第五十七幕 ~各個撃破~

 ──王国北部ウェルズ地方 ラーズウッド砦。


「キルス、知っているか? 今日みたいな月明かりの乏しい夜は、例のあれが出るって話」


 かすみのような雲がかかっている銀月をぼんやりと眺めながら、門兵──ロイドは隣で大あくびをしているキルスに話しかけた。


「あ? ──あぁ、死神か。そんな話もあったな」


 そう言うと、再び大あくびをするキルス。


「おい、少し気を緩め過ぎだぞ」

「いや、そう言うけどさぁ。こんな僻地の、それこそ名ばかりのちんけな砦を襲ったところで、意味ないと思わないか? お前くらいだぞ。そんなに気を張っているのは」


 キルスが木材で組まれた簡素な砦を眺めながら鼻を鳴らす。その言葉を証明するかのように、門の内側から兵士たちの笑い声が微かに漏れてくる。あまりの緊張感のなさに、ロイドはわざとらしく大きな溜息を吐いてやった。


 事の起こりは今から一ヶ月ほど前。漆黒の鎧に身を固めた銀髪の少女が、各地に展開している部隊を次々と襲い始めた。基本皆殺しの上、物資を強奪。今ではいつ現れるともしれない死神に、怯える者が続出しているらしい。

 だが、幸いと言うべきか。ウェルズ地方に展開する部隊を襲ったという話は、いまだ聞いたことがなかった。


「まぁ、俺もそう思わないこともないが──」

「ちょっと待て! ──今、草むらから変な音がしなかったか?」


 キルスが口元に指を当てながら、静かにするよう促してくる。一瞬、話を逸らすための演技かとも思ったが、キルスの目は至って真剣だ。なんだかんだ言いつつも、しっかりと周囲に気を配っていたらしい。


「俺は気づかなかったけど……多分兎とかじゃないのか?」


 草むらのあたりを中心に見渡してみるが、とくに異音は感じられない。


「違うな。そういう感じではなかった……ちょっと様子を見てくる」

「ひとりで大丈夫か?」

「お前なぁ。門番が二人して門を離れるわけにはいかないだろ?」


 篝火に照らされたキルスの顔は、どこか呆れたように見える。正論なだけに、ロイドとしても反論の余地はない。


「なにかあったら、すぐに知らせろよ」

「ああ……」


 キルスは槍を水平に構えながら、忍び足で前方の草むらへと向かっていく。姿が見えなくなってすぐに、ザザッと草を掻き分けるような音が聞こえ始めた。おそらく槍を払って異常がないか確認しているのだろう。

 ロイドも息を殺しながら、首にぶら下げている呼び子に目を落とす。万が一の場合、これを使ってすぐに危険を知らせなければならない。


 しかし、しばらく様子を伺うものの、とくに変わった様子は見られない。次第にロイドの体から緊張感が抜けていく。

 

(どうやら勘違いみたいだな。それにしてもキルスの奴、少し時間がかかり過ぎていないか?)


 キルスが草むらに入ってから、すでに十分以上は経ったように思える。時計をもっていないので正確な時間は不明だが、そう的外れでもないはずだ。

 多少苛立ちを感じていると、いつの間にか草を払う音が止んでいることにロイドは気づいた。ふと脳裏に死神の名が浮かび上がってくる。


(はは、まさかな。キルスの言う通り、こんな僻地に死神が姿を現すはずがない)


 だが、頭では拒否するも体は正直らしい。涼しい夜風が吹いているにもかかわらず、じんわりと汗が滲んできている。再びロイドの中で、緊張感が高まっていく。


「おーい。キルスー。そろそろいいんじゃないのかー。それだけ確認して何もないなら、問題ないだろう。いい加減戻ってこいよー」


 ロイドはわざと陽気な声を上げながらキルスを呼んだ。こうでもしないと、不安に押しつぶされそうだったから。

 だが、キルスからの返事はない。今度は大声で呼びかけてみるも、やはり返事は返ってこない。虫の奏でる音色だけが、やたら耳に響いてくる。


(やっぱり変だ。今の声が聞こえていないなんてありえない)


