吹っ切る為に

「…時の歩みを司る神…最硬の武神か…」

 どこかで聞いた事がある。どんな盾でも貫く矛と、どんな矛をも通さない盾の話を。

 そんな武器を持っている武神、更に時の流れを操る事ができるとは…

 そんな神の加護が、御堂を護っているのか…

 暑くも無いのに、汗が額から伝った。

「時を止めたり、巻き戻したりは出来ないみたいですが…」

 桐生さんが付け加えるも、それでも充分過ぎる脅威に俺は震えた。

「俺の拳がいくら速くても、御堂には関係ない、って訳か」

 俺の霊力を込めた拳、截拳道での超最短、超高速の拳も、御堂を護る加護の前には無力。

 絶望感が俺を支配しつつある。

「印南さんが如何に巨大な霊力を持っていたとしても、それを使いこなせるポテンシャルを持っていたとしても、敵には届きません…」

 桐生さんも絶望的だ、と意見する。

 そして俺達は、俯いたまま、暫く口を開く事は無かった。

 しかし、俺はひねり出すように呟いた。

「……御堂は殺人犯だ。例え俺の力が及ばずとも…俺は刑事として、奴を捕まえなければならない…」

 奴をそのまま放置する事は、俺にはできない。

 敗北確定でも構わない。

 奴を捕らえる目が欲しい。

 淡々と一方的に話す俺を、桐生さんは黙ったまま聞いていた。

「桐生さん。アンタは並みの術者じゃない。アンタはどこで修行したんだ?」

「…水谷です」

 漸く口を開く桐生さん。そして俺は驚いて叫ぶ。

「水谷!?水谷 君代か!!」

「やはりご存知でしたか」

 知っている。俺も霊能者の端くれだ。水谷 君代の名は、勿論知っていた。

 亡くなるまで、世界屈指の霊能者として名を馳せていた水谷 君代。

 ウチの神社、古神道系も、水谷の世話になった事があった筈だ。

 更にはカトリックの総本山、ヴァチカンの教皇とも懇意の仲だとか。

 チベット密教やブードゥの魔術団体とも繋がりがあるとか。

 桐生さんが、その水谷の弟子だったとは、成程、あの力量や知識も頷ける。

「御堂を捕らえる手……さっき口に出さなかった事は、水谷の奥義が秘密に触れるからか?」

「……………」

 俯いたまま、押し黙る桐生さん。

 言いたくないと、表情がそう語っている。

 だが、手があるなら俺はそれに縋りたい。

 俺は桐生さんの肩を、力強く支えながら言った。

「教えてくれ!!御堂を捕らえる術を!!桐生さん、アンタには絶対に迷惑はかけない!!」

 顔を上げた桐生さんの目を見据える。

 仮に迷惑を掛けたなら、俺は命を以てそれを償おう。

 そう決意して、桐生さんの瞳を見据えた。

「………解りました…確かに殺人犯はこのままにしておけません。私が彼に依頼しましょう………」

 俺の願いに応えてくれた桐生さんに、感謝の気持ちでいっぱいになった俺は、思わず桐生さんを抱き締めた。

「い、印南さん…」

「あ、ああ、申し訳ない。つい…」

 身体を離すと、桐生さんが暗い表情をしながら顔を背けた。

「す、すまない桐生さん。悪気があってした事じゃない。いや、言い訳か………」

 謝罪する俺に対して、首を横に振る桐生さん。

「抱き締められた事は、本当に何とも思っていませんので、どうかお気になさらずに」

 だが、桐生さんの暗い表情は晴れない。

「だ、だが、君は辛い顔をしている……」

 最後まで言わせず、桐生さんが言葉を発した。

「……先程言った依頼…私が片思いしていた男性にお願いする事になるから…彼は私の親友と結ばれます…私の勇気が足りなかったから、彼に想いを伝える事が出来なかったから………私は親友を祝福してあげたいのに、出来ない…私の想いはまだ彼に有るから…辛いのは、ただの私の甘えですから……」

 力無く笑う桐生さん。

 俺は…自分の都合で、彼女の辛い気持ちを踏みにじって…

 自己嫌悪に陥る。顔なんか上げられない。自分の馬鹿さ加減に恥ずかしくて。

 そんな俺の肩を優しく叩く。

「気にしないで?思えば、これもチャンス。北嶋さんを吹っ切る為に、印南さんが与えてくれたチャンスだから」

 優しく、そう囁いてくれた。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 携帯を取り出し、そしてディスプレイに表示している名前をじっと見る。

