第二十七幕 ~片翼の攻防、その弐~

 ルイースの報告を受け、慌てて天幕を飛び出したエルマンの目に飛び込んできたもの。それは敵騎兵隊の突貫により、混乱した兵士たちの姿だった。


「やはり計略だったのか。俺としたことが、敵の策にまんまと乗せられるとはな」


 エルマンは歯噛みする。おそらく最初の騎兵隊はおとりだったのだろう。その隙をついて別の騎兵隊が突貫したのだと推察する。

 

「ここは一旦後退し、陣形の立て直しを図るべきかと」


 顔を引き攣らせながらルイースが進言する。


「……弓兵を後退させ、大盾兵を前面に立たせろ。その隙間から槍兵による刺突攻撃を行え」

「はっ!」


 ルイースに指示を出しつつ、エルマンは遠眼鏡を使い前方を確認する。映し出されたのは、敵の本隊が鋒矢ほうし陣形を組んでいる光景。


(なるほど。この騎兵隊の攻撃そのものが囮か。この混乱に乗じて一気に本隊が突入し、分断を図るというわけだ。俺も随分と見くびられたものだな)


 エルマンが自嘲気味に笑っていると、ルイースが不安そうな目で見つめてくる。


「いや、すまん。別におかしくなったわけではない。どうやら一連の攻撃は全て囮だったようだ。この混乱に乗じて、敵の本隊が一気に攻めてくるぞ」

「何ですって!?」


 慌てて腰の遠眼鏡に手を伸ばすルイース。


「くっ、確かに……すみません。この場を任されておきながら迂闊でした」

「それは俺も一緒だ。タイミングと言い、敵の指揮官は中々のやり手と見える。だが、これ以上の策は用意していないだろう。であれば、我々の策は決まっている」

「そ、それは?」


 ルイースの問いに、エルマンは獰猛に笑った。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「キヒヒッ、見よ! あの王国軍の慌てっぷり。私の作戦は見事功を奏したな!」

「さすがミニッツ閣下。誠に優れた智謀とお見受けいたします」

「ミニッツ閣下を相手になさるなど、ほとほと王国軍は運がなかったようですな」


 小躍りしながらはしゃぐミニッツに、側近がここぞとばかりに世辞を並べ立てていく。将校たちが冷たい視線を向けるが、彼らがそれに気づくことはない。


「よし、ここからは私が全面的に指揮を執る! このまま敵を分断後、本陣を強襲。一気に総司令官の首を獲る!」

「閣下!? 敵を分断したら各個撃破に移行するのが常道です。鉄鋼騎突兵であればそれも可能かもしれませんが、我が部隊ではそこまでの突貫力はありません。なにとぞご再考を」

「ならん! 今が功を上げる絶好の機会だ」


 ミニッツは拳を机に叩きつける。


「閣下ッ! もう一度──」

「ライオネス少佐殿、その辺でお止めください。閣下の命令は下されたのです。これ以上異を唱えるのであれば、反逆罪として拘束しなければなりませんが?」


 ライオネスの言葉を遮り、ミニッツの側近が反逆罪の適用をチラつかせる。将校たちが顔を真っ赤にして口を開こうとするのを、軽く手を挙げ制す。


「……かしこまりました」

「よしよし。わかればいいのだ」


 ミニッツは満足そうに頷くと、改めて敵本陣強襲の命令を発した。




 ミニッツ率いる本隊が、敵右翼に突入を開始してから一時間。味方が果敢に攻めたてる中、前衛を指揮するライオネスは言い知れぬ不安に陥っていた。


(どうにもおかしい。確かにこちらの読み通り、敵は動いている。敵総司令官の首を獲ることなど不可能だが、ここままいけば敵右翼の戦力をかなり削り取ることが可能だろう。だが、あまりにも事が上手く行き過ぎている。本当に王国軍が弱兵であれば杞憂に終わるが、昨日からの戦いようを見る限り、決して弱兵などと侮れない……どうやら確認が必要だな)


 飛んでくる矢を剣で弾き飛ばしながら、ライオネスは側近のマルスに告げる。


「前衛の指揮を一旦任せる。急ぎ確認することができた」

「はっ、お任せください」


 恭しく頭を下げるマルスを尻目に、ライオネスは馬を反転させる。


「よし! 百騎ほど私に続けッ!」

「「「はっ!」」」


 鐙を強く踏み込むと、小さな高台に向けて馬を走らせた──



「ば、馬鹿な……」


 高台に到着したライオネスは、目の前の光景に愕然とした。いつの間にか味方の軍勢が、敵に包囲されつつあったからだ。


「少佐、いったい……これはどういうことでしょうか?」


 騎兵隊のひとりが驚愕に満ちた表情で問いかけてくる。それはこっちが訊きたいと思いながらも、ライオネスは必死に思考を加速させる。

 そして、あるひとつの答えにたどり着いた。

 

