第28話 インド洋決戦九 破壊六

「敵艦との距離は?」

「一三〇―一三〇〇〇米―」

「よし、雷撃距離は四〇とする」

 敵艦隊の副砲から砲撃が始まると、大森少将は新たな命令を下した。『阿武隈』は先の軽巡二隻との撃ち合いで、主砲を三基失う大損害を負っている。しかし、その機関は健在であり、三〇節以上の速力を出すことが可能である。とはいえ、これ以上砲弾を喰らえば、どうなるかは分からない。

 この雷撃を成功させなければ南洋艦隊は今以上の窮地に追い込まれる。故にこの雷撃は絶対に成功させなければいけない。たとえこの身を犠牲にしても、雷撃を成功させる!『阿武隈』の、いや、一水戦の司令部から水兵に至るまでが、同じ思いであった。


 一水戦が狙う敵五番艦『ロイヤルサブリン』は東洋艦隊において、唯一敵艦の砲撃に曝されていない戦艦である。当然の如く一水戦に雷撃させぬ、と片舷七門の六吋砲から砲撃を次々に放つ。

 現在一水戦は、敵軽巡との戦闘で、駆逐艦を『谷風』『子日』『初春』と三隻失い、『若葉』が中破以上の損害を負い、戦隊から外れている。

 三水戦は大丈夫であろうか。事前の情報では、東洋艦隊には軽巡が数隻存在しているはずである。此方に二隻来たということは、向こうには、三隻乃至四隻の艦が向かっているということになる。

 とはいえ、大森少将が出来る事といえば、三水戦司令の橋本少将を信じる事より他にはなかった。


 それに、他の戦隊にきを取られている場合ではない。一水戦には、今も敵艦の副砲弾が降り注いでいる。何時どの艦が脱落してもおかしくない状況である。各艦長はそうならないように、最大限の力を振り絞っているらしく、どの艦も頻りに転舵を繰り返していた。しかし、敵弾は徐々に一点に集中していった。


「右舷に至近弾!」

「取舵二五度!」

 見張員の報告に、艦長は即座に転舵の命令を出した。司令官はそれと対照的に、見張員に尋ね返す。

「……敵との距離は?」

「一〇〇!」

 間髪入れずに返ってきた報告に、大森少将は、押し黙った。

 その直後の事である。『阿武隈』を衝撃が襲った。前甲板に命中した様で、一番砲塔の残骸前方から黒煙が噴き上がる。一・二番砲塔は破壊されている為、煙によって射撃に支障が出ることは無い。しかし、ここで直撃弾が生じたという事は、重大な意味を持つ。それは、次弾以降も直撃弾となる可能性が非常に高いという事である。ここでも九三式魚雷の射程距離ではあるが。

 しかし、『阿武隈』が発射点まで辿り着くのは不可能である。

 大森少将は、決意を定めた。

「艦長、魚雷発射だ」

「了解しました。しかし、駆逐隊は?」

「従来の発射点で発射させる。何、別に逃げるワケでは無いよ」

 その言葉に、村上大佐は無言で頷いた。

「取舵一杯!針路一三五度!右魚雷戦用意!」

 『阿武隈』の舵が切られ、頭が左に回っていく。しかし、舵が効き始める迄に二発、直撃弾を喰らった。だが、一旦回頭を始めると、早い。『阿武隈』は敵艦に右舷を見せる格好となる。

「右舷魚雷管、発射完了!」

「面舵一杯!針路三一五度!左魚雷戦用意!」

 村上大佐の命令と同時に、艦の後方で、敵艦の副砲の上げた水柱が屹立する。『阿武隈』はそれを尻目に、その身を右へと回転させる。右に見えていた敵艦が、正面、そして左へと流れていく。

 周りを水柱で囲まれる中、『阿武隈』から再び魚雷が発射される。

「左魚雷艦発射完了!」

「よし、発射距離を六〇に変更。本艦はこれより、魚雷発射距離まで駆逐艦を先導escortする」

 先導と言っては聞こえも良いが、要は囮である。しかし、いやだからこそ、『阿武隈』の士気は高まった。旗艦が一番に逃げては示しがつかない。男と生まれたからには、おめおめと逃げ帰るより華々しく散りたいではないか。


 敵副砲は、『阿武隈』が大回頭を行った為に、魚雷を放った物と思い、発砲を一旦止めたが、その直後に『阿武隈』が向かって来た事を見て、再び『阿武隈』に照準を合わせ、射撃を再開した。それは少しずつ、しかし着実に『阿武隈』に損害を与えて行く。


「魚雷発射管に被弾!火災発生!」

「三番煙突に被弾!缶室損傷!」

「艦首水線下に被弾!浸水発生!」

 艦橋に続々と被害報告が舞い込んでくる。副長が応急修理の指揮を取っているが、間断無く命中する砲弾に、とても対処しきれているとは言えなかった。『阿武隈』は次第に黒煙に包まれていった。

「機関部に火災発生!行き足止まります!」

 それは最悪の知らせであった。

「くっ……」

「此所までか……現在の距離は?」

 呻き声を漏らすだけの村上大佐とは対照的に、大森少将はあくまで雷撃が成功するか否かしか脳内に無いようであった。

「七〇です」

 見張員の報告も、どこかぎこちない。しかし、大森少将は満足げに口角を吊り上げた。

「まあ、ここまで良くやってくれた。後は彼らに任せようではないか」

 その声は、柔らかい物であった。

 『阿武隈』を次々と一水戦旗下の駆逐艦が追い越して行く。そのどれもが、すれ違う時に、『阿武隈』の奮闘を称え、礼を言う様に汽笛を鳴らした。


 そして、最後の駆逐艦が追い抜いた時、『阿武隈』に止めとなる砲撃が降り注いだ。

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