが涙を流すことはないよ」


 オリビアが袖をまくりあげて、力こぶを作ってみせる。すると、おばさんは大きなお腹を揺すりながら、豪快に笑い始めた。


「あははは! そうかいそうかい。少佐さんたちが帝国軍を追っ払ってくれるのかい。なら、その日がくるのを楽しみに待っているよ」


 おばさんは焼いていた串焼きを全て袋に詰めると、オリビアに向けて強引に手渡してきた。突然渡された大量の串焼きを前にして、オリビアは目をぱちぱちとさせている。


「え!? いいの?」

「ああ、全部もっておゆき。その代わり、ひとつこのおばさんと約束してくれるかい?」

「約束? 大丈夫だよ。帝国軍は追っ払うから」

「そうじゃない」


 そこで言葉を切ると、おばさんはオリビアの手を握りしめる。


「──絶対に死ぬんじゃないよ」


 それは、ただただオリビアの無事を願う言葉。オリビアは驚いたような表情を見せた後、満面の笑みを浮かべた。


「うん! 絶対死なないって約束する。死んだら美味しいご飯もお菓子も食べられなくなっちゃうし。それに、この串焼きもね」


 そう言いながら、二本目の串焼きを豪快にパクつくオリビア。アシュトンは単純に驚いた。オリビアが人と約束を交わすのを、初めてみたからだ。

 しかも、まだ出会って十分も経っていない人とだ。


 この風変わりな少女が、どういう行動理念に基づいて動いているか正直わからない。今も気まぐれで約束を交わしただけなのかもしれない。

 それでも、何となくオリビアを近くに感じられてアシュトンは嬉しかった。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 おばさんに別れを告げ、本来向かうべき場所へと歩を進める。


「ねぇ、結局どこに行くの?」

「まぁまぁ、黙ってついてきなよ」


 串焼きを次々と口の中に放り込みながら尋ねてくるオリビアに、アシュトンは行先を明示しないまま先へと促す。中央通りを抜け、途中細い路地をいくつか曲がったところで、目的の場所が見えてきた。


「着いたぞ、オリビア」


 目の前には無骨な煉瓦造りの建物。ひっそりと置かれている小さな看板に気づかなければ、誰も店だとは思わないだろう。

 事実アシュトンも初めて訪れた時は、何度も店の前を素通りした。


「ここって……鍛冶屋さん?」


 困惑したような声をかけてくるオリビアを尻目に、アシュトンは店の扉を開ける。目に映ったのは、部屋の中央で金槌を振るっている大柄な店主の姿。


「悪いが今は注文を受けれねぇ──って、あんたか……」

「お願いした物はできていますか?」

「ああ、自分で言うのもなんだが、かなりの逸品が作れたと思っている。ちょいと待ってな」


 店主はニヤリと笑いながら一旦店の奥に引っ込むと、すぐに鎧を抱えて戻ってきた。細かな銀の紋様が入った漆黒の鎧だ。

 左肩当と胸部には、ヴァレッドストーム家の紋章が刻まれている。注文通りの仕上がりに、アシュトンは大きく頷く。


「さすがエムリード随一の鍛冶屋と呼ばれることはありますね。完璧です」

「お世辞を言ったところで、残りの代金もきっちり貰うからな」

「当然です。良いものにはそれに見合った対価が必要です」

「ふん。若いくせに道理がわかっているじゃねぇか」


 店主は僅かに口の端を上げる。鎧を見たオリビアはというと、ポカーンと口を開けていた。


「アシュトン、これって……」

「これから本格的に戦いが始まるだろ? いくらオリビアが強いといっても、これからも手傷を負わないとは限らない。だから、少しでも頑丈な鎧をと思ってね」

「ああ、強度は保障する。薄く伸ばした鋼を幾重にも重ねているからな。多少の攻撃を受けても問題ないはずだ」


 アシュトンの言葉を捕捉するように、店主が説明する。


「色も剣と合わせてみたんだ。気に入ってくれるといいけど」

「……触ってもいいの?」

「いいに決まっているだろ。オリビアの鎧だ」


 戸惑うオリビアの両肩を掴むと、机に置かれた鎧の前へと立たせる。オリビアは滅多に見せることがない真剣な表情で、鎧に触れ始める。


(まぁ、色に関しては血が目立たないって理由もあるけど。なにせ新兵が血塗れのオリビアを見て、心底怖がるからなぁ)


 アシュトンも最初は恐ろしかった。だから、新兵の気持ちが痛いほどわかる。


「アシュトン、ありがとう! 凄くかっこいいし、とっても気に入ったよ!」


 魂が奪われそうな微笑を向けてくるオリビア。一気に顔が熱くなったのを咳払いで誤魔化していると、店主がにやにやと笑いかけてきた。


「あーなんだ。気に入ってもらえて良かったよ」

「早く兵舎に帰ろう! クラウディアに見せてあげないと!」


 残りの代金を店主に渡した途端、手を握られグイグイと引っ張られる。帰り際まで、店主のにやけた笑いが収まることはなかった。



 

 

 

 

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