側から見れば

 K-5087の効果が切れたのは12時を少し回った頃だったな。覚えているだろう?

 梅幸から予告されていた通り、今まで薬で押さえつけていた羞恥が雪崩のようにお前に襲いかかった。バウンドもバウンド。大バウンドだ。

 お前は布団の中で芋虫のように体を丸め、胸を抑えた。壊れたように脈打つ心臓が「お前みたいなクズと心中はごめんだ! 死ぬなら1人で死にやがれ!」と絶叫し、肋骨を突き破って体外へ逃げ出そうとしていた。

 お前は悲鳴を上げながら手足を振り回し、梅幸に押入れから引っ張り出されるまで引き戸に頭をぶつけ続けた。

 梅幸は暴れ回るお前を押さえつけながら「大丈夫だ!」と叫んでいたが、興奮状態のお前の耳には届かなかった。

 お前は包帯をかきむしり、折角出血が止まっていた傷に指を突っ込んだ。激痛が走り、血が勢いよく流れだしたがお前はそれをやめなかった。お前は肉体の痛みで心の痛みを遠ざけようとしていた。

 梅幸はお前を羽交い締めにして腕を抑え、傷をほじくるのを力づくでやめさせた。

 お前は釣り上げられたばかりの魚が釣り人の手から逃れて海に戻ろうとするかのように滅茶苦茶に体を捩ったが、梅幸はがっちりとお前を抑え、決して手を放さなかった。

 やがてお前は力尽き、気絶するようにして眠りに落ちた。

 俺は違う。瞼をあげることすらできない状態ではあったが、俺は起きていた。

 俺は梅幸が「初日からこれか。クソ」と呻いているのを聞いていた。

 あいつがお前の包帯をほどいて傷の具合を確認し、テキパキと処置してからまた包帯を巻き直すのを感じていた。手足についた打撲痕や擦り傷に軟膏を塗ったり、絆創膏を貼ったりしているのもだ。

 あいつはお前を押入れの中に戻しながらこう言っていた。

 「可哀想に。助けてやるからな」ってな。ハイハイ、ご立派! ご立派!


 翌朝。

 お前は幼稚園から聞こえてくる動物じみた子供の声に意識を揺さぶられ、目を覚ました。すっかり疲弊しきってはいたが、狂乱状態からは完全に抜け出していたな。あまりにもケロッとしているので、お前は自分の暴れっぷりを「夢だったんじゃ?」と思いかけた。だが打ちつけた体と喉の痛みが、そののんきな思いつきを否定した。

 押入れの引き戸は開いていて、パソコンに向かってキーを叩いている梅幸の後ろ姿が見えた。

 お前が押入れから這い出すと、梅幸は画面に顔を向けたまま「おはよう!」と怒鳴った。まるで「この野郎っ!」と脅しつけるような口調だったのでお前は反射的にビクついてしまったが、梅幸が怒鳴りたくて怒鳴ったのではないのはわかっていた。

 梅幸は咳払いし、これから1週間は薬の効果でできた新しい回路が塞がるまいと抵抗するから、日に日に発作が激しくきつくなるが、それを過ぎてしまえば今度は脳が回路を継続することを諦めて、元あった通りの脂質なりタンパク質なりに戻していくから、日に日に発作はゆるくなると説明した。

 「だからまず1週間を乗り切るんだ」と言って振り返った梅幸の顔を見て、お前は思わず「わぁ!」と叫んだ。

 奴の左目の周りにブルーベリージャムを塗りたくったような大痣おおあざができていたからだ。覚えてるだろう? あれはグロかった。

 お前は暴れまわった時に殴ってしまったのだと思い、慌てて梅幸に謝ったが、あいつは「これはあんたじゃないから」と貧乏ゆすりをしながら素っ気なく答えた。

 まぁ、実際、本当にお前じゃなかった。謝り損だな。

 梅幸は「居間に食べ物があるから好きに食べて。あんたの服とバッグはその押入れの2段めに置いといた。あと風呂も沸いてる。汗だらけで気持ち悪いだろうから入れる時に入って」と言ってまた顔をパソコンに向けた。

