第十二幕 ~王国軍事会議~
──王都フィス。レティシア城、作戦会議室。
アルフォンス王の勅命を受けた第一軍は、キール要塞奪還の軍議を開いていた。
主だった参加者は、老将コルネリアス、猛将ランベルト、副官ナインハルトであったとデュベディリカ大陸史に記録されている。
「キール要塞の兵力は確認できたか?」
「は、密偵の情報によりますと、総兵力およそ……八万と聞き及んでいます」
その言葉に会議室が重い空気に包まれる中、声を発したのはランベルト中将。第一軍きっての猛将であり、数々の戦場で戦果を挙げてきた生粋の武人だ。
体中に刻まれた大小様々な傷跡は、その事実を端的に物語っている。
「八万か……我が第一軍は五万。数の上では圧倒的に不利だな」
ナインハルト大佐は机に広げられた地図上に駒を配置しながら、さらに死の宣告とも言える言葉を告げる。
「あくまで八万という数は、帝国軍に限った話です。帝国の属国に成り下がった隣国のスワラン。そして、ストニアの兵が参戦した場合、十四万は固いかと」
「ははっ。十四万と五万とでは話にもならん。無茶を言っているのは重々理解しているが、やはり第三、第四軍の助力は得られないのか?」
「一応何度か打診をしましたが、いずれも兵を回す余裕はないとの回答です」
ランベルトの問いに、ナインハルトは淡々と答えた。北方戦線と赤く記述された地図上に、白い駒を囲むよう黒い駒を置きながら。
開戦当初。帝国軍は王国北部を制圧するべく、八万の兵を率い猛攻撃を仕掛けてきた。王国有数の穀倉地帯を占拠し、食料難に追い込もうとした。
このことからも、帝国は戦争が長期に渡ることを予想していたことが伺える。
これに対し王国軍は、ラッツ・スマイス中将率いる第三軍。そして、リンツ・バルト中将率いる第四軍。総勢六万の兵をもって帝国軍を迎え撃った。
元々ラッツとリンツは幼年学校時代からの親友であった。そのため絶妙とも言える連携を駆使し、数で勝る帝国軍を翻弄する。
後に理想的な戦術と言わしめたベールクル会戦。
第三軍は敗北したふりをしつつ、狭隘な丘陵地帯に帝国軍を引きずり込むことに成功。隊列が伸びきったところを見計らうと、満を持して周囲に伏せていた第四軍が一気に波状攻撃を仕掛けた。それに呼応し、第三軍も一気に攻勢に転じる。
帝国軍は極度の混乱状態に陥り、為す術もなく瓦解。総勢四万の将兵を失うという大敗北を喫した。
その後、勢いに乗った第三、第四軍は次々と帝国軍を撃破。ついには国境線まで押し返し、逆に帝国領に進攻するほどの勢いを見せた。
だが、アルシュミッツ会戦において様相は一変する。第五軍が壊滅したことにより、背後の守りが消失。挟撃される可能性が俄然高まった。一部の将校たちからこのまま帝国領に進攻すべしとの強硬論もあったが、ラッツとリンツはこれを拒否。戦線を大きく後退させつつ、第三軍を背後の守りにつかせた。
この判断は正しかったのだが、同時に連携を駆使した戦術が不可能となる。事実上、愚策とも言える二正面作戦を強いられる結果となった。
現在は敵の間断ない攻撃を受けつつも、何とか戦線を維持している状態だ。
「中将よ。無茶とわかっているなら言うものではない。むしろ、あれだけの兵でよく北方戦線を支えてくれている。称賛に値する働きだろう」
地図を一瞥すると、小さな溜息を吐くコルネリアス元帥。第一軍を率いる総司令官であり、若き頃は常勝将軍と謳われた男である。
だが、すでに齢七十。覇気も衰え、かつての勇猛さは見る影もない。ランベルトは肩を竦めると、ナインハルトに視線を移す。
「ところで南方戦線の様子はどうなっている?」
「パウル中将の報告によりますと、帝国軍はカスパー砦を中心に兵を展開。ガリア要塞攻略に向けて、兵を増強しているとのことです」
「では、第七軍もこちらに兵を振り向ける余裕はなさそうだな」
「仕方なかろう。パウルはガリア要塞死守を陛下直々に命じられておる。それに、迂闊に兵を動かせば、敵を誘う結果にもなりかねない」
コルネリアスの言葉に、居並ぶ将校たちは一様に困惑顔を示す。確かにガリア要塞は死守すべき重要拠点だ。万が一突破されれば、王国までの道筋を塞ぐ手立てはない。帝国軍は楽々とエスト山脈を越え、王都フィスに雪崩れ込んでくるだろう。
そうなれば、王国軍は玉砕覚悟の戦いを強いられることになる。だからといって、憎むべき帝国の
無論口には出さないが、将校たちの本音である。
「せめて、カスパー砦が奪われていなければよかったのですが……」
将校のひとりが呟くと、全員の目が地図上の一点に集中する。カスパー砦の歴史は古く、群雄割拠初期の頃まで時代は遡る。元々は南方の国々に睨みを利かせるために造られた砦だ。その後、キール要塞が建設されると戦略的価値も低くなり、近年は廃砦同然の扱いを受けていた。
