第22話 強引なテレポーテーション

 なんてことはなくいつも通りに電車は動き始める。

 それほど多くもない乗客を乗せて気だるげな傾き始めた日差しを車内に取り込みつつ、少しずつその体を運んでいく。


「今日は定時で上がれたんですね」

「まーな」


 のんびりと壁と女子高生に挟まれた帰宅時間はなんとも微睡み深い。

 そのまま眠ってしまいそうな心地よい疲れと安らぎを感じ、もしかすると柚乃が何かしてくれてるんじゃないかと勘ぐる。

 どうせ聞いたところではぐらかされるんだろうけど。


「(昨日の夜は帰ってないんですか? 泊まり?)」

「(それも超能力か)」

「(いえいえ、ただの観察眼です。同じネクタイを続けて巻いていらっしゃることってなかったので、もしかしてと思いまして)」

「(なるほどな)」


 まさかそんなところまで見ているとは思ってもいなかった。

 構ってやりたいのは山々だが、なんせもう疲れがピークだ。

 ウトウトと柚乃とは反対側に体を預けて眠りに落ちそうになる。

 つんつん、と頬をつつかれているのは分っているが振り払う気力さえ起きなかった。


「(私、考えたんですよ。どーしてお兄さんにココまでこだわるんだろーって。言われてみれば別にお兄さんじゃなくっても頭の中にイメージ送り込んで、勝手に暴走してくれるの眺めてるだけで男の人って妄想してくださいますし、お兄さんじゃなくってもいいのかなって)」


 そりゃまた傍迷惑な話だ。

 唐突にエロい妄想が浮かぶだなんてマジで性欲まみれの中坊じゃねーか。我慢できずに痴態晒す羽目になったらどうする。人生終了だぞ、マジで。


「(いえいえ、しませんけどね? 流石にそれはダメだってわかりますもん)」

「(そりゃよかったよ)」


 んぅ、と体の位置を微妙にずらし、心地よいところを探っているとくいっと腕を引かれ、柚乃にもたれ掛かる形に持っていかれる。

 普段なら振り払うところだったが半分寝落ちしかけていた俺はそれに抗うこともできず、んぅ……と眠りに落ちる。


「(お兄さんだから安心できるんですよ。多分)」


 その意味をどう捉えたらいいのかわからないまま意識は溶け、気が付いた時には最寄り駅だった。

 寝ぼけ眼のまま言われるがままに引き起こされ、駅のホームへと連れて行かれる。

 明らかに小さな手に引かれ、降りた電車が走り出すと遮られていた夕日が姿を現し、ホームを赤く染めた。

 ほんのりと温かない光が寝起きの肌に温もりを与える。

 ぼんやりとした輪郭の中で柚乃が笑っているのがわかる。


「んゥー……ぁー……なんかよく寝たきがする……」

「実際よく眠っていらっしゃいましたからっ」


 クスクス笑う柚乃を何だかなぁと眺めつつ、こいつはほんとなんなんだろうと不思議に思う。

 今でこそ思うことも少なくなったがやはり同年代の子達と遊んでいる方が楽しいんじゃないだろうか。

 なのに何してんだろう、こんなところで。


「……電車、行っちまったぞ?」

「ですねー? っていうか、少しお話したくて降りたんですけど、構いませんか?」

「話ってなんだ。……同人誌についてなら遠慮させてもらうぞ」


 アドバイザーを買って出た覚えはない。否、続けたいとも思わない。


「えっちな想像。ダメですか?」

「ダメだ」


 不健全にも程があるだろう。それは。


 呆れつつ、そんな話ならここで終わりだと改札口へと向かい始める。

 柚乃は柚乃で次の電車に乗るかテレポートで最寄り駅まで飛んでくれればいいのだ。俺には関係ない。

 面倒を見る義理などそもそもないのだから。


 そんな俺をどう思ったのか柚乃はただ微笑むだけで、ついて来ようとはしなかった。

 どうやら次の電車を待つつもりらしく、停車位置に立って夕日を眺めている。

 都心から随分離れたこの街の影はそれほど高くない。

 徐々に地平線に近づいていく太陽が眩しいながらに覗くことができた。


「(じゃあ、えっちなことさせてくれませんか?)」

「…………ぁ?」


 なんの聞き間違えかと自然と足が止まった。

 振り返ってても柚乃はそのままの姿勢で、こちらのことなど一切気にかけている様子はなく。それこそ、その声は「俺の妄想なんじゃないか」と思えるほどスッキリした表情で夕日を見つめ、


