第四十八幕 ~挑発する少女~

 ──宿屋、銀月亭。


(随分と帰りが遅いな。少佐は一体どこにいったのだ?)


 宿屋に到着してからすでに二時間。オリビアは未だに帰ってこない。さすがに探しにいくべきかと考え始めたクラウディアの耳に、廊下から慌ただしい足音が響いてくる。足音は部屋の前でピタリと止まった。


「クラウディア様! す、すみません! オリビア様が! オリビア様が!」


 ノック音とほぼ同時に、従業員が悲痛な声でオリビアの名を連呼している。その様子からして、嫌な予感しかしない。

 読んでいた本を閉じ、急いで扉を開ける。そこには顔面蒼白の従業員が、震えながら立っていた。



「オリビア少佐がどうしたというのだ?」

「ああ、よかった。と、とにかく一緒に来てください!」


 そう言うと、従業員は返事も聞かず早足で歩きだす。途中騒ぎを聞きつけたアシュトンも加わり、促されるまま玄関口にたどり着くと。


「あ、クラウディア。アシュトン」


 そこには血に染まったオリビアが、のん気に手を振っていた。傍らには気を失っているのか、黒装束の男が倒れている。

 従業員は役目を果たしとばかりに、厨房の奥へと逃げていった。


「少佐!? これは一体何事ですか?」

「オ、オリビア!?」


 クラウディアは慌ててオリビアに近づき、体中をまさぐった。どうやら体に付着している血は全て返り血のようだ。

 どこにも傷を負った箇所は見当たらないことを確認し、ホッと息をつく。隣では同じくアシュトンが、安心した表情で息を吐いていた。


「クラウディア。くすぐったいよ」


 オリビアは身をよじりながら言う。


「くすぐったいではありません! 突然いなくなったと思ったら、血まみれで帰ってきて……それに、この男はなんなのですか!?」


 先程は慌てていたため気づかなかったが、服だけでなく顔も黒い仮面で覆われている。どう見ても只者ではない。


「陽炎っていうどぶねずみだよ」

「陽炎って……あの帝国諜報部隊の陽炎ですか!?」

「へえ。諜報部隊なんだ。本人がそう言っていたから間違いないと思うよ」


 そう言うと、カラカラと笑うオリビア。だが、クラウディアにとっては笑い事で済まされない。

 陽炎は優れた情報収集能力と、高い戦闘能力を有した隠密部隊だと聞いている。そのひとりがここにいる。

 これは間違いなく、自分たちを監視していたのだろう。


 どのような経緯があったにせよ、その陽炎をオリビアが捕まえたのは間違いない。とりあえず逃走を防ぐため、アシュトンに男を柱に縛りつけるよう指示を出す。


「それで、一体どういう経緯で陽炎を捕まえたのか。お聞きしてもよろしいですか?」


 勝手な行動をしたオリビアに内心でメラメラと炎を上げながら、クラウディアは笑顔で訊く。オリビアは頬を引くつかせると、慌てたように話し始めた。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「──なるほど。話はよくわかりました。要するに少佐はカナリアの街を出た時から、彼らのことを認識していたのですね?」


 より一層笑顔を深めるクラウディアに対し、オリビアは全力で首を縦に振る。なんだかよくわからないけど、今のクラウディアはとても怖い。

 こういうときは、大人しくしていることが大事だと学んだ。学ぶことは好きだ。


「はぁ。そうならそうと、なぜもっと早く教えてくれないのですか?」

「えぇ……。カナリアの街を出た時に、どぶねずみがいるって教えたと思うけど……」


 とても小さな声で反論を試みると、いよいよクラウディアの笑みが極まっていく。その姿に以前本で読んだ、夜叉という女のことを思い出す。

 それを伝えたら、なんだか終わりのような気がした。だから、黙っておくことにした。


「そんな隠語を使われてもわかりません!」


 クラウディアは、額がぶつかるくらい顔を近づけながら言う。これにはオリビアも腰が引けてしまった。

 助けを求めるべく、男を柱に縛りつけているアシュトンに目を向ける。すると、申し訳なさそうな表情を浮かべながら目を背けられた。

 どうやら味方はいないらしい。


「クラウディア、訊いて。最初は全員ぶっ殺す予定だったんだよ。でも、途中で気づいちゃったんだ。これは情報収集に使えるって。だから、ひとりだけ生かしてここに連れて来たんだよ。ね、偉い?」


 オリビアが大げさに胸を張りながらそう言うと、クラウディアは深い溜息を吐いた。あまり溜息を吐くと、幸せが鳥のように飛んでいくらしい。

 教えてあげようと思ったけど、今は止めておいた。


「──まあ、いいでしょう。確かに陽炎のもつ情報は有益そうです。ただ、素直に情報を吐くとも思えませんが」


 陽炎を一瞥し、呆れたような表情をするクラウディア。どうやらお許しが出たことにホッと息をつく。

 今度からクラウディアにもわかりやすいよう、どぶねずみではなく〝はえ〟と呼ぶことにしようとオリビアは思った。


「うっ……」

「オ、オリビア。目を覚ましたみたいだぞ」


 アシュトンが慌てて男から遠ざかる。オリビアが視線を向けると、ゾエは頭を軽く振りながらゆっくりと顔を上げる。

 周囲を見渡し、柱に縛られた己の姿を見て不敵な笑みを浮かべた。

 