 お前が夜の大暴れのことを再度謝罪しようとすると、梅幸の貧乏ゆすりは激しくなり、あいつは「今、仕事してるから話はあとででいいだろっ!」と怒鳴った。

 お前は着替えとバッグを持って、すごすごと部屋から出ていくしかなかった。癇癪のタイミングがいまいち読めないって憂鬱になっていたよな。


 言われた通りに風呂に入り、着替え、居間でコンビニ弁当をぱくついていると、仕事に区切りがついた梅幸がやってきた。例のタイダイ柄の長袖ではない普通のTシャツを着ていたので、左腕についたレの字の傷がよく見えた。幾つか、ついさっきパチンとやったばかりで血が滲んでるレもあったな。

 お前は不安になった。薬を体から追い出せば頭の中のもう1人が消えるというなら、なぜまだこの人は自傷行為をやめないんだ? と。

 梅幸はお前の視線を感じ、その意図を察したんだろうな。

 「あのな! 俺の中にはもう誰もいないよ! これは後遺症なんだ!」と怒鳴った。

 「頭ではもう大丈夫だってわかってる! けど、こうしていないと安心できないんだ! だから仕方ないだろう!」ってな。そんで、また怒鳴ったあとに顔を真っ赤にして「怒鳴って悪かった」と唸った。その様子にお前は自分がいじめっ子にでもなったような居心地の悪さを味わった。

 お前は「わざとじゃないのはもう十分わかっていますから、謝るのはやめましょう。お互いに」と言ってから「今までもこうやって治験者を助けていたんですか? 他に薬から抜け出した人はいるんですか?」と聞いた。

 梅幸は顔を横に振り「助けようとして色々やったけど、ほとんどの連中は真面目に聞いてくれない。多少心に引っかかることがあったとしても、頭の中に別の自分がいるなんて信じられないから。警告して、別れて、再会した時にはもう別人だ。あんたで初めてだよ。俺が助けてあげられたのは」と悲しげに言った。

「じゃぁ、あの、自助グループの人たちは……」とお前が言うと、梅幸の顔は険しくなった。

「あいつらは全員人殺しの泥棒だ! 元の持ち主を殺して、その人の肉体と人生を盗んだんだ! 元々のあの人たちは脳の中に閉じ込められて、脂質やタンパク質に分解されて、今やあいつらのものになった脳を構成する成分にされてしまったんだよ! こんなおぞましい話があるかっ! ……惨すぎるじゃないか!」

 お前は自助グループ連中がドトールで交わしていた会話を思い出し、その何気ない言葉に隠されていた本当の意味に気がついてブルリと震えた。


 飯を食っている間に梅幸は薬のバウンドについて説明した。

 バウンドには波がある。朝から昼にかけては比較的落ち着いていて、昼から夕方にかけてまたパニックがぶりかえし、夕方から夜まではまた落ち着いて、夜から早朝にかけてまた激しいパニック。

 今の穏やかな状態が続くのは精々昼までだから、次のパニックが起きる前に会社や知り合いに連絡しておいた方がいいとあいつは言った。昨日は慌ただしくて結局ちゃんと連絡できてないだろうと。

 お前はバッグからスマホを取り出し、会社に電話した。急に脳の具合が悪くなったので再度精密検査を受けなければならず、2週間ほどの短期入院することになった云々といかにもありそうな嘘をでっち上げた。

 電話に出た古手川主任はくれぐれも無理しないようにとお前を労わった。

 お前がオフィスで発狂した時は、半笑いでお前を見ていたというのにな。

 会社に連絡してから数分後には、LINEに続々とメッセージが届いた。バッチン、グリコ、のんのを始め、みんながお前を心配していた。

 お前がまたコピー機の前でマンコマンコと絶叫する、気持ち悪くて付き合いづらい根暗な変人に戻ったりしたら本当に可哀想だと思っていたんだ。その可哀想なのが本当のお前だとも知らずにな。

