第7話 思惑と願いと金曜と
「お疲れ様でーっす」
改札を抜け、普段通りにホームへ向かう階段を見た瞬間唖然とした。
「なんでそこで待ってるんだ……」
待っているとしたら電車のシートだと思っていたのだが、構内で営業しているドリンクバー(?)のテーブルにもたれ掛かってそいつは緑色のジュースを啜りながら手を振っていた。
生憎その店を利用したことがなく、存在は知っていてもどんなジュースを売っているのか知らない。
若い女の子たちが、それこそこいつみたいな女子高生が少し高めのミックスジュースを飲んでる。
その程度の認識だ。
「いや、そもそも律儀に待ってる必要ないだろう……」
帰れよ。
率直にそう思うが、口に出すことはやめた。
もうこいつは好きにさせる他ない。何を言ったところで聞くとは思えないし説得するだけ時間の無駄って奴だ。
「私のおかげでお仕事片付いたのにその言い分はないんじゃないですかー?」
「やっぱお前が何かしたのか。自分の指が残像になるの初めて見たわ」
上司曰く、今日の俺は神がかっていた。
もしくは「鬼気迫っていた」。
後輩の抜けたぶんを穴埋めしなくてはと必死になってキーボードを叩いていたのは確かだが、それにしても異常な速度だった。入社してから数年経つが一度も褒めてくれたことのない親父が珍しく「驚いた」と肩を叩いていく程だ。我ながら意味がわからなかった。
「明日あたり指が筋肉痛でしょうね」
「だろうな」
ひとごとだと思って可笑しそうに笑う篠崎はなんだか嬉しそうだ。なんかいいことでもあったのか?
「いえいえ、そういう訳でもあるかも知れませんが、特にこれといっては」
「はぁ……?」
ずずずーっと一気に最後まで飲み干してしまったそれをゴミ箱に放り投げ。入り口で一度跳ねた容器はそのままころんと内側へ消えていく。
「(超能力使ってませんよー)」
「(思ってねーし先読みすんな)」
未来予知までできんのか。
別に一緒に帰る約束があった訳でもないが連れ添うようにしてホームへと向かう。
俺がここに来る時間も把握できていると言うことはわりかしマジで「未来予知」、できるのかも知れない。無敵じゃねーか……。
考えてみれば世界を巻き込んだ大事件とかに発展しそうなレベルの能力の癖してやってることはなんともスケールが小さい。悪用しないのは立派だが、本当にそれでいいのかこいつ。
「平和な世の中が一番ですよー、だってアニメ見れなくなっちゃうじゃないですか」
「まぁそうだろうけど……」
そう言う問題なのか?
いや、本人がそう言うならそうなんだろうけど。
駅のホームに二人並んで電車がやって来るのを待っているのはどうにも変な感じがした。なんてことない顔をして隣に立っているけどなんなんだよこの状況。家出してきた妹を連れ帰る兄か。
「んー……そうは見えませんかねぇ……?」
「だったら親戚のお兄さんだな。お母さんと喧嘩でもしたのか」
「生憎我が家も平和そのものですよ? 同人活動のことは隠してますしっ」
「だろうな」
年頃の我が子がエロマンガ描いてますなんて親としちゃ知りたくもねーだろーよ。
同情するよ、篠崎一家。
「て言うかいつの間にか篠崎呼びになってますね」
「女子コーセーのが良かったか、じょしコーセー?」
「いえいえ、なんなら柚乃って名前で呼んで頂いてもよろしいんですけど」
「それは遠慮する。流石に馴れ馴れしーよ」
「そうですか?」
ガタンゴトンと音を立てて滑り込んできた電車から多くはない乗客が降り、おおよそ人が降り切ったあたりでのんびりと乗り込む。
自然と扉に近い一番端に篠崎は座り、俺はその向かい側、反対の並びに腰掛けた。
「(いやいやいやっ! どうしてそっち側なんですか! 隣に座ればいいじゃないですか!)」
「(やだよ欝陶しい)」
「(欝陶しいってお兄さん!!)」
「(おー……)」
そうこうしているうちにワサワサと部活帰りらしい高校球児がわんさか乗り込んで来る。
広い車内でひとまとまりになって騒ぐ男子球児たち。泥だらけのユニフォームで、というわけではないが制服を脱ぎ、カッターシャツを捲り上げてどうにも汗臭い。ついでに言うならやかましい。