 ボタンを押す指に躊躇いを感じる……

 かなりの覚悟を擁したが、なんとかコールした。

『あいよ~』

 数回のコールの後に聞こえた北嶋さんの声。

 懐かしい…辛い…噛み締めた唇を開く事が出来ない…

『桐生~?どした~?お~い?お~い?』

 そんな私の気持ちなんか知る由も無い北嶋さんは、呑気に私を呼んでいる。

「………お…おひさしぶりです北嶋さん……」

 漸く言えた挨拶。

『おー久しぶりだなぁ桐生~。どうしたんだ?仕事か?』

 電話向こうからの明るい返事。しかも、北嶋さんから切り出してくれて、お願いし易くなったのは有り難かった。

 ここからは、機械的に話せるだろう。

 私の感情は仕事の依頼には関係ないから………

「実はですね………」

 私は印南さんの願いを北嶋さんに話す事が出来た。

 最硬の武神の加護を受けた御堂と言う男の事を。

『御堂?最硬の武神?マジで?』

 電話向こうで本気で驚いている北嶋さん。

「どうしました?北嶋さんが驚くなんて珍しいですね?」

 いつも余裕綽々の北嶋さん。どんな巨大な敵を前にしても、動じる事無く、真正面から粉砕してきた北嶋さんが驚く事は、本当に珍しかった。

『いやな、なんかその神から加護の奪還の依頼があったらしいんだよ。報酬を取り決めて無かったから保留しているけどさぁ』

「え?じゃあ北嶋さんも別口で御堂関係の依頼を請けているって事ですか?」

 今度は私が驚く番だった。

 同時期に同じ敵を全く別口から請けていたなんて。

 いや、それよりも!!

「北嶋さん、神様から報酬を貰おうとしているんですかぁ!?」

 神からの依頼でも有り得ない事なのに、それに対して報酬を得ようとするなんて!!

 なんて罰当たりなんだ。と思う反面、北嶋さんらしいとも思ってしまった。

『だってよぉ。俺って結構依頼断っているじゃん?神からの依頼を報酬も無しに簡単に請けたって事が世間に知れたら、北嶋は権威には弱いって思われるかもしれねーじゃん?』

「え?多分誰もそんな事思わないかと…むしろ、神様から直々に依頼があった北嶋さんに脅威と尊敬を抱くんじゃないかな、と…」

 確かに北嶋さんは嘘の依頼や自業自得の場合には、大臣だろうが、大企業の社長だろうが、絶対に請ける事は無い。

 それが巨額なお金を積まれようともだ。

 だけど、神様から直々の依頼をそんなのと同列に扱うのは如何な物か、とは思う……

『まぁ何だ、桐生が別口から依頼するなら、ついでに神の依頼もやれるから、俺にしちゃ一石二鳥だけど』

 神様の方をついで扱いとは………

 なんて豪気な人なんだ!!

 全く変わっていない北嶋さんに、何故か安心した。

「ちょっと待って貰えますか?」

 私は印南さんに請けて貰えた事をお話した。

「助かったよ桐生さん。本当に有り難い」

 安心した表情の印南さん。そして私は依頼金の事を切り出す。

「相場はいくらなんだ?」

「こういうのは気持ちですから、印南さんが自分で決めて下さい。別に高額じゃなきゃ請けないって訳では無いので。印南さんが感謝の気持ちで支払ったお金なら、いくらでも北嶋さんは請けますよ。出張になるなら、勿論必要経費は別途ですけど」

 印南さんは暫く考えた後、10万円と提示した。

「お待たせしました。お金は10万円でいいですか?」

『あー報酬ね。そりゃ経理と話してくれ。今神崎と代わるわ』


 ドキン!!


 一つ、心臓が大きく高鳴る。

 尚美と話す…仕事とは言え、尚美と………

 グルグルと感情が渦巻くような気分の中、電話向こうから尚美の声が聞こえた……

『……もしもし………』

 尚美………!!