「(私でえっちなこと、してくれませんか?)」


 もう一度、俺に告げた。


「…………」


 流石に欲求不満なのだとしてもその妄想はないだろうと自分の頭を疑う。

 第一柚乃相手にだ。10歳近く歳が離れているガキにンなアテレコは流石に「ナイ」。


 呆れつつ溜め息混じりに「んじゃーな」と別れを告げ、今度こそ改札口に向かった。

 聞き間違えか幻聴だ。こんなもの。

 いくらトチ狂った柚乃だとしても「私で」なんて言うわけがない。


 昨日の今日でやっぱり昨夜の「アレ」は強烈だったんだろうなぁと男としてのサガに同情し、さっさと帰って寝ようと誓った。

 週末前のビールは明日にとっておいたって構わないだろう。

 今はただ休息が一番だ。

 と、改札をくぐり、駅構内から外に出ようとした瞬間、


「っ……、」


 後ろから吹き抜けた風に腕を掴まれ、


「なっ、」


 次の瞬間には自室のベットの上に寝転がっていた。

 見慣れた天井が広がっている。

 ギシリ、と高くもないマットレスのスプリングがきしみをあげる。


「お前な……」


 腰のあたりにそこはかとない重量感。

 肩で息をし、頬を赤く染める柚乃が乗りかかっていた。


「すみません……誰かを連れてのテレポートって試したことなくて、……ちょっと緊張しました……」

「ミスったら壁にめり込むとかそう言うリスクあったりするんだろうな……」

「ええ……まぁ……」


 ドキドキと、妙に色気のある表情がこちらまで伝染する。

 駅のホームを染め上げていた夕焼けは俺の部屋の中も赤く染め、それがより一層柚乃の顔を赤くしていた。

 緊張しているのか瞳に浮かぶ光はいつもと違う。

 女子高生に押し倒されていると言う非現実的な状況にも関わらず当の俺は妙に落ち着いていて、


「……何があった?」


 そのままの姿勢で柚乃に問いかける。

 柚乃の腕が俺の胸元に触れ、微かにそれが震えているのを感じる。


 別にこいつはエロい妄想が好きなだけで、こう言うことに慣れているわけではないらしい。それは常々感じていたことなのだが、実際に「そう言う状況」にもつれ込むとありありと浮かび上がる。

 ならば大事に至ることはないだろう。

 俺が踏み外したりしない限りは。


「切羽詰まってるようだからアドバイスしてやるけどな、早々安売りするもんじゃねーぞ。男ってのは変に気にする生きもんだから、経験人数が一人違うだけで大きくショックを受けるし、やっぱり彼女は処女であってほしいってのが本音のところだ」


 なんつー話をしてるんだろうなぁと呆れる他ないのだが、やはり冷静だった。

 そこに恥ずかしさや気不味さはなく、ただ単純に「保健体育の授業」をしているような感覚だ。

 実のところやはり女性は経験人数が多くないほうがいいと思う。それを、藍沢を通しても俺は思った。


「だからエロ漫画の為にエッチしてみたいとかそう言う考えなら、んっ……?!」


 咄嗟の行動で思わず反応が遅れ、力任せに振り払うにしても超能力で押さえつけられているのかうまく引き剥がせなかった。


「ちょ……お前なっ……!!」


 ようやく口を解放されたと思えば柚乃は自分のネクタイをほどき、ブラウスに手をかけている。


「いやいやいや! 落ち着け! 話を聞けよ!!」


 ビキビキといやな音を立てながらなんとか体をベットから引きはがし、その腕を掴むと柚乃は泣いていた。

 顔を真っ赤にさせながらぽろぽろと大粒の涙を浮かべ、大きな瞳でこちらを見つめている。


「はァ……?」


 理解に苦しみ、力が抜ける。

 抜けた腕を再び押さえつけられ、ベットに倒れこまされるとガチャガチャとベルトを柚乃がいじり始めた。


「……意味わかんねーよお前……」


 抵抗する気力が失せていた。

 と言うよりも、柚乃の傷ついた顔を見てそれを力任せにどうこうしようという気が湧かなかった。

 俺の知らないところで何かがあったのか、それとも俺が知らずうちに何かしたのか。


 なんせ人の気持ちがわからないと人の輪から距離を置いてきた人生だ。

 こいつが何を思い、何を感じていたかなんて俺には良くわからない。


「人の頭の中が読めた所で……結局どうだって言うんでしょうね……?」


 ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が腹の上に伝い落ちるのを感じ、じっと天井を見上げていた。