「どうやら俺は捕まったらしいな……なぜ一思いに殺さなかった。化け物である貴様なら造作もないことだろう?」

「色々と聞きたいことがあってね。あ、素直に答えたら逃がしてあげてもいいよ」

「ちょっ!? 少佐!」


 抗議の声を上げようとするクラウディアを、オリビアは手で押しとどめる。


「そちらのお嬢さんは、俺を逃がす気はないようだが?」

「それは安心して。約束は守る。それで、どうかな?」


 オリビアとしては、ここで拒否されたとしても構わないと思っている。そのときは漆黒の剣を突き立てて終了だ。

 きっとゼットも食料が増えて喜ぶだろう。どちらに転んでも損はない。


「──何が訊きたい?」


 ゾエは逡巡するような態度を見せた後、おもむろに口を開く。クラウディアが驚きの表情を浮かべる中、オリビアは尋ねた。


「あなたが私たちを追ってきた理由を訊かせてくれる?」

「ふん。そんなことでいいのなら答えてやろう。お前たち第七軍の動向を探るためだ」

「それは私たちがカスパー砦を落としたことと、関係があるのかな?」


 オリビアの問いに、ゾエは感心したような表情を見せる。


「ほう、見事な洞察力だな。貴様の言う通りだ。北部を制圧した総司令官は大層お怒りだ。こんなところでもたついていないで、さっさと北部に行け。そして、さっさと殺されてしまえ……まあ、化け物が死ぬ姿は想像できないが」


 そう言うと、くつくつと笑うゾエ。さすがにオリビアが顔を顰めると、横から怒りの声が上がった。


「おのれッ! 先程から少佐を化物などと、好き勝手言わせておけばッ!」


 クラウディアが拳を振り上げる。アシュトンも見たことのないような怒りの形相を浮かべながら、ゾエを睨んでいた。

 そんな二人の様子にオリビアは驚いた後、笑みを浮かべた。


「クラウディア、それにアシュトンも大丈夫だよ。私は別に気にしていないから」

「少佐は気にしなくても、私が気にします!」


 振り上げた拳を震わせながら、クラウディアが叫ぶ。別に止める必要もなかったけど、また気絶されても面倒だ。


「なんだ。化け物は人間を手なずけるのが上手いじゃないか」


 さらにゾエは挑発するような言葉を吐く。クラウディアが拳を振るうより先に、アシュトンは冷え切った目をゾエに向けながら言い放った。


「オリビア、こいつはここで殺しておいたほうがいいんじゃないのか? 情報も聞き出したことだし、もう用済みだろ?」

「あはっ、アシュトンにそんな言葉は似合わないよ」


 オリビアは笑いながら漆黒の剣を抜くと、ゾエに向けて一気に振り下ろす。剣はゾエに傷ひとつつけることなく、縛り上げていた縄がはらりと床に落ちた。


「……本当に逃がしてくれるとは意外だな」


 ゾエはゆっくりと立ち上がると、体の状態を確認するように手や足を動かす。


「約束は守るって言ったでしょう。それより北部の総司令官に伝えて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」

「……言って見ろ」

「私がぶっ殺しにいくから、首をゴシゴシ洗って待っていてね。こう総司令官に伝えてくれる?」


 薄い笑みを浮かべるオリビアに対し、ゾエは額に薄らと汗を滲ませながら頷く。


「わ、わかった。必ず伝えよう」


 ゾエは警戒するように後ずさりながら、銀月亭を後にした。


「──少佐、これで本当によろしかったのですか?」


 今だ怒りが収まらないのか。クラウディアは額に青筋を立てながら尋ねてくる。自分のことで怒ってくれることを嬉しく思いながら、オリビアは答えた。


「うん。敵の狙いが判明したからね。やっぱりアシュトンの推測は間違っていなかったということだよ。さすがは軍師だね」


 オリビアが手を叩いて褒めると、アシュトンは恥ずかしそうに頬を掻く。


「それよりも、どうしてオリビアはあんな挑発するような伝言を?」

「それはね、ああ言えば否が応でも私たちの到着を待つでしょう? 話を訊く限り、私たちにご執心のようだし。言葉ひとつで相手の動きを牽制できるなら、それに越したことはないからね」

「つまり、いつ中央に進出するかもしれないという不安要素を取り除いた。と言うことか……」


 アシュトンは腕を組みながら、感心したように何度も頷く。


「さてと……少し運動したらお腹が空いちゃった」


 オリビアはお腹をさすりながら厨房へと視線を移す。厨房の陰から事の成り行きを伺っていたらしい従業員は、目が合った途端「ひぅ!」と、面白い悲鳴を上げていた。


「全く……少佐はいつでもマイペースですね。わかりました。今から夜食の準備をさせますので、こびりついた返り血を落としてきてください」

「うん、わかった!」


 オリビアは快活に返事をすると、スキップをしながら水浴び場へと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る