第四十九幕 ~死を振りまく者~

 ──リステライン城、ダルメス宰相執務室。


 帝国宰相であるダルメスの執務室は、その地位にふさわしく豪華な作りをしていた。まず目を引くのは、執務室らしからぬ部屋の広さだろう。

 百人の人間が同時に訪れても余裕な程。太陽の光を充分に取り込めるよう作られた窓には、金糸の刺繍が施された真紅のカーテンが重々しく垂れ下がっている。

 さらには、部屋を彩る壺や絵画などといった高価な調度品の数々。白い壁を背に置かれた執務机は、重厚かつ気品が漂っていた。


 そんな部屋の中でも異様な存在感を放つもの──天井まで届きそうな黒檀製の巨大な書庫だ。


 ダルメスはおもむろに書庫に近づくと、手にした赤い装丁の本を空いている隙間に差し入れる。すると、カチリと何かが噛み合う音。

 その音とほぼ同時に、書庫が重々しい音を響かせながら、ゆっくりと横滑りしていく。程なくして動きを止めると、地下へと続く階段が姿を現した。


 入口に置かれているランプに火を灯し、ダルメスは足元を照らしながらゆっくりと階段を降りていく。途中、何度か躓きそうになりながらも階段を降りきると、石壁で囲まれた円状の空間に出た。

 執務室とは全く真逆。虚無の空間だ。


 ダルメスは壁に備え付けられている蝋燭に、次々と火を灯す。徐々に灯りが増していくたび、ダルメスの影が色濃く浮かび上がってくる。

 全ての蝋燭に火が灯されると、空間の中央に移動し、額をこすりつけるよう平伏した。すると、影がグニャリと歪み、前方へと伸びていく。

 まるで生き物のようにうごめくそれは、膨張と収縮を繰り返しながら、やがて人の形をかたどった。



 ──そこには陽炎のように揺らめきながら、ダルメスを睥睨へいげいするひとつの影。


『ダルメスヨ。面ヲ上ゲヨ』

「ははぁ!!」


 ダルメスは恭しく顔を上げると、挨拶を述べ始める。


「〝ゼーニアXenia〟様にはご機嫌麗しゅう──」

『ソンナ下ラン挨拶ハ不要ダ。端的ニ要件ヲ話セ。人間ノ会話ハ実ニ回リクドイ。ソレデナクトモ、オ前タチ人間ノ言語ハ、ワカリズライノダ』


 ゼーニアにとって、人間など食料以外の価値はない。ほかの種にとっても、人間など害悪なだけの存在だ。

 それでも唯一の食料源であるため、不本意ながらも下等な人間と付き合っている。


「も、申し訳ございません」

『──マアイイ。ソレデ、要件ハ?』

「ゼーニア様が気にかけていた、漆黒の剣に関する追加報告です」

『ソウカ。デハ話ヲ聞コウ』

「多数の目撃情報によりますと、漆黒の剣は黒い靄のような物質を放っているとの話です。魔法士が言うには、何らかの魔法が付与されているのではないかと」 


 漆黒の剣と黒い靄。話は簡単につながった。それゆえに、見当はずれなダルメスの言葉を訊いて、ゼーニアは一笑に付す。

 人間は進化もそうだが、退化するのも早い。その退が原因で、人間のような真似事をしなくてはならないのだが。


「……ゼーニア様?」

『ヒトツ、言ッテオク。黒イ靄ハ魔法ナドトイウ紛イ物デハナイ』


 その言葉が余程意外だったのか、ダルメスが驚愕の表情を浮かべる。瞳にほんの僅かな疑心が宿るのを、ゼーニアは見逃さなかった。

 この時代において、魔法は神の御業とされている。それゆえの反応であり、疑心が芽生えたのだろう。実に馬鹿馬鹿しい話だ。


「……お言葉ですが、魔法が紛い物とはどういう意味でしょうか?」


 案の定、疑問を呈してくるダルメスに、ゼーニアは無機質な声で答える。


『ソノママノ意味ダガ、オ前ニ詳シク語ル必要ガアルノカ? 私ニ益ガアルナラ、開示シテヤッテモ構ワナイガ』

「滅相もございません。出過ぎた口を訊き、申し訳ございません!!」


 再び平伏するダルメス。こんな下等な人間でも、今のところは役に立っている。戦争を終わらせないためにも、この人間は必要だ。

 少しは話してやっても構わないかと、ゼーニアは思い直した。


『マア、ソウハイッテモ気ニナルダロウカラナ。少シハ教エテヤロウ』

「おお! 深淵なる知識の一端を授けていただき、ありがとうございます!」

『オソラク漆黒ノ剣ハ、我ガ同胞ノ力ニヨッテ創リダサレタモノダロウ。黒イ靄ガ漂ウノハ、ソノタメダ』

「なるほど……その力は魔法の御業ではないと?」

『ソノ通リダ。更ニ言ウナラ、漆黒ノ剣ヲ持ッタ人間ハ、我ガ同胞ノ玩具ダ」

「──玩具、ですか?」


 意味がわからないとばかりに、ダルメスは首を傾げる。


『少々変ワッタ奴ダカラナ。〝観察〟ト称シテ、人間ヲ使イ遊ンデイルノダロウ』

「はぁ……それでは手出しを禁止させたほうがよろしいのでしょうか?」

『余計ナ事ハスルナ。ソノママ放ッテオケ』

「なぜでしょう? ゼーニア様の同胞ではないのですか?」


 意表をつくダルメスの言葉に、ゼーニアは心底呆れてしまった。本当に人間はどうしようもなく愚かな種族だ。

 今お前たちが戦っている相手は同じ種族──同胞ではないのかと、ゼーニアは問いたい。きっと野蛮な種族ならではの思考だろう。


『オ前ハ私ノ話ヲ訊イテイタカ? 同胞のダ。壊レタラ壊レタデ、奴ノコトダ。マタ新シイ玩具ヲ見ツケルダロウ。オ前ガ気ニスル必要ハナイ』

「こ、これは大変失礼いたしました!」


 三度平伏しようとするダルメスを、手を払って止めさせる。気を使ったわけではない。単純に鬱陶しいからだ。


『ワカレバイイ。コレカラモ、戦争ガ長引クヨウ努力ヲ怠ルナ。オ前ニ〝力〟ヲ与エタノモ、ソノタメダ。ヒトリデモ多ク、人間ヲ死ニ導クコトニ邁進まいしんセヨ』

「ははぁ!! 万事心得ております。すでに皇帝は木偶でくも同然。戦争を操るなど造作もないこと。無論、お預かりした〝冥杯〟に、魂は順調に注ぎ込まれています」


 そう言うと、ダルメスは期待に満ちた目を向けてくる。黄色く濁った実に汚らしい目だ。本当に人間の欲は底がないと思いながら、ゼーニアは口を開く。


『安心シロ。見事冥杯ニ魂ヲ満タシタアカツキニハ、約束通リ〝魂縛呪ノ妙薬こんばくじゅのみょうやく〟ヲクレテヤロウ。永遠ニデュベディリカ大陸ヲ支配スルトイイ』

「ありがとうございます! 必ずやご期待に応えて見せます!」

『──励メヨ』



 ゼーニアは──死神は虚空へと姿を消した。蝋燭の炎が僅かに揺らぎ、静けさが空間に満ちていく。

 ダルメスは口の端を吊り上げながら、いつまでもその場に平伏していた。

 

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