(まさか敵はこちらの策を読んだ上で、混乱を装っていたのか?! そして、知らず知らずのうちに我々は敵の罠にはまっていた。でなければこんな馬鹿げた状況になっているはずがない……くくっ、策士策に溺れるとはまさにこのことを言うのだな)


 敵との化かし合いは完全にこちらの負けだ。後はこちらの被害が最小限に抑えられるよう行動しなければならない。こうしている間にも、刻一刻と敵の包囲網は縮まっていくのだから。


「急ぎ本陣に戻るぞ。このままだと取り返しのつかないことになる」

「はっ!」




 ──帝国右翼本陣


 馬を限界まで走らせ本陣に戻ったライオネスが見たもの。それはグラスになみなみと注がれた酒を飲みながら、陽気に笑うミニッツの姿だった。


「閣下ッ! あなたはいったい何をなされているのですかッ!」

「ん? おお、ライオネスか。なに、勝利を目前にしての祝い酒だ。お前も飲むか?」

「それどころではありません! 敵は我々を包囲しつつあります。急ぎ後退の指示を!」

「酒を飲んでもいないのに酔っているのか? 敵は我らの策に混乱し、逃げ惑っているだけではないか」

「混乱は敵の擬態です。我々は敵の罠にまんまとはまったのです!」


 その時、地面を這いつくばるように兵士が駆け込んでくる。その様子に、ライオネスはすでに状況が最悪に傾いたと確信する。


「なんだ騒々しい。貴様も帝国兵士ならば、みっともなく狼狽えるな」

「は、申し訳ございません。で、ですが……」

「なんだ。言いたいことがあるならさっさと言え」

「はっ、わ、我が軍はすでに敵の包囲下にあります! このままでは本陣に敵が押し寄せるのも時間の問題ですッ!」

「なんだお前もか。あまりふざけたことを申すと、その首──」


 ミニッツの言葉が最後まで続けられることはなかった。一本の矢がミニッツの頬をかすめるように飛んできたからだ。続いて微かに聞こえてくる悲鳴や怒号。最早僅かな時間しか残されていないことをライオネスは悟る。

 ミニッツは呆けた顔をさらしていたが、次第に状況が掴めてきたらしい。ガタガタと震えだすと同時に、股間がじわじわと濡れていく。側近たちは尻餅をつきながら、声にならない悲鳴を上げていた。


「閣下ッ! お気を確かにッ!」

「ラ、ライオネス! ど、どうなっている! 我が方は勝っていたではないか! なんで敵の矢がここまで飛んでくるッ!」

「先程申し上げたはずです。我々は敵の罠にはめられたと。ここは最早危険です。急ぎ脱出の準備を!」

「お、おまぁ、おまぁえぇのせぃでええ、こんなことになったのかあぁああッ!」

「お叱りは後でいくらでもお聞きいたします──お前たち、閣下を連れて急ぎここを離れよ。私はこの場に踏みとどまり、できるだけ閣下が逃げる時間を稼ぐ」


 二人の側近たちは、震えながら何度も頷く。わめき立てるミニッツを無理矢理馬に乗せ、間に挟み込む様な形で馬を走らせていった。

 その姿を見送ったライオネスは、馬にまたがると腰から剣を抜き放つ。


「少佐、私たちもお供します」

「……すまない」


 この場に残った僅か五十騎の騎兵隊と共に、ライオネスは敵の渦中へと身を投じていった。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「閣下、敵は上手く誘いに乗ってくれたようです」

「ああ、どうやらそのようだな」


 すでに敵左翼は半包囲下にあり、弓兵による遠距離からの一斉掃射。そして、槍兵を中心とした間断ない攻撃を受けている。


「このまま一気に包囲網を縮めますか?」


 ルイースの問いに、エルマンは首を横に振る。


「それは愚策だ。逃げ道は適度に残しておけ。追い詰められた兵は〝死兵〟と化す。そうなると、こちらの被害も無視できなくなる」

「はっ!」


(しかし、妙だったな。こちらの意表を突く策は見事な手腕だったが、その後はただの単純な力押し。こちらの意図に気づいて次なる布石を打ってくると思っていたが、それもなかった。正直相手の思考が読めないな)




 会戦二日目はエルマン率いる左翼の活躍もあり、全体的には王国軍の勝利で終わった。


 王国軍の死者二千名。

 帝国軍の死者五千名。


 オリビア率いる別働隊は未だ姿を現さない。

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