何人かは座席に腰掛け、数名は吊り輪に掴まったままブラブラと揺れ始める。通路を挟んで座席同士で騒ぐのは良い行為だとは言えないが……、まぁ仕方ない。
1日の練習を終えた疲れが周り巡ってテンションの高さに変換されているんだろう。俺もいい大人だ、一定の理解を示し黙ってイヤホンを耳に差し込むに至る。
「(囲まれちゃったじゃないですか……)」
多少の遠慮を思わせるかのように少しだけ隙間を開けて座った丸坊主を横目に篠崎が口を尖らせる。
そういや女子マネの姿ないな。いないのか別行動なのか。
他校の女子に免疫がなさそうなあたりはかわいいもんだ。だが、それゆえにちらちらと視線を向けられるのが落ち着かないのだろう。わかりやすく不機嫌だ。
「(お前の超能力でどうにかすればいいだろ。無論、そんなことしたらガチで軽蔑するけどな)」
「(むむむむむ)」
男子球児が移動しないところを見るとどうやら受け入れることにしたらしい。
この時間に帰れるなんて珍しいからな。
そうか、早く帰るとこういう光景に出くわすのか。
なんとも懐かしい感じがしないでもない。
「(そういうお前は友達と帰ったりしないのな)」
男子よりも女子の方がつるんで行動していたような気がする。
友達が少なそうには見えないから単純に同じ方向に帰る子がいないとか、そういう感じか?
「(学校ではフツーに話しますし同じ方向に帰る子もいますよ? 帰りませんけど)」
「(なんだか不満そうだな)」
「(そりゃあもうっ!)」
脳内に語りかけられなくとも分かるほどにプンスカと煙が噴き出していた。やめろ、隣の坊主が若干ビビってる。
「はぁ……」
なんというかお兄さん的には同年代の子達とつるんでくれた方が嬉しいというか、その方が随分健全な感じなんだけどな……? とはいえ、「エロ同人マンガ」なんて描いている時点で健全もクソもないんだろうけど。
ああ、……なるほど。こいつの友達はオタクじゃないのか。
「むっ」
図星だったのか口先が尖った。
なるほど、見慣れて来るとわかりやすい性格している。
確かにこいつの場合「女子高生の趣味」としては異色な部類なのだろう。それゆえに友達と話が合わなくて「先に帰って〜」「うんわかったー(超能力で強制」みたいな流れも頷ける。何だか不憫だな、その友達。
「(友達には超能力使ってませんから! ……ていうか、私だって普通にテレビの話題とかアイドルの話とかついていけますし。バカにしないでくれますかー)」
「(なんだそうなのか。少し見直した)」
「(うっわー……どうでも良さそうですね……)」
事実、どうでもいいのだが。
後から乗って来る乗客が男子球児を避けるようにして座ったあたりで電車は動き出し、人目が増えたことによって男子たちの声のトーンも少しだけ下がったように思える。それでもぶらぶらと吊り輪で前へ後ろへと揺れる姿は若干うっとうしい。
球児たちの隙間から見える篠崎もそれは感じているようで、いつ超能力を使って爆発させないか心配だった。
「(私をなんだと思っているんですか……)」
「(危ないやつ)」
とはいえ、表面上は無関係だから好きにしてくれたらいいんだけど。……ぁ、ダメだ。改札出たところで話してるの人に見られてるし事情聴取ぐらいは受けるか。
「(お兄さんってたまにバカですよね)」
「(お前をバカにしてるのがわからないならお前のがバカだよ)」
頭の中を覗かれるのも慣れてきた気がした。無論全く嬉しくもなんともないが。
ただの耳栓がわりになっているイヤホンから何か流そうかとスマフォを弄る。普段から音楽はあまり聞かないのでこれといって聞きたい曲もないのだが、何も聞いていないのに耳を塞いでいるというのも奇妙な感じがして適当に洋画のサントラを流す。主に作業用だ。日常生活で流すとそれだけで物語性を感じるようになるのだから、ヒトの脳ってのはおめでたい。
実際に非日常(超能力)に出くわして見ると、平和と普遍の偉大さを思い知ることになったが……。
「(何か用があって待ってたんじゃないのか)」
このまま眠ってやろうかと思ったが、どうにも目が冴えて寝落ちできそうもなかった。
