第十一幕 ~尋問室~

 ──ガリア要塞 尋問室


 ガリア要塞は大騒ぎとなっていた。左手に誰とも知れない首を掴み、右手に両足を切断された男を引きずりながら、オリビアが要塞内を闊歩していたからだ。すぐに衛兵を通じてオットーに知らせが届き、急遽尋問室にて取り調べが行われることになった。


 尋問室では簡素な机を挟んで、オットーとオリビアが座っている。オットーの背後にはガウン姿のパウルが笑みを浮かべながら立っていた。


「あのーまだここに座っていないとダメですか?」

「今確認の最中だ。もう少し待て」

「もう少しってどれくらいですか?」


 オリビアが訊き返してくる。それに対し、オットーは無言でもって返す。何度も繰り返された同じ会話に、いい加減うんざりしていた。


 オットーは軍歴二十五年のキャリアを持ち、様々な兵士たちを見てきた。その中でも、オリビアのような兵士は初めてだった。軍に属してから一週間も経たないうちに、ガリア要塞に潜入した密偵の捕縛及び殺害。短期間でこれほどの成果を上げた兵士を寡聞に知らない。

 だが、驚いてばかりもいられない。オットーが足音に気づき扉に目を向けると、慌てて入ってきた衛兵が手に持った書類を差し出してきた。書類は練兵広場に打ち捨てられていた遺体の報告資料。検分の結果、帝国の密偵であることが確定したと記されていた。


 オットーは証言の裏が取れたことにホッと息をつく。万が一のことを考えて手練れの兵を数人伏せておいたのが、いい意味で無駄になったからだ。報告書にはモーリスが一命を取り留めたとの記述もあった。彼は回復後、尋問という名の拷問が待っていることだろう。


「証言の裏が取れた。オリビア准尉の言う通り、彼らは密偵として処理する」

「やっと終わったー。だから何度も言ったじゃないですかー」


 大きく伸びをしながら軽口を叩くオリビアに、オットーは眉根を寄せる。


「言葉を謹め。状況が状況だ。簡単に言葉を鵜呑みにするほど軍は甘くない」

「はっ、よくわかりました!」


 と言う割にはオリビアは頬をぷくっと膨らませている。力はある癖にそういう姿は十五歳の少女そのものだ。何ともちぐはぐな感じに苦笑しつつ、オットーはふと疑問に思ったことを尋ねてみた。


「そもそも准尉はどうやって密偵の正体を暴いたのだ?」

「はっ、たまたま外を散歩していたら、どぶねずみのような動きをしていた人間を発見しました。その人間の後を追ったところ、別の人間と接触。会話を訊き、密偵と判断しました」


 どう? すごい? と言わんばかりに胸を逸らすオリビア。全身ずぶ濡れの姿を改めて眺めながら、オットーは口を開く。


「このどしゃぶりの雨の中を散歩かね」

「はっ、私は雨が大好きでありますので!」

「……夜間は外出を禁止しているはずだが?」

「はっ、完全に忘れていました!」


 堂々と言い切るオリビアに、オットーは目頭を押さえた。背中越しに押し殺した笑い声が聞こえてくる。その笑いに抗議するべく、大きな咳払いをひとつする。


「まぁいい。夜間外出の件は目をつぶろう。だが、今後二度と命令違反は許さぬ。肝に銘じておけ──それと、今回のことはよくやった。正直、密偵の件は手を焼いていたからな」

「はっ、お褒め頂きありがとうございます!」


 ガリア要塞に密偵が入り込んでいることは、オットーもある程度予想していた。だが、要塞内にいる兵士だけでも四万人。さらに兵士以外の非戦闘員も千人以上はいる。その中から密偵を見つけ出すことなど容易なことではない。

 無論内偵は進めていたが中々網に引っ掛からなかったのだ。命令違反を差し引いても余りあるほどの功績をオリビアは成し遂げた。


「ではオリビア准尉。後日になるが今回の功績を称え、改めて報奨金が下賜かしされよう。下がってよろしい」


 オットーは椅子から立ち上がり退出を促すが、オリビアは一向に立ち上がろうとしない。それどころか「報奨金……報奨金」と不満そうな顔で呟いている。


「なんだ? 報奨金では不満なのか?」

「はい、できれば王都の美味しいパンを頂ければ嬉しいです」


 一瞬訊き間違えかと思いオリビアに再度促すが、返ってきた言葉は先程と全く一緒。どうやら聞き間違いではなかったらしい。金よりパンが欲しいなどと、この娘は阿呆なのかとオットーは思った。


