「そんなの死にたいのなら、好きにすれば良い」

「……え」

「言った筈だ。きみは、俺の患者であり『実験体』だと」


 緋月が、嘲笑う。やっとわかった。わかってしまった。彼は、今まで晶子のことなどまともに見ていなかった。

 理解した。今までの彼の表情は全て演技だったのだ。


「実験体に実験を施し、どのような経過を辿るか。それを観察し記録するのが俺の役目だ。十代半ばの少女に魂の移植術を施した。その結果が自殺。実に面白みのない結果だが、仕方がないな。それも一つのデータにはなる」

「な……」

「遺体を解剖する準備をしなければな。さて、一体何が悪かったのか。やはり、事前に検体の治療をしなかったのが悪かったか。だから、魂を移した際に理性が感情を抑えられなくなったのか。ククッ、何にせよきみの死は今後の医療に大いに生かされることになるだろう」


 今までに見たことがない、それでいて彼の魅力を何よりも引き立てる傲慢な笑み。ぞっとする程に美しく、それでいて恐ろしい。

 違う。晶子は思い違いをしていた。なんて、浅はかな欲望を抱いていたのだろうか。自分の低俗な欲求では、緋月を傷つけることなんて出来やしない。


「な、なんで?」

「きみは、医者という生き物を勘違いしていないか? 医療がどういう代物か、上っ面だけを見てその中身を知ろうともしていないのだろう。この俺の見た目に惑わされ、どんな人間であるかをわかろうともしない……本当に愚かだな、シンデレラ」


 刃を握る手が、ガクガクと震える。どうして。捕まえたと思ったのに、それは蜥蜴の尻尾ですら無かったのだ。


「医者は、患者の為なら全てを投げうって何でもするとでも? 確かに、そういう優しい医者も居る。だが、多くは違う。それが仕事で、給料を貰っているから患者のことを考えているだけだ。医療は慈善事業なんかではない。患者の病気を調べ、特定し、治療する。そのデータを収集し、研究し新たな治療法を作り別の患者に提供するビジネスだ」

「う……」

「そして、俺は他の動物には無い人間の『心』、そして『魂』という概念に魅了され研究する者。実験体がどういう死に方をしたとしても、俺は少しも困ったりしない。嘆くわけがない」

「そんな……」


 力が入らなくなった手から、カッターナイフがすり抜けるようにして落ちた。からん、と乾いた音が一回だけ木霊する。それだけだった。

 そういえば、晶子は聞いたことがある。彼が医者として働いているところが見たくて、精神科外来を通りかかった時だ。老若男女、様々な患者に慕われていた彼。誰かが、彼に言ったのだ。

 先生は、神さまのように優しい。ああ、確かにそうだ。成神緋月。彼は夜空に輝く月のように美しい。


 そして、この世界を創造した神のように、絶対的なのだ。


「……まあ、きみには半ば強引に実験を承諾させたようなものだからな。仕方がない……今回だけは、助けてやろう」

 そう言って、緋月がおもむろに左手を上げる。その手は真っ直ぐ、晶子の視線と重なる高さで止まる。

「な、なに……」


 晶子は身じろぐことも出来なかった。ボロボロになった両足は最早言うことを聞かずに、ただ立ち尽くすだけ。逃げることも、しゃがむことも、淡褐色の瞳から目を逸らすことも出来ない。

 否、それはきっと――神が、晶子が拒むのを許さなかったのだ。


「シンデレラ、魔法が解ける時間だ」


 緋月の左手が、何かを真似るように象る。親指と人差し指以外の指は軽く曲げられ、人差し指の先が距離を置いたまま晶子を捉える。

 それはまるで、拳銃を持っているかのようだ。晶子がぼんやり考えていると、緋月の口角が厭らしく吊り上がり、


「バァン」


 ――爆竹のような発砲音と共に、晶子の胸を何かが貫いた。


「……え?」


 気が付いた時には、冷たいコンクリートに倒れていた。息が、上手く吸えない。胸元が、凄く痛い。指先から、身体がどんどん冷たくなっていく。

 命が、熱い血と共にどくどくと傷口から流れ出てしまう。


「流石、ナギ。よくその距離からターゲットを狙撃出来るものだ。それも、肺を撃ち抜くとは……ひどいやつだ」


 緋月の声が聞こえる。何だか、彼が手の届かない遠くへ行ってしまったかのよう。否、最初から彼は晶子の傍になんか居なかった。

 どうやら、彼はスマートフォンで誰かと話しているらしい。それが誰か、もうわからない。思考する力は失われ、視界は涙で滲む。もう、彼の姿を見ることさえ叶わない。


「ああ、早急に彼女を研究所へ。ふふっ、これは中々に貴重なデータだ。無駄にならないよう、詳細に……て……」

「…………」


 何も、聞こえない。痛みも、苦しみも、何も感じない。そうか、死というものはこういうものなのか。

 酷く静かで、安らかで、冷たくて、寂しくて。そして、何もない。


「…………」


 緋月を呼ぶ。しかし、それは声にはならなかった。たとえ声が出せたとしても、きっと彼は振り向いたりしない。

 ああ、なんて愚かな。晶子は己を呪い、そのまま静かに目を閉じて意識を手放した。


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