第23話 超能力はなくとも

 太陽が夕日となり、直視できるほどに沈み始めた頃には柚乃の様子も落ち着いたものだった。

 ローテーブルの脇に座り込み、俺がカフェオレを淹れてやると「ありがとうございます」と苦笑しながらもそれを受け取る。

 微かに頬が赤く見えるがそれは夕日の影響だろう。

 見た所、普段の柚乃と変わりなく感じた。


「なんと言うか……正直驚いた」

「頭の中、読みませんからご自分でどうぞ?」

「ん……」


 ベットに腰掛け、俺も淹れた珈琲を手に持ちながら沈んでいく夕日を感じる。

 肝心な、できれば勝手に頭の中を読んでくれた方が楽な時に限ってこいつは気を使う。

 もしかするとそれを知っていてそうするのかも知れないが。


「こんなにモテたのは初めてだ」

「ぶっ」


 ゲホゲホと柚乃が思わず吹きこぼし、あたり一面にカフェオレを撒き散らす。


「おいおいおいっ」


 慌ててタオルを取りに行こうとするがむせながらも手で静止され、「大丈夫ですっ……」と指先でヒョイっと円を描くと服に飛び散ってできたシミなどが浮かび上がり、まるで宇宙空間でのそれのように水球となって中に浮かぶ。


 もはや魔法だ。


「恐れ入った」

「流しでいいですか?」

「ああ」


 そのまま飛んでいくそれらを眺めつつ、こんな力があるなら俺一人の意思など好き勝手に改変できそうなものなのに、こいつはそうしなかったんだなと当たり前だが意外に思う。

 そこらへんは思考を読んでいたらしく、柚乃は口の端で笑みを浮かべながらも少し寂しげにカップを包み込み、カフェオレを啜った。


「私が堕とされていくヒロインものを描くのって、無理やり力任せに操られたりしても心だけは折れたりしないぞーっみたいなのがかっこいいなーって思うからなんですよね。そりゃぁーえっちなのも可愛いいんですけど、体は弄ばれても心だけは許させない! みたいな。……わかります?」

「わからん」

「えーッ……」


 わかりたくもない。

 そんな話。


 根っからの毛嫌いというわけでもないのだが、ここまで嫌うのはやはり藍沢の件があったからだろうかとふと思う。

 藍沢が他の部員と俺の知らない話で盛り上がっているのが気に食わなかった。

 確かにそうだが……それならそれでどうして興味を寄せようとしなかったのか。今となってはやはり餓鬼だったんだなぁと思わざる得ない。


「いまだって興味もとうとしないじゃないですか」

「おっしゃる通りで」


 第一、こいつの話に興味を持つとすればエロい漫画のことになる。

 誰もそんなの望んじゃいないだろう。


「私は望んでます! 想像してくださいよ!! えっちなことを!!」

「だから嫌だつってんだろ」

「むゥー……」


 頬をどれだけ膨らませたところで可愛いとは思えばこそ、愛おしいとは思えない。

 意地悪く頬をつついてやるぐらいでパクリと指先を咥えられ、しばらくして引き抜くとティッシュで拭いた。

 何すんだこいつは。


「……私は諦めませんから」

「しつこいなお前も」


 つくづくオタクというものは厄介な人種らしい。そこまでしてやるものなのか、同人活動というものは。

 そもそも本を作ることが目的というよりも俺にエロい妄想をさせることが目的になってきている気がしないでもない。一体なにがしたいんだこいつは。


「……何も言わないのか」

「ええ、まぁ」


 散々そこまで言われれば何かしら反応が返ってくるんじゃないかと思っていたが予想に反して柚乃はじっとこちらを見つめるばかりだ。

 不満があるというわけでもなく、何やら俺の反応を楽しんでいるようにも見える。


「んだよ、悪いけどお前みたいに頭の中は読めねーぞ」


 そして藍沢のように察しが良いわけでもない。


「なら、読もうとしてくださいよ。私の考えてること」

「はぁ……?」


 真剣に。けれども何処か楽しげに告げられた言葉に対して盛大に眉が寄った。


「私が何考えてるか、お兄さんが当ててください」


 なんでそんな面倒なことーー、そう切り捨てようと思ったが柚乃は真面目にそう思っているらしく、視線を外そうとしない。じっと見つめられ、ここで逃げるのはなんだか癪で、「あぁん……?」と分からないなら分からないなりに柚乃に思い馳せる。


 こいつが持っているような不思議な力は俺にはなく、やはり藍沢がやるように相手の仕草から何かを察することは俺にはできないようだ。

 どれだけ柚乃を見ていても何を考えているかなんて検討もつかず、何処かで「こんな奴の考えてることが分かるわけない」と諦め始めていた。のだが、視線をそらしてしまったところで、


「(大丈夫、わかりますよ)」


 頭の中に直接語りかけられた。


「(お兄さんは私のことをよく知っていますからっ)」


 くすぐったそうに微笑みながら告げられた言葉は聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。


「人を馬鹿にするのも大概にしろ」


 付き合いきれんと立ち上がると飲み終わったカップを流しに置き、ベランダへと続く窓を開けた。

 心地よい風が吹き抜け、太陽が沈んでいくのが見える。

 もう姿は殆ど残っておらず、微かに染まった赤い空がその存在を記すばかりだ。


「……そんな恥ずかしいこと、俺に言わせんな」


 自意識過剰だと、人は笑うかもしれない。

 俺だって自惚れすぎたと恥ずかしくなっていますぐ掻き消したくなる。

 だが、頭をひねった挙げ句、悩み抜いてわからないと諦めた先にこいつだったら、と浮かんだのがその答えだった。


 後ろで、柚乃がカップをテーブルに置き、隣に並んでくるのが分かる。

 微かに甘い香りが鼻先をくすぐった。



「お兄さんのえっち」



「っ……お前なぁっ……!」


 人の頭の中を結局覗き見し続けた柚乃は恥ずかしそうに笑い、少しだけ距離をとってベランダの柵にもたれかかると俺に視線を向けてくる。


「お兄さんの心がまだ決まってないっていうなら、勝負はまだ決まってませんよね」


 心底、ここまで好かれるような覚えもないのだが、もう事実としてそれは受け入れるしかないのだろう。


「ああ……そーいうことになるんだろーな」


 嘘をついたところでやすやすと暴かれるならいっそのこと、素直に吐いてしまえばいいと降参する。

 何も急ぐことはない。大人だって悩むのだ。開き直る。


「なら、恋愛対象と見てもらえるように頑張りまっす」


 無邪気に、それこそなんの憂いもなくそんなことを言ってのける柚乃はやはり幼いなぁと俺は思った。

 こんなに純粋に。一直線に誰かを想うことなど、俺たちにはもうできないだろうに。


「そりゃどーも。ほどほどにな」


 まっすぐな気持ちを真っすぐに受け止めるには少し年をとった。

 気恥ずかしさが優ってまだこの時間帯ではそんな風にしか返してやれないのだが、そのうちちゃんと、向かい合ってやろうとは思う。


 あの頃とは違う、多少なり大人になったのだと証明するために。

 藍沢を一方的に突き放した頃の俺とは違っているのだと、思いたいが為に。

 紺色に染まっていく空を見て、そしてポツポツと明かりがついていく町並みを眺め、そんな風に思った。



 ほんと、変な奴に捕まったもんだ。全く。

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