「自業自得なんでしょうけど……それでもやっぱり気になったので……わたし……ごめんなさいっ……」


 ぺたんと、胸下に柚乃が倒れこんでくる。

 まるでぬいぐるみでも体の上に乗っているかのような感触に、その髪を撫でた。


「(お兄さんの髪から甘い匂いがしたんで……気になって昨日の夜のこと、調べさせてもらったんです……。……やっぱり私って……、魅力ないですかね……?)」


 ギュウッとシャツを掴まれ、その想いにどう答えればいいのかわからずただ髪を撫で続ける。

 こうして体を合わせていると言うのに不思議といやらしい気持ちは浮かんでこない。

 しいて言うなら小動物か、それともやはりぬいぐるみか。

 抱き心地のいい、女子高生なのだ、こいつは。


「……魅力無いわけじゃねーと思うけどな」


 事実、体に押し付けられいる感触には反応せざる得ない。

 ろくでなしと後で罵られるかもしれないが、わかりやすく男としての機能は作動していた。


 しかし、それだけだ。


 満員電車でいくら密着されようが、多くの男がそれで犯罪に走るわけでも無いように、二人きりで、こんな状況になったとしても、俺はこいつに手を出そうとは思えない。


 ……出してしまいたいと言う気持ちはなきにしもあらずなのだが、それでも「出しちゃいけない」と思う。


 ドキドキと、柚乃の鼓動が伝わってくる。


 このままこの体を抱きしめてしまえば取り返しのつかないことになるのは明白だった。


 しかしそうはしない。


 そうはできない。


 浮かんでくるのはあいつの姿だから。


「確かに女子高生に迫られるってのは男としちゃグッとくるし、割といっぱいいっぱいなんだけどさ。超えちゃいけねーラインってあると思うんだよな」


 それを軽々しく超えられる奴もいる事にはいる。

 こいつらがフィクションだと割り切ってエロい話をかけるように、愛がなくともエロいこともできるって奴らだっている。

 けれど俺は違う。

 そう言う世界があると理解していても、その世界で生きられはしない。


「わりーけど、お前じゃないんだわ」


 俺の世界は部室でオタク話に花を咲かせる藍沢との関係ではなくて、ただ二人きり、他の部員が来るまでのけだるい、静かな関係だった。

 それは恐らく今も変わらない。


「……わかってますよ、それぐらい……それも見てましたから……」


 すっと体を起こした柚乃はなんとか涙をせき止めていて、それでもいつまた溢れ出すのか分からないほどにそれを浮かべ続けている。


「私に構ってくれたのだって根底には藍沢さんがいて……ひとえさんにしてあげられなかった事を私で償って……お兄さん、自分じゃ気づいてなかったと思いますけど、ずっとずっと藍沢ひとえさんのこと引きずってるんですもん……? バレバレですよっ……」


 呆然と、自覚してもいなかったことを指摘され、思い返されるのはそれまでの自分の行動だ。

 柚乃のオタク話に付き合い、くだらないと感じながらもエロい妄想の話にハイハイと相槌を打ってやっていた。

 それは紛れもなくあの部室で「藍沢の話を聞いてやれなかった」ことから来ているようにも思える。


「頼まれると断れない性格、その頃からじゃなかったですか……?」

「…………」


 心底、超能力ってやつは便利を通り越してうざってぇと感じた。

 探偵気取りに人の心を読み解いてんじゃねーっよと振り払ってやりたいがどうにもそう言うわけもいかない。

 言われてみればと言うレベルではあるが、確かに図星だった。


「女々しいよなぁー……」


 そこまであいつのことを想っていたとは自分でも驚きだ。

 なんだかんだと思い出になっていたつもりだったのに、そうでもなかったらしい。

 こうなれば呆れを通り越して諦めに近い。

 ならばより一層、柚乃を受け入れる訳には行かない。


「なんでそこまでわかっていて俺に拘ったんだよ。他の男だっていただろう」


 謙遜でもなんでもなく、俺はそれほどいい男だとは思えない。

 容姿もそこまででもなく、会社もそれほどでもない。中の中、よくて中の上。これは贔屓目に見た感想で、実際は中の下と言われてもおかしくはない。

 そんな男に執着する理由などないように思える。


 ーーのだが、柚乃は可笑しそうに微笑み、首を傾げると俺の頬に手を伸ばし告げる。


「一目惚れって大抵そんなもんじゃありませんか?」


 元も子もない話だ。


「……そりゃあ最初は私の声に気がついてくれて助けれくれたのでドキっとしたりしましたし、お尻触ってもエッチな気持ちにならないところとか色々理由づけはできるんですけど……恋ってそんなもんだと思いますよ? 私は」


 なんともまぁ、年下の女の子にヒドイことを言わせる男だと思うばかりだ。いい大人が聞いてあきれるがもう大人であることは半ば諦めている。大人であろうとしたところで実際のところそう人間変わらないのだし、俺は俺だ。


「まだひとえさんとそう言う関係になってないなら、既成事実でどうにかなってくれませんかねっ……?」


 目的の為ならなりふり構わないあたり、こいつもこいつだ。


「お前の想像の中じゃ、そうやって始まった関係はうまくいくもんなのか?」


 陵辱系エロ同人作家のそば粉うどん先生にはなかなかジャンル違いの質問だとは思うのだが、諦めさせるにはこの返事しか思いつかなかった。

 予想外の問いかけだったのか柚乃は少しだけ戸惑い、自分の中で答えが出たのか恥ずかしそうに胸元を隠すと肩をすくめて言った。


「やめときます」


 と。

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