 どうしよう…なんかやたらと喉が渇く……

 唾を飲み込む。

 ゴクッと鳴った喉が、電話向こうの尚美からも聞こえた。

「………尚美も何か緊張しているんだ……」

『………そうね、なにかお互いにね……』

 そして私達は互いに口を開く。

「おめでとう…尚美…」

『ありがとう…生乃…』

 更に二人で声を裏返して同じ事を漏らした。

「え?」

『え?』

 暫く沈黙した後、私は笑い出した。

「ぷっ!!あはははは!!尚美、もう一度言うわよ?北嶋さんとの婚約、おめでとう!!」

 何故か素直に祝福できた。

 確かに、まだ気持ちの整理は付いていない。

 まだ北嶋さんが好きだ。

 だけど、尚美の『ありがとう』の真意、私は気付いてしまった。

 神様直々の依頼は尚美が引き受けたんだろう。

 だけど、何らかの理由で報酬の取り決めを忘れてしまった。いや、或いは報酬なんて概念が無かったのかもしれない。

 北嶋さんはああいう人だから、例え神様直々の依頼と言えども、簡単には引き受けない。

 尚美は困った筈だ。

 そんな時、私が偶然にも、別口からアプローチが可能な依頼を持って来た。

 尚美は私に本当に感謝したんだろう。

 だから『ありがとう』なのだ。

 そして、そんな頑固な北嶋さんが選んだ人が尚美なのだ。

 私の出る幕は無い。

 もっと私に勇気があれば、結果は違ったかもしれない。

 もっと私が北嶋さんの傍に居られたら、結果は違ったかもしれない。

 全て私が招いた結果。

 私が北嶋さんに唯一出来る事、心からの祝福。

 辛くて涙を流しながら、それでも笑いながら私は再度言う。

「北嶋さんとお幸せにね尚美!!」

『…ありがとう生乃……ありがとう……』

 電話向こうの尚美の声が震えている。

 今度の『ありがとう』は祝福に対する感謝。

「仕方無いじゃない。私は確かに北嶋さんが好きだけど、尚美も大好きなんだから」

 そうだ。私は尚美も大好きなんだ。

 大好きな親友の幸せに、おめでとうと心から言いたいのも私の本心なんだから。

「でね、さっきの話、お礼は10万円でいい?」

 親友に仕事を頼む話に切り替える。

 いつまでも笑ったり泣いたりしていたら、先に進めない。印南さんが焦れているのが気配で解ったから。

『お金はいくらでもいいよ。元々私の案件だしねー。全く困ったもんだわ北嶋さんは』

 確かに困った人だが、それを御せるのは尚美だけ。やはり私には無理。

「困った人は毎度の事でしょ。こんないい女の気持ち、全く気付かない鈍感男なんだから」

 違いない、と笑う尚美。

『じゃあ本当の依頼主と少しお話しても構わないかしら?』

「うん。ちょっと待って」

 私は印南さんに携帯を渡した。それを受け取り、自己紹介をする印南さん。

「お電話代わりました。印南 洵と申します。この度は依頼を請けて下さり、ありがとうございます」

 丁寧にお礼を述べる印南さん。驚いたのは、その『礼』。

 いや、電話口でお辞儀している事を驚いた訳じゃない。結構そんな人いるし。私もそんな人の一人だし。

 神仏と対話していくうちに身に着いた美しい『礼』。

 こんなに美しい礼をする人だからこそ、守護霊の加護が働いたのか…

『いえ、此方こそ助かりました。ありがとうございます』

 尚美も丁寧にお礼を言っているようだ。こっちは容易に想像できる。

 私よりも、いや、水谷の誰よりも神仏と対話してきたのは尚美。

 尚美の『礼』は本当に美しい。見惚れる程に。

『印南さん…でしたね?失礼ですが、少し視させて貰いました。凄い力の持ち主ですね…』

「そうなんですかね?自分では良く解りませんが…」

『ウチの所長が直にお会いしたいと言っておりますが、此方に来る事は可能ですか?』

 北嶋さんが直に会いたいって!?まさかそんな事が!?

「どうしたらいい?」

 私の方を見る印南さんに、私は高速で頷いた。

「解りました。では、今から伺います。えっと…」

 行くと決めても、住所も解らず困惑している印南さんから携帯を受け取り、電話を代わる。

「ここからなら、車で7時間もあれば着くわ。明日の朝出発するから、夕方には着くと思う」

『そう?じゃあ待っています、と伝えてくれない?』

 解ったと言って電話を終える。そして興奮気味に印南さんに伝えた。

「印南さん!北嶋さんが会いたいって言うのは、本当に極稀!いや、私の記憶には無い!どんなお話があるか解らないけど、是非会ってみるべきよ!!」

「いや、別に構わないんだが、住所を教えて貰えるか?今から出るから」

 そんな印南さんの手を握り、私は首を横に振った。

「印南さんは今から私の住んでいる所へ来て貰います!印南さんなら師匠の形見分けのアレを御する事が出来るかも!」

「え?水谷の遺品を俺にくれるって言うのか?」

 思いっ切り笑顔で頷いた。

「印南さんは最硬の武神の加護と戦うんですよね?アレがあれば、勝率はかなり上がる!そして、アレは私以上に霊力が高いあなたが持つべきです!」

 印南さんは困惑しながらも、首を縦に振った。

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