 お前は同僚たちのLINEに指を震わせながら「少しの間、連絡が取れなくなると思います。大変申し訳ありません」と返事をした。

 由夏からのメッセージをお前は無視した。お前は彼女に関わるものをまともに見られなかった。

 「今は無理だ。いっぱいいっぱいだ。彼女のことを考えると心が破裂する」とお前は思った。お前はスマホをスリープさせ、再びバッグの中に放り込んだ。

 その時だ。

 お前はバッグの中にK-5087の入ったピルケースがあるのに気がついた。

 病院から貰ったばかりの1ヶ月分のK-5087だ。

 俺は興奮して叫んだ。

 今すぐ飲め! 昨日の夜みたいな思いを2週間も続けるつもりか? 死んじまうぞ! あいつは偶然薬の効果から逃れられただけなんだぞ! 完全にただの独学で薬を断たせようとしているんだ! ただのど素人がだ! お前にはあいつが医者や医療関係者に見えるのか!? 自己判断で投薬をやめたら廃人になるかもしれないぞ! 1錠だ。1錠だけ飲んでみろよ! 何も急に一気にやめることないだろ! ちょっとずつ段階的に減らしていけばいいじゃないか! 医者だってそう言ってたじゃねぇか! お前はあのキチガイと医者、どっちを信用するんだ! ってな。

 俺の言葉はお前には届いていなかっただろうし、俺にお前を操作することはできなくなっていたが、ちょっとでもお前の感情に影響が出ればいいと思って必死だった。

 1錠でもあの薬を飲めば、また俺とお前の繋がりは太くなる。

 そしたら俺はお前に梅幸から離れるように働きかけ、薬をもう一度飲むようにお前の気持ちを操作できるはずだと思っていた。俺は脂質だかタンパク質だかに戻されるなんて絶対にごめんだった。冗談じゃない。

 俺の必死さが伝わったのかどうかはわからないが、お前はK-5087を手に取り、こんなことを思った。

 本当に堪え難い発作が起きた時のために、1錠くらいなら取って置いた方がいいんじゃないか? ってな。

 俺は内心ガッツポーズをしたが、それも梅幸がお前の手からピルケースを奪い取り、トイレに歩いていって中身を全部捨てちまうまでの短い間だった。

 「他には持ってないな?」と梅幸はお前を睨みながら言った。

 お前は正直に「もうないです」と言ったが、梅幸はお前に向かって手を出し「バッグ」と言った。お前は仕方なく梅幸にバッグを渡し、中身を確認させた。

 梅幸はやり手の麻薬捜査官みたいな手つきで慎重にバッグを確認してからお前にそれを返した。

 「今、捨てたので本当に全部か?」と梅幸がしつこく聞くので、お前は家の薬箱に何錠か残っていると答えた。

「薬断ちが成功して家に帰ったらすぐに捨てろ。いいか、普通の投薬治療ならこんな風に乱暴に薬断ちなんかしちゃいけない。自己判断で薬をやめたりしたら取り返しがつかなくなるからな。でもK-5087は普通の薬じゃないし、あんたが置かれている状況も普通じゃない。あんたの頭の中にいる別の奴はずる賢くて悪意に満ちてる。ものすごく危険なんだ。それはわかるだろう?」

 お前は頷いた。失礼な奴だ。

「そいつは今、追い詰められてる。どんな手を使ってでもまたあんたの体を奪い取ろうとしてくるだろう。あんたのトラウマを引っ張り出し、あんたに自己嫌悪を植え付け、あんたの感情を引っ掻き回し、あんたにこう思わせようとする。『自分には価値がない』って。そしてあんた自らあの薬を飲むように仕向けてくるはずだ。どうしてそんなことをするかわかるか?」

 あいつはお前の目を見て、俺に言った。

「自分じゃ何もできないからだ」

 ファック野郎。

 

 さて、それからどうしたか? 

