第3話 整う準備
陸軍との師団派遣の約束は当初海軍首脳部が予想したよりも可也円滑に進んだ。これは、長門型を出すということや、神中佐が正規の米豪遮断作戦より結果的には使われる兵力は少なくなると訴えたことも大きかったが、及川古志郎海軍大臣が辞任を仄めかした為に受け入れざるをえなかったという側面もある。いつの間に海軍大臣まで丸め込んでいたのか……と永野大将は頭を抱えていたが、兎も角これでハワイ攻略作戦は正式に承諾されたのであった。
軍令部第一課はてんやわんやの忙しさとなっていた。それまでは影も形もなかったハワイ攻略作戦が急に本命の作戦となってしまった。その為に早急に作戦を詰める必要が出てきた。又、真珠湾攻撃が失敗した場合の次善策である米豪遮断作戦も完成させなければならず、それまでの数倍に及ぶ仕事量となっていた。
ハワイ攻略作戦の実施にあたり、連合艦隊の旗艦を一時的に『長門』から他艦へと移譲するということになった。これについては連合艦隊司令内部で決められるものであり、山本大将は『扶桑』とすることと決めた。しかし『扶桑』は老朽艦であり、連合艦隊旗艦としての機能を果たす為に必要な設備を積み込まねばならず、そちらにも海軍は人員を取られることとなった。
また、ハワイへの攻撃が一過性の攻撃ではなく、攻略作戦と成ったことにより、予定していた艦隊の初期配置が一部白紙に戻り、そちらも新たに立案しなければならなかった。
長門型を上陸部隊の護衛、金剛型を機動部隊の護衛へ、扶桑型は一番艦『扶桑』を連合艦隊旗艦に使用するので、南方作戦部隊に組み込まれる戦艦は自然と伊勢型に限られた。
それらを取りまとめ、軍令部と連合艦隊との間の橋渡し的役割として、活躍していたのは神中佐であった。さらに軍令部としての職務を果たすだけではなく、連合艦隊のほうにも助言を与え、艦政本部の建造計画にも口を出すなど、人間業とは思えぬ働きをしていた。その為かどうか、その一部からは『神がかり重徳中佐』という綽名すら付けられていた。
八月、神中佐は連合艦隊司令長官室へと赴いていた。扉を叩き、入る。そこには山本大将ともう一人、三十路であろう精勤な顔をした青年の姿があった。襟を見る限り階級は少佐である。
「ああ、来たか神中佐。呼び出してすまなかった。少し伝えたい事と、合わせたい人物がいてな」
「いえ…それで、私に合わせたい人とはそこの…?」
神中佐が山本大将の傍らにいる人物に目を向けると、山本大将は大きく頷いた。
「ああそうだ。神中佐、こちらは樋端久利雄少佐だ。樋端少佐、こちらは神重徳少佐」
山本大将の言葉が終わると同時に樋端少佐が敬礼をした。
「神中佐ですね。御高名は兼々。なんでもハワイ攻略を実行まで持って行ったとか」
「樋端少佐、こちらも貴様の噂は聞いている。支那戦線での活躍は目を見張る物があると」
神中佐は返礼を返した。そして、山本大将に伝えたい事とは何か、と尋ねた。
「うん。実はね、君たちをGF参謀に異動させたい。というより、今度辞令で異動することが決まっている。今からでも取り消すことは可能だが、どうする?」
「喜んで受けさせてもらおうと思います」
そう言ったのは樋端少佐であった。確かにかれは、支那事変でこそ縦横無尽の活躍をしていたが、早くも合衆国とのきな臭さを感じ取っていた。支那の上空には米軍の航空機も飛んでいたからである。そして、そちらの方へ自身の力を活かしたいと思っていた。そこに連合艦隊への引き抜きである。かれにしてみれば、渡りに船といった様なものであった。
しかし、神中佐は中々首を縦に振らないでいた。
「君はこの異動が不満なのかね?」
そう山本大将が聞くが、神中佐は首を振った。
「いえ、そういうわけではありません。しかし不安はあります」
「不安?何がだ」
「私がGFに移ったせいで、また軍令部と対立するのではないでしょうか…」
神中佐の不安も尤もであった。今でこそ軍令部と連合艦隊はハワイ攻略という共通の目的に向かっているが、軍令部の中には未だこの作戦に良い顔をしていないものもいる。神中佐はこの作戦を生み出した正にその人であり、彼がいなくなった軍令部が反旗を翻さないとも限らない。
しかし山本大将は自信ありげに答えた。
「君の不安も確かではあるが、それについては手を打っている。及川大臣に掛け合ってな、君と引き替えに三和中佐を軍令部に送り込む。彼が十分に目を光らせてくれるよ」
そこまで根を回されてしまっては引き受けないわけにはいかない。それに神中佐も作戦の細かい部分を詰めなければいけなかった。
神中佐が了承したのを見ると、山本大将はニコニコと笑い何度も頷いたのであった。
八月中に辞令は出され、神中佐と樋端少佐は艦上の人となった。それは、彼らに東からの風を実感させるのには十分であった。
連合艦隊の人事異動と同時に『扶桑』の改装も終了し、連合艦隊旗艦は同艦となった。
『扶桑』が連合艦隊旗艦となることには疑問視する声も海軍内部―特に大艦巨砲主義の者達―から上がったが、直に新型艦が就役することもあり、長門型二隻をそれと同時に前線に出せるようにする為であるという解釈が何時の間にやら広まっていた。
海外にもこの情報は伝わったが、長門型を自在に使う為の準備であろうと見られた。『長門』が連合艦隊旗艦でなくなれば、小さな海戦や局地的な海戦にも出す事が出来る。それは日本海軍の戦略を大いに広げることを意味した。一部の者は日本人の臆病さの表れであろう等と言っていたが、米海軍太平洋艦隊司令長官 ハズバルト・E・キンメル大将を始めとする人等は、日本海軍 侮り難しと警戒感を新たにすると共に、欧州の戦火が愈々太平洋に迄広まろうとしている事を感じ取っていた。
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