第9話 OH作戦五 海戦二
『赤城』の艦橋には弛緩した空気が流れていた。何せ開戦早々に米軍の主力空母ヨークタウン級の一隻を沈めたのである。これで浮かれるなと言う方が難しいであろう。
オアフ島は既に充分すぎる程叩かれており、残る脅威となる海上の敵も沈めたことにより、ハワイ攻略は完全なものとなった。機動部隊司令部は-樋端少佐も含めて-そう思っていた。いや、樋端少佐は実はこのような所に空母が一隻のみでいるとは、おかしいくはないか、と思っていた。しかし、源田中佐のこんな所に空母が六隻もいる事など敵側は知るよしも無いであろうから、一隻でも充分と考えたのであろう、という言葉に反論する言葉も無かった。
ハルゼー中将は、『レキシントン』沈没の報を聞いた時、愕然としていたが、直ぐにこれは良い機会だ!と思い直した。
日本軍は『レキシントン』を撃沈した事で安堵なりしているはずであり、そこを突けば一対六の劣勢であろうと覆す手段にはなる筈だからである。幸いにも『レキシントン』からの報告で、敵艦隊がどの方角から仕掛けてきたかはわかっており、偵察機は最小限とする事が出来る。
ハルゼー中将は早速偵察機を飛ばすように、又攻撃隊の準備をするように命令をした。
「この攻撃は速度が何よりも重要です」
そう言ったのはブローニング大佐である。ハルゼー中将は頷き、言った。
「攻撃隊には発艦し次第、攻撃に向かって貰おう。編隊を組む時間すら惜しいわい。擬似的な波状攻撃にも成るだろうしな」
「諸君!今こそ真珠湾を奇襲した、あの卑怯極まりない黄色い猿共を血祭りにあげるときである!敵空母の数は五隻と非常に多いものとなっている。我々は明らかな劣勢であるが、であるからこそ、この攻撃が成功した暁には我々はこう呼ばれるであろう。英雄と!
「一隻でも多くの空母を沈めろ!一隻でも多くの戦艦を沈めろ!一人でも多くの敵兵を殺せ!一つでも多くの敵を討て!
このハルゼーの演説によって、先ほどの誤爆によって下がっていた『エンタープライズ』搭乗員の士気はかつて無いほど上がったのであった。
「取り舵!針路一九〇度!」
『赤城』艦橋に艦長 長谷川喜一大佐の声が響き渡った。
突如、上空よりドーントレス爆撃機が、攻撃を仕掛けて来たのである。雲の切れ間から襲いかかって来たので反応が遅れたのであった。
『赤城』の右舷側に水柱が立ち上がる。
南雲中将ら機動部隊司令部は、続く攻撃が来るものと予測していた。併し、攻撃はそれ一回已であり、彼らは肩透かしにでもあった気分であった。
「一体今のは何だったのでしょうか?」
源田中佐が首を捻る中、草鹿少将と樋端少佐は同じ結論にたどり着いていた。
「偵察だな」
草鹿少将の言葉に樋端少佐は頷く。
「ええ。爆撃はついでのようなものでしょう」
「とすると、今後本格的な爆撃があるということか?」
そう聞く南雲中将に、草鹿少将は首を振り答えた。
「いえ、先程の空母が沈む前に索敵を出したとも考えられます。それに陸からということも」
樋端少佐がそれに対し意見を述べた。
「オアフ島は昨日散々破壊しましたから考えにくいと思います。矢張り空母からでしょう。併し、報告は陸にも行っているでしょう。どちらにせよ注意は必要かと」
この爆撃機は『エンタープライズ』から発進したものであるが、機動部隊司令部の面々はついぞそれに気づかなかったのである。
突如火線が突き刺さり、直掩隊の零戦が一機墜とされた。
「あれは…」
『翔鶴』戦闘機員であり、第三直掩隊長の兼子正大尉は、最初何らかの事故か味方の誤射かと思った。だが、機銃の発射元を見ると、明らかに零戦とは異なるずんぐりとした機影が有るではないか。
「グラマン!」
更にはその後方には、雷撃機と思われる機体さえあった。
「ここまで接近されるのに気づかなかったとはな」
兼子大尉は言うが早いか、操縦桿を倒し、空戦に向かった。
米軍の機体というものは、実に厄介な代物である。そう兼子大尉は思っていた。
軌道が安定しているが、破壊力に劣る七・七粍機銃では落ちない。かと言って、破壊力に勝る二〇粍機銃は、その重さ故か山なりの軌道を描き、初速度も悪く、中々当たるのには技術が必要となる。
また、二〇粍機銃の携行弾数は六〇発であり、その少なさもこの機銃の欠点であった。
「弾切れっ……」
その欠点兼子大尉の身にも響いていた。
まだ敵雷撃機は一〇機程残っている。このままでは雷撃を止められない。
兼子大尉がそれでも追いすがろうとした時、雷撃機に上空から火線が突き刺さった。
「あれは一航戦のか」
上空には数機の零戦が、雷撃機に機首を向けていた。
「ふん、ジャップ共の戦闘機は下か」
バレット少尉達、爆撃機隊は戦闘機及び雷撃機に遅れること数分、機動部隊の上空にたどり着いていた。
彼の言う通り零戦はほぼ全機がワイルドキャットとデヴァスターに対処する為に低空域に降りていた。
併し、前方から三機の零戦がバレット少尉らに向かって来た。
内二機が機銃を発射するが、それと同時にドーントレスが散開する。残る垂直尾翼に桃色の線を書いた一機は、大胆にも腹を向けて上昇に移った。
二機の零戦がドーントレスに追いすがるが、一機は後部機銃に撃墜された。もう一機も二機を撃退するも、火に包まれる。
その時、バレット少尉の右隣の機体が火も吹かずに高度がガクリと落ち、そのまま海面に激突した。
「何⁉︎」
先程上空に行った機体か?バレット少尉はそう推理するが、彼に出来ることは何も無かった。
「二機撃墜」
ドーントレスを堕とした機体は、バレット少尉の予想通りであった。その機体の主は、その言葉と同時にもう一機撃墜していた。
ドーントレスの後部機銃は、銃身が真っ赤になる程、機銃を撃っていたが、零戦は最小限の動きでそれらを避け、或いは致命傷にならぬようにしていた。
同機は更に一旦上昇。その後前方から攻撃を仕掛け、更に一機撃墜した。併し、そこまでであった。
ドーントレスが空母の上空に到達したのである。
発動機の爆音が、次第に大きくなって来る。
「寄越せ!」
南雲中将は居ても立っても居られなくなり、操舵を奪い取る。
彼も元は水雷屋である。例え艦が巨大であっても、十分に操れる自信を持っていた。
「取り舵!」
前方からのドーントレスを確認し、舵輪を左に回す。そして、それが爆弾を投下し終えぬ内に今度は右側へ回す。先程の機体の後方に更にもう一機あったからである。
水柱が右に、左にと直立する。だが、その間を『赤城』は、身に直撃を受ける事なく進んで行った。
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