「……なにゆえ王都のパンを望む?」

「アシュトンから王都のパンは外はパリッと、中はモッチモチで美味しいと訊き、是非食べてみたいと思いました」

「……理由はわかった。それで、アシュトンとは?」

「え? アシュトンはアシュトンです。人間です」


 驚いた表情を浮かべるオリビア。まるでそんなことも知らないのと言いたげだ。その反応を見たオットーは、震える右拳を左手で必死に抑えながらオリビアを睨む。


「そんなことは言われんでもわかっている。そいつは何者だと訊いているのだ」

「だからー、さっきから人間って言ってるじゃない。やっぱり私の言葉って上手く通じてないのかなー」

「貴様ッ!? 上官に向かってその物言いは侮辱罪に当たるぞッ!」


 オットーは振りかぶった拳を思い切り机に叩きつけた。だが、すぐに少女相手に何をいきり立っているのだと反省する。己の短慮さにこめかみを押さえていると「大丈夫?」と言いながらオリビアが顔を近づけてくる。それがオットーにとっては腹ただしく、そして憎たらしい。

 誰のせいでこんな気持ちになっているんだ、という言葉をグッと飲み込む。


「まぁまぁ。少し落ち着きたまえ。いつもの冷静さはどうした? らしくないぞ」


 パウルは楽しげにオットーの肩を軽く叩くと、オリビアの前に歩み寄る。オリビアは不思議そうな顔で、パウルを見上げた。

 あくまでも非公式の場ということで、パウルは名前のみオリビアに伝えていた。


「オリビア准尉。王都のパンも美味しいが、ケーキはもっと美味しいぞ。私の孫娘も大好きなんだ。食べたことはあるかい?」


 オリビアの反応は劇的だった。まるで宝石のように瞳を輝かせ、少女らしい花が咲いたような笑みを浮かべる。オットーは怒っていたことも忘れ、思わず見惚れてしまうほどの笑顔だった。


「ケーキ! パウルおじいちゃん、今ケーキって言った? もちろん食べたことないよ。でも、本で読んだことがある。甘いお菓子ってやつだよね!」


 オリビアは転げ落ちるかのように椅子から立ち上がると、パウルの両肩を激しく揺さぶった。パウルは顔をほころばせながら、うんうんと何度も頷いている。


「はは、そうかそうか。では、報奨金と一緒にケーキもつけてやろう」

「ほんと! やったーっ!」

「貴様ッ!! パウル中将に向かって無礼な態度を!」

「よいよい。今はわしもこの姿だ。多少の無礼は構わん。それにオリビア准尉から見れば、確かにわしはおじいちゃんだ。なにも間違ってなどおるまい」

「閣下! ですが、それでは示しというものが──」

「オットー。これは非公式の場だ──それと、オリビア准尉」


 オットーの言葉をやんわりと遮り、パウルは好々爺の顔をスッとひっこめる。それはいつもの──第七軍総司令官の顔だ。


「なになに?」

「わしはな。こんな恰好をしとるが、一応この要塞を預かる司令官だ。皆の目もある。公式の場では言葉を謹めよ。では、下がって休みなさい」

「? ……はっ! 了解しました。オリビア准尉、下がって休みます!」


 オリビアは難しい顔で敬礼すると「やっぱり人間の言葉は複雑だ」などと意味不明な言葉を呟きながら扉を開ける。

 さらに尋問室を出た途端「ケーキ! ケーキ!」とはしゃぐ声が響き、オットーは思わず頭を抱えた。


「ふふ。ザームエルを屠り密偵を捕えた少女か……どんな豪傑が現れるかと思いきや、役者としても通用しそうな美貌の持ち主じゃないか。それに、とても愉快な娘だ」

「閣下、笑い事ではありません。今回の件で腕が立つことは確実に証明されました。ですが礼儀や常識というものが欠けている田舎娘のようです。これからきっちりと、教育を施したいと思います」

「まぁ、ここは礼儀や常識を教える場ではない。ほどほどにな」


 そう言うと、パウルは頬を緩めながら尋問室を出て行った。ひとり残されたオットーは、椅子にもたれかかり大きな溜息を吐く。

 ふと脳裏に浮かんだのは、尋問前にチラッと確認した諜報員の死体。胴体を真っ二つにした死体など、オットーはいまだかつて見たことがなかった。それだけでも相当な技量の持ち主だということがわかる。


(どうやら諦めていた作戦をオリビアに任せてみるのもひとつの手か……)


 そんなことを考えながら、オットーは揺らめく蝋燭の火をジッと見つめていた。

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