第一話 シンデレラ

第一章 鳩は鳴かない

 消えてしまいたい。

 この世界から、跡形もなく。


 木之下晶子という人間を、何の痕跡も残さずに抹消して欲しかった。十六年前に生まれたという事実を無かったことにしたいと、心の底から望んでいた。

 かと言って、自殺する勇気はどこにも無い。高いところから飛び下りるのは怖い。手首を切るのは痛そうだし、首を吊るなんて苦しいに決まっている。自分の運命を切り開く力が無いのに、自分の命を終わらせる覚悟も無いなんて情けないにも程がある。

 出来ることなら、晶子の身体を容赦なく打ち付けるこの雨が、全てを流してくれれば良いのに。肌や肉を溶かして、道路脇の排水溝に流れてしまえば良いのに。どうしようもなく馬鹿馬鹿しい思いが胸を満たし、雨とは違う雫がじわりと目に浮かんだ時だった。


 突如、雨が止んだ。


 いや、雨は今もまだ飽きずに降り続いている。しかし、それは晶子の周りだけ。晶子の頭上から降り注ぐ雨だけが止んだのだ。


「どうしたんだ、お嬢さん。こんな雨の中で、傘を忘れたのか? それとも……」


 激しい雨音の中でも、その声は確かに聞こえた。男性特有の低く、しかし羽毛のように優しい声。恐る恐る、傘をさしてくれた男の人の顔を見上げる。知らない人だった。

 だが、不思議と怖くはなかった。それは、彼が恐ろしい程に整った容姿をしていることに加えて、とても柔らかな雰囲気で声をかけてくれたから。

 そして、彼は助けてくれたから。


「それとも……泣いていたのか?」


 まるでおとぎ話に出てくる『魔法使い』のように、晶子を助けてくれたのだから――



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