 ロイドは慌てて呼び子に手を伸ばし──それっきり、動かなくなった。




「ふぅ。一瞬ヒヤッとしました。隊長、お見事です」

「あはは、褒めたって何も出ないよ? でもまた奪った物資の中に美味しいお酒があったらガウスにあげるね」

「へへ、そりゃ楽しみですね」


 オリビアはバリスタ片手に草むらからぴょんと飛び出した。ガウスはべっとりと血の付いた剣を肩に担ぎながら歩いてくる。さらにその後ろを独立騎兵連隊の面々が続いた。


「しかし、隊長はどんだけ目がいいんですか? いくら篝火が焚かれているとはいえ、普通はできませんぜ。あの距離からスコーンと決めちまうなんて」


 ガウスが額から血を流す死体に目を向ける。どうやら少し呆れているらしい。


「そんなことないよ。訓練すれば、ガウスだってできるようになるよ」

「いやいや。少なくても俺には無理。絶対無理ですよ」

「そっか」


 確かに人間には向き不向きがある。オリビアはすぐに頭を切り替えると、兵士たちに火矢を射かけるよう準備を促す。ガウス指示の下、兵士たちは素早く砦を取り囲むと一斉に弓を引き絞った。


「隊長、準備ができましたぜ」


 ガウスの言葉にオリビアは頷く。


「じゃあ、始めようか」

 

 オリビアの合図と同時に、火矢の雨が木造の砦に降り注ぐ。ここしばらく空気が乾燥しているからだろう。砦はたちまち業火に飲み込まれていく。徐々に崩れ落ちる光景を見届けながら、オリビアは視線を門に移した。


「おそらく生き残りが飛び出してくるだろうから、どんどん矢を射かけてねー。あ、もちろん私も頑張るよ」


 バリスタを掲げながらオリビアがそう言うと、兵士たちは気炎を上げる。ほとんどは焼け死ぬだろうけど、油断は禁物だ。


「ぐわああああっっ! 火がッ! 火がッ!」

「早くッ! 早く門を開けろッ!」


 程なくして、怒号と悲鳴が門越しに聞こえてくる。やはり炎をやり過ごした人間がいたらしい。閂が外される音とほぼ同時に、重い音を響かせながら門が開かれていく。人ひとりがやっと通れるほどの隙間が開くと、我先とばかりに帝国兵士たちが飛び出してきた。

 そこに容赦なく矢をブチ込んでいくと、彼らは針ねずみのような姿で倒れ伏していく。それでも矢をかいくぐりながら、ひとりの兵士が鬼のような形相で突っ込んできた。


「よくも好き放題やってくれたなあああああっっ!!」

「あれ? もう矢が無くなっちゃった」

 

 オリビアはバリスタを背中に戻し──剣を一閃する。兵士は血飛沫と臓腑をまき散らしながら左右に分かれていった。背後にいる新兵たちから、息を呑む音が聞こえてくる。


「……ちなみに、隊長が帝国軍からなんて呼ばれているか知っていますか?」


 ガウスがオリビアの着ている漆黒の鎧──その左肩当を見ながら話しかけてきた。なにがちなみになんだろうと思いながら、オリビアは答える。


「死神でしょう? 化け物と呼ばれるのに比べたら雲泥の差だよね」

「化け物はダメで、死神はいいんですか?」

「うん!」

「俺にはどちらも大差ないように思えるんですが……またどうしてですか?」

「さぁ、どうしてだろうねぇ」


 オリビアは薄く微笑みかけると、ガウスに撤収を指示をする。ラーズウッド砦が完全に焼け落ちる中、独立騎兵連隊は闇夜に溶けるよう姿を消した。

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