瞼は閉じたままなので篠崎がどんな顔をしているのかは分からなかったが返答まで間があったことを思うと意外だったのかも知れない。
まさか俺だって、こんな奴のことを気にかける日が来るとは思ってもみなかったよ。
慣れと習慣というものは恐ろしい。
欝陶しいと感じつつも結局許容してしまえばそれはもう日常だ。
「(エロい妄想ならお断りだぞ、そこの男子にでも頼め)」
その年代の男なら性欲の塊みたいなもんだろうし、他校の女子ってだけで食いついて来るだろう。
「(私が他の男に取られちゃっても良いんだ)」
「(所有権を主張した覚えはねーよ)」
そもそも縛られてんのは俺の方じゃなかったのか。
物的証拠があるわけでもないし、復讐を考えなきゃもうぞんざいに扱ったって構わないんだろうが。
「(それができないのがおにーさんの良いとこだよねー)」
「(ヒトの弱みに付け込むな)」
ほんと、反吐が出る。
目を閉じた感覚越しに電車が止まり、何人かの乗客が降り、人が乗り、また発車するのを感じる。少しだけ静かになった車内とリズミカルに響く電車の揺れが心地よく、なんだかんだとうとうとし始めていた。
「(私が同人誌描いてるのは信じてくれていますか?)」
「(描いてるっていうなら描いてんだろ。疑うほど暇じゃねーよ)」
「(なるほど)」
俺にとっちゃどうでも良いことだしな。描いていようが描いていまいが。
描いてなくてただのセクハラする口実っていうならこいつはただの痴女だ。男子高校生どもと仲良くやってろ。
「(ほんとお兄さんって私に興味ないよね)」
「(ガキだからな)」
「(むーっ)」
ほぼ10歳も歳が離れてりゃそりゃなんとも思わんよ。高校生が小学低学年みて「可愛い」とは思っても「彼女にしたい」とは思わんだろ。いかに女に飢えた男子球児だとしてもな。
「(別にいーですけどォー)」
その割に全然よろしくなさそうな感じは否めない。構ってもらえなくて拗ねてるガキかよ。
いや、ガキか。
いまさっきそういったところだった。
「(もうっ!)」
がこんっと不自然なほどに車両が揺れてもたれ掛かっていた手すり(?)で盛大に頭を打った。
思わず目を開けるとかなりご立腹な女子がこちらを睨んでいる。
「(お前の仕業じゃねーだろうな……)」
「(違いますぅ〜)」
フンッと顔を背け、頬を膨らませる。
マジでこいつ本気になれば世界をどうこうできるレベルなんじゃねーのか……?
若干の危機感を覚えつつもどうこうするようには見えないので落ち着けーと自分をなだめた。
思えば鬱陶しくはあっても害のあるような使い方はしていないんだよな……。
自分が痴漢にあっている時でさえ、無理やりおっさんを引き剝がすとかはせずにテレパシーで俺に助けを求めてきたぐらいだ。
悪い子じゃないんだけどなぁ……? 見た目も悪くないんだし、と心底気の毒だ。こいつの両親が。
「(余計なお世話です!)」
「(へいへい)」
でも実際ショックだと思うけどなぁ……、年頃の我が子がえっちだのエロいだの見知らぬ男と話してたら。
「(それは……その……、……知らない人ではありませんし)」
「(俺の名前も知らないだろ)」
「(……七瀬健一)」
「(テストでのカンニングは減点でーす)」
「(だってぇ!!)」
はーっ……と呆れる他ない。
元気なのは良いことだ。
方向性さえ間違っていなければ、だが。
それでも篠崎は話し続ける。
停車することなく線路を突き進む電車のように。
「(とにかくですね七瀬お兄さん)」
「(歌のおにいさんみたいな呼び方やめろ)」
「(助けて欲しいんですよ、私を)」
「…………」
こういう時、つくづく超能力が一方通行なのを呪う。
はぐらかすように勿体ぶるのはせこい。言いたいことがあるならさっさと言えば良いものを。試しているのか遊んでいるのか。向かい側の席から上目遣い気味に微笑みかけてくる。弄んでいる。将来相当の悪女になるな、これは……。
「(心にもないことをっ)」
「(お前がどうなろうが知ったこっちゃないしな)」