 偉大なる預言者、松馬クソッタレ梅幸様のおっしゃる通りのことが起きた。

 お前は押入れの中で暴れまわり、悲鳴を上げ、梅幸に押さえつけられ、痙攣し、気絶し、かと思えばすっきりと目を覚まし、数時間の小休止の後、また暴れまわる日々を過ごした。

 発狂と冷静の間で、お前は叫んだ。

「もう嫌だ! こんな人生がいつまで続くんだっ! こんなとこにいたくない! 誰も俺にいてほしくないくせにっ! 俺がいなきゃいいんだろ! 俺なんか、最初からいなきゃよかった! 間違いだったんだ!」

 100%正しい事実だ。お前はパニクってる時の方が賢いぞ。

 梅幸は腕の傷をかきむしろうとするお前を抑えながら。

 頭を床に叩きつけ続けるお前を抑えながら。

 舌を噛もうとするお前の口に手を突っ込みながら、繰り返し繰り返し怒鳴った。

「あんたは、ここにいていいんだ! どこにでも、いていいんだよっ!」

 エヴァの最終回みたいだ。「おめでとう、おめでとう」って適当に拍手してやるから、「ありがとう」って笑ってくれって感じだぜ、シンジ君。

 

 お前があまりに大騒ぎするから、異常を感じた幼稚園の先生達が訪ねてきたこともあったな。

 連中は梅幸の風体に明らかに気圧されていたが、なんとか威厳を保とうと背筋を伸ばし、「子供達が不安がっているので妙な叫び声をあげるのはやめてもらえませんか」と言ってきた。口調こそ丁寧だったが、やや喧嘩腰な態度だったのは、怖がっているのを悟られないようにするための虚勢だったのだろう。

 最初、梅幸は大人しく相手の話を聞いていたが、先生の1人が「保護者の方々からは警察を呼んだ方がいいんじゃないかって意見も出ているんですよ。でもまずは穏便に解決しようと思って」と恩着せがましく言った瞬間、癇癪を起こした。

「こっちは毎日幼稚園の騒音に我慢してるってのに! なんで犯罪者みたいに扱われなきゃいけないんだっ! 何様のつもりだ! クソがっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ!」と梅幸は怒鳴り始めた。

 お前は慌てて梅幸と先生達の間に立ち、青ざめている先生達に向かって「最近、ほら、台風が近づいて不安定でしょう! それでね、気持ちも不安定になりやすいんですよ!」って愛想笑いをしたな。

 お前は「強すぎる薬を体から抜くためにここで治療している。数週間は悲鳴や怒鳴り声が聞こえるかもしれないが、危険はないので安心してほしい。ご迷惑をおかけするが、患者のサポートはきちんとしているのでどうぞ穏便に。病院からも許可はとっているし、危険になったら直接警察に連絡がいくようになってますから」と、またしてもありそうな話をでっち上げて幼稚園の先生達を丸め込み、そして追い返した。

 お前は薬を飲んでいる間に得た「まともな人間の振る舞い」を、そのまま活用したってわけだ。

 つまり、お前は俺の真似をしたんだよ。素のお前、薬が抜けきってるお前だったら、誰もお前の話なんか聞かなかった。それはわかってるよな?

 彼らは帰り際にお前に「ここの人、コンビニとかバス停とかで1人で怒鳴ってたりして、みんな怖がってるんですよ。うまいこと落ち着かせてくださいね。ああいうの、いつか事件を起こすタイプじゃないですか。できればずっと病院に入れておいて欲しいくらいですよ。子供達が可哀想で」と小声で言った。

 患者は梅幸の方だと思ったわけだ。まぁ、誰だってそう思う。連中が家に訪ねてきたのが、お前が暴れまわってる時じゃなくてよかったよな。

 とりあえずはうまく誤魔化せたと安堵しているお前に、梅幸はムスッとしながら「怪我してない方の腕を出せ」と言った。

 お前が言われた通りに腕を伸ばすと、梅幸は片手でお前の腕を持ち、もう片方の手を振り上げて思いっきり平手で叩いた。

 パァン! という乾いた音と痛みにお前は驚いて思わず手を引っ込めたが、きっとこれも何か理由があるんだろうと思った。

 だから「今のは何ですか? こうすると薬の効き目が弱くなるとか?」と聞いた。

 梅幸は膨れっ面で「ムカついた」と答えた。

 「何が気圧のせいだ。悪かったな、不安定で」とぶつぶつ言いながら居間へ消えて行く梅幸を、お前は唖然としたまま見送った。

 

