第17話 一隻たりとも

 ニミッツ大将の元にハルゼー中将が訪ねて来たのは、西暦一九四二年一月二〇日のことであった。

 ハルゼー中将は先のオアフ島沖海戦にて、敵空母一隻撃沈、二隻撃破を成し遂げており、広報活動propagandaの効果も有り、国民的英雄となっていた。その為、ニミッツ大将と雖も、彼の訪問や発言を無下には出来なかった。

「それでボス、ハワイを取り返すのは何時ですかい?」

 ハルゼー中将は単刀直入にそう切り出した。その余りにも直線的な物言いに、ニミッツ大将は一瞬虚を突かれたが、直ぐに立て直し、彼の質問に答えた。

「君にとっては残念な事かもしれんが、それは随分と先の話になりそうなのだよ」

「そりゃまた、如何してですかい?ジャップも奴らが破壊した要塞の復旧にはあまり着手していないでしょうし、航空機の進出もまだでしょう。私はチャンスは今しかないと思いますが」

 ニミッツ大将は思わず口の端を歪ませた。入ってくる情報は、確かにハルゼー中将の言う通りであったからである。それにハワイの早期奪還は、ルーズベルト大統領も望まれていることであった。

 だが、ニミッツ大将は笑えども、首を縦に振ることは無かった。

「ハルゼー、日本がハワイ攻略なぞを成し遂げたその原因は、彼らの兵力の集中投下は何よりだが、そのより重要なのは奇襲という一点である。だがね、我が方はそれが出来ないのだよ。

「既に戦争は始まっている。この状況で大規模な作戦を立てれば、通信量が自ずと莫大に増える。そうすれば、暗号が破られることは無いだろうが、大規模な作戦を立てた事は分かるではないか。

「現在、合衆国が狙うとすればハワイしかないわけだから、この時点で奇襲は成功しない。

「それに現段階で、我が太平洋方面軍には、四隻の空母と二隻の戦艦しかない。日本海軍は、戦艦六隻に空母四隻を投入出来るとの情報もある。おまけに数は少ないとは言え、基地航空隊の存在もあるだろう。

「しかし、これらは必ずしも決定的な要素とは言えない。ハワイの要塞は壊滅しているからな。素早く動いて上陸さえ行えば成功するかもしれん。しかしだな、もっと根本的な問題が有るのだよ」

「それは一体……」

「陸軍の兵力だよ。あいつらめ、欧州戦や、アフリカ戦に必要だからと、太平洋方面に兵力を出すのを渋っている。マッカーサーの野郎も今はオーストラリアだ。奴らも我々以上に混乱しているという話だがな。余裕がないのだろう」

 ニミッツ大将は吐き捨てるように言った。



 この時、ニミッツ大将は一つの指令を出していた。その命令先は潜水艦部隊であった。

「ハワイ、ミッドウェイ間にて通商破壊作戦を行われよ。ハワイに日本の船を一隻たりとも入れさせるな」


 ニミッツ大将にとって、通商破壊作戦、それも大規模なものは、ドイツのような、二流海軍国家の行うものである、との認識が強い。

 彼は米海軍が強者であるという誇りを捨てたのであった。それは合理的でもあったが、同時にそれほどまで、米海軍が追い詰められているということも意味していた。



 三月三日未明、この日オアフ島真珠湾より、艦隊が出港した。その艦隊は一八隻の艦で構成されていた。

 天龍型軽巡二隻、睦月型駆逐八隻、特設艦八隻である。

 果たして、これらの艦は一体如何なる目的を持って夜の海へ繰り出したのであろうか。



 日本海軍は一つの問題を抱えていた。いや、この組織が抱える問題はそれこそ無数にあるのだが、喫緊した問題が一つあったのである。

 それは、米軍の潜水艦に対してであった。


 現在の所、布哇への物資輸送自体は然程被害を受けてはいない。これには米海軍の魚雷不備問題があったのだが、日本軍の知らぬ所であった。

 問題は布哇近海に敵潜水艦が存在しているという事態、それ自体である。


 大きな艦隊を動かせば、それが敵に知られてしまう。現在、日本の次の動きは連合国には非常に読みづらいものとなっている。攻撃を行うことが可能な場所、及び理由が大まかに絞っても、インド洋、南太平洋、合衆国西海岸、と三箇所ある為だ。


 それを態々絞ってやる必要はない。布哇を出立して、西海岸にたどり着くまでには、約一週間ある。十分では無いが、防備を整える時間はあるだろう。

 その為にここで一度叩いておこうというわけである。



「敵艦発見」

 静寂性が重視される潜水艦では、報告がよく聞こえる。

 ポーパス級潜水艦『ポーパス』艦長ジョン・R・マックナイト・ジュニア少佐はその報告を聞き、部下に問うた。

「また、商船か?」

「いえ、軍艦のようです。恐らく駆逐艦」

「成る程、それは日本海軍が我々を排除しようとしているのだな。ということは、我々の無限潜水艦作戦が一定数の戦果を上げているということだ。そこで、その駆逐艦を我々の輝かしい戦果に加えたいと思うのだが、どうかね?」

 その言葉に、商船狩りに飽きていた、水兵達の士気は高まった。

 とは言え、彼等の活動は彼等自身が思う程の戦果は上げていなかったのだが。


「右舷前方、雷跡!近い!」

「取り舵!」

 見張員の報告に、特設艦『真澄丸』艦長中島武雄少佐は即座に命令を下した。

 彼はこれが初めての戦闘であったが、その様子は、少なくとも表面上には見られなかった。


 しかし、敵潜は余りにも近すぎた。回避運動もままならず、『真澄丸』は二本の魚雷を食らったのであった。

 一本は不発であり、もう一本は深く潜りすぎ、艦底を掠めたものの、信管は作動しなかった。

「これが天佑か!」

 実際には、企業の問題なのだが、中島少佐はそう思い、爆雷投下を指示した。


 この作戦で、帝国海軍は、一隻の駆逐艦と二隻の特設艦が沈められたが、潜水艦を五隻沈めると言う、大きな戦果を得た。沈められた潜水艦の殆どが『ポーパス』の様に、魚雷の命中を狙い、敵艦に接近した、勇敢な人間を艦長に持つ艦であった。

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