道を踏み外している点に関しては現状と変わらないだろうし。どちら方面がマシかといえば50歩100歩、実害がないだけオタク方面の方がマシかもな。こんな女に振り回される男が可哀想だ。俺含め。
「(そこの男子高生に手を出すなよ、女のケツより白球追いかけてる方がまだマシだ)」
「(もしかして嫉妬ですか? 他の男子に取られないかって牽制してます?)」
「(余裕で敬遠でフォアボールだよ。お前なんかストライクゾーンに擦りもしねぇ)」
言っていて意味がわからないが。
そうこうしているうちに最寄駅に着き、話の途中ではあるが席を立った。
生憎急行電車だ。一駅降り損ねるととんでもないことになる。
まだ女子高生は何か言いたげだったが無視して電車を降りた。男子高校生越しに不満げな表情が見え隠れする。
ーーなんの思惑があってか知らねーけど、付き合う義理はねーよ。
今日は花の金曜だ。
早く仕事を切り上げて帰ってこれたっていうならビールでも飲んで有意義な休日を迎えたい。
それが社会人としての唯一の楽しみであり、この日のために1週間勤労に励んできたと言っても過言ではない。
「うし」
電車が行ってしまったのを確認し、帰りのスーパーで缶ビールとつまみは必須だな、と足を改札に向けた。
無駄話で時間を潰して本題に入らねーお前が悪いんだよ、と線路上に消えて行く後ろ姿に鼻で嗤い、
「ひどいじゃないですかー」
ぐいっと右袖を引っ張られた。
「……ぁ?」
先ほどまで誰もいなかったはずの空間にそいつは突然存在していて、細い指先でしっかりと俺の袖を掴んでは離さない。
「…………」
他の乗客が横目に俺たちを眺め、去って行く中でただ呆然と立ち尽くし見つめ合う。
思考が止まるとはまさにこのことで目の前にそいつがいて、俺の袖を掴んでいる。それ以外の情報が処理できずに永遠と「意味がわからない」が繰り返されていた。
「えっと……お兄さん……?」
流石にそんな俺のことが不安になったのか遠慮気味に尋ねてくる女子高生、もとい篠崎。
ああそうか、超能力か。とようやく納得して溜め息をついた。瞬間移動やテレポーテーションといった類いなのだろうがつくづくなんでもありだなぁ、こいつは……。
そもそも好きな場所に出現することができるのなら電車移動する必要ないだろっていう疑問さえ生まれてくる。が、
……誰かに見られるリスクか。
一人納得した。
「離せ」
「ぁっ」
言って腕を振り払う。うっとうしい。
構わず立ち去ろうとするが今度はスーツの裾を掴まれた。
ぐいっと後ろに反らされ首と腰が悲鳴をあげる。
「……おぃ……」
何をしたいんだこいつは……。
苛立ちを抑えきれず振り返れば今にも泣きそうな顔がそこにあった。
片手で俺の裾を引っ張りながら懇願するかのようにこちらを見つめてくる。
「……言いたいことあるなら言えばいいだろ」
変にはぐらかさずに。
こちらは逃げも隠れもせず、ちゃんと聞いてやるって言ってんだから遠慮することなんてないのだ。
なのにウダウダと話の矛先を逸らして時間切れだなんて自業自得だろ。
「お兄さんのツンデレっ……!!」
「帰る」
「あああっ!! 待ってください!!」
人の頭ん中を好き勝手読めるくせにどんだけ不器用なんだッ。
ほとんど呆れながら足を止めてやる。そろそろ次の電車もやってくる。各駅停車だろうが人は降りるしこんな所をジロジロ見られるのは不本意だった。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、篠崎はゆっくり深呼吸をしてから俺の手首を改めて掴み直すと意を決したように見つめ、
「明日っ、私になってくれませんか!?」
頬を赤らめながら言った。
「…………」
訪れる沈黙、ドキドキとこちらまで心臓の音が伝わってきそうなほどに緊張している面持ち。
まるで告白でもされているかのようなシチュエーションにつくづく「お前は守備範囲外なんだよなぁ……」と冷静な俺がいた。
翌朝俺は、私服姿の篠崎柚乃と待ち合わせすることになる。
こいつと、入れ替わる為に。
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