しかし、中央戦線においてキール要塞が陥落すると状況が一変する。キール要塞を脅かす前衛基地として、再びカスパー砦の戦略的価値が見直されたからだ。
だが、そのことに気付いた時にはすでに手遅れだった。帝国軍はキール要塞奪取後、半月を経たずしてカスパー砦に進撃。援軍も間に合わず、クトゥム中尉率いる僅か五百人足らずの守備隊は全滅した。
今やガリア要塞攻略の橋頭堡として、帝国軍はカスパー砦の有用性を存分に示していた。
「まぁ、奪われてしまったものをいくら嘆いてみても仕方がない。それより、カスパー砦の兵力はわかっているのか?」
「少々お待ちを」
手元の資料をめくっていると、《カスパー砦、予想兵力数》という記述を見つける。この手の報告書は注意して見なければいけない。
希望的観測に基づいて、過小に戦力を見積もる場合が多いからだ。だが、今回に限って言えばその心配はない。
ナインハルトは、しかめっ面をした男の顔を思い出す。
「──あくまでも予想だと記載されていますが、現在およそ五万とのこと」
「ふうむ。五万か……」
その言葉を最後に、ランベルトは両腕を組むと目と口を閉ざす。その態度を見る限り、何かしらの策を練っているのだろう。
そう考えたのは、ナインハルトだけではなかったようだ。
「中将。お主一体何を企んでおる?」
コルネリアスが探るような視線をランベルトに向ける。ランベルトはゆっくりと目を開けると、苦笑しつつ答える。
「言えね。今思いついたのですが、我が軍から半分の兵とガリア要塞の兵を三万。合わせて五万五千の兵で、先にカスパー砦を攻略するのはどうですか?」
ランベルトの提案に、数人の若手将校たちが「おお!」と感嘆の声を上げ、これみよがしに大きく頷いている。将来ランベルトが第一軍の総司令官だと考え、何かにつけてすり寄っている連中だ。
だが、当の本人であるランベルトは、全く意に介していない。
(王国が滅亡するかどうかの瀬戸際なのに、実に呑気な連中だな)
ナインハルトは呆れた表情を若手将校たちに向けるが、全く気付いた様子がない。ランベルトの示した案に対し、わけ知り顔で議論している。どうやら自身の栄達に比べれば、王国がどうなろうと些末なことらしい。
コルネリアスはとくに気にすることなく、話を続けている。
「それは先程申したであろう。第七軍は迂闊に兵を動かせないと」
「迂闊でなければよいのでしょう? カスパー砦を取り返せれば、ガリア要塞に対し、厚い防御ラインを引くことが可能です。そうなれば、第七軍と協力してキール要塞の奪還にあたることも可能かと」
「確かに……それはそうだが……陛下が……」
長く白い髭を弄りながら、呻くように言葉を絞り出すコルネリアス。ランベルトの意見が正論なだけに、返す言葉がないといった感じだ。
さらに畳み掛けるかのように、ランベルトの言葉が続く。
「それに報告を聞いた限り、どう転んでも我々のみでキール要塞の奪還は不可能です。そのことは元帥閣下もよくおわかりのことでしょう。僭越ながらキール要塞の眼前に、我々の墓標を打ち立てることをご希望ですか?」
「むうぅ……」
ランベルトの辛辣とも言える諫言に、コルネリアスは苦悶に満ちた表情を浮かべる。その二人のやり取りを、将校たちは固唾を飲んで見守っていた。
緊張感を伴った静寂が会議室を覆う。
「……わかった。陛下には直接わしが話そう。具体的な作戦案は中将とパウルに任せる。二人でよく話し合って決めてくれ」
「はっ! お聞き入れ下さり、ありがとうございます!」
立ち上がり敬礼しようとするランベルトを、コルネリアスは軽く手を振って制す。将校たちはお互い顔を見合わせ、ホッとした表情を浮かべていた。
無謀とも言える戦いを回避できたことに安堵したのだろう。無論、ナインハルトもそのうちのひとりだ。
だが、すぐに気を引き締めると、コルネリアスに提案する。
「元帥閣下、私が連絡係としてガリア要塞に出向いてもよろしいでしょうか? 少々気になることもありますので」
「──ふむ。お主が行けば間違いないだろう。何を気にしているか知らないが……頼んだぞ」
そう言うと、コルネリアスがゆっくりと席を立ち上がる。それを合図にランベルトが解散を告げ、将校たちは疲れた表情で部屋を後にしていく。
ナインハルトは手元の資料を丁寧に束ねながら、第七軍から送られてきた一枚の報告書に目を落とした。今回の軍議には必要なかったので、あえて控えた報告。
アルシュミッツ会戦で非業の死を遂げた、今は亡き友ランツ。その憎き
──オリビア准尉に関する報告書だ。
(この報告書によると、まだ十五歳の少女らしいが……全くもって信じられん。だが、オットー中佐が誤った報告書を送ってくるとも思えない。どちらにしても、会って礼は言わないといけないな)
まだ見ぬ少女に思いを馳せながら、ナインハルトは部屋を後にした。
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