 そうやって時間は経過し、お前は1週間めの峠を超えた。

 峠を超えてしまうとバウンドは日に日に落ち着いてきて、暴れまわる頻度も1日3回が2回か1回になり、数時間に及んだ発作は長くても1時間程度にまで短くなった。

 お前の口からは再びチンコだのマンコだのといった汚い言葉が脈絡もなく飛び出すようになり始めていたが、お前はそれを以前程には気にしなくなっていた。むしろ、それをK-5087の影響から完全に抜け出す兆しだと受け止め、歓迎すらしていた。

 状態が安定してくると心に余裕が生まれ、周りに目が届くようになる。

 お前は梅幸が時々、怪我をして帰ってくるのに気がついた。

 顔に痣を作って帰ってくる時もあれば、泥だらけになって帰ってきたり、服に幾つも足跡をつけて帰ってくる時もあった。一度なんて頭からコーラを被って帰ってきた時もあったな。

 お前は何度となく一体どうしたんですか? と梅幸に訪ねたが、梅幸は黙り込むか癇癪を起こすかで中々答えようとはしなかった。だがお前がしつこく食い下がったので、結局は白状した。


 数ヶ月前。梅幸はコンビニで弁当を買っている時に癇癪の発作が起きてしまい、おにぎりに向かって罵声を浴びせた。それをどこかのバカに動画撮影され、ネットに晒されたのだ。で、それがバズった。

 以来、全く見ず知らずのバカにスマホで盗撮されたり、小突かれたりすることが増えた。運悪く外出先で発作を起こすと、さも正義感ぶったバカに「みんなの迷惑だろ!」と殴られたりするようにもなったのだという。

 「最近は、誰が一番俺にダメージを負わせられるかで競争してるみたいだ。やめろって怒鳴って、追い払っても、それを遠くで別の奴が撮影してる。無視すると殴ったり、蹴ったりしてくるから」と梅幸は言った。

 お前は「絶対に警察に言った方がいいですよ!」と憤ったが、梅幸は「俺はここらじゃ警察に『あの人、なんとかしてくださいよ』って言われる側なんだ。警察に相談しても『あんたが道端で大声だしたりするからだろう。普通にしていれば済むだろ』って言われて終わりだ。まぁ、家はバレてないし、遭遇するのも時々だから、あんたが気にすることじゃないよ。あんた、自分のことに集中してろよ。人の心配してる場合じゃないだろ」と言った。


 お前は梅幸が風呂に入っている間にスマホを起動させて「コンビニ」「怒鳴る」で検索をかけた。

 すぐに梅幸が言っていた動画がでてきたな。まぁ、滑稽だよな。おにぎり握りしめて大声で怒鳴り散らしてんだもん。そりゃ盗撮されるよ。気持ち悪いもん。

 「おにぎりに村を焼かれたおじさん」。

 それがネット上の梅幸の名前だった。

 おにぎりに村を焼かれたおじさんの動画はたくさんあった。バス停前で発作を起こし、怒鳴り散らしている梅幸を盗撮しているものもあったし、ただ道を歩いている梅幸に繰り返し何度もぶつかったり、勢いよく振ったコーラをすれ違いざまにかけたりして、梅幸が怒鳴り始めるのを待つ動画もあった。削除されていたが、集団で取り囲んで蹴り飛ばしている動画もあったようだった。

 お前は最悪の気分になった。どの動画にも悪意と嘲笑で満ちたコメントがついていたが、お前の胸に一番堪えたのは「この人、地元で有名なキチガイだよ。こいつがくるせいであのコンビニ行きにくいから、とっとと病院に行くか、死ぬかしてほしい。キチガイ無罪反対!」というコメントだった。

「お前なんかに何がわかるんだ」とお前は呻いた。

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